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長距離ランナーの蠱毒

作者: 土師 三良

「この街に訪問者はいない」と、男はいった。「ここに来られるのは、

いずれ住人になる者だけだ」

      ――クライヴ・バーカー 『夢の中』 (宮脇孝雄 訳)




 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間。

 この街で死んだ回数、六回。

 この街で殺した回数、ゼロ。

 今日こそは()る。



 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間。

 昨日、俺はこの街をヴァルハラ街と名付けた。ちょっと中二病が入ってるが、ここに相応しい名前だと思う。

 もっとも、見た目はヴァルハラとは程遠い。日本のどこにでもある、ごく平凡な町並み。田舎の風情を失いながらも、都会になりきれずにいる地方都市。俺が暮らしていた街に似ているが、具体的な相似点を挙げることはできない。見慣れたものが溢れているのに、見覚えのあるものが一つもないんだ。何度も訪れたことがある未知の街。一度も見たことのない原風景で構成された街。

 相違点のほうは挙げられる。まず、人気や生活感や季節感がないこと。リアリティーが欠けているというか、どこか書割じみている。

 もう一つは音だ。時折、どこか遠くから銃声が聞こえてくる。大抵は単発だが、連射音が響くこともある。昨日は爆発音も聞いた。ガスに引火でもしたのか、それとも誰かが爆弾の類を使ったのか……。

 爆発物を持ってる奴がいてもおかしくはない。不公平なことに(見方によっては公平とも言えるかな?)ヴァルハラ街での初期装備は各人が娑婆で培ったイメージに影響されるらしい。都井睦雄は猟銃を携えているだろうし、グレアム・ヤングは毒薬を隠し持っているだろうし、チョッパー・チャップスは鉈を振り回しているだろうし、オルガ・ヘプナロヴァはトラックを走らせているだろう。

 ただし、あくまでもイメージであり、実際のそれではないようだ。そうでなければ、俺の装備に拳銃が含まれているわけがない。確かに娑婆にいた頃の俺は銃を持ち歩いていたが、人を殺す際にそれを用いたことは一度もないんだからな。

 娑婆ではお飾りに過ぎなかった銃を握りしめて路地裏を抜け、俺は無人の銀行の陰から大通りの様子を伺った。

 獲物がいた。

 五階建ての雑居ビルの前。街路樹の根元に男が座り込み、うなだれている。

 更に周囲を見回してみる。

 他に人影はないが……罠でないとは言い切れない。街路樹の男は囮役で、別の誰かがどこかに身を潜めているんじゃないか? 今までのところ、二人以上で行動している住人に出会ったことはないが、だからといって、皆が一匹狼とは限らない。娑婆でつるんでいた奴ら(トレンチコート・マフィアだのヘンリー・ルーカスとオーティス・トゥールだの)はここでもつるんでいるかもしれない。

 だが、男がいる場所は、俺のちっぽけな銃で狙うには遠すぎる。

 俺は意を決し、銃を構えて歩き出した。道路を横切り、男に近付いていく。

 男がゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。

 蓬髪の白人だ。年齢は三十代の後半くらいか。かなり背が高い。身に付けているのは薄汚れた作業着。遠くから見ている時には判らなかったが、膝に乗せた右手にはナイフが握られている。だが、そんなものはどうでもいい。重要なのは人種や年齢や服装や武器じゃなくて、表情だ。

 男は無表情だった。俺に向けられている目は、死んだ魚のそれと同じ。くそっ! こいつもCクラスか。まあ、贅沢は言っちゃいられない。

「見ねえ顔だな。新入りか?」

 男が訊いた。流暢な日本語だ。しかし、本人は母国語を話しているのだろう。四日前にレジェンドのピエロ野郎と言葉を交わした時に判ったことだが、ヴァルハラ街では言葉が自動的に翻訳されるらしい。コミュニケーションを円滑にするために街の管理者(「神」とは呼びたくない)が便宜をはかっているのかもしれない。もっとも、ここの住人はコミュニケーションなんてものを必要としてない者ばかりだが。

「一週間前に来たばかりだ」

 そう言って、俺は足を止めた。男との間は三メートルほど。銃は撃ち慣れていないが、この距離ならなんとか当たるだろう。

「一週間か……死にたてのホヤホヤってわけだ」

「あと三十秒で殺したてのホヤホヤになる。その三十秒の間に自己紹介をしろ」

「なぜ?」

「自分が殺す相手のことをよく知っておきたい。レジェンド級の有名人かもしれないからな」

「デズモンド・ディーコンだよ」と、男は名乗った。「ダチどもには<トト>と呼ばれてたし、マスコミには<オーバーランドパークの切り裂き魔>なんて呼ばれてた」

「聞いたことないな」

「だろうな。俺は小者さ。殺した相手はただの売春婦で、しかもたった二人だけ。地元ではそこそこ騒がれたんだが、すぐに忘れられた。ロバート・バーデラに話題を持っていかれちまってよぉ」

