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130. カルメン

 わ~お。


「アイリーン。顔」


 あ、素で期待しちゃった。

 急いで戻す。


 だって、なんだか違う人みたい。イザムに負けず劣らず、なんだか横柄な雰囲気。


 不敵な笑みを口もとに浮かべて、歩いてくる裸足の足首に金のアンクレットが一本だけ光っている。

 高く結い上げた髪に金の簪が一本。

 デコルテと腕は出てるけど、わたしの胸もとといい勝負の露出具合だし、布地のひだを重ねただけのすっきりとした衣装で、出会ったときの衣装の方がずっと肌は出ていたのに、なんていうか、挑戦的で、自分が周りにどう見えるか確信してる感じで、雰囲気が全くちがう。


 こっちをまっすぐに見つめた後で、あたりをゆっくり一瞥する様子は、こっちを楽しませる気なんて欠片もないようで、むしろ自分が楽しむ気満々というか、それはイザムのチャームにかかったお姉さんたちみたいで、異性の視線を百パー意識した視線と動きだ。

 意図的で、あきらかに獲物を探してる目――それがこっちに、もう一度イザムに向けられてピタリと止まった。


「おおっと、なかなか強敵――」


 おもしろそうな声と一緒に、取られたままの手と肩を抱いた腕に力が入った。


 隣を見やれば、不機嫌な顔に悪い笑みを貼り付けたまま、窺うように、品定めをするように、眉を片方上げた魔導士が、おそらくその視線でヴェッラと会話してる。


 どちらの視線も揺るぎもしない。

 そのまま五歩、ヴェッラが近づいて、止まった。


 誰も何も言わない。動かない――わたしたちだけじゃなくて、気が付いた周りの人たちもイザムとヴェッラの間で視線を行き来させるばかりだ。


 アルフさんがタイガくんの腕に手を伸ばして突いたのがわかった。

 音楽を催促してくれた――。

 だけど、タイガくんは動こうとしなかった。たしか、カルメンかサロメをって言われてたはず――と、ヴェッラがタイガくんのほうを向いて、軽く肩をすくめると嘲るような笑いを浮かべた――ひどく挑戦的で、妖艶な。

 ひとつ息を吸って、歌い出す――。


 ヴェッラ、歌えたんだ!?


「これ何の――」


 すぐにイザムが答えてくれた。


「カルメンだ。あいつが吹かないから、歌うことにしたのか。すごいな……何語だ?」

「わかんない。異世界補正で意味は分かるけど……」


 恋に対する警告の歌だ。


 微笑みを浮かべて、歌いながら、ヴェッラがゆったりとした歩調で近づいて来る――テーブルを回りながら、女性を含めた全員の視線を惹きつけたままで、一人一人と目を合わせて。

 誘うような腰の動きがきれい。テーブルや椅子の背を撫でる指先も。既にぼうっとしている人がいそうだ。


 歩くだけなのに――なんで、こんなに。


 そうやってふらりふらりと寄り道をしながらわたしたちの目の前まで来ると、歌うのをやめた。

 イザムの頭の先からつま先までをじっくりと観察する――自分の相手にふさわしいかどうか値踏みするような視線。

 その視線がイラついたように揺れる。


「タイガ、吹け」


 イザムの声は、さほど大きくもなかったのに、間違いなくこの空間の隅まで響いた。


「セギディーリャを続けて」


 振り向きもせずにそう言ったヴェッラの声も。


 気が進まない様子で、それでもタイガくんが立ち上がった。さっきまでチャームごっこをしていたお姉さんたちから嬌声が上がる――だけどタイガくんはちらりとも視線を送ることはなかった。――それにヴェッラも。米粒ほども表情を変えずにイザムを凝視している。


 頭の中でチャームとチャーム回避の押し問答中なのかもしれない。なんだか首筋がピリピリする。


 サックスの音がいくつか響くと、ヴェッラは、まあ後でもいいか、という表情を見せた後でにっこり笑って、それから背を向けて、腰を揺らしながらテーブルから離れた。

 カウンターに寄りかかって曲が始まるのを待つ背中が、かなり色っぽい。


 ヴェッラが背を向けると同時にわたしの手を握っていたイザムの指から力が抜けた。

 顔の表情は変わってないけど、これは午前中のお姉さんより強敵だってことだろうか。


 やがて始まった音楽に合わせて振り向いて、ゆったりと踊りだしたヴェッラはこの上なく妖艶で、かわいらしくて、チャーミングで……次々とテーブルを回りながら男女関係なくその視線を惹きつけて行く。

 自分ではさわりさわりと触れるくせに、どうやっているのか、伸ばされる男性の手は、ことごとく躱しながら、語りかけるように歌を口ずさんで、笑みを浮かべて、風を受けた薄布のようにひらひらと進む。


 ああ、これは惹かれるな……ハーメルンの笛吹きに連れて行かれてしまった子どもたちのように、ヴェッラの後ろをうっとりした表情の男性たちがついて行くところが容易に想像できる。


 ついでにわたしもその列に入りそう~。


 なんて思っていたら、気づかないうちに、左の肩を抱いていたイザムの手が首元まで上がって来ていた。


「まさかとは思うけど、アイリーン? ヴェッラのチャームにかかる気じゃないよな?」


 顎の下をさわりと撫でられてはっとする。


「うわ、ごめん。かかる気だったかも。ぼんやりしてた。ヴェッラのチャームって男性用じゃないの?」

「……芸術は全人類向けだろ」


 え。

 つまり、それに抗えと?


