131. イザムのチャーム
ボソッと呟いた声と一緒にぐいと持ち上げられて、今朝からもう何度目かわからないイザムの膝の上に乗せられた。
「アイリーン、悪い顔でね」
「了解」
「それから後でヴェッラにチャームかけるから驚くなよ」
「えっ? ……了解」
この状況をどう収めるつもりなのかと思っていたら、結末はそうなるらしい。
三拍子の曲が始まって、ヴェッラが踊りだす。
近づいて来る、思わせぶりな目つき、腰つき。
腕や背中がさわさわするのは、二人のチャームの応酬の真ん中にいるせいと、背中に触れるイザムの指のせいだ。
ダッシュで逃げたい感じもすごいし、気を抜いたら体が震えてへたり込みそう。
悪い顔なんて保てないよ。
ヴェッラの踊りも、もうとても見ていられなくて、目をつむってイザムの指だけに集中する。
だけどイザムのついでなのかなんなのか知らないけど、ヴェッラが伸ばした手でわたしの腕に優しく触れた。イザムがかかるかどうかじゃなくて、もう、わたしのほうががどうにかなりそう~って思ったとき、ヴェッラはわたしの手をつかんだ。
そのまま引かれると同時に、ぽん、と背中を押されてイザムの膝から押し出された。
え?
振り向くと、さっきまでのわたしの位置には、しっかりヴェッラが収まっていて、妖艶な笑みを浮かべてイザムを見ていて――イザムがゆっくりとヴェッラの頬を撫でていた。
うわ。なんか、いいの、これ?
そこから出してくれたのは助かったけど、放っておいても、いいのかな。ちょっと迷ったその瞬間に、背中にぞくりと寒気が走った。
直後、足のつま先から始まって膝へ、腿へ、震えが一気に駆け上がって走り抜ける。何これ。思わず両腕で身体を抱いたけど、そのまま腰が抜けてその場にへたり込んだ。
目を閉じて浅い呼吸をする。
何だこれ――? でも、とにかく、落ち着け、落ち着け、落ち着け。
そう自分に言い聞かせていたら、「大丈夫、こっち向いて」って声が聞こえたような気がして、目を開けたら、きらきら笑顔のイザムが手を伸ばして――?
それを見たらなんだか、ザワザワしていた感じが急に落ちついた。何かの残念詐欺にかかりそうだったのが現実に立ち返ったみたいな感じ。
……あのさ、イザムはそんなふうに笑ったりしないんだよね。って言うか、これ、何なの?
「ちっ、ダメか」
「当たり前でしょ、その胡散くさい偽笑顔、やめて。それならレオさんの幻視の方がよっぽど本物に見えたし」
そう言った自分の声がちゃんと耳から聞こえた。
ん? 耳から?
「な!?」
ハッとして目を開いた(・・・)ら、食堂の床に座り込んだまま、目の前にはイザム。その腕の中にヴェッラ。隣にピコピコハンマーを手にしたアルフさん。ちょっと離れてなんともいえない表情でヴェッラを見てるタイガくん。
「……みんな、何してるの? え、ちょっと、ヴェッラ呆けてない? 大丈夫?」
膝立ちでヴェッラの顔を下からのぞき込むと、イザムが大きく息を吐いて背後の壁に背中を預けた。
「あ~、くそ、結局かかんなかった!」
「何? 何が? さっきの何? ヴェッラは大丈夫?」
「大丈夫だよ、俺のプライド以外は」
わたしを見る目がじと目になってる。
「……またそれ? イザムのプライドってかなり傷つきやすくない? ヴェッラ? お~い、ヴェッラ? あ、チャームだっけ。かかってるの?」
「いや、さっきハンマーで叩いたからもう解けてるけど、ちょっと初心者にあれだけのやり取りはきつかったらしくて、その直後に俺のチャームだろ? まだ中身が落ち着いてないんだよ。……でも、ハンマーで叩くくらいはできるだろうから、俺とヴェッラで全員叩いて今日はお開きだな」
何でもないことのように言ってるけど、何がどうなったってことだろう。
「イザムも叩くの? なんで?」
「ヴェッラにかけた時の余波」
軽く肩をすくめる。
「え?」
言われて振り向けば、あのお姉さんたち+αが……朝の状態に戻ってる。で、イザムの腕の中にいるヴェッラを静かに睨んでる。
怖っ!
「なんでこんなことになってるの?」
「チャームがかかってるせいだろ?」
さも当たり前のように言ってるけど、違う。聞きたいのはそういうことじゃない。
「そういう意味じゃなくて。ヴェッラにかかったのはいいとして、なんであの人たちにもかかってるのかって――」
「むしろこっちが聞きたいよ。なんでアイリーンにはかかってないんだよ!? 見えてはいたみたいだったのに――俺のプライドはね、そこ! そこで傷ついてるの」
なに、それ。
さっきのザワザワしたやつ、あれでかかるはずだったとか?
