17. ちょっと楽しい
マダムはフレアのたっぷりしたグレーのフィッシュテイルワンピースを手に取った。スカートの前側は膝丈で、その上から膝下丈のレースが覆っている。
「デコルテは出ていますが胸はしっかり包んで上品さを失わないデザインになっておりますの。周りから浮きすぎることもないでしょうし、そちらのアクセサリーとも反発しません。動きを妨げることだってありませんし、踵のあるブーツを合わせることも可能ですが、やはりヒールがお似合いになると思いますわ」
そんな感じで上手にお勧めしてもらって、デザインを邪魔しない下着まで揃えてもらい、とりあえず着てみることになった。
「とってもよくお似合いですよ」
等身大の鏡の前に引き出されれば、結婚式の二次会でも行けそうな姿だけど、確かにイタさは激減していた。
これが似合うのはイザムのフィギュア主観による体型補正の力がかなり大きいような気がするのは……うん。気づかなかったことにしよう。
だけど、これは楽しいかも。
アイリーンはスタイルがいいから、きっといろいろ似合う服があると思う。
ちょっと上向いた気分そのままで奥から連れ出されれば、出入り口近くの椅子に座っていたイザムも、ぱあっと笑顔になって立ち上がった。
慌てて表情を引き締めて「くそ、負けた……」と、呟いたのが聞こえたけど、昨日から何と闘ってるんだ、この魔導士は。
ふふん、とマダムが得意げな表情をしたところを見ると、マダムのセンスに負けたと思っているのか?
わたしの楽しい気持ちを感知したのだとしたら、「自分が着せたい」と「わたしが着たい」の差を考えていない時点で出だしから比べ物にならないんだけど。
イザムはマダムに一つ頷くと、その手に小さな袋を乗せて、「残りは家に」とだけ言うとわたしの右手を引いて外に向かった。
「このまま行く」
「え? いいの?」
そうさせてもらえるなら嬉しいけど、さっきまで着ていたあの黒ビスチェのセットはただの衣類じゃないって話だったはずだ。
「似合ってるから、いい」
褒められたのも嬉しいけど、眩しそうに目を細められたのはなんだかちょっと恥ずかしい。
いやいや、騙されちゃいけない。
ぱっと見ハンサムでもこれはイザムだし、気を許したら絶対あっという間にイタいコスプレに逆戻り……だと思う。
首を振りつつお店を出ると、さっきまでの現実世界のコスプレ衣装ではなく、こっちの世界の服装になったせいか、そんなに見られている感じもなくなった。
それでもごくまれにぎょっとしたように飛び上がって「狼女?!」と囁く人がいる。
そのたびにイザムがむっとした顔をして、つないだ手に力が入れられる。
まったく、どこがどうして狼女だ失礼な。って思っていたら、「シルバーの匂いがするんだよ。わかるやつにはわかる」と、歩きながらイザムが教えてくれた。
「今日は服を買うって言ってあったし、そうなれば行先はマダム・ムアドレの店だ。このあたりでは一番腕が立つからね。ホランドはお見通しだ――アイリーンのことをちゃんと考えてくれてる――シルバーの人選だけど、適任だな。
アイリーンの格好は完全に僕の趣味だったし、マダムは服飾に関してはプロだ。こっちでいろいろ試着するだろうし、アイリーンが気に入ったら着替えて帰ってくる可能性は高い――そう踏んだんだよ。僕だってアイリーンが喜んでくれるのはすごく嬉しいしね。
だけど、僕が着せたあの服にはいろんなオプションがついてる。それを着替えてしまえばアイリーンの守りが手薄になる可能性がある。
だから今朝、ホランドが買うべきもののリストを渡して僕を引き止めている間に、シルバーがアイリーンに匂いをつけたんだ。着替えても落ちないくらいにしっかりとね。
