137. 転生者
「娘は覚えていなくとも、僕はここに来る前に何があったか覚えています。僕たちはおそらくもう、向こうで生きてはいない。せっかく生まれ変わったのですから、この世界で精一杯やってみるつもりです。彼女は――」
そう言って娘さんたちの方に視線を送った。
「彼女は亡くなった妻にそっくりなんです。娘が先に気づきました。一目見て、『お母さん!』と呼んで抱きついた。その時、衝撃で彼女にかかっていた悪いチャーム? ですか、魔法が解けて。
彼女は――子どもを亡くしているのだそうです。娘を抱きしめてくれた。
妻が転生していたわけではないんです――彼女はここの人だ。あそこで働いていた彼女の過去を咎める人もいるかもしれませんが、僕はここで得た縁を大切に、もう一度失ってしまった人生をやり直したいと思っています」
穏やかな表情の中には深い悲しみと憧憬と、希望があった。
娘さんたちの方を振り向くと、女性が気付いてほほ笑む。
「娼館にいた放蕩者を追い払ってくれたそうですね。助かりました。彼女は魔法を破ることができたようですが、また会って同じことが起こるのを恐れていた。それに僕は誰もが惹かれるような美男子ではありませんから」
そう言って笑う。
――いやいや、すごくいい顔してると思うけど。
ヴェッラも同意見らしくて、不思議そうに首を傾げた。
だけどつまり、彼女の方は娼館にいてレオさんの被害に遭ったうちの一人だったってことか。
自力で解けたなら、もともとそんなに強く惹かれてはいなかったってことかもしれない。よかったな~って思いながら頷いていたら、「あの、失礼ですけど、鏡、見たことは?」って、ヴェッラが聞いた。
最初の質問、それ?
でも、確かにイザムやタイガくんみたいな絵にかいたようなハンサムじゃないかもしれないけど、優しそうに下がった眉と、笑いじわのある目じり、感情豊かな深い茶色の瞳はとてもきれいだし、パン屋さんって、肉体労働なのかなって思うほどがっちりと引き締まった身体をしているのが服の上からでもわかる。
その質問にリョウタさんが不思議そうな顔をした。
「僕には鏡は見えません。それが僕の設定――になるのかな。毎日、暗い顔をしてこっちを見返す自分を見るのが本当に辛かった――自分で髭が剃れないのは不便ですが、あれが見えないだけでずいぶん楽になりました」
そう言って笑う――この人が異世界で幸せで、覚悟が決まっているのは確かだ。
「じゃあ、転移用のアイテムは持っていないんですか?」
タイガくんが聞くと、リョウタさんが肩をすくめた。
「ここに来た時僕が握りしめていたのは娘の手だけです。娘が持っていたのは、お菓子のおまけについてきたおもちゃの鍵で、あとは衣服だけで他には何も」
市場で見た、あれか。
わたしの考えがわかったようで、イザムが頷いた。
「こっちでも、パン屋さんをやるんですか?」
「わ! それ、いいですね。きっと評判になります」
弾んだ声のヴェッラの質問にタイガくんが飛びついた。
そうだったらいいな、ってわたしも一気に気分が上向く。
リョウタさんが少し困った顔になった。
「そこはまだ……そうしたいとは思っているんですが、こっちとは勝手が違って。なんていうか、けっこう設備が違うから難しいんです。まずは慣れないと。全部石窯だし、発酵させるにも酵母も違うし、何より材料が……」
「何が必要ですか? そのあたりは力になれるかもしれません」
ぐっと身を乗り出したのはイザム。
この世界の動植物はもとより道具も知っているものが多い。あっという間に話がパン屋さんを開業するにあたって何が必要かって方向に急展開していく。横でヴェッラとタイガくんが自分の好みのパンについて話し始める。
アルフレッド様はそんなみんなとリョウタさんを眺めて何やら思案顔で――。
くい、と制服もどきの袖を引かれた。
見おろせば、輪っかにした紐を持ったココロちゃんが立っていた。
「おねーちゃん、あやとり、できる? お母さん、わすれちゃったんだって。ココといっしょにきて、おしえて」
細い指先を紐に絡ませている。
「いいよ。でも、覚えてるかどうか怪しいかも」
そう言って立ち上がると、アルフレッド様も立ち上がった。
「私にも見せて下さい。ローゼリーアに教えてやれるかもしれない」
ココロちゃん(ココって呼んでって言われた)と一緒に女の人のところに移動して、昔の記憶を引っ張り出してあやとりを始める。意外に覚えているものだ――でも、時々手が止まる。
「あ~、これ、どうだっけ? ……こっちを小指で取って、ここをつまむ? んだっけ」
「こちら、では?」
すいと横から手を出して、アルフレッド様が一つ進めてくれた。
「わ! すごい。見ただけでどう取るかわかるなんて!」
そう誉めたら、アルフレッド様は軽く目を見開いた。
「そうですか? なんとなく、そんな気がしただけですが」
「すごいです! 才能あります。……まあ、あやとりの才能なんて何に使うのって言われればそれまでですが」
四人でわいわいやりながら進めていく。
「小さいときにやったきりだけど、けっこう覚えてるんだな~」
宿に戻りながら思い返す。お城ではもっと立地のいい宿に移るよう勧められたけれど、とりあえず今日のところはレオさんのチャームの残党がいないかの確認も含め、これまでの宿に戻ることにした。宿の人たちもすごく親切にしてくれるようになったし。
イザムはまだ思案顔で、「オーブンはやっぱり難しいか……電気がなぁ」って呟いている。
電気を持ち込むと、暮らしは発達するし、いろいろ便利になるのだけれど、それに伴い弊害が起きやすくなる――だから電気についてはイザムも屋敷以外に出すことは保留中なのだ。石窯の方が美味しそうだし楽しそうだけど、楽かと言われればやっぱり全然違う。だけど何を持ち込むかの加減は大切だと思う。
こっちの世界で暮らすことに前向きな人に出会えたことで、ヴェッラの表情が明るい――タイガくんの方は時々考えこむような顔をしているけど。
でもそれ以上に、町人仕様に戻ったアルフさんの方がどんどん口数が少なくなって、何か思い悩むような顔になっているのが気になる――。
「あの、アルフさん? 何か気にかかるようなことがありましたか?」
思い切って聞いてみたら、「あ、ええ、いえ、ちょっと……」と煮え切らない返事の後で、「一度、ドッレビートに戻ろうと思います。調べたいことができました。私の代わりに兄が――ヘンリックが来ることになるかもしれません」と言葉を続けた。
え?
