16. 街へ
両開きの大きな扉を抜ければ、広々とした前庭があり、シルバーを二回りほど小さくした、大きな秋田犬くらいの大きさの狼が二頭近づいてきた。シルバーに比べたら全然怖くないのでそのまま様子を見ていると、ふんふん、とわたしの匂いを嗅いでから指先をぺろりと舐める。
それで挨拶は済んだらしく、離れていった。
不機嫌な顔のままのイザムと一緒に歩きだすと、二頭は十五メートルほどの距離を保ってついて来た。
十分ほど歩くと、黒い鉄製らしい柵に行き当たった。門もある。柵のてっぺんは槍のように尖っていて、この中には悪いやつがいますよ~危険ですよ~入らないでね~、みたいな主張が感じられた。
あ、でもこっち側が何となくおどろおどろしくて、向こうがお日様さんさんなところを見ると、どうやら今いるほうが内側だ。
危険なのは狼たちと、隣の不機嫌顔の残念魔導士ってことだね。うん。なるほど、納得。
門の向こうには広い石畳の道が続いていた。これが王都まで続く道なのだろうか。
イザムがおざなりに右手を振るとギギギィと、音をたてて門が開いた。
格好は昨日と同じ、灰色のローブと透明な石がはまった節くれだった木の杖。
今日はフードもすっぽりかぶっているせいで顔もほとんど隠れているし、本当に魔導士らしく見える。今みたいに手も触れずに門を開けたりするところを見るとなおさらだ。
狼たちのお見送りはここまでらしく、二頭とも門の外に出てこようとはしなかった。
イザムはさっき部屋を出た時はご機嫌だったのに、今日の買い物についてホランドに何を言われたのか、フードの下からちらちらとこっちを見ては、は~、とため息を吐いている。
やっぱり上着とアンダースコートが気に入らないのだろうか。
残念男子の萌えポイントは難しい。
それでも、お日様の下に出ると気分も揚々としてきて、わたしたちは街を目指した。
柵に沿って緩やかに下る傾斜の道を歩いて行く。赤や黄色の木の実がなった果樹園を通り過ぎると柵の色が変わった。
「ここからはお隣さんの領地なんだ。あ、ちなみにうちの領地はこの黒い柵が続くとこから、行けるとこまでだよ。行き過ぎると山になっちゃうから気をつけて」
ちょっと振り返りながら説明してくれた。お隣さんの領地だというこっち側の柵の色は白くて、内側から不吉な気配がする、なんてこともない。
お隣さんはきっと健全な人に違いない。
「ご挨拶しなくていいの?」
仮にもお隣さんなら、と思って聞いたんだけど、イザムは首を横に振った。
「領地ってだけで普段はいないし、仲良くなると怖がってくれなくなるから、挨拶とかはいらないんだ」
……それでいいの?