「『たった二人』だと?」

 怒りが込み上げてくる。

 同時に喜びも。

 こういう奴をブチ殺せる喜び。

 しかも、たった(ヽヽヽ)一人で終わることはない。この街にはこいつの同類が山ほどいるのだから。というよりも、同類しかいないのだから。俺は何百回も何千回も何万回も同じ喜びを味わうことができるだろう。管理者(「神」とは呼びたくない)に感謝だ。

「奪った命の数に『たった』なんて言葉を付けるな、クソ野郎」

「はぁ?」と、ディーコンが顔を歪めた。「なぁ~に真面目なこと言ってんだ。その場違いなコスプレに合わせてキャラをつくってんのかよ。それとも……まさか、コスプレじゃなくて、本物なのか?」

「そのまさかだ」

 俺の答えを聞くと、ディーコンのゾンビみたいな目に好奇の色が浮かんだ。いい兆候だ。そうやって感情を蘇らせろ。どうせ殺すなら、ソンビよりも生きた人間のほうがいい。

「そのまさかだよ」

 そう繰り返して、俺は一歩だけ足を踏み出した。

「俺の格好が場違いに見えるのは、世界が不完全だったからだ。このウジ虫だらけの世界がな。俺は、世界が必要としている最後のピースだ。ウジ虫どもを一匹残らず踏み潰す役目を負った者だ。で、おまえは最初に踏み潰されるウジ虫ってわけさ」

 理性ががなりたてている。芝居がかった言葉に酔ってないで、さっさとディーコンを撃ち殺せ、と。

 だが、俺は耳を貸さなかった。あっさりと終わらせるつもりはない。記念すべき最初の殺害戦果だからな。

 すると、その気持ちを読み取ったかのように――

「無理だよ、新入り」

 ――ディーコンが薄く笑った。むかつく笑顔だ。しかし、悪くない。悪くないぞ。もうちょっと激しい感情を示したら、Bクラスに昇格させてやろう。

 俺も笑ってみせた。不敵かつ挑発的かつ冷酷な笑みを見せたつもりだが、ディーコンの反応から判断する限りでは上手くいかなかったようだ。

「なにが無理なんだ、ウジ虫?」

「おまえに俺は殺せねえ」

「そうだな。少なくとも三十秒以内に殺すことはできなかった。改めて予告しなおそう。これから三秒以内におまえを殺す」

「やれるもんなら――」

「――やってやるさ!」

 叫びざまに引き金を引いた。

 ディーコンの頭から血が飛び散ったように見えたが、それは街路樹の木っ端だった。相手が瞬時に躱した……と言いたいところだが、実際のところは俺が狙いを外しちまっただけだ。くそっ!

 ディーコンが右腕を上げ、ナイフが閃く。

 ほぼ同時に俺は二発目を放っていた。左肩に命中。致命傷には程遠い。

 だが、三発目は必要なかった。

 ディーコンの喉に三日月のような大きな口が開いてる。ナイフで自分の喉をかき切ったんだ。

 第二の口から血をごぼごぼと流しながら、ディーコンは本当の口を歪めて笑った。

 そして、笑ったまま、事切れた。

「クソがっ!」

 俺は街路樹に駆け寄り、そこにもたれていたディーコンの死体を蹴り倒した。これで三回目だ。目の前で獲物が自分の命を絶つのは。

「クソがっ!」

 もう一度、さっきよりも大きな声で怒鳴る。

 もう一度、さっきよりも力を込めて蹴る。

 顔面を狙ってやった。喉の裂け目のあたりで首がちぎれて、サッカボールのように飛んでいく様が見たかったから。

 もちろん、そんなものは見れなかった。

 俺はもう怒鳴らなかった。だが、足は動かし続けた。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も顔面に爪先を突き入れた。

 五十回ほど(あるいは五百回かもしれない)蹴りつけたところで足を止めた。気が済んだわけじゃない。ただ疲れただけだ。

 空を仰ぎ、呼吸を整える。気持ちを切り替えよう。獲物は腐るほどいるんだ。そう、腐るほど。腐りきった奴らが。

 顔を下げようとした時、雑居ビルの窓に人影が見えた。いや、正しくは「人影のようなもの」だ。見間違いかもしれないが……確かめる価値はある。

 ビルの正面にあるガラス戸に向かって、俺は歩き出した。

 男と目が合った。ディーコンが言うところの「場違いなコスプレ」めいた格好をした若い男――ガラス戸に映る俺自身。その姿を見ていると、ちょっと気恥ずかしくなってくる。ディーコンにはああ言ったが、確かに場違いな格好だからな。

 きっと、俺だけだろう。

 このヴァルハラ街で警官の制服を着ている奴は。



 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間。

 光の国から来た先人なら、この凄惨な一週間(だけでなく、その後に続くであろう日々も)を「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」と形容するかもしれない。

 そしたら、俺は先人に教えてやろう。

 これは血を吐き尽くしても終わらないマラソンだが、他の奴らはともかく、俺は悲しんではいない、と。

 むしろ楽しんでいるのだ、と。

 とはいえ、初日は楽しめなかった。初めての死(本当の死だ)から目覚め、五分も経たないうちにまた死んじまったんだから。たぶん狙撃されたんだと思う。銃声は聞こえなかったし、痛みを感じる暇もなかった。

