111. 恐怖の部屋
「何なんだよ……くそっ……どうなってるんだ……なんでこんなことになってんだよ……なんでできねーんだよ……ふざけんなよ……」
真っ暗だ。
誰かが、喋ってる。
延々と、喋ってる。
これは、悪態だな。
だけどどうにか聞き取れるのはその辺だけで、あとはわからない。日本語じゃないのかも。異世界翻訳機能不全? とにかくこんな酷い悪態は聞いたことない――少なくともわたしの知り合いには、こんな話し方をする人はいない。聞くに堪えない、罵詈雑言。お母さんがいたらきっと問答無用で蹴り飛ばして出入り禁止に――あ、違うんだ。ここ、現実じゃない。お母さんはいないから、わたしが蹴り飛ばせばいいのか。
でも、喋ってるの、誰だ?
頭が重い。なんかぐちゃぐちゃしてる。
腕が痛い。あんまり動かせないみたいだ。どうなってるの?
ゆっくり肩を動かしてみる。堅いけど、ちょっとは動く。
脚は平気。普通に動く。身体も。
もぞもぞ動いているうちに、頭もはっきりしてきて自分の状態がわかってきた。たぶんベッドらしき物の上に転がっていて、両腕が上にあげた形になっているのはベッドボードか柱か何かに両手首が繋がれているせいだ。結構きつく縛られていて、手首が痛い。
真っ暗なのは、何かで顔の上半分を覆われているからだ。ものの見事に何にも見えない。光の一筋も入らない。いったい何で覆ったらこうも真っ暗になるのか、それとも実は明かりのない夜中なのか。
そして。
この悪態の主は誰で、わたしはなんでこんな状態でここに転がっているのか。
うん。
記憶の最後は、あの宿屋。要するにだ。わたしはおそらくレオさんのチャームにかかってここに連れ込まれた。この状態になっているのはレオさんがわたしの手首を縛ったから。だけどとりあえず、服は着てるし、特に何かされた感じは――肩が痛いのはこの体勢のせいだと思うから――ない。
で、そこで悪態をついているのは――本人か、それとも声に聞き覚えがないから仲間がいるのかもしれない。
仲間だとしたら、まずいかも。
わたしが持ち出したドラゴンのお守りは一つだけだ。一回に一個だとしたら、ステータス異常を防げるのは一回だけだし。そして、既にそれが発動していたとしたら、次はない。
どんな効き方をするのか、ちゃんと聞いとくんだった。
今わたしにできるのは、手首の紐をほどいて欲しいって、そこで悪態をついている誰かに頼む――のは危険だから、誰かさんには気づかれないように、自分で解く方向で努力するくらいじゃないだろうか。
シュヴァルツさんにつき合ってもらって練習した、シーフの縄抜けの技を使う日がこんなに早く来ようとは。
できるだけ手首をひねって指先で確認すると、ざらざらした触感の、これは縄? よくある柔らかい布やビニール製じゃなくて、お祭りとかで見る藁の――ざらざらでしっかりしてるやつ。しかもかなりのぐるぐる巻きだ。どおりで手首が痛いはず……そして、これは、かなり難しいやつかもしれない。
結び目と結び方は、判るかな……あった。でも固いし、どういう結び方なのかわからない。まともに解こうとしたら爪が割れそう。
こういう時は……くるりんぱのサイドを留めてあるピンを使う。「髪の毛を留める必要のない髪型でも、ピンや簪を使用するのは大切ですよ。護身用に必ずお持ちください」ってシュヴァルツさんに言われてるもんね。
少しずつ移動して、頭に手が届くところまでずり上がる。誰かさんはまだ悪態をついていて、周りが暗くてわたしがやっていることが見えないか、悪態に夢中で気づかないか――どうせなら前者でありますように。
ピンを一本引き抜いてから、カモフラージュにできるだけ元の位置に戻ろうとしたら、スカートがずり上がってあられもない感じになりそうになったので、途中でやめた。わたしの位置が変わったことにも、スカートから出た脚にも気づかれませんように。
ええと、ここの結び目らしきところにピンを刺し込んで、こっちにぐにぐにと動かして~。緩まないな。こっちはどうかな。うー。肩が痛い。
指先を動かしながら考える。わたし、どのくらいここにいるのかな。きっとみんな心配してるよね。さっさと縄抜けして逃げ出さないと。
もたもたしてたらイザムがこの建物が壊れそうな雷とか落とすかも。
それか建物ごと竜巻で飛ばされるとか。それかそれかドラゴンを呼びだして焼き払うかも! それは怖い。まだ死にたくない。ヤバい。
あの魔導士が何をやらかすかと思ったら危機感が増して、焦ってきた。
縄の結び目にヘアピンを突き立てて動かす。
固い。この結び目、固過ぎ。
ちっとも捗らなくてイライラしてきた。
わたしの内面、高まる焦りに応えたかのように風が唸る音が聞こえたような気がして、はっと身を固くする。
タイムアウトだろうか。
やだやだ、待って待って。
耳も塞げないし、つかまるものがどこにあるのかも見えないんだから。
うまくこれがここに入れば――がんばってるけど、なかなかうまくいかない。
それに間違いない。風が強くなってる。雷の音も聞こえてきた。
風の音がますます強くなって、台風みたいになってきた。それが恐怖の大魔王の登場を示す前触れみたいに感じられて恐ろしい。そして、たぶんそれは気のせいじゃない。
絶対、近づいてる。
これだけ風が吹き荒れてるのに、悪態ついてる誰かさんは何も感じないのだろうか。まだぶつぶつ言ってるけど、避難した方がいいって、絶対。
嵐の海を前に縛られて生贄に奉げられた羊の気分だ。手首の縄はちっとも緩まないし、これはあきらめた方がいいかも――せめてわたしが死なない程度に加減してくれますように。
バン!!
