1. 異世界への誘い
楽しいお話を書きたくなったので。
よろしくお願いします(*^^*)
「愛梨、金曜の放課後ちょっと付き合って欲しいんだけど」
水曜日の朝、同じ高校に通う幼馴染の勇にそう話しかけられた時は、日用品の買い物とか、おばさんが用事があるって言ってたから家に寄って欲しいとか、そういう話だと思った。
だからあっさり「いいよ」って返事をしたし、別にたいしたことじゃないと思っていた。本当に、たいしたことじゃないって――そうとしか思えないじゃない。
この幼馴染君は小さい頃から雑誌のモデルにスカウトされたり、ときには攫われそうになったりする超・ハイスペックな見た目であるにもかかわらず(現在は見た目を偽っているので、それを知っているのは一部の人たちだけだけど)、趣味行動が超・残念男子(生体解剖が趣味の狂・サイエンティストである上に2D&人形系3Dの世界に生きてる)で、しかもあまり学校に出てこない変なやつとしてわたしたちが通っていた公立中学ではそれなりに有名だった。
わたしとは母親同士が同じ職場で、家が三軒隣という保育所からの幼馴染で、記憶にある最小のころからの友だちだ。
お互い一人っ子なのである意味きょうだいみたいに育ったといってもいいと思う。
人目を惹く外見なのに性格はかなり内向的で、そのせいで本当に苦労している。だって生来の臆病者なのに見知らぬ人に声をかけられやすいうえ、挙句の果てには攫われそうになるなんて小さかった頃は特に、どれだけ恐怖だったかと思う。
他人が怖くて家から出られなくなってそのまま引きこもったことも数限りない。
わたしの記憶をたどると、小さいころから基本的に自分の親とうちの親以外の大人は全員苦手としていた。ギリギリセーフなのが保育園の先生。
母親たちの職場が同じだということもあって、うちとは送り迎えも交代でやるくらいだったし、どちらかの親が忙しい時はもう一方の家で過ごすことも多かった。だからうちの親が拒否られたことはないけれど、保育園でもお迎えなどで他の子の親が来るとよく隠れていたような覚えがある。
一人っ子だということもあり、当然だけどおじさんもおばさんも超内気な息子のことをすごく心配していた。本人も、外には出た方がいいし学校には行った方がいい、というのはわかっていたみたいだったけれど、そんな性格に加えていろいろあって完全に登校拒否になったのが中一の頃で、おばさんはストレスで髪が抜けて、親子ともどもひどい状態の時期もあった。
家にこもったり、部屋にこもったりする勇を外に連れ出すために、わたしは小さいころからかなり努力してきた――それができる人が他にいなかったからだ。
かなり力業のそれに母は半ば呆れ、おばさんは――たぶん感謝の気持ちで、わたしたちを見守ってくれていた――と思いたい。
たとえばハロウィンが迫ったある秋の日(小学校の低学年だったと思う)、知らない人に声をかけられたことがきっかけで家に引きこもった勇を外に出すために、わたしは勇の目の周りをマジックでパンダみたいに塗りつぶした。
ついでに鼻の頭も塗って、できあがった変顔に爆笑したあとで勇にマジックを渡し、自分の顔も同じようにしてもらってから、これで絶対大丈夫だと太鼓判を押して一緒に公園に遊びに行った。
会う人会う人に笑われたけど、危険っていう意味で変な目で見られたり攫われそうになったり、といった怖い目に遭うことはなく、公園にいた他の子たちにも大受けで、夕方まで楽しく遊び倒してご機嫌で家に帰ったら、帰ったとたんに母に叱られた。「ちゃんと勇と遊びに行って来るって言った」と言い返したら、遊びに行ったことではなくて、使ったマジックが油性だったことが問題で……。
だけど勇が久しぶりに外に出たことを心配しながらも喜んでいたらしいおばさんには泣き笑いで抱きしめられて褒められ、せっかくだからと写真を撮られて、なんで親によってこんなに違うのかと納得がいかなかったのを覚えている。
ちなみにその後わたしたちは母の強力メイク落としで何度も顔を洗ってもらい、それでも落としきれないインクのせいでしばらく顔色の悪い小学生になっていた。
だけどこの遊びは楽しくて、時には他の子も一緒にパンダになったりコウモリになったりしたし、あきれ顔の母に目じりに手の込んだ金魚のひれを描いてもらったり、恐怖のお化けメイクをしてもらったり、特にハロウィンの時期のお気に入りの遊びになった。