 二日目もひどいもんだった。右も左も判らないままに街をさまよい、最初に出会った野郎にいきなり刺し殺された。今度は痛みを感じる時間がたっぷりあったし、相手の顔を覚える時間もあった。次に会うことがあれば、同じ痛みを味あわせてやる。

 三日目に初めてレジェンドと出会った。ジョン・ゲイシーだ。本人がそう名乗ったわけじゃないが、間違いないだろう。ピエロの格好をしてたからな。

 ゲイシーとはいくつか言葉を交わすことができたが、どちらかが事に及ぶ前に……いや、「どちらか」じゃなくて、ゲイシーのほうが殺していただろうな。俺はまだ状況を把握していなかったから。まあ、とにかく、奴が行動を起こすより先に俺は死んだ。背後に忍び寄っていた何者かに頭をブン殴られて。

 四日目に出会った住人は四人。一人目は俺の姿を見るなり逃げ出し、二人目は自分の頭を銃で撃ち抜き、三人目は四人目に殺され、その四人目に俺も殺された。で、俺はようやく理解した。俺を殺した奴らやゲイシーはイレギュラーではないということを。ここにはまともな人間は一人もいないということを。

 五日目、新たな発見があった。死んだはずの男――昨日の三人目に出会ったんだ。俺と同様、他の奴らも死ぬ度に甦り、新しい朝を迎えていたわけだ。ここに来て、この世界の()(よう)が判ってきた。血に飢えた者たちが日が暮れるまで殺し合い、生き返り、翌日にはまた殺し合い、また生き返り、また殺し合い……そんなことを繰り返す世界。勇猛なるバイキングたちの魂が集うヴァルハラのように。

 俺はそれを冷静に受け止め、世界にすんなりと順応することができた。なぜだかは判らない。最初に死んだ時、管理者(「神」とは呼びたくない)によって精神に手を加えられたのかもしれない。あるいは手を加えずとも順応できる人間だけがヴァルハラ街に招かれるのか?

 そんな面倒くさいことを考えていたせいか、その日はあっさりと死んだ。

 だが、六日目ともなると慣れたもんだ。俺は今までよりも慎重に行動し、初めて一時間以上(体感時間ではない)も生き抜き、死ぬまでに五人の獲物に出会った。ただし、一人も仕留められなかったが。

 五人のうちの一人が四日目の奴と同じように自分の頭を撃ち抜いた時、俺は認識を少しばかり改めた。ここの連中は「血に飢えた者たち」ばかりではないし、「日が暮れるまで殺し合」っているわけでもない。大半の奴らは無気力で、その中でも特にひどいのは他者に殺されるのを待っているか、他者の前で自殺するのを待っているんだ(人目のあるところでしか自殺できないというルールでもあるのだろうか?)。

 そして、七日目――今朝、俺は獲物たちをランク分けした。生きる気力も殺す気力もないゾンビどもはCクラス。そうでもない奴らはBクラス。そして、意気軒昂な奴(「()り甲斐がある奴」と言い換えてもいいだろう)はAクラスだ。残念ながら、Aクラスに出会ったことはまだ一度もないが。

 窓から見えた(ような気がした)者がAクラスであることを祈りながら、俺は雑居ビルに足を踏み入れた。

 不意打ちに対応できるようにエレベーターではなく階段で上を目指す。

 外の光景がそうであるようにビルの中もごく平凡というか馴染み深い(それでいて記憶にはない)ものだった。他の奴に訊いて確かめたわけではないが、どうもヴァルハラ街では言語だけじゃなくて風景も〝翻訳〟されているようだ。俺には日本のそれに見える町並みも、ディーコンにはカンザスだかミズーリだかに見えていたのではないだろうか。

 機会があれば、そのあたりのことをいろいろと試してみたい。例えば、屋内での銃撃戦。敵は厚い壁の陰に隠れているつもりでも、俺にはその壁が襖や障子に見えるかもしれない(障子だとしたら、逆光で敵の位置も把握できるだろう)。その場合、俺の放った銃弾は襖/障子を貫通するのか? それとも、厚い壁に阻まれるのか?