少し離れた場所でおそらく部屋の扉が開いた大きな音。人が走り込んできた音もする。息を切らしてる――イザムでありますように。
「アイ、リーン? どこだ!?」
聞きなれた声。とりあえず即座に焼き払われたりしなそうなことに、ほっと息を吐く。 あ、でも、本人かな? さっきはレオさんの魔術だった。
「アイリーン! いないのか? 返事しないと建物ごと焼き払うぞ!!」
「いますっ!! 焼かないで!! いるから!!」
本人だ。嫌な解り方だけど、間違いない。
走ってくる足音がして、またものすごい音を立ててドアが開いて、わたしはベッドらしき物の上で竦み上がった。
だけど。そのままピタリと音が止まった。
誰かさんの悪態も聞こえない。
今、入って来たよね?
視界が真っ黒なせいでわからないけど、そこにいるよね?
「あ~、イザム? そこにいる?」
返事の代わりに凍り付きそうな冷気が流れてきた。
つまりそれは、いる。そして機嫌は最悪。ってことだと思うけど、わたしとしてはできれば返事は言葉でして欲しかった。
「あの……? お怒りのところ申し訳ないんだけど、この、手首の縄を解いてくれる? イザムが来る前に縄抜けしようと思ったんだけど、間に合わなくて。もうちょっと早く気がついてたら抜けられたかもしれないんだけど、さっきまで意識がなくて。面目ない……だけどこうなったら、わたしががんばるよりもイザムが解いてくれた方が速いかなって思うし」
返事がない。冷気も弱まらない。
「お~い。聞いてる? この手首の縄をね、解いて欲しいんだけど! この目隠しをしてるやつもとりたいし……今何時?」
やっぱり返事はない。
「まさかまた偽物じゃないよね? なんで黙ってるの? イザム? まさかやられた? それとも自力で縄抜けしろってこと?」
それでも返事なし。
そうかい、そういうつもりなら仕方ない。とりあえず雷を落とされるとか焼き払われる危険は去ったみたいだし、落ちついて取り組むしかない。
ため息を吐いてもう一度ヘアピンを突き立てて指先を動かし始めたら、ぱらりと縄が解けた。
「あ、ありがとう」
起きあがって、自由になった両手で顔を覆っていたマスクみたいなものを外す。
そこにいたのはちゃんとイザムで、窓の外は真っ暗、まだ夜だ。暖炉とランプの炎のおかげでぼんやりと周囲は見えるけど、薄暗い。
手にした真っ黒のマスクもどきはどうやらゴム製で、ぱっと見は、口にするマスクによく似ているけど、顔の上半分なんて覆う意味はないだろうから、何かを流用したんだと思う。
ずり上がっていたスカートを引き下げる。肩を回して痛みが怪我のせいじゃないことを確認する。うん。手首が縄で擦れて痛い以外は何でもない。そこは回復魔法ですぐに元に戻した。
立ちつくしたままのイザムを見る。かなりショックな顔、してる。
「わたしなら大丈夫だよ。記憶にある限り何にもされてないし、平気」
そう声をかけても、返事が返ってこない。そういえば、ここに入って来てから一言も口をきいてない。
一体どうした。何をされた?
「あの、イザム? どうしたの? 何かまずいことがあった?」
ベッドから降りて近づけば、わたしの方に左手を伸ばした後で、ゆっくり抱きしめてようやく息を吐いた。
「間に合ったなら、よかった」
ものすごく情感のこもった言い方で一言だけ口にして、またぎゅっと抱きしめる――。
暫くそうしていたけれど、我に返ってわたしの手から黒マスクを取り上げると、忌々しそうに床に落として踏みつけた。
「なんて物つけさせてんだ」
「そんなに怒らなくても、真っ暗なだけで苦しくはなかったし、別に痛くもかゆくもなかったよ?」
「アイリーンはそれが何か知らないからそんなこと言ってられるんだよ。両足をコンクリート漬けにして生きたまま海に沈めてやる」
高々マスクなのにずいぶん物騒な言い方が気になる。
「何なの? そんなに怒るような物?」
「その縄と、この部屋見たらわかるだろ?」