「……胡散くさい笑い方するからだよ」
明らかな作り笑顔を向けられてるのに惚れる人なんていないと思う。
「どういう笑い方だよ、みんなちゃんとかかってるのに!」
「……あれでかかるとか、みんな目が悪いんじゃないの?」
まったくバカバカしい――。呆れていたらお腹が鳴った。
「あ、ご飯食べてないんだった。これってヴェッラに教えてもらったレンジ魔法で温め直して――ダメか、器が木製だ……スープだけでも温め直してもらえないか聞いてみよ」
男性陣とヴェッラをその場に残して、テーブルの手つかずの器を持ってカウンターに向かう――声をかけると、幸い奥からヴェッラのチャームにもイザムのチャームにも毒されていない人が出てきてくれて、スープは温めてくれるし、パンも軽く焙ってくれると受け合ってくれた。やった。
アルフさんが今日はもう閉店です、とみんなに声をかけ、並んでもらう。イザムとヴェッラが出入り口に立って、交代で一人ずつピコピコハンマーで叩く。
その様子を、何やら複雑な表情でタイガくんが見つめていた。
「タイガくん、夜ご飯食べた? 一緒に食べる?」
とりあえず聞いてみる。
「いえ、僕は――」
「もう食べた?」
「はい。でも――僕、一度向こうに帰ろうかと思って」
どこかできいた台詞だな。しかもものすごく最近。
「あっちって、現実に? どのくらい?」
――返事がない。つまりこっちも帰りたくなるくらい、動揺中ってことか。
「それはいいけど、話、してから帰りなよ? このまま消えるとか、後味悪いし、迷惑」
動揺中のところに悪いけど、チャームで遊んでたんだし、すっぱりと言ったらタイガくんがぎくりと固まって、その後でがっくり肩を落とした。
「はい……」
すんなり受け入れるあたりは、タイガくんらしい。毒気が抜かれた感じかな。
宿屋にいたお客さんたちやチャームを解いてもらいに来ていた人たち、やじ馬に従業員、次々ピコピコやっているうちにヴェッラもずいぶん落ちついたみたいで、にこやかに賞賛の言葉を受けている――ように見えるけど、いやいや? よく見れば笑顔だけど怒ってるように見えるな?
そう思っていたら、間違いではなかったようで、全員叩き終わったとたんにヴェッラはずかずかとこっちへ歩いて来るなり、いい音をさせてタイガくんに平手打ちをした。
「ちょっと、あんた、どういうつもりよ! 音楽担当のくせに、わたしの足、引っ張んないでよ!」
タイガくんが目を白黒させて左の頬を押さえてる。
「イザム君にチャーム、かけそこなったじゃないの!」
そう言ってハッとしたようにイザムを見た。
「まさか、あんたたちわたしが準備してる間に二人で相談して……窓から吊るされたくないからって……」
「いやいや、ないない! 俺そこまでマメじゃないし!」
イザムが慌てて否定する。
「じゃ、アイリーン? イザム君にチャームかけられたくないから邪魔しろ、ってタイガに言った?」
「ええ! わたし? 言わないよ!」
うひゃあ、濡れ衣。わたしも即否定だ。そんなことはしていない。
「じゃあ何なの? アイリーンなんて、いい感じでかかりそうだったのに、突然引き戻されたように正気に返っちゃうし。イザム君に至っては、あの余裕の顔! 超腹立つ! 加えて、タイガが全っ然使えないし」
さっきまでぼんやりしていたのが嘘みたいな勢いで、非難先はまたタイガくんに戻った。
「タイガ! なんであんな吹き方すんのよ! わたしはね、精一杯セクシーに、誘惑するつもりで、踊ろうとしてたの。なんでアップテンポにしようとすんのよ、腹立つ! あんた、覚えたてのチャームで遊んでる暇があったらもっとサックスの練習でもしたら? 使えないのよ!」
地団太を踏む、とはこういう状態のことじゃないだろうか。
「……だって、ヴェッラ、僕の方だけ一回も見ないし、どういうつもりなのかと思って」
たじたじとなっていたタイガくんが言い返した。
「当然でしょ! イザム君にチャームかけようってときにあんたの顔なんか見てどうすんのよ! 演奏係にぼやんとされちゃ困るのよ。どっちにしろ使えなかったけど!」
あ~、さっきまでの魅力的で蠱惑的なカルメン、どこ行った~?
アルフさんがポカーンと見ている。
タイガくんはおろおろしてて、イザムはどうでもよさそうだ。
その横で宿の人が、温め直した夕食をテーブルに並べ直してくれた。いい匂いがしていて、またわたしのお腹が鳴る。
「……食べよっか」
イザムが言って、とりあえずみんなでテーブルに着いた。