 地域だけじゃなくて、時代による変化も気になるところだ。もしかしたら、この街には近代以前の殺人者もいるかもしれないからな。そう、レジェンド級のレジェンドとも言える、あの……。

 そこで思考が遮られた。どこからか漏れ聞えてくる音楽によって。

 俺は既に四階にいた。あの人影が見えた階だ。

 階段から廊下に移動する。

 五つの扉が等間隔に並ぶ狭い廊下。三つ目の扉が半開きになっていた。装飾過多の悪趣味な横文字が記された扉。安っぽいバーだかスナックだかの類だろう。

 それにしても、わざわざ扉を開けて、音楽まで流すとは……教えてくれているわけだ。僕はここにいるよ、と。おもしろい。()り甲斐がありそうな獲物だ。

 愛用の(というか、これしか持っていないのだが)銃――M360J(SAKURA)を俺は構え直した。残弾は三発。他の武器は警棒と、ディーコンから奪ったナイフ。そのナイフで銃のランヤードは切断しておいた。取り回しが不自由だったから。

 壁に張り付くようにして、扉に近付く。音楽が大きくなる。カントリーミュージックかな? この手の音楽のことはよく知らないが、ジョニー・キャッシュのような気がする(実を言うと、俺は「この手の音楽」はすべてジョニー・キャッシュに聞こえてしまうのだが)。歌詞は英語のままだった。管理者(「神」とは呼びたくない)の翻訳サービスも歌まではフォローしてないらしい。

 半開きの扉の横で足を止め、中の様子を覗ってみる。派手な色のガラス暖簾のせいでよく見えない。しょうがない。ディーコンを見つけた時と同様、慎重さを捨てなくてはいけないようだ。

 俺は銃を前方に突き出し、ガラス暖簾の奥に飛び込んだ。

 店内は思っていたほど狭くなかった。それに思っていたほど薄暗くもなかった。この手の店にしては照明が明るいし、カッティング文字やシェードに覆われていない大きな窓からは光が差し込んでいる。

 入り口から見て右側――バーカウンターの前のスツールに女が座っていた。またもや白人。タイトスカートのスーツ(場違いなのは俺だけじゃなかったようだ)を着た、三十前後のそこそこいい女。どこかで見たような気がする。レジェンドかな?

 女は体の向きを変えて、こちらを見た。

「動くな!」

 反射的にそう叫んでしまった。我ながらバカなことしている。

 女がニッと笑った。そこそこ良い女だと思ったんだが、よく見ると十人並み。しかし、目は魅力的だ。何らかの感情が渦巻いている力強い目。よし、いいぞ。こいつはCクラスじゃなさそうだ。

「『動くな』の次に『動いたら撃つぞ』なんて言葉が続くわけ? 死が一日の終わりでしかない世界で、そんな脅しが通用するわけないでしょ」

 まったくもって、そのとおり。返す言葉もない。

「あんた、見ない顔ね。新入りなの?」

「一週間前に来たばかりだ」

 ディーコンと同じことを訊いてきたので、同じ返事をした。理性もディーコンの時と同じ警告を発している。早く撃て、と。

 もちろん、俺は理性を黙殺した。今度こそ、記念すべき最初の殺害戦果をあげることができるのだ。しかも、相手は女。いや、この街に住むウジ虫どもの多くと違って、俺は女を殺して性的快感を得るような変態じゃないが……それでもあっさりと殺してしまってはつまらないだろう。

「この一週間でいろんな経験をしたが、女を見たのは初めてだ」

「最初に会ったのがあたしみたいな綺麗どころで良かったわね。この街にいる女の大半はひどい御面相よ。アイリーン・ウォーノスにマイラ・ヒンドリー、それにベティ・ザ・ブレイドベイブとかね」

「面食いのテッド・バンディにとっては辛いだろうな」

「バンディには何回か会ったことがある。あいつ、この街ではザコよ。自慢のIQを活かすことができず、いつもチンピラに殺されてるらしいわ」

 なんだかおかしい。銃を向けられているにもかかわらず、女は少しも動じていない。生死に拘泥しないCクラスならそれも不思議ではないが、この女はBかAだ。どうせ死んでもすぐに生き返るから悠然と構えている……というわけでもなさそうだ。

 ディーコンを見つけた時に抱いた危惧が再燃した。もしかして、女の仲間がどこかに身を潜めて俺を狙っているのか?

 女との距離を保ちながら、弧を描くようにして左側のテーブル席の辺りまで移動し、そこから店の奥の様子を覗ってみた。人の気配は感じられない。

 俺の意図を読みとったらしく、女が「誰もいないわよ」と言った。

「少なくとも、この店の中にはね」

「外に誰かいるのか?」

「さっき、<ザ・キング>を見かけた。今日はこの辺りを狩り場にするつもりなのかもしれない。だから、窓には近付かないほうがいいわ」

「キング?」

「ライフル魔よ。誰かが<ザ・キング>って呼び始めて、それが定着したの」

 ライフル魔だと? ジョン・ムハンマドかな? それとも、あのレジェンドか? 確か映画化もされた……。

 その時、女が誰なのか判った。やはり、こいつもレジェンドだったのだ。

「おまえ、アデリン・エイモスだな」

「あら、知ってるの?」

「知ってるさ。あんたの生涯は映画になったんだ。日本でも公開された。邦題はひどかったが、内容は悪くなかったな」

「あんた、日本人だったの。てっきり中国人だと思ってた。まあ、どっちでも同じだけど……」

 そりゃあ同じだろう。獄中のジョゼフ・フランクリンに何十通ものファンレターを送り、<サムの息子>ならぬ<ベッポの娘>と自称していたレイシストから見ればな。

「で、その映画であたしの役を演じた女優は誰よ?」

「リリ・リーボウィッツだ」

「あのユダヤ女が! 悪い冗談だわ」

「悪いかどうかはともかく、冗談というのは間違ってないかもな。なにせ、映画の中のあんたは本物よりも若くて美人だったし、胸に詰め物もしてなかった」

 エイモスの目付きが険しくなった。怒りのツボを突いたらしい。

「あたしを怒らせないほうがいいよ、兄さん。何度でも生き返ることができるからといって、死に伴う苦痛が軽減されるわけじゃない。そして、あたしはとびっきりの苦痛を与える殺し方を知ってる。五十通りくらいね」

