145. 噂収集
イザムはバスタブにたっぷりのお湯を張った後で、わたしにこの辺りでは目立たない服とやわらかタオルを押し付けて、柑橘系の入浴剤まで投入してから「ごゆっくり」と言って出て行った――これは本当に甘やかし過ぎだと思う。
すっきりさっぱり汗を流して、スカート部分にふんだんに布を使った麻のワンピースの上から、イザムのローブと同じくすんだ色合いの、ダブルガーゼのシャツを身に着けた。色こそ目立たないけど、すごく肌触りがいい――。汗が飛びやすいように髪の毛はうなじのところでひとつにまとめ、灰色のリボンで縛る。いつものローズピンクの石は服の中に落とす。この服の組み合わせならたぶんわたしたちがうろうろしていても、訪問者だとは思われないだろう。
下に降りると、リックさんが合流していた。みんなと揃って談笑中のイザムのフードはまた深く降りている。わたしに気づいて立ち上がるその口もとが笑っているのはわかるけど、室内でもしっかり顔を出さないようにしているのがちょっと気になった。
まだお昼までは一時間以上ありそうだったので、先に散歩に出ようか、というイザムの言葉に頷いた。
ヴェッラが自分も行きたい、と言うと、即座にリックさんが一緒に行こう、と声をかける。どうせならみんなで行こうよ、とタイガくんが言って立ち上がり、イアゴが僕は馬車で留守番してる、と居残り宣言をしてリックさんに片目をつむる。
邪魔しないってのは、そういうことか。
ただしそれは味方をするという意味ではないらしく、イアゴはタイガくんを引き止めようとはしなかった。
「行くのはいいけど、噂を集めたいからくっつくなよ。注目されたくない。はぐれたら昼にここで」
そう言っていつものように左手でわたしの右手を取ると、一瞬白い光に包まれた。
「見た目がぼんやりして周りに気づかれにくくなるステータス変化の魔法。見つけにくくなるから手を離さないように気をつけて」
そう耳元で言って歩きだす。
「はぐれたら」というよりは、ヴェッラたちのことをまく気満々って感じだ。
案の定、宿から五十メートルも離れないうちに、ヴェッラの「あれ、アイリーンとイザム君は?」って声が聞こえて、わたしたちを見失ったのがわかる。
「あいつらの間に入ったヴェッラはちょっと気の毒だけど、恋愛に一生懸命でいられるくらいなら、ほっといても平気だろ」
そう言ってどんどん先に進む。
リックさんの方は『わけあり』って言ってたような気がするけど、いいのかな。ま、いいか。
「それはいいけど、何の噂を探してるの? それに、なんでそんなに深くフードを被ってるの?」
けっこう警戒しているようで、心配なんだけど。
「これから行く国の――フォーレイザの王室と訪問者の噂話と、俺たちについての噂話が聞きたいんだ。マルテスコートの訪問者は三人――中でも俺たちが追い払ったレオは酷かったろ? あいつの噂話も聞けるんじゃないか、って思ってる。
それにやり方が結構力業だったから、俺たちについてもきっといろいろ噂が飛び交ってるんじゃないかって思って」
そう教えてくれた後でイザムが露店を見ているフリを始めた。わたしは並んだ品物を順に見ながら、珍しいものがないかチェック。城下町より小さい市場だけれど、国境だけあってそれなりに品ぞろえが豊富だ。春の野菜や果物がマルテスコート産なら、夏のものがこれから向かうフォーレイザ産なのだろう。パイナップルみたいな果物が積まれてる。
……っていうか、そのものに見えるんだけどな?
