100. 母の思惑
午後は教科書と参考書と母に持たされたおやつが入ったカバンを持って(小学生みたいだけどね)、勇の家に行った。
玄関に出てきた勇は、大抵Tシャツやカットソーの上にパーカーを着ているわたしが、母の押し付けコーディネートで(化粧ははっきり断ったし、下はいつも通りジーンズだけど)、珍しくピンク色のVネックのニットを着て、三つ編みにまとめた髪を右側に垂らしているのを見てちょっとだけ目を見張った。
「身なりに気を使えって、お母さんに押し付けられた」
驚き顔に対して、とりあえず説明する。
「なんだ、梨沙子おばさんか。びっくりした。……でも、ふうん?」
「ふうん、って何?」
「いや。そういうのも似合うなって思って。どうぞ?」
「そう? ありがとう」
ちょっと気になる「ふうん」だったんだけど――っていうか、勇の「ふうん」にはいい思い出がない。褒めてくれてるなら、まあ、いいんだけど。
「今日、おじさんとおばさんは?」
「デートだって。夜ご飯までには帰る、って言って出てった。部屋来る?」
「あ~、うん。これ、おやつ。こっちもお母さんに持たされたんだけど」
おじさんとおばさんがいないってことは、二人きりなわけで、昨日の今日で、なんだかちょっと緊張――。
「お茶淹れてから行くから、先に上行ってて」
――意識してるのはわたしだけか。
勇の部屋には、パソコンのモニターが乗ったかなり大きめの机と椅子と、ベッドと、タンスと、壁の一面すべてを覆うようにはめ込んである棚がある。
キーボードをしまえば並んで勉強するくらいはできるかな。
そう思いながら、持ってきた勉強道具とおやつの入ったカバンをおろす。住人のいない状態でこの部屋に入ったことなんて、これまでなかったような気がする。棚には本と、雑誌と、地球儀とフィギュアと……。
足音が聞こえて、「愛梨、やっぱりここだと狭いし、勉強は下で……」って言いながら、勇が入ってきた。
「おっけ」
カバンを持ち上げて戸口に向かったんだけど、そこで足を止めた。
? 勇がおもいきり出入り口をふさいでるんだけど。
「勇? 邪魔だよ?」
通せんぼとか、何の遊びかと思って聞いてみた。
「でもその前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
通せんぼされたままで聞かれた。
「いいよ?」
そのまま向き合うと、じっとわたしを見下ろしてから、「今日、梨沙子おばさんがそのかっこをさせたって言ったよね?」 と。
それがどうした。
「うん」
わたしにはまったく大きなお世話だったんだけど、その通りだ。で、それがなんだ。
「何で?」
「何で? って、それは――」
少しは女の子として見てもらえばってことなんだけど、それを口にするのはまずいような気がする。だって、わたしはそういうつもりでいるわけじゃないから。だからさっきもはっきりそうとは言わずに「身なりに気を使え、って言われた」と言ったのだ。
「ええっと、それは――」
言い淀んでいると、「愛梨? 下手な嘘をつく前に、話した方がいいよ?」って先手を打たれた。
でも、なんて言ったものか。
とりあえず、わたしの方はこれ以上女の子として見てもらわなくていいんだけど。
「じゃあ、俺から話そうか?」
うまい説明方法を考えあぐねていると、勇がそう切り出した。
「勇が話すの?」
「そう、今の愛梨を見て俺がどう思ってるか。何で聞いてるか――いい(・・)?」
最後の二文字が強調されて、なんかちょっと迫力があった。
「なんか、よくない気がする」
聞かない方がいいような。
「なら、愛梨が話して。どうぞ、そこ座って」
机の前の椅子を示すと、自分は昨日みたいにベッドの上で胡坐をかいた。
しかたない、話すか。
「え~と、じゃあ話すけど、勇が言わせたんだからね?」
と、前置きはした。さすがに目を逸らしたままで、午前中の出来事を話す。
「今日勇が帰ったあとでお母さんに、わたしたちがつきあってるのかって聞かれて、「つきあってない」って答えたんだけど、つきあうなら勇を大事にしなさいよって、逆じゃないのそれ? みたいなことを言われて、ついでに相手が勇でもセックスはナシ、って言われたから、「昨日は手をつないだけどセックスとか全然ないし」って話したら、なんだかんだで半年も遊んでいて今そこかい、ってあきれられた後で、もう少し女の子らしい格好をしてはどうかって勧められて、精一杯の抵抗を示して化粧もスカートも固辞して、唯一の譲歩の結果がこれ。ちなみにお母さんの頭には、勇が実は男好きで、隠れ蓑にわたしを利用してる、って可能性がちらついたみたい」
そこまで一気に言って、そーっと顔を窺うと、やっぱり。
呆気に取られて言葉も出ないって状態になっていた。
フリーズ?
そのまましばらく待っていたら、勇の顔がどんどん赤くなって、最後には真っ赤になった。
「ええっと、それって、えええ!?」
って、わたしの顔を見ても、言った内容は何も変わらないけど。
また昨日みたいにベッドの上にひっくり返って顔を手で覆ってしまった。耳も真っ赤だ。
「……梨沙子おばさん……冗談じゃなくて、マジか……」
そのまま言葉が続かない。
だから、言いたくなかったのに。
「え~と、疑問は解決した?」
とりあえずそう聞いてみる。
顔に乗せた手の下からちらりとわたしを見て、は~、と大きなため息だ。
「最初の疑問は解決したけど、新しい疑問だらけ。お前とおばさんのやり取りって、いつもそんな感じなの?」
中学では疎遠だったから、勇の印象にあるうちの親は、あくまでも小学生のころのイメージなんだと思う。
「そうでもないよ。……ただ、うちのお母さんには恋愛の信条が五つあって、中学に入るときに、どんなに成績が悪くても、そこだけは絶対間違えるなって約束させられたの。
一が、彼氏ができたら親に報告。二が、責任が取れないセックスはナシ。三が、避けられない時は必ず避妊、でも待てない男はロクデナシ。四が、どうしても困ったらすぐ相談。五が、そこまで困る前にまず相談。あ」
そこで口が滑ったことに気づいた。口を塞いでみたけど、もう遅い。
「『あ』って?」
しっかり聞かれた。
「三、は秘密だった……聞かなかったことにしてくれない?」
男子には言わないんだった。
「……残念ながら衝撃がデカ過ぎて忘れられそうにない」
新しいため息と一緒に、「まいったな」って聞こえた。
「やっぱり……友達にも大うけだったんだよね。『至極当然だと思うけど、二度と忘れられない』って言われて……でも、うちの両親の前では知らない振りしといて?」
「それ、おじさんも知ってるの!?」
声は驚いているけど、勇はひっくり返ったまま、起きる気配もない。
「知ってるよ。お母さんの信条の後には、「ロクデナシと縁を切る方法」っていうお父さんの知恵がついてて、まず――」
「あ~~~、それはいいよ、説明しなくても」また手の下からため息だ。「とりあえず俺が男好きだっていう誤解は解いておいてくれた?」
「あほらしすぎて何にも言ってないけど、大丈夫じゃない?」
「そこは即否定するとこだろ」
そう言って、ようやく起きあがった。
まじまじとわたしを見る。
「とりあえず、次からは今までみたいな恰好で来てくれる? 梨沙子おばさんには、がんばって抵抗して」




