1 九度山
慶長16年6月4日
「若~!若~!」
九度山の真田屋敷に高梨内記の声が響いた。
自室で書物を読んでいた信繁は騒がしいなと思いながら、戸を開ける。
「内記よ、うるさいぞ、どうした?」
内記は、廊下を走り信繁の前に跪いた。
「若、大変でございます。殿が危篤でございます!」
内記は顔を真っ赤にして、叫んだ。
「何!父上が!」
「はい。先程殿と二人で碁を打っておりましたら、急に胸を抑え倒られました」
「何と」
信繁はそれを聞き、頭が真っ白になった。しかし信繁は直ぐに頭を働かせ昌幸の自室へと走った。
信繁は息を切らせながら昌幸の自室の前に着いた。そして戸を思い切り開けた。
「父上!」
昌幸の部屋には既に真田屋敷に住まう者達全員が昌幸の布団を囲むようにして座っていた。
昌幸は信繁の声に気づきゆっくり目を開けた。
「おぉ、源次郎か」
信繁はその声を聞きいつもの無邪気に話す父の声ではなく、弱々しい声に涙した。
昌幸はそんな信繁を手招きして自分の枕元に呼んだ。信繁は呼ばれた通りに昌幸の枕元ににじりより座った。
そして昌幸の手をとった。昌幸はそれを確認すると神妙な顔をしてゆっくり口を開けた。
「良いか、信繁…これから言うことはわしの遺言じゃ。しかと聞くのじゃぞ」
信繁はその言葉を聞き、静かに頷いた。
「信繁よ、これからもう一度大きな戦が必ず起きるぞ。それも徳川と豊臣のじゃ。そしてこの戦は大阪城の籠城戦になるだろう。何と言っても大阪城は攻めるに難しく守るには易し城じゃ、狸が幾ら兵を集めようともそうそう落ちぬ。しかしなあの城は南が弱い。だからな、その地に出城を作れば良いのじゃ。さすれば戦は長引き徳川方の豊臣温厚派は徳川を見限る。そして戦は豊臣方の勝ちになるだろう」
「だからな、お主は戦が始まる前にここを抜け出し大阪に行け。そして狸の首を取れ」
信繁はその言葉を聞き、顔を綻ばせた。
「はっ!しかと承りました」
父の最期の策を何としても成功させようと心に誓った。
昌幸はその言葉を嬉しそうに何度も頷いた。
そして昌幸は目を閉じた。
「わしはお館様に憧れ追い付こうとしたが、叶わなんだ。信濃、甲斐を我が領地にしたかったのう…………」
昌幸は無念の言葉を口にして静かに64年の生涯を閉じた。