135. 気持ちの伴う行動
穏やかな気持ちで眠れたのはどうやらわたしだけじゃなかったみたいで、次の朝目を覚ましたら、隣のヴェッラの寝顔が微笑んでいた。
いい夢を見たみたい。
頭を起こしたら、ドアのすぐ内側にわたしのカバンが置いてあるのが見えた。
むむ。
あれは、開けて置いてったのだろうか……。それとも魔法でカバンだけ移動させたりできるのだろうか。
既に下手人の姿はないし、追及はしないけど。ろくでもない格好をしているのはわたしだけだし、きっと見てないって言われるし、たぶんイザムがそう言うなら本当に見ていないんだろうなって思うし。
静かに起き上がって、カバンから引っ張り出した、くたくたの部屋着をキャミの上から着て、もう一度ベッドに戻った。
幸せそうなヴェッラを起こしたくないし、早朝散歩はやめる。
人を部屋に閉じ込めて何をしていたんだか知らないけど、イザムはちゃんと寝たのかな。昼寝はしたけど昨日はよく眠れなかったんだし、イザムもちゃんと寝て幸せな夢を見たんだといいけど。
そんなことを考えながら二度寝して、次はヴェッラも起こして着替えてから下に行った。
「アイリーン、ヴェッラ、おはよ」
「おはよ。ど、したの?」
既にイザムがテーブルに着いていて、何か期待してるような、ワクワクな顔をしていた。
「よく眠れたかなって思って」
「寝たよ? イザムは? ちゃんと眠れた?」
ヴェッラと並んでイザムの向かい側に座りながら聞いた。
「抱き枕がなかった割にはちゃんと寝たよ。ヴェッラは?」
聞かれたヴェッラが嬉しそうに答える。
「すっごくいい夢みたよ。王子様と踊った。顔はわからなかったけど」
「ふうん。王子様か。……アイリーンは? 誰かと踊った?」
ああ、昨夜の寝かしつけはそういう魔法つきだったのか。
何かを期待するようなイザムの顔で、そう思い至った。
「王子様は出てこなかったけど、そうだね、いい夢みたよ。あれ、イザムの魔法だったんだ? ありがと」
「誰と(・・)踊ったの?」
え? そこ大事?
「踊ってないよ?」
そう答えたら、なんか、気が抜けたような顔をされた。その返事はダメだったらしい。
「イザム君、けっこうぐいぐい聞くね? ――何の魔法だったの?」
ヴェッラが好奇心で目を光らせながら聞いた。
不満そうな顔でイザムが答える。
「一番踊りたいやつと踊れるようにって思って……じゃ、誰が出てきたの?」
そういう系だったのか。
「アイリーン、男子、出てこなかったの? 男の子!」
ヴェッラが急に期待する顔になった。
「出てきたけど……彼には別のお相手がいたよ?」
「え? 何それ、片思い? ……イザム君の魔法、実はへっぽこなんじゃないの?」
けっこう失礼なことをポンポン言われてもイザムに怒ったようなところがないし、これだけ近くにいても距離を置こうともしていない。ヴェッラの人柄もあると思うけど、イザムはずいぶんとヴェッラに慣れたんだなって思った。裏表のないまっすぐで優しい性格のせいだと思う。
「ヴェッラに効いたんだから、そんなはずないだろ?」
そう言いながらも確信はないらしく、わけがわからない、といった様子でわたしとヴェッラを見比べる。
「ならアイリーンにだけちゃんと効かないってことなの? チャームも全然だったみたいだし」
なぜかヴェッラが残念そうに言って、イザムも眉を寄せたから、効かない理由をちょっと説明してみた。
「チャームは仕方ないよ、あの組み合わせだと、わたしには変だから。それにわたし、イザムの偽笑顔に慣れてるせいで、見ると『げ』って思うから」
「『偽笑顔』なの? あれ」
うんうん、と頷いたついでに説明する。
「作り笑顔もそうだけど、今考えてみればイザムは正面から人の顔見て笑いかけたりしないから、行動も変だった。わざわざ顔を出してるところも変だったし、あのセリフに笑顔って取り合わせがありえないから、絶対嘘だって即断できた。次があったらヴェッラも観察してみたら? 嘘だってわかったらもうかからないかも」
「ちょっ、アイリーン? 俺のチャーム分析するのはやめて」
イザムが両手を挙げて止めにかかる。
「大丈夫。わたしなら観察するより、かかりたい」
ヴェッラが首を振りながら言った。
肩をすくめて、ご自由に、ってやったら、イザムがまったく仕方ないなって顔をして立ち上がった。
「朝飯頼んでくる。適当でいいか?」
「「は~い。ありがとう」」
カウンターに向かう背中を見ていたら、ヴェッラに小突かれた。
「ねえ、誰が出てきたの?」
聞かれたら、夢の情景が頭に浮かんで笑みが漏れた――。