わたしの心の声は聞こえたらしい。
「やっかいな頼まれごとはたくさんだから、関わらない方がいいんだ」
確かに、災厄を祓ってほしい、とか既にもうたいそうな迷惑だ。わたしの常識では「隣近所とは仲良くするべきじゃないかな」って思うけれど、ここは異世界なのだし、そう言われれば否定はできない。
今来た方角を振り返った。
「山ってさ、昨日魔物が出るって言ってた山のことだよね? 行き過ぎると、ってことはそっち方向には柵はないの? 大丈夫なの?」
「う~ん、シルバーたちが既に魔物だし? ……それに他の魔物が下りてこないようにしてくれてるから大丈夫……っていうか、むしろその方がいい。餌を獲りに行くには柵は邪魔だから。それにほら、なんといっても僕、大魔導士だし?」
「そっか~、シルバーなら大丈夫か」
「じゃなくて、僕ね」
「そっちは今のとこ不明」
残念コスプレ魔術の印象しかない自称大魔導士のことは別として、あの立派な牙は確かに強そうだった。うんうん、と納得しているわたしを見てイザムが納得できない顔をしているけど、それは仕方ないと思う。
だってわたしが知っているイザムの魔法、一番印象が強いのがあのどうしようもないコスプレ魔法だから。その次が頭がぐらんぐらんする『転移』だ。
それからもどんどん歩き続けて、一時間以上、二時間近く歩いて、わたしたちは壁に到着した。歩きっぱなしだったのに少しも疲れていない。そう言うと、「でしょ? こっちのジョブがアイリーンに合ってるってこともあるだろうけど、オートケア付きなんだよその靴」と嬉しそうに言われた。
なんと、イザム作製の衣類のおかげだったらしい。
ちょっとコスプレ魔法を見直しながら壁を見上げた。
不思議なことに、ここに着くまで誰にも会わなかった。壁のこちら側も、中に市場があるとは思えないほど静かだ。
そっちもイザムに聞いてみると、「ここが静かなのは壁に防音の魔術が使われているから。中に入ればそれなりに賑やかだよ」と、教えてくれた。
「それに本当なら歩くと丸一日くらい余裕でかかるんだよ。でもそれじゃ時間がかかりすぎるから、時々姿を現して匂いや痕跡を残しつつ、すっ飛ばしてここまで来たんだ。誰にも会わなかったわけじゃないよ。見えた人もいるし鼻が利く人もいるから、僕がアイリーンを連れて歩いてたって噂はそのうち広まる」
いろいろ小細工をしながら歩いていたらしい――全然気づかなかった。
壁は十メートルはありそうな高さで、人が通るための三メートルほどの高さの扉が開け放たれたままの門があった。大きな物資を通すときはお城の許可を得て、その奥にあるさらに大きな扉を開けるらしい。
イザムが左手を出す。
ただ門を抜けるだけなのにここでもエスコートがいるらしい。
出された手に右手を乗せて、手をひかれるままに中に入ると、言われた通りそれまでの静けさが一変して、わたしは喧騒の中にいた。
二重になっている壁の間には市場や商店、宿屋もあった。
この壁と壁の間は中立地帯で、貴族も平民も立ち入ることができるけれど、貴族街側の門には衛兵がいて許可のない平民が貴族街の中に入らないようにしている。平民側の門には番人がいるとかそういったことはなく出入り自由だけれど、そちらには犯罪者や危険人物として登録されている人間を通さないような魔術が使われているそうだ。
壁の間には異人さん、というかわたしにとっては異世界人さんなのだとはっきりとわかる、見慣れない色の肌や髪をした人もたくさんいた。服装もいろいろだ。
賑やかな露店市といった様子に目を輝かせる。
見たことのない野菜や果物らしきものもたくさんある。きれいに染められた柔らかそうな布や、不思議な色の石のついたアクセサリーもある。
キョロキョロあたりを見回していると、周りの人たちもわたしを見ていることに気がついた。目立っているのはこの格好のせいか――そう思って少し落ち着かなくなっていると、イザムがまたわたしの手を引いた。
どんどん進む。結構な人込みなのに、すいすいと歩けることを不思議に思っていたら、わたしたちが近づいた途端に弾かれたように道を開ける人たちがいることに気がついた。「放浪者」とか「魔導士の守護」とか「狼女」という言葉が聞こえる。
他はともかく、『狼女』とはなんのことだろう。
とにかくどんどん市場の奥に連れて行かれながら、そういえば昨日もこんな感じでお店の奥に連れて行かれたんだった、と思い出す。
また昨日みたいな怪しい物でいっぱいのお店に連れて行かれるのかと、ちょっとびくつきながらもついて行くと、イザムが足を止めたのは意外にも、外観がアンティークっぽいところ以外はわりと普通の、一軒の洋服屋さんの前だった。
扉の上には木製らしい看板が下がっていて、ハサミと針と糸の絵が描いてある。
イザムが深呼吸をしてから扉を押すと頭上からチリリリン、とベルの音がした――と思ったら、奥から「まあまあまあ! いらっしゃいませ!」華やかな声がして、濃紺のマキシ丈のドレスを着たボンキュッボンの色白美人が出てきた。
緑色の髪の毛は複雑な編み方で結い上げ、額の横に一部意図的にふわりと残してあるのが実に艶めかしくてよく似合う。真っ赤な唇がゴージャス。
うわ~お。
おもいっきり見とれているわたしにに~っこりと微笑んでから、そのマダ~ム(って感じだね、まさに)はすすっとイザムに近づいた。
「ずいぶんとお久しぶりでございますのね? 魔導士様?♡(語尾に? だけじゃなくて♡ 付きだ)」
イザムの腕に触れた片手を、舐めるように上へと移動させながら、右から、左からと見上げる視線。
これは、迫られてるってやつだろうか?