「俺を笑わせないでくれよ、姐さん。五十通りのやり方の中から一番手早くできるやつを選んだとしても、絶対にしくじるさ。俺が引き金をひくスピードのほうが早いからな」

「しくじるのはあんたのほうよ。ここで一週間ぽっちしか過ごしてない奴にあたしは殺せない」

「期間は関係ない」

「それが関係あるのよねぇ」

 エイモスが自嘲に唇を歪めた。先程と違い、これはCクラスの笑い方だ。

「この街にはルールがあるのよ。『後から来た者は先に居た者を殺せない』っていう面倒くさいルールがね。こういうのも年功序列って言うのかしら?」

「ふざけろ。そんなルールがあるなら、二十年以上も前に死んだバンディがザコのままでいるわけがないだろう」

「あいつは要領が悪いのよ。あたしと違ってね」

 Bクラスの笑みが蘇った。

「不条理なルールに街が支配されていることに気付いた時、あたしは決めたの。確実に殺せる相手しか狙わないってね。たとえば、一週間しかいないのに粋がってるお猿さんとか」

「おもしろい。じゃあ、その『お猿さん』を殺せるかどうか試してみ……」

 俺がすべてを言い終える前に、エイモスがカウンターの上の酒瓶を投げつけてきた。

 俺は横手に跳ねてそれを避け、空中で発砲した。

 ジョン・ウー張りの横っ飛びを決めたつもりだが、傍目には吉本新喜劇よろしく盛大にコケたように見えたかもしれない。

 その後の展開は新喜劇どころじゃなかった。

 銃弾は明後日の方向に飛び、俺は重力に敗れて床に激突した。落ちた拍子に銃が手から離れ、床の上を滑って行った(ランヤードを切断したのは失敗だった)。

 そして、不様に転がっている俺に向かって、エイモスが襲いかかってきた。どこかに隠し持っていたアイスピックを構えている。

 悪鬼のような彼女の形相を見て、俺は知った。リリ・リーボウィッツの演技が過大評価されていたことを。

 確かにリリは美しいが、迫力という点ではとても本物には敵わない。



 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間。

 ひょっとしたら、ここは死後の世界じゃなくて、未来人とか異星人とかが走らせているシミュレーションなんじゃないか? 古今東西の殺人者を仮想空間に再現して殺し合わせるプログラム。『スーパーシリアルキラー大戦』とでも呼ぶべき代物。

 だとしたら、俺は本物の俺じゃない。本物の俺を模した擬似人格であり、プログラムのために生成されたデータだ。この世界(プログラム)にすんなりと順応できたのも納得がいく。

 そして、「早く撃て」という理性の声に従わなかったことにも納得がいく。俺はプログラムの支配下にあるから、管理者(未来人や異星人なら、「神」と呼ばなくてもいいだろう)が定めた年功序列というルールに逆らえない。俺が殺せるのは俺より後にヴァルハラ街に来た奴だけ。どんなに気張ったところで先達を殺すことはできないんだ。

 しかし、それでも俺は座して死を待つつもりはなかった……と、言いたいところだが、少しばかりパニくっていた。ナイフを抜くことと立ち上がること――その二つを同時にやろうとして、床の上で身を捩っていた。