あれはかなり大きくなるまで――それこそ小学校の高学年までやったと思う。
知らない人に声を掛けられるたびに高確率で家に引きこもる勇だったけど、そんな(わたしの思いつきと独断による力業の)遊びをしているうちに少しずつ外に出られるようになって、また学校に通い出す。わたしたちはそんなことを繰り返した。
目の位置に穴をあけた紙袋とか、ミカンの網をかぶって登校したこともあった……友達にはかなり受けたけど、ミカンの網は先生に止められた記憶がある。それもたぶん低学年の時だ。
高学年になるにつれて、さすがにそんな力業は通用しなくなっていったけれど。
だけど勇は(小学校自体は時々欠席が続くこともあったけど)遊びに誘えば割とすんなり家から出てきてくれた。
学校は「行きたくなったら行く」という返事が増えて連れ出せない日も増えたけど、わたしも『元気ならいいか』みたいなゆるい感じになっていったし、学校外では会えていたし、会えば仲良く楽しく過ごしていたと思う。
そんなわたしたちの関係が穏やかで楽しいだけのものでいられなくなったのは中学に入ったせいだった。
女の子たちが勇の見た目にキャーキャー言うようになったから。
小学校から一緒だった女の子たちは、勇の見た目にひっかかるような子はすでにいなかった。
みんな中身が生態観察や解剖実験で頭がいっぱいの容赦ない超・残念男子で、うかつに近づくとスライスしたミミズや孵化したカマキリの幼虫を一日ごとに標本にしたもの等を延々と見せられる危険性があると知っていた。
だれど、違う小学校から来た子たちは知らなかったから。
「幼馴染なんでしょ、紹介して~♡」
「仲いいんでしょ、一緒に遊びたいから連れて来て~♡」
「小さい頃の写真見せて♡」
「家に行きたいから教えて♡」
そういうのはすごく面倒だったし、特に最後のやつはわたしも警戒した。
ちゃんとした知り合いでもないのに家に行きたいとか、そういうのが危険だってことは、勇の苦労を間近に見てきて身に染みていたから。
当然だけど断った。
そうしたら、「意地悪」とか「独り占めしようとしてる」とか「自分が釣り合うとでも思ってるの? 鏡みなさいよ!」とか……中には危ない目をしている人が混ざりだして、単なる同級生女子のわたしには手に負えなくなったのだ。
勇のことはいいやつだと思ってたけど、恋愛対象として好きとかそういう感情はなかったし、見慣れた顔を今さらステキだとか思うわけもない。幼馴染なのは不可抗力で、仲がいいように見えるのはその残念ぶりについて行ける女子がいないせい(わたしもついて行けてるわけじゃなくて、放置してるだけ)だったんだけど、勇の見た目にハートを撃ち抜かれたらしい彼女たちは、女子でほぼ唯一勇とまともに口を利くわたしの存在が許せなかったらしい。
そんな彼女たちの独りよがりな感情は、やっぱり少し怖かった。
中一の秋にわたしが上級生たちに呼びだされ、身に覚えのない言いがかりをつけられたことをきっかけに、勇の方が女子と一定の距離を置くことを決めたのは、なんかもう、女子については諦めた、って感じだったんだと思う。
それでも学校に行けば強制のグループ行動や課外活動があるし、女子との接触は避けられない。そのうち学校自体行かない日が増えて、ついに学校はおろか外にも出てこなくなった。
それまでとは違い、わたしのうちにも遊びに来なくなった。学校や買い物などはともかく、家に遊びに来るのを断ったりはしなかったのに。
「行かない」「遊ばない」と、はっきり言われてしまうと、もうわたしにはどうしようもなくて、学校からのプリントなどを勇の自宅に届けながらときどき様子だけは確認して、ゆるいわけではなく、「本当に元気なら」いい、とそこを落としどころにしていた。
先生たちは心配していたけれど、「自分の家の中でなら見た目も他人の目も気にしなくていいから」と言われれば確かにその通りで、勇にとってはわたしも「他人」のひとりなんだな、と思うのは寂しかったけれど、そうなると「まあ、気が向いたら学校にもおいでよ」くらいしか言えることもなかった。
たまにゲームのやりすぎか、ひっどい顔つきをしている時があって、そういう時だけは、小言を言わせてもらったりもした……ちゃんと元気で生きてるってところは重要だし。
わたしの方は、上級生の呼び出しはそれなりにびっくりだったし、空手を習い出した。親が「いざというときの護身術にもなるかもよ~」なんて進めてくれたので、それもいいかと思って。