その割にはイザムからは現実でストーカー行為を働こうとした人間を前にした時のような恐怖や嫌悪を感じない。
大丈夫そうなら、ほっとくか。
軽く握られたままの右手を離してもらおうとしたら、逆に力強く握られて引き寄せられた。そのままぐい、とマダムの前に押し出され、二人の間に入る格好になる。
マダムはそれでもイザムの前に出ようと何度か頑張ったが、そのたびにイザムがわたしの後ろに移動する。ついにマダムがため息を吐いてわたしに視線を移した。
「それで、今回はこちらのお嬢様に何をお仕立ていたしましょうか?」
無言のままイザムがマダムに紙を一枚渡した。とたんにマダムの顔がぱあっと明るくなる。
「まあ! まあまあまあ! そういうことでしたらお任せくださいませ。お嬢様はこちらへどうぞ! 殿方はこちらでお待ちくださいな」
またしてもまあまあ、言ってるけど、急ににこやかになったマダムに手をとられ、わたしは店の奥に連れて行かれた。試着室のようにカーテンがある。
「採寸いたしますので上着は預からせていただきます。魔導士様、このお洋服、一度消してくださいな」
マダムがそう言った途端、髪がほどけてまたあのキャミソール姿になっていた。うひゃっと叫んでおもわず隠すように自分の身体を抱きしめた。
次からは許可をとってって言ったはずなのに。
「まあ! なんて退廃的な……魔導士様もさぞお気に召して……いえいえ、なんでもございませんのよ。素晴らしいレースですわね」
マダムのコメント、一部さもありなんだけど、これわたしの趣味じゃないのにっ。
てきぱきと採寸を終えるとマダムは一度お店側に出て行き、イザムと何か話してから数着の衣類と靴を持って戻ってきた。
「ご注文いただいた物は後日お届けいたしますが、こちらは本日お持ち帰りいただけるお洋服です」
って、わたし何も注文してないけど?
首を傾げるわたしの前に、マダムが服を並べていく。
襟付きの膝下丈のアイボリーのワンピースはシックで控えめなデザインだし、デコルテがきれいに見える七分袖でひざ丈の黒のワンピースも上品で落ち着いたかわいらしさだ。シフォンの生地がふわりふわりと重なって柔らかいグラデーションを見せているAラインのスカートもすごくきれいで、さっきまで着せられていた、はじけっぷりが痛い露出路線とは大違いだった。
「せっかくですからご試着なさってくださいませ。魔導士様にとっても女性の服を選ぶ際の参考になるかと」
そう言って訳知り顔で頷いた様子から、この退廃的な(ええ、そうでしょうとも)キャミソールも黒ビスチェもイザムの一方的な趣味だということはちゃんとわかってもらえていたらしい。
そういえばさっきも、『一度消してくださいな』って言っていた。
あの服がイザムの魔法だってちゃんと気がついていたんだ。
流石だな……って思いながら見つめれば、「男性の好みは女性の好みとは異なることを理解しない男性は多いのですわ」と、ちょっと肩をすくめて言ってくれた。