 銃声。

 エイモスの身体が半回転した。

 更に銃声。

 エイモスの頭から髪と肉片が飛び散った。

 彼女は店の奥に向かって後ろ向きにヨタヨタと歩いた。店内に流れるジョニー・キャッシュ(?)の歌声に合わせるかのように。

 そして、歌声が消えると同時に窓際で倒れ伏した。

 俺は、銃声が聞こえてきた方向を見た。

 ガラス暖簾の隙間から自動拳銃のものと思われる銃身が突き出ている。その銃身が伸び、銃把を握る拳が現れ、太い腕が生え、最後に腕の主が登場した。

 肥満体をオーバオールで包み込んだ男。こいつの顔はテレビやインターネットで何度も見た。名前はフィリップ・パーシー。ヘドが出るようなレジェンドだ。

 パーシーは俺に目もくれずに店内を縦断して窓際まで行くと、エイモスの死体を見下ろした。数秒後、球体に近いシルエットの巨体が微かに揺れた。溜息をついたらしい。

「おもしろくないな。うん、おもしろくない。こんなオバサンじゃね……」

 呟きながら振り返り、俺に目を向けた。その存在に初めて気が付いたかのように。

「見ない顔だね。うん、見ない顔だ。君、新入り?」

 どいつもこいつも同じことを言いやがる。

「新入りだが、それがどうした?」

「どうもしないけどさぁ……」

 パーシーは二度目の溜息をついた。沈鬱な顔をしている。こいつの前歴を知らなかったら同情してしまうかもしれない。

「おまえはCクラスだな」

「Cクラスって、なにさ?」

「『Cクラスという言葉の意味を教える価値もないカス』って意味だよ、パーシー」

「僕のことを知ってるの?」

「知らないわけがないだろう。日本でも話題になったからな。小学生の女の子を三人も殺したクソ虫以下の変態ペド野郎のことは」

「三人じゃなくて二人だけだよ。あとの一人は事故だったんだ。うん、事故だった。僕は悪くないよ。うん、悪くない」

 ……こいつも「事故」に遭わせてやろうか。

 怒りが込み上げきたが、それを爆発させる前に俺は確認した。

「おまえが死刑になったのは去年か一昨年だったよな?」

「二〇一三年だよ。うん、二〇一三年。薬物注射でね」

 よしよし。希望が湧いてきたぞ。エイモスが服毒自殺したのは二〇〇九年頃だから、彼女はパーシーより長くヴァルハラ街で過ごしているということになる。にもかかわらず、パーシーに殺された。つまり、年功序列なんてルールは存在しないってわけだ。

「ねえ、二〇一三年がどうかしたの?」

「黙れ、デブ。その銃でさっさと俺を撃てよ」

「撃ってもいいの?」

「今日はもう死んでも構わない。むしろ、早く死んで明日を迎えたい。仕切り直したいんだ」

 と、心にも無いことを言いながら、俺はこの場を切り抜ける逆転の一手を練っていた。いや、四手か。


1 パーシーの隙を突いて立ち上がり……

2 部屋の隅まで走って……

3 そこに落ちてる銃を拾い上げ……

4 パーシーに向かって撃つ!


 正直、上手くいくとは思えない。パーシーは鈍そうだから「1」はなんとかなるだろうが、「2」か「3」のところで撃ち殺されるだろう。

 だが、やるしかない。

「撃てというなら撃つよ。っていうか、言われなくても撃つつもりだったしね。でもさぁ……男やオバサンを撃っても、おもしろくないんだよね。うん、おもしろくない」

 三度目の溜息。

 なるほど。こいつの悩みは判った。自分好みの獲物がいないから、「おもしろい」思いとやらができないんだな。

「それは時間が解決してくれるさ。根気よく待ってろよ、変態野郎」

「どういう意味?」

「ヴァルハラ街に新生する際の年齢は現世の死亡時のそれじゃなくて、殺人を犯した時のものかもしれない。だとすれば、おまえのストライクゾーンにばっちりはまる新入りがいつかやってくるさ。メアリー・ベル、ジュリエットとポーリーン、それにおまえの尺度からすると少し『オバサン』寄りになるが、ブレンダ・スペンサーとかな」

「なるほどねぇ。その発想はなかったな。うん、なかった」

「よかったな、変態野郎」

「その『変態野郎』っていうのはやめてくれないかな」

 パーシーが唇を尖らせた。脳みそをどこかに落としてしまった連中が「キモカワイイ」と評する類の表情だ。

「だいたいさぁ。お巡りさんの格好なんかしてるけど、君だって僕の同類なんだろ。うん、同類なんだ。そうでなけりゃ、この街にいるわけがないもんね」

「おまえなんかと一緒にするな。確かに殺人者という意味では同類だが、俺は殺す相手を選んでいた」

「僕だって選んでたよぉ」

「ああ、罪もない少女ばかりをな。俺は違う。度し難い悪党どもを、法が見逃したゴミどもを、おまえみたいなウジ虫どもを始末してたんだ。十人以上もな」

 サバを読んだ。俺が娑婆で殺したのは三人だけ。最初の一人は事故に見せかけて殺したので、殺人だと認識されなかった(自分でも驚くほど上手く偽装できたのだ)。なんだか物足りなくなって犯行声明を出すまでは。今にして思うと、その犯行声明で自分が現職の警官であることを匂わせたのはやりすぎだったかもな。

「ふーん。ヒーローを気取って人殺しをしてたんだ。ある意味、僕よりタチが悪いね。うん、タチが悪い」

「気取ってたんじゃなくて、本当にヒーローだったんだよ。法の視点で見れば俺は犯罪者だったが、世論は支持していた。いや、賞賛していた。仕事人やマグナムフォースを引き合いに出してな」

 パーシーは「なにそれ?」とでも言うように首をかしげた。おいおい。仕事人はしょうがないとしても、『ダーティー(MAGNUM )ハリー2(FORCE)』くらいは知っとけよ。おまえの国の映画だろうが。管理者(未来人だか異星人だか知らないが、とにかくその手の奴らだ)が翻訳に手を抜いた場合に備えて、わざわざ原題で言ってやったのに。

