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119. アフター・ケア ミーアその2

「まったく、恋心ってのはやっかいだよね。お手上げだよ。勝手に好きになって、自分の意思で嫌いにはなれないし。自分からやめるって選択肢がないんだから」


 そう言いながらイザムがさらさらと肩に落ちていた髪の毛をかき上げて、そのまま耳にかけた。現れた横顔にミーアさんが少しだけ目を見張ったけど、イザムは気づいた様子もなく、表情も一切変えなかった。

 イライラしているように話す。


「……君のは――わかるよね? チャームが解ければ今の状態からは抜け出せる。ただし、その恋心は消える。彼への気持ちや嬉しかったことは全てまやかしだ。幸せな気持ちは消えて、そこに何が残るのか僕にはわからない。チャームが解けても彼が好きって可能性も……ないわけじゃないけど」


 身体の向きを変えて、まっすぐにミーアさんに向ける。


「――どうしたい? 僕を相手にちょっとだけ新しい恋を始めてみる? あんなひどいことにはならないって約束できるし、苦手だけど、君がそうして欲しいなら、歯が浮くような口説き文句だって並べてあげる。だって君はもうそんなに傷ついてるから」


 そう語りかける声がすごく優しくて、傷ついてるのは、イザムの方じゃないかと思った。


「あの人――」


 ミーアさんが話し出したのは、そのせいだと思う。まだ涙でいっぱいの目でテーブルの表面を見つめてる。


「わたしにはわからない――好きになってくれたんだと思った。わたしのこと、かわいいって、素敵だって、いつも笑ってて、優しくて――でも、そうじゃないってみんなに言われたの。あの人は悪いやつだって、たくさんの女の人に言い寄ってるって。騙されてるって。

 でも、忘れたくない、忘れちゃダメだって思うの。隣のお兄ちゃんがわたしにチャームをかけてなおしてくれるって言ってくれたけど、わたし、ダメだった。前はお兄ちゃんのこと、好きだったのに。すごく怖くて、あの人じゃないと嫌だって思って」


 どうにもできないもどかしさが声と涙にあふれてる。


「ああ――それは辛かったね。かわいそうに――」


 優しい声。イザムがゆっくり右手を伸ばす。頬に触れて、優しくなでると、悲しく笑うミーアさんの頬を落ちる涙を指先で掬い取った。


「ありがとう」


 泣き顔のまま、ミーアさんがお礼を言う。


「僕の方こそ――今だけ、僕を君の恋人にしてくれる?」


 優しい声でそう言いながらゆっくり立ち上がる。頬を撫でた手がそのまま後頭部に回って、ゆっくり引き寄せた。


 少しずつ、少しずつ距離が縮まる。ミーアさんが瞳を閉じる。

 これ……これって……このままキスする流れ? そうなの?


 目の前で近づいていく二人の距離に、おもわず引き止めようと伸ばしかけた右手を左手で止めた。


 チャームかけるって言われたし、石像してろって言ってたし、できるだけ見るなって言われたし、わたしに止める権利なんてない。――そうなんだけど、そう思ったらなんだか悲しくなって、せめて目をそらしたら、ミーアさんのお父さんが目に入った。同じように引き止めようとしたらしい手が、空中で止まってる。


 ――止めてくれたら、よかったのにな。


 って思ったところでイザムの声が飛んできた。


「アイリーン、ハンマー」


 通常通りの話し方にハッとする。


「え? あ、はい」


 唇が重なる五センチ手前で固まったまま、斜め後ろに伸ばされた左手に、言われるままにピコピコハンマーを乗せると、イザムがキュッといい音をさせてミーアさんの額を叩いた。