まったく、今朝は面白くなかったよ。せっかく僕のものだって一目瞭然の格好で連れ歩こうと思ってたのに、ちょっと目を離したら半分シルバーの、みたいになってるんだから。
まあ、結局ホランドの考えた通り、そのドレスは素敵だし、よく似合ってるし、僕はアイリーンの嬉しそうな顔が見られて嬉しいし、そんなアイリーンと一緒に歩けてさらに嬉しいし、僕の守りが薄くなってもシルバーの匂いのせいで周りには牽制になる。なにしろ今日の僕はたんなる魔導士の弟子ってつもりだったから、侮られやすい。だからって僕がアイリーンを守れないわけじゃないけどね――一応これもあるし」
そう言って胸もとのネックレスに手を伸ばす。
「これは僕があげたんだからね。外しちゃだめだよ? それから、今日注文した衣類は、一度全部確認してオプションをつけてから使ってもらう。僕が作ったやつには劣るとしても、それなりの守護はつけられるから。次こそ僕の独壇場だ」
またなんだか一人でやる気を出しているイザムと、ぶらぶらと市場を見て回りながら、初めて見る野菜や果物、動物(動物はやっぱり匂いに敏感らしく、たいてい怯えて騒がれた)について話す。屋台で焼き肉と搾りたてのジュースを買って、イスとテーブルが並べられたオープンスペースでお昼ご飯を食べた。
楽しそうなイザムを見ながら、こんなことは現実ではできないな、と思う。深くかぶった魔導士のローブで今も顔を隠しているけれど、ゆるみ具合が違うよな~なんて思っていたら、ゆるんでいたはずの肩が急にこわばった。
「ああ、今日はそろそろダメだな。でも、宣伝は十分したし」
そう言って食べ物が包んであった紙を丸めてゴミ箱らしきカゴに入れ、木製のカップをつかんで中身を飲み干して立ち上がる。カップを屋台に返すと左手でわたしの右手をつかみ、イザムはまたしてもどんどん歩きだした。
すぐにその理由がわかった。
誰かが尾けて来てる。
「イザム、誰かが……」
そう言いかけたわたしに片目をつむってみせると、イザムはわき目もふらず進んで行った。
もう一方の壁が近づいてきて、だいぶ貴族街寄りに来ちゃったんじゃないかな、とわたしが思い始めたころ、目立たない黒い扉の前で足を止めた。
ずいぶん頑丈そうな扉で、窓はついていない。扉の両側の壁にも窓はなく、まるで壁に扉だけ取り付けたかのように異質だ。
今度はなんだろう。
イザムが杖で二度ノックすると黒い扉が音もなく開く。
手をひかれるままに中に入ると、そこは今入ってきたのと同じような黒い扉が両側に立ち並ぶ薄暗い廊下だった。
「何、ここ? 何かのお店には見えない……」
「ん~、そろそろ家に戻ろうかと思って。嬉しくないお客さんに会う前にね」
そう言いながら石の通路を進んで行き、扉の一つに杖をかざすと、緑の魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと扉が開いた。開いたけど、その先は真っ暗闇だ。何も見えない。
わたしが警戒するように見つめているのに気づいてイザムが微笑んだ。
「大丈夫。転移陣みたいに酔ったりしない。ただの扉だよ」
暗闇の方に引き寄せようとする。つかまれていない左手を前に伸ばして暗闇に触れようとしてみたけど、何に触れる感覚もなかった。
「怖いなら目をつむって」
右手をつかんでいた手が離されて、そのまま左の肩を抱かれた。その手にくっと力が入って、わたしはイザムと一緒に暗闇の中に引き込まれた――かと思ったらイザムの館の廊下に立っていた。
左右を確認する。昨夜開けることのできなかった三階の扉の一つから出てきたらしいことがわかった。
「ええ~! なんで? これってどこでもドア!?」
なんて便利な! と思いながら隣のイザムを見上げれば、「ほら、大魔導士だから」とふっと笑った。