 反撃のための第一手(「1 パーシーの隙を突いて立ち上がり……」)のタイミングを計りながら、俺は言葉を続けた。

「変態野郎のおまえからすれば、ここは不毛の荒野だろう。だが、俺にとっては最高の狩り場だ。全ての住人が悪党なんだからな。娑婆にいた時と違って、悪党を探し出す必要もなければ、そいつが悪党かどうかを確かめる必要もない。目に付いた奴をかったぱしから殺していけばいいんだ! おまえが味わうことができない『おもしろい』思いを俺は嫌ってほど満喫できるんだよ! もしかしたら、ここは俺のために用意された世界かもな!」

「人のことは言えないけどさぁ。君、イカれてるよ――」

「――うん、イカれてる!」

 相手が言うであろう言葉を先取りし、俺は立ち上がった。第一手だ。

 だが、二手目を打つ前に銃声が聞こえた。

 パーシーの銃が火を噴いたわけではない。

 その代わり、奴の額に穿たれた穴が血を吹いた。

 巨体がゆっくりと前のめりに倒れていく。

 それを視界の端で捉えつつ、俺を銃を拾い上げて廊下に飛び出した。

 何が起きたのかは判っている。

 ライフル魔の<ザ・キング>がパーシーを狙撃したのだ。



 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間。

 いや、ひょっとしたら、この世界が生まれてから今日で一週間なのかもしれない。

 パーシーに「ここは俺のために用意された世界だ」なんてことを言った時は本気じゃなかった。ハッタリというか、勢いに任せて言葉を吐き出していただけだ。

 だが、今は違う。確信めいた思いがある。俺がこの世界の主役だという思いが。

 管理者(もう神だとは思わない)がシミュレートしているのは、殺人者たちが殺し合う過程ではなく、俺が殺人者を狩っていく過程なんだ。オリジナルを忠実に再現している擬似人格は俺だけであり、それ以外の奴らには最低限のパラメーターしか与えられていない。

 そう考えるのが自然じゃないか?

 なぜなら、俺には生前の記憶がある。たったの二十四年の短い生涯だったが、それでも膨大なデータだろう。それらの中にはこのシミュレーションに影響を及ぼすとは思えない瑣末なものが山ほど含まれている。交番の洗面所にいつも置いてあった液体石鹸のボトルのデザイン、子供の頃に耳に付いて離れなかったCMソング、非番の時に入り浸っていたパチンコ屋の喧騒、元カノが飼っていた(そして、別れる際に押し付けてきた)不細工なパグのなんともいえない体臭――そんなものまでわざわざ再現しているのは、その記憶の持ち主である俺という存在がこの世界のキーパーソンだからだ。そうに違いない。

 ちょっと妄想が暴走しているような気がしないでもないが、昂揚感を伴った自信を抑えることはできなかった。脳みそがシュワーっと炭酸漬けにされているかのような気分だ。とはいえ、いつまでも浸っているわけにはいかない。行動し、成長しないと、管理者(もう神だとは思わない)がシミュレーションを止めてしまうかもしれないからな。

 次に狙う相手はもう決まっている。

<ザ・キング>だ。

 助けてくれた相手(まあ、向こうは助けたつもりなんてないだろうが)を仕留めるのは心苦しいが、レジェンドを狩ることができる機会を見逃すわけにはいかない。

 俺はビルの裏口から外に出た。おそらく正面の入り口は<ザ・キング>から丸見えだろうから。

<ザ・キング>がいる場所を特定するのはさして難しくない。パーシーが撃たれた時の銃声から判断する限り、すぐ近くにいるだろう(<ザ・キング>が俺の思っている通りのレジェンドなら、長距離からでも難無く撃ち殺せていただろうが)。あのバーの窓を狙える場所も限られている。

 俺は<ザ・キング>の射界に入らないように裏通りを進み、充分に距離を取ってから通りを横断し、向かい側のビル群に入った。こちらが移動している間に<ザ・キング>が狩り場を変えないことを祈りながら。

 目的のビルに到着し、ゴミ収集庫の陰に身を潜めた。

 腕時計を見る。午前九時四二分。いつもと同じように七時に目が覚めたから、もう三時間近くも生き延びたことになる。自己新記録だ。ただし、体感時間のほうはもっと短い。一時間にも満たないだろう。

 ヴァルハラ街での時間の流れは不規則だ。時計の針は正常に動いているように見えるが、こちらが文字盤から目を離している間は張り切りすぎたり、逆に怠けたりしているらしい。おそらく、街の住人の数が減っていくのに合わせて時間は経過するのだと思う。殺し合いの果てに一人だけが残った時点(あるいはその一人が死んだ時点?)で翌日の午前七時を迎えるというわけだ。ということは……もし、午前七時きっかりに住人の半分が自殺したら、時計の針は一気に午後七時にまで進むのだろうか?