「イザム、これ、どう見ても……」
そう言いながらゆっくり手を伸ばした。
「お、お姉ちゃん買っていくかい? この二年で流行り出したフォーレイザ特産の果物だよ。日持ちはするが、海の方で取れるからなかなかここまでは来ないんだ。うちは息子が海の近くで仕事をしててね、先週帰って来た時についでだって言って持ってきてくれたのさ。
見た目はこんなにごつごつしてるが、味は保証する。黄色くなってるやつを持ち上げて下の方のから匂いをかいでごらん、びっくりするよ!」
そう言って恰幅のいい屋台のおばさんが豊満な胸(とお腹)を揺らしながら、一つ持ち上げて手渡してくれた。
手触りも、トゲトゲ具合もパイナップルに見える。ひっくり返して顔を近づければ、甘い香りもパイナップルだ。
「おばさん、これなんていう果物ですか?」
横から顔を近づけたイザムが聞く。
「『パイナポー』だよ。変わった名前だろう? 何年か前に訪問者が持ち込んだらしいよ。ありがたいことだ。マルテスコートの王都の方では問題を起こしてるやつもいるようだが」
目の前のわたしたちも訪問者だということには気づかないまま、おばさんが話す。
「一つください――問題って、何ですか?」
言われた金額のコインを数えながら、しれっとイザムが聞いた。
「おや、聞いてないのかい? なんでも王都に凄腕の女たらし――まさに『放浪者』だよ――がやって来て、娼館を占拠したんだとか。そこに美形の魔術師――こっちもここの人間じゃない――がやって来て諍いになり、放浪者に入れあげてた女たちに強力な妖術をかけて一瞬で全員自分の虜にしてから女たらしの方を叩きだしたんだってさ。しかも女たちの方は一晩遊んで全員捨てたんだそうだ。
翌日には全員が正気に戻ったって話で、まったく何が本当か知らないが、一体何をやってんだか――こうやっていいものをもたらしてくれる『訪問者』だけじゃないのが困りものさね」
コインを差し出したまま固まった隣の魔導士の代わりに、いい匂いのするパイナポーを受け取りながら「それは……大変でしたね」って言ってみたけど、『一晩遊んで全員捨てた』の件、イザムのショックは大きそうだ。
フードを深くおろしていた理由は、これか。
「おばさん、他に何か新しい噂とか、聞いてませんか。わたしたち今日ここに着いたばかりで」
ちらりと横を見てから、聞いてみる。
「おや、そうなのかい」
おしゃべり好きだったらしいおばさんは、固まったままのイザムの手からコインをつまんでふん、と鼻から息を吐いて「そうさねえ……」と前置きをして続けた。
「あんたたちはマルテスコート側の住人だろう? ということは国に残る訪問者見つかった話は聞いてるんだよね。ありがたいことだ――だけどその向こうのドッレビートには訪問者がいつかないらしくて、苦労してるらしいよ。
なんでもよぼよぼの年寄りが一人いるだけだって話でね。どうせなら長生きして役立ってくれそうな人がいいが、こればっかりはねぇ……」そう言って思わせぶりな目配せをする「あんたたち、何か聞いてないかい?」
よぼよぼの年寄り、ね。
また隣を見やりたい気持ちを押さえる。
「あ~、あそこではお城に素敵なお姫様が現れたって聞いたような」
せめていい話を、と思ってそう言ってみたら、おばさんはそんなのはとっくに知っている、とばかりに鼻を鳴らした。
「ああ、ほんの一時現れたってやつだろ? 王子二人がそのお姫様をめぐって諍いになったとかってやつ。本当に、あっちでもこっちでも男どもときたら、女を争ってる暇なんてないだろうに……」
そう言って声をひそめた。
「これは裏情報だけどね、あそこの王子様たちはそれがもとで仲違いして、片方が城を飛び出したって話だよ。いい歳だろうに兄弟喧嘩なんぞやってるから訪問者がいつかないんじゃないかねぇ。そのお姫様とやらもそれっきりどこかに行っちまったって話だし。
