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149. 小さな宿屋

 次の分岐でイザムは馬車を細い方の道に入れさせた。それから更に一時間近く馬車を走らせ、夏の空がうっすらと赤く染まるころに到着した小さな村で、ようやく馬車を停めた。


「今日はここまでだな。宿屋がなければテントを張るけど、一応聞いてみてくれる?」


 タイガくんが御者席からぴょんと飛び降りて近くの建物に走って行った。


「これだけ長時間馬車に揺られて、あんなふうに動けるのはすごいな」


 タイガくんの背中を見送って自分も御者席から降りたリックさんが言う。


「俺たちは実際体験したことのない感覚が普通より鈍いんだよ。向こうでは馬車に長時間揺られることなんてないから。リックは大丈夫か?」


 自分は荷台から降りようとせずにイザムが聞くと、リックさんは「私は鍛えているからまた別だ」と言って伸びをする。

 その後で「女性陣はどうだ?」とこっちに振った。


「仔モッソスになってたぶん、自由に動けてたから平気です」


 ヴェッラが言ってぴょんと飛び降りる。わたしも頷いた――あまり動けてはいなかったけど、たぶん人のままで荷台にいるのと比べたらずっと楽だったんだと思う。それもあって、なかなか戻そうとしなかったって可能性も――それは買いかぶり過ぎかな。


