147. 矢
午後、国境を越えると同時にリックさんはフォーレイザの王城に向けて手紙を出した。王城への到着予定は三日後。今日は夕方まで進んで宿に泊まる。イアゴは国境越え以前に、よさそうなところを探しながら国内の様子を見て来る、と言って鷲に姿を変えると飛び立った。翼があるのだから、国境越えなんて面倒なことにつき合う気はないらしい。
フォーレイザに入っただけなのに日差しがぐんと強くなったような気がした。初夏から盛夏へ。イザムが馬車の荷台にそれまで使っていたのとは違う透明な幌をかけると、どういう仕組みなのか程よく日陰になった。それなのに視界が遮られないのでとても快適だ。
「すごいね、これ。どうなってるの?」
「紗幕とビニールシートとのいいとこ取りしてみたんだ。空気の通りはイマイチだけど、雨も入らない。一応前と後ろから風は抜けるし、外から中が見えないってのはいいだろ?」
そう言われて初めて、マジックミラーのように外からは中が見えない仕組みになっていることを知る。一度馬車を降りて振り向けば、生成りの幌がかかった普通の馬車に見えた。
みんなも興味津々で中からと外からを見比べる。
「これも応用可能か? この国にあるもので作れると思うか?」
リックさんが聞く。
「光の反射を応用してるから、布状じゃなくて板状でいいならできると思うけど、この布自体は魔法使ってるからおそらく無理。アルフは馬車の揺れについて足回りの方気にしてたぞ。そっちはスプリングだし、こっちの材料でも改良できる――ここまでは無理でも、ある程度なら」
イザムが答えて、どの部分にバネが使われているのか、接続部分でできるだけ運動量を損なわない方法などを話し出すと、ヴェッラがほっとした顔をした。
「やっぱりイザム君が適任だ」
かくして今回もリックさんの愛馬は馬車の後ろに繋がれることになった。
御者台でああでもないこうでもないと馬車の仕組みについて語り合う二人のことは放置して、三人で荷台に座る。
「タイガ、なんか吹いてよ。笛とか、ハーモニカとか」
ヴェッラが言うと、ずっと不機嫌そうだったタイガくんの表情が緩んで、リュックサックから取り出したのは焦げ茶色の小さなオカリナだった。
手綱を握るイザムに後ろから断って、ぽわ~とした穏やかな音色で吹き始めたのはSummerだ。ぴったり。
長閑な山間部。のびやかな音が初夏の空気の中に広がる。その後で風のとおり道……トト〇だ。
御者席から聞こえるイザムの声と、ヴェッラとタイガくんが交わす穏やかな視線。荷台の荷物に寄りかかって力を抜いて目を閉じる。幸せ。あれだ、縁側の猫の気分だ。
そのままほわほわとした陽だまりの感覚を楽しんでいたら、一瞬、キュッと胸が締めつけられるような感覚があった。ハッとして目を開けるのとイザムが手綱を引くのが同時。
起きあがってあたりを見回すと、馬車を停めたイザムが御者席で立ち上がった。タイガくんのオカリナが止まる。
「イザム、今、何か――」
そう言いながら、自分の鼓動が早くなっているのを感じる。
目に入るのはどこまでも続く青空と青葉――でも、なんだか。
「リック、荷台に入れ。様子がおかしい」
リックさんが御者席の背もたれを乗り越えて後ろに来ると、ヴェッラを挟んでタイガくんの反対側に片膝をついた。
「アイリーン、何かいるか?」
イザムに聞かれて幌から首を出す。何も感じない――視線も、悪意も。
「近くには、何もいない。でも、変。嫌な感じ」
「俺もだ。……ってことは、イアゴだな。あいつは共通の使い魔だから――行先で何かあったんだ」
二人で空を見上げる。
ピィー!
甲高い啼き声が聞こえた。
近づいて来る。
やがて、上空を影がよぎった。
よかった、戻って来たんだ。と、思ったのはほんのつかの間で、イザムが御者台を飛び降りてイアゴが向かった林の方に駆けだす。
「あいつ怪我してる。すぐ戻るから、中に入ってろ! 警戒はしとけよ! リック、みんなを頼む」
荷台から飛び降りたリックさんが剣を抜いて馬車の後ろに立った。
わたしは御者席の後ろから前方を確かめながら、イザムが走って行った林の方を見やった――おかしな気配はない、と思うけど。追いかけたい気持ちを無理やり押し止める。
今必要なのは、自分の感覚とゴジラだってイザムの言葉を信頼して、待つこと。
襲われて困るのは、ここなんだから。
だけどそのままじっと待つのは、かなり辛かった。
どのくらい時間が経ったのか、たぶん実際には十分もかかっていないと思うけど、一時間にも思えるほどに長かった。
林から並んで歩いて来るイザムとちょっとふらつき気味のイアゴの姿が見えて、ほっと息を吐いて幌から飛び出して駆け寄ると、いつもは元気いっぱいで茶目っ気たっぷりのイアゴが、かなり怒っているらしく眉がつり上がっていた。顔が少しだけ青ざめてるように見える。
「大丈夫なの? 怪我の具合は――?」
「大丈夫です。治療のやり方はともかく、今はもう治ってますから――」
そう言ってぶるりと身を震わせ、イザムから二歩距離を取った。イザムからってとこが……。
うん。……どうやら荒療治だった、らしい。