意外に楽しくて夢中になったのはラッキーだったけど、勇との距離はさらに遠くなった。
もとから人嫌いなところがあったこともあり、学校に執着がなかった勇の方は中学一年生の終わりから二年生をほぼ不登校の状態で過ごした。
だけどそのうち思うところができたらしく、勇は女子遠ざけ作戦だけでなく、かなりの努力で見た目の『改悪』を実行した。
不潔ではないけれど見た目が最悪のぼさぼさのロングヘアとだっさい眼鏡、サイズの合わないよれよれの制服――先生たちから注意されないのが不思議なくらい――そこはたぶん登校拒否と見た目とを天秤にかけてギリギリセーフってことだったんじゃないかと思う。
とにかく勇はそんな(私から見れば気の毒で)珍妙な格好を維持して学校に通い、登下校中は本に顔を埋めるようにして、周囲にできるだけ顔を見せない日々を過ごした。
あれは勇なりの世間への精いっぱいの防御だったんだと思う。確実に人の目は――ある意味引いてはいたけれど惹かなくなった。
そこに加えて、生物の解体に加えて2D&人形系3D方向に進出し始めた残念趣味に関してのあれこれを、一切包み隠さずに追求し、遺憾なく残念男子ぶりを発揮してくれたのもよかったと思う。
最上級生になったこともあり、かなり過ごしやすくなった中学三年生の一年間、それでもちょっとした外出先でうっかり素顔をさらして見知らぬ女子から一目惚れの告白をされたり、そのまま知らない人についてこられたりとうんざりするようなこともあったらしいけれど、勇は半分以上の登校日を出席したようだった。
わたしとは、学校で会えば視線で挨拶はするけれど積極的に話したりはしない――そんな感じで、もう仲良しではないものの、けして仲が悪いわけではない、という状態で中学を卒業した。
同じ高校に進学したのはたまたまだけれど、クラスも違うし、勇は高校に入ってからも見た目改悪委員会――と本人は言っていた――の活動を継続していたし、共学でも女子にはできるだけ近づかず、できるだけ話しかけない状態を維持していたから、わたしからも積極的に話しかけようとはしなかった。
中学とは違って学校生活は楽しんでいるようで、生物部と異世界研究同好会なるものを掛け持ちしていると聞いた。同じ趣味を持つ男子としか話さなくても、日々は充実しているようだ。
本当はすごくハンサムだって知ってる子はほとんどいないか、知ってるはずの子も話しちゃいけないことみたいに考えてるようだったし、今は残念趣味の方が(一部で)有名だから、近づいてくる女子もほとんどいない。
本人も家族も(一時はすごく心配していたから、進学できて毎日学校に通っているという)今の状態が幸せらしい。わたしも会えば視線じゃない挨拶ができて、たまたま登下校が重なれば短い会話もできる。それにたくさん貰ったお使い物やおかずのおすそ分けもできる。そんな程度の笑顔の日常が戻ってなにより――今はそんな状態。
だから「ちょっと付き合って欲しい」の「ちょっと」が、近所のスーパーや雑貨店、もしくは自宅以外のどこかだとはまったく思えなかった。
~~~~~~
そんなわけでめずらしく一緒に出かけた金曜日の放課後。
目深にかぶった帽子と乱れた髪の毛でほぼ顔を隠した勇は、高校の制服を着ていなかったら変質者に見えるかも、なんて失礼な(でも正直な)考えが頭をよぎる。
「で? どこ行くの?」
「ああ~、えっと、一カ所寄ってから、うち?」
いつもとは違う方向に向かう電車に乗るというので聞いてみたら、ちょっと歯切れが悪い。
「お使い?」
「まあ、そんなような?」
はっきりしない話し方で、とにかく連れだって歩きながら聞いてみると、どうやら今勇がはまっているシミュレーションゲームみたいなものに参戦して欲しい、ってことらしい。
「でも、わたしゲームあんまり得意じゃないよ? そういうのって慣れた人の方がいいんじゃないの? それに、パソコンでやるゲームなら別々でしょ? 勇のうちに行っちゃったら……」
「まあ、そうなんだけど……ちょっと、まずはいろいろ、設定とか」
だいぶ歯切れが悪い。なんだろな。
とにかくついて行った。そして連れて行かれた先は……。
「……あのさ、『一カ所』って、ここ?」
「……うん」
ホビーショップ、つまり趣味の模型とか、フィギュアとか、コスプレ用品とかを販売するお店だった。