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118. アフター・ケア ミーア

 その第一波は、朝食を食べ終えて、そろそろ上に戻ろかという頃にやって来た。


「すまんが、頼む」


 野太い声とともにわたしたちのテーブルに現れたのは、五十にはまだ手が届いていないだろう太い腕と髭面の、「すまんが」の一言がなかったら盗賊かと思うような――(ごめんなさい)強面の男性だった。片腕にわたしより少し若いかなってくらいの痩せた女の子を抱えていて、その子がボロボロボロボロ涙を流して声もなく泣いていた。


「あ~……ダメだったんですか? 誰か他に――」

「いたら頼まん」


 すっごく嫌そうな顔をしたイザムが、同じくものすごーく嫌そうな顔をしている男性に聞くと、男性はイザムの質問が言い終わるのを待たずに太い声でびしりと答えた。


「わかりました。上に――」

「二人きりにはさせん!」

「頼まれてもなりませんよ! ただ――そちらがこっちをどう思っているのか知りませんが、僕だって好きでやるわけじゃないんです。衆目にさらされて居心地の悪い思いをしながら集中できる程――」

「だが昨夜は――」

「昨夜は必死だったからで、今の僕は切羽詰まってないんです――あんな恥知らずはあれ(・・)だけです」

「そうか――すまん。……あらためて頼む」


 男性が肩を落とし、イザムが、はああ~、と、昨夜のため息よりもさらに深い息を吐いて立ち上がった。


「アイリーン。悪いけど――」

「外した方がいいの? だったらわたしヴェッラのとこに――」


 わたしも立ち上がって二階に行こうとしたら、がっちり腕をつかまれた。


「逆だよ! いいか、絶対俺を一人にするな」

「へ?」


 カウンターを振りかえって声をかける。


「アントンさん……」


 呼びかけられた男性(昨夜もカウンターにいた人だと気づいた)が、気の毒そうな顔をして言った。


「上ってすぐの一人部屋が空いてるから、使っていいよ。……モーリッツ、災難だったな」


 強面の男性に声をかける。


「ああ、まったくだ。ほら、行くぞ、ミーア」


 モーリッツと呼ばれた強面の男性は、娘さんを抱えるようにして階段を登った。

 その後ろをわたしの腕をつかんだままのイザムが登る。足取りは、二人ともまるで葬式に向かうかのように重い。


 上ってすぐの一人部屋は四人で入ると結構狭かった。


「ええと……モーリッツさん? 彼女を同席させますが、いいですね」


 ベッドを端に寄せて、椅子と二人掛けのテーブルを部屋の中央に運ぶ。


「ああ、女性がいたほうがむしろ望ましい」


 モーリッツさんは家具を動かすわたしたちを観察した。ちょっと警戒している感じがある。

 テーブルをはさんで椅子が二脚、その斜め後ろに廊下から持ってきた椅子をもう一脚ずつ置く。


「全く、こんなにかわいらしいお嬢さんなんですから、誰かいそうなものなのに」


 イザムがブツブツと文句を言う。


「いたんだが、無理だったんだ」


 重い口調でそう言ったモーリッツさんとイザムが、顔を見合わせてそろってため息を吐いた。


「じゃ、平和的に終わるように、なにかあったら娘さん――ですよね? 押さえてくださいよ。とりあえずここに座って――」斜め後ろの方の椅子を勧める。「なにがあっても横槍はなし。石像になったつもりでお願いします。アイリーン、これ持ってて。いいか、絶っ対、俺の手の届く範囲にいろ――あと、あんまり見るな、それに聞くな」


 え?

 『なにかあったら』なのに『なにがあっても』って、それはどういう命令じゃ。


 ピコピコハンマーを手渡されて、イザムの席らしい椅子の斜め後ろにある椅子に座らせられた。一応明後日の方に顔を向けてみたら、小さな声で、言われた。


「チャーム、かけるから」


 あ、なるほど。上書きして解除しようとしてるんだ。魔力的にも見た目的にもイザムが適任ってことか。

 見るな、聞くな、はつまり彼女にチャームをかけるところを見せたくないし聞かれたくないってことで――だったらなんでわたしを同席させるのか、っていうのは、わたしが同席することで、本気でチャームをかけるわけじゃないって証明するためか。あの強面のお父さんからイザムを守れっていう可能性もあるかな……いや、ないか。


 イザムがミーアさんの方に一歩近づく。

 最初から顔全開にするのかと思ったら、そうじゃなかった。ローブのフードだけは外して頭は出したけど、いつものように、髪の毛は両脇にたらしたままだ。


「あ~、あの、ミーアさん? お父さんの話は聞いた? ここに来たのは君にかかってるチャームを解くためだってことは聞いてる?」


 イザムがそう聞くと、静かに泣いていた女の子は、わっと声をあげて泣きだした。


「聞いてはいるんだ。そっか……。でも、解いて欲しくない。そういうことかな?」


 女の子は返事もなく、泣き声だけだ。気の毒に。


「辛そうだけど……実は僕もだ。解いて欲しくないって思ってるチャームは解きたくない。君の気持ちを否定することになるし、そういうのは疲れるから。昨夜だったら無理やり解くくらいの勢いがあったんだけど。お互い困ったことになったね」


 は~~~。

 嫌そう~なため息はたぶん本心からの物だと思う。


「どうしようか」


 って、その子に聞くの? 斜め後ろでお父さんすごく困った顔になってるけど。


「まあ、とりあえず椅子があるから、座ろうか? 別に立ったままでもいいよ。ただ僕は昨日からほとんど寝てないから疲れてるし、座らせてもらうね。あ、お嬢さんのことは放してやってください。どうせこの部屋からは出られませんから」


 モーリッツさんが娘さんから手を離す。椅子に横向きに座ったイザムがちら、と視線を送ると、ミーアさんが後ずさりした。


「ああ、気にしなくていいよ。……別に、君の気持ちを否定しようっていうんじゃないし。無理やりどうこうしようとは思ってないから。君のチャームが解けようと解けまいと、僕自身は困らないからね。まあ、本音を言えば、恋はチャームなしでした方がいいって思うけど、現実は辛いからね……チャームの方がよっぽど幸せになれるときがあるのは否定しないよ。……ゴジラだし」


 は~~~~。


 窓の外を見やる。またため息だ。しかも何だかすごく実感がこもってるような言い方だった。だけどチャームなんてかかったことないって言ってたのにその台詞はおかしくないか? そして、なんでそこにゴジラ。


「本当に、どうしようかな……だいたい本来誰かを好きになる気持ちってのは、意図して止められるようなものじゃないんだよ――それが、どんなに辛くても――そうだろ? ところで君はあの人のこと、嫌いになれたらいいのにって思ってる? それともどんなに辛くても好きでいたい? 娼館の玄関、見たんだろ? あんなのでもいいの?」


 ミーアさんがますます激しく泣き出して、イザムはローブのポケットからハンカチを取り出して首を振りながら差し出した。


「その様子だともうずいぶん参ってるんだろ? チャームを解いて、元の暮らしに戻りたいって思うなら協力はするよ。食事は摂ってる? いや、いいよ答えなくても。お父さんがそんな顔して僕のとこに連れてくるくらいだ……」


 は~~~~。


「とりあえず、座ったら?」


 心底嫌そうなため息の後で言われて、ミーアさんはようやくイザムの向かいの椅子に座った。

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