「あのまま長引かせるより、短い方がいいだろ?」
そういうイザムも、口調はいつも通りのように聞こえるし、口もとには安心させるような笑みがあるけど、目つきがきつくなっている。その手には直径二センチはありそうな太い矢が握られていた。
真っ赤な血がついている。
「そうですけど、僕的にはなんていうかもうちょっと、優しさが感じられた方が……いきなり引っこ抜かれて指突っ込まれてぐりぐりされるとか、射られた時より痛かった……」
そう言いながらさらに一歩距離を取る。
なんてことを。聞いただけで泣きそうだ。
「臓器に傷がないことと毒が塗られてなかったか確認しただけだ。わざとじゃない」
「イアゴ、本当に大丈夫なの? 顔色悪い……」
わたしよりちょっと低い位置にある顔に手を伸ばし、両頬を挟んで見つめると、イアゴは嬉しそうに笑った。
「大丈夫ですけど、心配してくれるのは嬉しいです。ついでにキスしてくれたら全快するかも」
そう言って目を閉じる。
「もう一回刺してやろうか。ぶっすりやればそのまま焼き鳥にできるな」
イザムが手に持った矢を持ち上げると、イアゴは五メートルほど横に飛び退った――着地でふらついたけど、とりあえずは元気らしい。
馬車の居残りメンツも心配そうな顔をして、降りてくる。
「大丈夫だ。ただの矢で、毒も魔術もない――だけど、睡眠薬か麻酔薬か、薬が塗られてる。リック、馬車の操縦頼む。イアゴ、後ろに乗れよ。足元が怪しい。それにここからは変身するのも飛ぶのもなしだ。いきなり矢を射かけてくるようなやつがいるなら、とりあえずは人のふりをしておいた方がいい」
「はい。マスター」
イアゴが神妙に返事をした。
「それもなしだ。名前で呼べ。使い魔だと知ってて狙ったんならますます質が悪い。売られた喧嘩なら買うのはやぶさかじゃないが、今は大所帯だし、みんなもイアゴのことは人だと思って――そうだな、道中はリックの関係者ってことでいいか? 俺たちの常識よりはリックの方に知識が近い」
リックさんが頷くと、イアゴもお願いしますって感じに頭を下げた。
みんなで馬車に乗り込み直して、設定を詰めた。リックさんは御者台に乗って馬車を進ませながらの参加だ。
「……呼び方はイザムさん、でいいですか? アイリーンはそのままでいいよね?」
わたしは頷いたけど、イザムは首を横に振った。
「俺もイザムでいいから。お前はリックも呼び捨てにするだろ? 俺の方が年下だし。とにかく事情が分かるまでは必ず誰かの近くにいろよ? 一人歩きは禁止」
「はい」
イアゴはリックさんのお母さん――亡くなった王妃様の侍女の息子でリックさんの小姓的存在、という設定になった。ちょっと不満そうな顔をするイアゴにイザムが言う。
「やりにくいなら、これからはリックの下につくようにって命令し直してやろうか」
イアゴが肩をすくめた。
「仕方ないですよ。普通の人間の方じゃないですか。僕らは魔獣だ。しかも今は使い魔なんですから、『魔力のある人に使われる立場』です。ただの人間の下につくっていう考えはないんです」
できの悪い上司をみる部下のような目でリックさんを見る。
失礼なのではと思ったけれど、リックさんの方は気にしている様子はなく、苦笑いだった。
「使い魔から見た人間のランクは魔力次第なの?」
ヴェッラが聞いた。
イアゴがにっこり笑って答える。
「それだけってわけじゃないけど、まずは自分を押さえられるだけの魔力はないと。それに仕えやすいかどうかってのもあるよ。契約したとしても、理不尽な要求が多かったりすると辛いんじゃないかな。マスター――いえ、イザムは魔力量が桁違いだから、やろうと思えば理不尽な要求はし放題だけど、そんなことはしない。そういう点で仕えやすいと思う。まあ、要求が高度だなって思うことはあるし、怖い目痛い目にも遭うけど、回復魔法は確かだし」
そう言って脇腹のあたりに静かに手を当てた。射られたのはそのあたりらしい。
「そういう意味ではアイリーンはもう、最高だよね。魔力はそこそこだし、要求は遊びの延長とかわらないし、ひたすらかわいがってくれるから。だからうちの使い魔はみんなアイリーンが大好きなんだよ」
わたしの手を握って、すりすりと二の腕あたりに頭をこすりつけた。
ちょっと調子に乗ってるけど、あんな太い矢が刺さった上に、力まかせに引き抜かれてぐりぐりされたなんて聞いたら、とても叱れない。むしろ労わってやるべきだと思う。そう感じて頭を撫でてやると、イザムがあきらめたようにため息を吐いた。
「まあ、道中はそれで行くとして、城についたら――イアゴの正体が隠しきれなくなるかもしれない。向こうの力量がわからないから何とも言えないし。ばれたら、あれだな、イアゴは俺の師匠のだってことにして、弟子の俺と婚約者で孫娘のアイリーンの監視につけられたってことにしよう」
「最初からその方がいいです」
イアゴが呟く。
「ダメだ。道中は人間のふりの方が安全だ」
きっぱり言われて恨めしそうな顔をしつつ、それでもイアゴは嬉しそうな目をしていた。自分の使える主人に対する尊敬と自慢、そして憧憬のようなものが窺えた。




