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102. 閑話 悩める息子の人生 幸枝(勇母) 前半

 このところ、というか、この冬あたりから、息子の様子が変わった。

 原因ははっきりしている――幼なじみの女の子、三件隣の愛梨ちゃんとまた遊ぶようになったせいだ。


 小さい頃の写真を集めてある、アルバムを開く。乳幼児期から小学校低学年にかけての写真は特に、愛梨ちゃんと一緒に写っているものが多い。

 自分の息子だけど、小さい頃から私とは違う生き物なんだなってよくわかる、そんな子だった。


 生まれて二日目から――生まれたのは前日の夜遅くだったので生まれてから十二時間も立たない頃から――母子同室のため看護師さんが連れてきたその時から、「かわいい赤ちゃんですね~♡」と、毎日言われ続けた。


 もちろん、赤ちゃんなのだから、例外なく誰だって誉めてくれるのが普通だと思う。

 だけど、どうやらそれだけではなかったようで、検温に来る看護師さんたち、女医さん、食事を届けてくれるおばさんにいたるまで、「お目目が大きいですね♡」「まあ、もうまつげがこんなに長いんですね♡」「ミルクのCMに出られそうですね♡」「寝顔もかわいいですね~♡」「あら、おめめが開いてるんですね~♡」「将来が楽しみですね~♡」


 ……息子が誉め言葉に事欠かない容姿を持って生まれてきたのだと自分で気づいたのは退院した後で、それでも検診の時やちょっとした買い物のついでに褒められる言葉の半分はおそらく社交辞令のようなものだと思っていた。

 確かにかわいい顔をしているとは思ったけど、母親にとってはどの子もものすごくかわいいものだと書いてある育児書は多かったし、初めての育児に必死だったこともあり、自分自身も余裕のある時はただかわいいなかわいいな、と浮かれていた。


 それが、ちょっと失礼だな、と思い始めたのは、三カ月を過ぎて外出が増えた頃からだった。見知らぬ人からの誉め言葉に混じって、「あんたの子?」「本当に?」「へ~?」「似てないね」といった明らかに褒めてない発言が頻繁に交ざりだした。「ちょっと抱かせて」「うちの子にしたい」なんて怖いことを言われることもあった。

 一度なんて無理やり抱き取られそうになった――それ以降、必ず抱っこするときはスリングや抱っこ紐を使うようになった。


 そうやって褒められる割に息子自身が結構人見知りで臆病な性質だったのは、ある意味いいことだった。知らない人が手を伸ばすと嫌がって泣く、少し大きくなってからは私の後ろに隠れる、口をきかない、ダッシュで逃げる――後で知ったことだけれど、小さい子どもは一緒にいる母親の感情を察知して、警戒が必要だと感じた大人に対してそういう態度を取ることがあるらしい。


 息子が警戒しない相手は保育園の先生と同じ年頃の子どもたちで、中でも三軒隣の愛梨ちゃんに対してはまったく警戒することなくリラックスして接していた。

 五カ月違いの同学年で、母親の梨沙子さんは私の同僚でもあったし、お互い初めての子どもで、小さい頃から頻繁に会っていたし、保育園の送り迎えをどちらかが肩代わりする日もあったし、何より梨沙子さんが裏表のない気持ちのいい性格をしていたことが大きかったと思う。


 それは愛梨ちゃん自身も同じで、息子の顔が普通より整っているかどうかなんて気にしたことのない様子(単に小さい頃から一緒だったので慣れていたのかもしれない)で、時にはケンカして積み木をぶつけたり(額にでっかいこぶを作って帰ってきて、梨沙子さんと保育園の先生には平謝りされたけど、そもそもの原因は息子が園庭でダンゴムシの脚を取って遊んでいたことらしく、後で謝り返した)、振り払った拍子に爪で頬をひっかいて切り傷を作ったり(この時も先生と梨沙子さんに謝られたけど、幼児の爪は薄いため、角度によっては切れることもあるらしい。愛梨ちゃんの爪もたいして伸びているわけではなかった。そしてこのときも原因は息子が花壇のミミズを小さなシャベルで五等分にしてそれを愛梨ちゃんに見せようとしたことだった。振り払いたい気持ちはものすごくよく分かった)、他の子たちの中には息子がやったことよりも、息子が顔に傷を作ったことの方にショックを受ける子がいて、それも困ったものだったけれど、愛梨ちゃんはいつもごく普通の子どもらしい接触の仕方をしていたにすぎない(むしろ嫌な思いをさせてごめんね、と私が謝ることのほうが多かったと思う)。