「すぐ先に小さいけど泊まれるところがあるって」


 戻って来たタイガくんがそう言って、馬たちの轡を取った。

 

 ~~~~~~


 そこは見落としてしまいそうな小さな看板のついた宿屋だった。リックさんがすぐに部屋を頼みに行って、タイガくんが馬を外しにかかる。


「宿があってよかったね」


 休むなら、テントより屋根の下の方がいいに決まっている。イアゴに寄り添ったままのイザムに声をかけた。


「わき道に入った時、ちゃんと使われてるそれなりのわだちがあったから、あるんじゃないかとは思ってた」


 そう言ってイザムがイアゴにかがみ込む。顔色と呼吸を確認している感じだ。


 いろいろお見通しなんだな。


「イアゴ? 聞こえるか? イアゴ?」


 反応がない――息はしているし、よっぽど眠りが深いのか。


「俺の声に反応しない――アイリーンも呼んでみて。起きられるようなら、部屋まで歩かせたいし、食事も――まあ、昼前にモッソス食ってるから飢えはしないだろうけど」


 そう言われて、そういえばわたしも一応主人扱いだったと思い出した。


「イアゴ? 宿についたよ? ベッドまで歩ける? イアゴ?」


 こめかみのあたりがピクリ、と震えたような気がした。そのまま続ける。


「イアゴ? 宿についたよ。今からお部屋に行くよ。ちゃんとベッドで寝よう。歩ける?」


 はたして、目は閉じたままだったけど、イアゴはむくりと起きあがった。


「寝る……ベッド、行く……」


 もそもそと呟いて手を伸ばす。


 おお、やった。眠ってるように見えるし、食事ができるようには見えないけど、協力的だ。

 伸ばした片手を掴んで引っ張れば、目をつむったままおとなしくついて来る。声をかければ言われたとおりに荷台から降りた。宿屋の扉をくぐり、ガランとした食堂を抜け、階段を登って(二階には二人部屋が三部屋あるだけで、わたしたちの貸し切りだった)イザムがドアを開けてくれた真ん中の部屋に入って、上掛けをはがしたベッドに誘導した。


「ほら、ここ、ベッド、わかる? ここで寝てね」


 ポンポンと叩いて場所を示すと閉じたままの瞳が一瞬だけあいて、おとなしくベッドに腰掛けて倒れ込む――かと思ったらつないだ手がぐっ、と引っぱられて、イアゴの方につんのめりそうななったわたしの身体を、後ろからイザムがすごい勢いで引き戻した。


「うぎ!!」


 ぐえっとなって変な声、出た。


「寝る、でしょ?」


 辛うじてつないだままの手に向かって、目を閉じたままのイアゴが眉を寄せて呟いた。


「一人で、だ」


 冷気と怒気と三段くらい低くなったイザムの声が一瞬で部屋を満たして、ぎくり、と固まったのはイアゴだけじゃなくて、わたしも一緒だ。これは、背後にゴジラってやつ――命の危機を感じたのはわたしだけじゃなかったらしく、イアゴがぱっちり目を開いた。


 やっと焦点を結んだ目で、わたしとつないだままの片手に目を留めて、腕をたどってゆっくりと視線を上げる。そして、わたしの顔を見た後で、背後のイザムの存在に気づいた途端にパッと手を離した。


「すみませんっ!! 何? え!? 何っっ!! 僕、今、何っ!?」


 キョロキョロと首を回す。そういう所がやっぱり鳥類って感じだ。そして、たぶんなんにもわかっていない。


「寝ろ。一人で、だ」


 狼狽えるイアゴに、さっきと変わらない声で言い渡す。


 イアゴはサーっと音がしそうな勢いで青ざめて、それ以上何も言わず、靴も脱がずにベッドに飛び乗って頭からすっぽり上掛けを被った。


「まったく、どいつもこいつも、油断も隙もない……。あの矢、やっぱりもう一回刺すか」


 ブツブツと恐ろしいことを言うイザムに、引きずられるように部屋から引っ張り出された。


「今のは、気にしなくていいと思う……よ? イアゴはわたしの使い魔でもあるんだし、やめろって言えばやめるでしょ?」

「……言えばやめるだろうけど、俺の声に反応しないでお前の声に反応するとか、たるんでる。それにあいつはオスだ」

「性別はともかく、声が聞こえないのは普段かわいがっていないせいじゃないの? ドラゴンをからかわせたりしてるし」


 イザムがわからない、という顔になった。眉が寄っている。


「かわいがる……? 今日はモッソス食わせたぞ」

「日ごろからやってないから?」

「生餌は各自捕まえることになってる」

「じゃ、スキンシップが足りないとか」

「普通はそんなもん求めないだろ? 使い魔だぞ?」

「ええ~?」


 ああでもない、こうでもないと言いながら、下に行くと、ヴェッラが所在なさげに一人でテーブルに着いていた。


「なんか、至れり尽くせりってのも、落ちつかないよね。わたしも普通に馬の世話とか一緒にやれるのに……」


 どうやら手伝いを断られて、中にいるように言われたらしい。周りをくるりと見回してから、イザムも出て行く――そういうレディーファースト的な行動に落ちつかない気持ちになるのはわたしも一緒だ。


「リックさん、手伝わせてくれなかったの」


 ヴェッラが肩をすくめて小さな不満を示す。

 アルフさんもその辺りで譲ることはなかったし、たぶんリックさんもそうなんだろう。


「――イアゴ、様子はどうだった?」

「ちょっと寝ぼけてたけど、見た感じは普通だった……大丈夫だといいんだけど」


 ヴェッラと並んで座る。


「……現実の知識って、本当に怖いよね」


 ヴェッラがぽつりと呟いた。


「うん。いろいろ持ち込むのが難しいっていう理由がよくわかる。……イザムは電気だって迂闊に広められないって言ってる。屋敷には少しだけ使ってるんだけど。どんな技術を持ち込めるか、持ち込むかって、本当に慎重になるべきだと思う。前も植物の持ち込みについてアルフさんに聞かれて、難しい顔してた」


 あれは、果物の種や苗を持ち込めるかっていう話だったはずだ。


「今日見たパイナップル、あれは?」

「あれも訪問者が持ち込んだって話だった。種なのか、苗なのかはわからないけど、つまりそういうことができる人もいるんだよね――」

「イザム君は? 何か持ち込んでないの?」

「生き物は動物も植物も持ってきたことないみたい」


 そう言ったところで、ふと疑問がわいた。

 本物とはけっこう違うところがあるけど、わたしって、もしかして持ち込まれた扱いなのかな。


 もしそうなら、動物だって持ち込めるってことになる……たぶん。それに、植物も……たぶん。

 それに交配がどうのって言ってたと思う。それってどうなんだろう。


 わたしたち訪問者の意図によっては、役に立つどころか、この世界をひっくり返すような大惨事だって起こりかねない。それはゴジラよりずっと恐ろしいことなんじゃないなんだろうか――そう思った。

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