 そう思いながら周りを見れば、なんか、既に男女問わず半分くらいはチャームがかかっていそうな目でヴェッラを見てる。


「でもあいつ、チャーム使ってないぞ」

「え!?」


 嘘。みんなかかってるような顔してるよ。


「使ってたのは、俺を見てた時だけだ。それだけ、踊りに対する気持ちが本物なんだろ……だけど、たぶんここからは――来るぞ」


 腕を体に巻き付けるようにして、歌いながらゆっくり腰を揺らしながら歩いてくる、それだけなのに。

 イザムのついでなのか、その視線がわたしに向けられて、つま先からゆっくりのぼってくる。さわさわした感覚――これ、覚えがある――背中の毛が逆立って腕に鳥肌が立つ。

 ダッシュで逃げたい感じがして、思わず腰が浮いたところをイザムの腕が止めた。


「イザム、わたしちょっとこれは……」

「しーっ、大丈夫。ちょっとこっちに集中して」


 集中?


 首元にあったはずの手が静かに背中に下がる。指が背中の紐の網目をわけて、つ、と直に肌に触れた。


 にゃっ!?


 妙な声は押さえたし、チャームの鳥肌もどっかいったけど。

 イザムの顔に冷笑を装った苦笑が浮かんでいる理由は、塑像並みにビシリと固まったわたしのせいだと思う。


「イザム。……それはセクハラ」

「うん、ごめん。だけど手っ取り早かったし、魔力を減らさなくていいから俺も助かるし、ヴェッラも、俺にかけるつもりでやれば他の男なんて余裕だろうし――」


 視線はヴェッラに当てたまま、小さく声だけが届いた。


「それってどういう――」

「俺については今朝のと同じ。誰かとアイリーンが並んだら、俺が気になるのはアイリーン。こうやってアイリーンに触ってて他のやつのチャームにかかるわけがない。最強のチャーム防止アイテムだよ」


 むむむ。

 だからってこのまま直に背中を触られていろ、と? 


 イザムの笑みが深まると、ヴェッラが不服そうに小さく鼻を鳴らして隣のテーブルに向かった。そこにいた男性が一瞬ぎくりと身を固くして、とろんとした目つきになる。


「ほらな、イチコロだ。あれを防ぐのはけっこう大変」


 うへえ。


 次のテーブルに向かうと、くるりとターンしながらそこに座っていた男性の頬を撫でる――にっこり笑って。一丁上がり、だ。


 花から花へ渡り飛ぶ蝶々みたい。

 きれいだし、ちゃんと見たい。


「チャームの心配してたら、せっかくヴェッラが踊ってるのに見られないよ」

「また踊ってもらえばいいだろ。チャームなしで」


 一緒に旅をするんだし、機会はいくらでもある、と言われる。


「そっか……でも、ううう。残念。チャームにかかりたくないけどかかりたい」

「なんだよそれ。タイガの時といい、今回といい……」

「だってさ、今のヴェッラみたいに誘われたら断れないなって……」

「だから、それが(・・・)チャームだろ?」


 そうか。なるほど。


 テーブルを一巡りしたところで曲が終わったけど、これ、ここにいる人たち、あらかたチャームがかかっちゃった状態って言うんじゃないのかな? 女の人たちもぼんやりしてる――次はさっきヴェッラが指定した、「セギディーリャ」なんだけど、やる必要あるの?


 かかってないのは、わたしとイザムと、あきらかに明後日の方を向いているアルフさんと、ヴェッラが視線を合わせていないタイガくんと……テーブルに着いていない、カウンターの奥の従業員とか、あと数名って感じだ。


 曲も始まらないし、どうするのかなって思っていたら、姿勢を正したヴェッラがこっちを見た。


 片方の眉が上がる。

 挑戦的な顔。


 ここでやめるつもりはないって感じだ。


 視線はイザムに当てたまま、ヴェッラの左手が斜め後ろに伸びる……タイガくんの方に。人差し指をくいくいと曲げて、曲の催促。


 硬い表情のタイガくんが辛そうな表情をしたような……気がした。


「タイガ、吹け」


 本日二度目の、命令形。

 タイガくんの顎にぐっと力が入ったのがわかった。


「まったく……多少でも他の男に言い寄るところを見たくないんならほったらかしにしてんじゃねーよ」

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