 そう、息子はその頃から見た目だけでなく、行動も変わっていた。生き物が大好きで、庭をほじくり返したりレンガをひっくり返したりして、ダンゴムシから始まって、花壇のレタスやキャベツにつく青虫だけでなく、ムカデやゲジゲジ、ゴキブリに至るまで、何の抵抗もなく手を出して(ムカデには刺されたので、それからは炭ばさみを使うことを覚えた)観察し、時には分解してみたがった。

 正直、やめて欲しかったし、保育園の体操ズボンのポケットから大量のダンゴムシやトカゲの尻尾が出てきた時は脱衣所で悲鳴をあげてしまった。

 ……夫がいない時にムカデやゲジゲジ、ゴキブリを退治してくれるのは助かったけれど。


 息子は本人なりに楽しい生活をしていたと思う。


 アルバムをめくっていくと、私のお気に入りの写真がでてきた。会社の後輩の結婚式で息子と愛梨ちゃんがリングボーイとフラワーガールを務めた時の写真。懐かしく見つめる。

 あの初夏の日、新郎新婦と並んで祭壇の横に立ったあの二人は仲良く手をつないでいた。愛梨ちゃんの方が少し大きかったけれど、さながら小さな新郎新婦といった様子で、みんながニコニコしていた。誓いの言葉を述べてキスをする新郎新婦を見て、そういうものだと納得して息子が愛梨ちゃんにキスをしたのも(愛梨ちゃんは別に嫌がってはいなかった)、その後でやっぱり仲良く踊る新郎新婦を真似て、愛梨ちゃんの手を取って楽しそうに踊りだしたのもとても微笑ましくて、みんなで笑った。


 それが一変したのはそれから間もなく――保育園年長の夏だった。うちの夫と愛梨ちゃんのパパで、息子と愛梨ちゃんを近くの公園に連れて行くことになったあの日(梨沙子さんは二人目を妊娠中で、性別がわかったばかりだった)、二人がガラス張りの喫煙スペースに向かうため背を向けた(それだって振り向けば目が届くような距離だった)そのほんの一時のことだった。

 息子が、気がふれたとしか思えないどこかの女に誘拐されそうになり、それを止めようとした愛梨ちゃんが大怪我を負うという大事件が起きた。近所中大騒ぎになって、警察がたくさん来て、犯人もひどい怪我をして――夫からの連絡で駆けつけて、夫の膝で血だらけの自分の手を呆然と見ていた息子を抱きしめた時のことを忘れられる日はけして来ないと思う。愛梨ちゃんは既に意識がなく、パパのハンカチできつく腕を縛られ、わきの下を押さえられて止血された状態で、公園の入り口で救急車を待っていた。

 愛梨ちゃんの身体には後遺症は残らなかったし、一週間ほどで退院した(傷も今ではほとんど残っていないようだ)。入院の期間が長かったのは、警察の事情聴取と検査に時間がかかったせいだ。

 事件のことについては一切口を開かなかったと聞いて、やはり相当怖かったのだろうと思っていたら、ショックで事件のことや最近の出来事をいろいろ忘れているようだ、と梨沙子さんに言われた。

 無理もない。

 息子も食欲がなく、ものすごく眠りが浅くて、常に私か夫か梨沙子さんか愛梨ちゃんを探している状態だった。


 梨沙子さん自身もショックが大きかったのだと思う、事件直後に切迫流産で入院し、その後流産してしまった。そのことについても申し訳ない気持ちは尽きないけれど、梨沙子さんは、悪いのは犯人だし、むしろ息子が無事でよかったと言ってくれた。

 梨沙子さんが入院していた時期は、先に退院してきた愛梨ちゃんを我が家で預かった。梨沙子さんのお母様がしばらく実家で預かるか、手伝いに来る、と言ってくれたのだけれど、息子が愛梨ちゃんと離れることをそれはものすごく(たとえ三軒隣にいると言っても)嫌がったせいだ。

 しばらくは愛梨ちゃんにも同様な傾向があったので、二人一緒にしておけるのは助かった。愛梨ちゃんの方はじきに落ちついたけれど、その後も記憶が戻ることはなく、何度か病院で検査もしたけれど、むしろ思い出さない方が幸せだと考え、追求しないことに決まった。

 息子の方は詳細を覚えているらしく、愛梨ちゃんの無事を確認せずに日常生活を送れるようになるまでそれから約半年かかった。外出を嫌がり、保育所にも預けられなかったので、会社が事情を汲んで特別に配慮し、私か梨沙子さんのどちらかが出勤していれば片方は在宅でできる仕事をメインに行って自宅待機することを認めてくれたのは本当にありがたかった。


 本当に、この結婚式の写真を撮った時には全く想像もできない惨劇だった。

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