「はい、終了」

「「え?」」


 って、ミーアさんとわたしの声が重なった。


「モーリッツさん、解けました。連れてっていいですよ」

「ああよかった、終わったか。娘が口説かれているところを見ながら石像でいるのは楽じゃないな。ミーア? 大丈夫か?」


 声をかけられたミーアさんが目を丸くした。


「え? お父さん? なんでお父さん? 今日仕事は? まさかサボったの? お母さんに怒られるよ!」

「ああ、解けてる。助かった、感謝する」


 立ち上がったモーリッツさんにイザムが声をかけた。


「ここで僕が喋ったことは他言無用です。だいたいが嘘八百ですし、次も使うかもしれないので黙っといてください。それに、娘が口説かれてるところを見ている父親よりも、見ず知らずの女性を父親の前で、しかも自分の婚約者の前で真剣に口説かなくちゃならない僕の方が大変です。他の方たちには簡単に頼まないように言ってください。本当に、大変なんで」


 モーリッツさんがわたしとイザムを交互に見やった。


「それは……済まなかった。本当に助かったよ」


 わたしの方を見て自分の右手を示す。


「堪えてくれて、心から感謝する。お互い、あそこで止まってよかったな」


 空中で止まったままだったお互いの右手と、イザムと娘さんとの距離のことだとわかる――。


「頼みの方はわかった。恩人の頼みだ。違えねえよ」


 お父さんが男らしく約束してくれた。


「あの、お名前を伺っても?」


 父親の横で、ミーアさんがかわいらしく頬を染めてイザムに聞く。

 それを聞いた途端、イザムの顔がシュヴァルツさん並みの無表情に変わった。


「その必要はない。どうせもう会わない。君に話したことはチャームを上書きして取り消すための嘘だ。それでなくても、心配する家族をないがしろにしてあんな放蕩者の言葉を真に受けて泣くような娘なんかごめんだ。懲りたら次はちゃんと自分だけを見てくれる恋人を探すんだな。

 あと、隣の兄ちゃんにはしっかり謝れ。チャームがかかってる状態なら、新しくチャームをかけようとする男から逃げたくなるのは当然だが、逃げられる方は傷つくんだ」


 うわ。きっつ。


 声も違う。最初の優しい声とさっきまでの通常の声のどっちでもない、嫌悪と侮蔑のこもった冷たい声だ。

 いつものイザムなら絶対に言わない、侮辱の言葉と冷たい視線を娘に向けられて、モーリッツさんがぐっと拳を握ったけれど、同じように固い握り拳を作ったイザムの手を見て、ハッと表情を変えた。


 青ざめた娘さんを連れて、深くおじぎをして出て行く時の顔に浮かんでいたのは、おそらく感謝だったと思う。


 は~~~~~。


 って、地面に穴を掘ったらマントルまで届きそうな息を吐いて、イザムが椅子に座った。

 ちょいちょいと手招きをしてわたしを呼ぶ。


「……充電、頼む」


 おとなしく膝に乗せられて、今の親子のことを考える。あの子、次は素敵な彼氏ができるといいな。それに――イザムのこと――なんだかやりきれない。


 わたしの肩口にすりすりとおでこを擦り付けて、ゆっくり呼吸をするイザムは、本当に疲れているように見えた。


「……ねえ?」

「んー?」


 また眠そうな声になってる。


「やっぱり、少し寝たら?」

「ん~、だけど、たぶん似たようなのがまだ来る。やりたいわけじゃないけど他のやつに解けないなら、助けてやりたいし……」


 ああいうのが、他にもいるのか。


「このピコピコハンマー、普通に叩いただけじゃチャームは解けないの?」

「ん。かけたやつが叩くと解けるんだよ……だけどあれ(・・)は叩いてくれるようなやつじゃないから、上書きしてから解かないと……。もちろん簡単なチャームならじきに消えるし、びっくりさせて解くこともできる。事情を理解してくれる周りの誰かが上書きするって手もある。

 だけどさっきの子はけっこうガッチリかかってて――ダメだったって親父さんが言ってたろ? 隣の兄ちゃん、本当は本気で好きだったのかもな……。だけど恋愛に夢を見てる年頃は一度かかっちゃうと上書きするの大変だから。一途すぎて隙がないんだ……俺、今、かなり悪辣な詐欺師の気分」

「……お疲れ様」


 それはそうだろう。ただでさえ現実でも女子とは距離を置いていたのに、よくあれだけ喋ったものだ。そして惚れさせておいて直後に捨てる(善意だとしても結局はそういうことだ)んだから。

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