その点じゃ、フォーレイザは運がよかったんだよ。このパイナポーを持ち込んだ訪問者は行っちまったらしいが、王室付きの魔法使いのミレイユさんが、第一王子に嫁ぐことになってるからね。あたしゃ魔女とかってのはよくわからないが、薬の調合ができるって聞いてるよ。ありがたい話だろう?」
おばさん、いろいろ間違ってるけど、すごい情報通だ。
「薬なんて、すごいですね」
それはすごく助かるだろう。会ってみたいな。
薬剤師さんだろうか、それともイザムみたいな独自調合系だろうか……だったら怖いけど。
わたしの相槌に気をよくしたおばさんは、「これは最新の噂だけどね」と言ってから、「ここの宿屋に訪問者の集団が来てるらしいよ」と声をひそめた。
「訪問者ってのは目立つからすぐわかるけど、一人はなんでもあの(・・)モッソスを倒したらしい。あんたらも近くに住んでるなら聞いてるだろ? このひと月ほど手が付けられなくて、王室から兵士を出すって話しだったあいつだよ。ちょっと前に向こうの宿屋で鐘が鳴ってたのを聞いたかい? キレーに解体して運び込んだって話だ。しかもなんと、そいつを倒したのがひょろっとした娘っ子だって噂で――さすがにそれは嘘だと思うけどね、性別は女だとしても、うちの旦那みたいな大女に決まってる。なにしろ仔モッソスまで獲ってきたっていうんだから――まあ、何にせよ役に立つ方の訪問者なら、歓迎さ」
そう言って片目をつむった。
予想外の自分の噂を聞いて反応に困って固まったら、自分自身の噂のショックから立ち直ったイザムが横から、「それは、そうですね」って言ってくれた。
「色々聞かせてくれてありがとうございます。これ、もう一個ください」
そう言ってもう一つパイナポーを手に取ると、さっきよりも多めにコインを渡す。
おばさんが笑顔になって、「一気にたくさん食べるんじゃないよ。舌が痺れるから――とにかく触らぬ神にたたりなしだ、訪問者が立ち去るまでは、お互いおとなしくしておくに限る。連れの嬢ちゃんを攫われないように気をつけなよ、兄さん」って、明るく送り出してくれた。
その場を離れ、広場に出たところの屋台で飲み物を買って背の高いテーブル――限られたスペースを有効利用するための立ち席なのだろう――に寄りかかる。
衝撃の噂おばさんだったな、と思いながら酸味のある飲み物を口にして、一息ついた。
「「は~」」
隣でイザムも大きく息を吐いた。
「アイリーンを連れてると、本当に情報が集まりやすいな。それも、シーフの技か?」
おもしろそうな顔をしてこっちを見る。
「目敏いってやつかなぁ?」
そう言ったところで、こらえきれなくなってぷぷっと吹き出した。
「イザム、あんたずっと顔を隠してたのって、あの噂のせいだったの? 酷い言われようだったけど、あれ訂正しなくてよかったの?」
イザムに対する「一晩遊んで全員捨てた」「よぼよぼの年寄り」発言だけでなく、アルフさんとリックさんの「兄弟喧嘩の末に脱走」説、わたしが大女だって疑惑もあった。
けたけた笑いが止まらないわたしに、フードの奥も困り笑顔だ。
「どんな噂になってるか、はっきりしなくて――俺が噂を聞けるのは酒場とか、食事処とかだから――性別が違うと、こういうふうに日中堂々と話す女の人たちのうわさは聞きにくいんだよ。顔出してると聞きやすいんだけど、相手の記憶に残っちゃうし。
それにしても、一気にいろいろわかって助かった。あの程度ならほっといてもいいかって思うけど、まあ、よく話すおばちゃんだったな~。パイナップルのことといい、魔女のことといい、大当たりだ」
「本当だね~。すっかり圧倒されたよ」
いくつかの露店を見ながら宿に戻る。途中で仕入れたうわさ話は、大なり小なりパイナポーおばちゃんの話とかぶっていた。