意外な言葉に目をぱちくりさせると、珍しく考え事中なのに言葉を聞きつけたらしいイザムが言った。
「――調べたいこと? 訪問者たちに振り回されて、嫌になったのか? アイリーンにチャームをかけたことなら、気にしなくていいぞ?」
「いえ、そういうことでは。ただ、こういった感じで旅が続くのなら、私より兄の方が適任かもしれない、と思いまして」
「ヘンリックがか? あいつ、役に立つのか?」
イザムが失礼なことを聞く――でもみんな同じ気持ちだと思う。
誰が何の役に立つかどうかはともかく、アルフさんはもうわたしたちの仲間だ。一方のヘンリック様はと言えば、おそらくヴェッラ以外はろくに話したこともないし、わたしにいたっては口をきいたことすらない。
「兄は――魔法は使えませんが、剣術は使えます。このメンバーで動くなら、その方がいいかと」
そうかもしれないけど、今さらな気がする。
「調べたいことってのは? 話せない内容か?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ、『訪問者』と『転生者』にはどんな違いがあるのか、確認したいと思いまして」
「『訪問者』たちは行き来ができるが――『転生者』たちはいわゆる生まれ変わりだから、戻ることはできない――つまり移住済みの訪問者だってことじゃないのか?」
「そうだとしたら、私たちが探すべきなのは『訪問者』よりむしろ『転生者』なのかもしれないと思いまして、そういった記録が城の書庫にあるか確認したいのです。『転生者』もこの時期特有のものなのか、それとも時期を限らずにやって来るものなのか、後者だとすれば、この世界にはもっと多くの人材が存在するのかもしれません」
「そっか……だけど、ヘンリックか~あいつ頭が固そうなんだよな。来るならいろいろあるからあんまりショック受けるなって言ってやって」
仕方ないって感じでひらひらと手を振るイザム。ヴェッラはちょっと残念そうな顔になった。
「アルフさん海水浴行かないの? 楽しそうだと思ったのに」
「滅多にない機会ですので、調べ物が終わって間に合えば、ご一緒します」
タイガくんは眉を寄せて、「あの人またヴェッラを口説こうとするんじゃ……」って呟いた。
「ライバル登場か、ま、がんばれ。本気具合もわかるってもんだ」
とイザムがまぜっかえした。
~~~~~~
アルフさんはその日のうちにドッレビートに向かい、ヴェッラたちは晩春の気候がいいこの国にしばらく滞在してからその先の国、フォーレイザに向けて出発することになった。その間にヘンリック様が合流するかもしれないし、アルフさんが戻るかもしれない。
わたしとイザムはしばらく現実メインの生活をすることになった。
学年末試験を済ませてから次の国に入る。
いきなり最初の国からずいぶんな出来事があったし、この先については楽観視せずに、まずは落ち着いて現実での試験を終わらせよう――イザムがそう言った。しばらくはごく短時間の異世界滞在を繰り返すだけでいいらしく、わたしは三日置きでほんの一瞬、イザムの領地に顔を出すだけ。
イザム自身も短時間滞在で、その時は自分だけでマルテスコートまで来てヴェッラやタイガくんの様子を見に寄るのもありにする、と言われた。短い時間なら戻る時の負担も少ないらしく、必ずしもわたしを連れてこなくても平気だそうだ。
「最近現実でもいろいろあって、帰りたいことが増えたから、心配いらないよ」
そう言われて、ちょっと嬉しくなった。
タイガくんは受験じゃないのかと思ったら、同じ敷地内にある盲学校の高等部なのでよっぽどのことがなければ持ちあがりでいけます、と言われた。こっちでは普通に見えているのでついタイガくんの目のことを忘れてしまう……感覚としては中高一貫校みたいなものだろうか。
ヴェッラは本体が入院中で進級はギリギリセーフらしい。勉強はできる時にタブレット学習で済ませ、試験は免除。その代わりに課題があって、学校からの課題プリントはメールで送るという……こっちは通信教育みたいなものだろうか。みんな様々だ。