「え~と、五歳くらいのあいつとわたしが楽しそうに踊ってるところ、ちょっと離れて見てたの」
何の不安もなさそうで、ただかわいくて、泣きたいくらい幸せそうだった。
「それって今より五歳の方がいいってこと?」
ヴェッラは不満そうだけど、わたしにとっては――。
「まあ、少なくとも安全ではある、かな」
今日もまたあっという間に朝食が運ばれてきて、「待遇の差が激しいね……」ってヴェッラが苦笑だ。
「それだけレオさんに困ってたってことだよね」
そんな話をしていたらタイガくんが下りてきて、今朝はまっすぐヴェッラに向き合った。
「一昨日の晩、やり過ぎてごめん。あと、昨日も、調子乗っててごめん」
開口一番、はっきり謝る。
「いいよ。わたしこそ、夜中わがまま言ってごめん。つきあってくれてありがとう」
ヴェッラがそう言って、そこで息を吸い直した。
「でも次からは、叩いて正気に戻してくれる? あと、ふざけたこと言ったときは付き合わなくていいから放り出して」
「や、それは……」
タイガくんがためらう。
なんだか、途中の台詞に聞き覚えがあった。
「……なんかちょっとデジャヴだな、これ。仲間か?」
戻ってきたイザムがぼそっと呟いて向かいに座る。確かにそうだ。
だけど。
「二度とチャームは、かけないで」
続けてきっぱりと言いわたしたヴェッラの声には、わたしとは違う、わたし以上にはっきりした拒絶の音があった。
イザムがはっと目を開く。
「……約束はできないよ。ヴェッラに手を上げるなんて無理だ」
そう言った困り顔には、昨日の軽い様子は全くなくて、中学生だって言っていた本来のタイガくんの姿が窺えた。
「わかった。じゃあ言い方を変える。今のわたしはこんな見た目だし、軽そうに見えるかもしれない。それにあっちの自分がいつまで持つかわからないし、確かにちょっとは焦ってる。だけど、だからって誰でもいいわけじゃないし、チャームがかかっていても、あんなふうにはなりたくない。
タイガがどういうつもりだったのかは知らないけど、覚悟がない人にそういうことして欲しくない。それに、同情して欲しいとも思ってない。そんなもののせいであんたをこの世界に留まらせることになるのは絶対に嫌だし。
――あんたには向こうに本来の生活があるんだって、わかってるでしょ?」
「……ヴェッラだってそうだろ」
そこに悲痛な音が含まれているのに嫌でも気づかされた。
「わたしはここでの可能性を探してる。わたしにはあんたみたいに、他の人の気持ちで遊んでる余裕はない。乱されるのはたくさんなの」
そう答えたヴェッラの声にもそれはあって。
「僕は――」
「いい? 本気でわたしとここで生きていくって覚悟がないなら、簡単に手を出すな、って言ってるの」
キッと正面からタイガくんを見つめる目にも声にも、怒りに近い強い感情があるように思えた。
沈黙が続いたけど、わたしにもイザムにも、口を挟めるようなことじゃない。
イザムが目線だけでカップを示し、いつものように濃い目の紅茶を入れてくれた。
黙ってミルクを足して、ゆっくり飲む。
やがてタイガくんがぽつりとつぶやいた。
「……僕は、ヴェッラに現実を諦めて欲しくない。ここでのことなんて遊びでいいんだ。向こうで僕と一緒に――」
そう言って、驚いた顔をしているヴェッラに手を伸ばす。
ヴェッラは、ちょっとだけ困った顔になって、それから、伸ばされた手から身を引いた。
「そう言ってくれるのは嬉しい――それにわたしだって、現実をすっぱり諦めたわけじゃない。でも、わたしにとっては、ここでのことだってやっぱり遊びじゃない。いつまでこの二重生活ができるかだって――」
「二度目だって言ったって、転移はないんだろ!? 今は治る人の方が多いって……!」
ヴェッラがその言葉に目を見張り、タイガくんがはっとして口を噤んだ。
「誰に、聞いたの?」
――ってことは、ヴェッラが話したわけじゃないんだ。
「お見舞いに行ったときに、お兄さんに……ごめん。ヴェッラは治療で体力が落ちてて……眠ってた……手術も控えてるって、聞いた」
避けられた手を拳にして静かに身体のわきに下ろす。
「……なら、わたしがもう踊れないってのも、知ってるんでしょ? 化学療法の後で、手術を乗り切ったとして、どれだけ骨を失うか。ううん。乗り切れるかどうかもわからない。お兄ちゃんがどう話したのか知らないけど、わたしはもう、満身創痍だよ」
「それでも、向こうで生きることに可能性はある……そうだろ?」
タイガくんの問いかけに、答えは戻って来なかった。