 時間に関する思考実験はそこで中断を余儀なくされた。

 待ちかねていた音が聞こえてきたからだ。上方から徐々に近付いてくるパーカッション。ビルの外付けの階段を降りる足音だ。

 階段を覆う格子の向こうに人影が現れ、すぐに消え、階下の格子の向こうに人影が現れ、すぐに消え、更にその下の格子の向こうに人影が現れ、すぐに消え……パーカッションが止まり、その奏者である<ザ・キング>が道路に姿を現した。ボルトアクションのライフルを担いだ男。がっしりとした体格。虚ろな目をしているが(残念ながらCランクだな)、それさえなければ、体育会系の好人物に見えるかもしれない。

 ビルから離れていく<ザ・キング>の背後に俺は立ち、銃を構えた。だが、まだ撃たない。今回は理性も抗議の声をあげなかった。諦めたのだろう。

「よぉ、キング!」

 呼びかけると、<ザ・キング>は立ち止まり、首をひねってこちらを見た。

 俺はニヤリと笑ってみせた。ディーコンにも披露した、不敵かつ挑発的かつ冷酷な笑みだ。ディーコンの時と同様、相手の表情は変わらなかったが(やはりCクラスか)、そんなことはどうでもいい。

「今日は三人のレジェンドに会ったが、その中ではあんたが一番の大物だよ。知ってるか、キング? あんたは映画になってるんだ。テレムービーだけどな」

「……」

「そういえば、その映画であんたを演じた役者はプレスリーの伝記映画でも主役を張ってたよ。もしかしたら、それが<ザ・キング>という異名の由来なのかもしれないな。命名者に会う機会があったら、確かめておこう」

「……」

<ザ・キング>は無言。

 俺も喋るのをやめて、奴をじっと見つめた。

 黙りこんだからといって、静寂が訪れたわけではない。遠くから銃声がまばらに聞こえてくる。この街に慣れてしまうと、その音もどこか牧歌的なものに思えてくるが。

 体感時間で三十秒ほどが過ぎた頃、<ザ・キング>がゆっくりと体の向きを変え、正面から俺と対峙した。

 そして、初めて言葉を発した。

「見ない顔だな。新入りか?」

 ……キングよ、おまえもか。

 まあ、いい。あんたに教えてやろう。この世界の真実ってやつをな。

「ああ、新入りだ。そういう〝設定〟なんだ。あんたは古参のつもりでいるんだろうが、それもただの設定だ。俺たちはどちらも一週間前に生まれたばかりなんだよ。俺はこの世界の主役として。あんたはその他大勢の一人としてな」

「新入りらしい発想だ」

「なんだと?」

「自分が特別な存在だと勘違いしている新入りは少なくない。おまえもそういうタイプのようだな」

<ザ・キング>は声を立てずに笑った。どこかで見たことがある笑み……ああ、そうだ。ディーコンが見せたのと同じ笑みだ。あの時は気付かなかったが、ディーコンのそれは嘲笑ではなかった。憐憫が含まれていた。

 ふざけるなよ。俺が求めているのは、非情で異常な殺人者どもに憎まれ、恐れられることだ。憐れみを受けることじゃない。

 俺は怒りを言葉に変えて吐き出した。ただし、オリジナルの言葉じゃない。エイモスのものを剽窃させてもらった。

「俺を怒らせちまったな、キング。きっと後悔するぞ。何度でも生き返ることができるからといって、死に伴う苦痛が軽減されるわけじゃない。そして、俺はとびっきりの苦痛を与える殺し方を知ってる。百通りくらいな」

「何通り知っていようが、無駄だ。今のおまえに俺は殺せない」

「年功序列のルールってやつか? それが間違いだってことは変態野郎が教えてくれたぜ」

「なにを言ってるのかよく判らないが……とにかく、おまえには無理だ」

「無理かどうかはやってみなくちゃ判らないだろ」

「じゃあ、やってみるがいい」

<ザ・キング>は無造作にライフルを捨て、両腕を広げた。

「さあ、撃ってみろ。なんなら、その警棒で殴りかかってきてもいい。俺は抵抗しない」

「正気かよ?」

 無意味な質問だ。十人以上の命を奪ったライフル魔が正気のわけがない。

 だが、<ザ・キング>はむかつくほど穏やかな声で――

「正気だとも」

 ――そう言って、またあの笑みを見せた。

「いずれ、おまえも知るだろう。この街は、罪人に罰を与えるための場でしかないということを。そして、今が罰の第一段階であることを」

「第一段階?」

「殺すことを楽しんでいるうちは殺せない――それが第一段階だ」

 なんだ、そりゃ? つまり、なにか? 俺が未だに誰も殺せずにいるのは、殺しを楽しもうとしているからか? パーシーがエイモスを殺せたのは、殺しても「おもしろい」思いを味わえないからだったのか?

「じゃあ、あんたは殺しを楽しんでないっていうのか?」

「そうだ」

「楽しくもないのに、なぜ殺し続けてる?」

「それが第二段階なんだよ」

「……」

 いつの間にか高揚感はもう消えていた。自分がこの世界の主役だという思いと一緒に。

 深遠の淵に立ち、それを覗き込んでいるような気分だ。

 ただ、俺がどんなに深遠を覗いても……管理者(もう神でもなんでもいい)という名の深遠は俺に見向きもしないだろう。

「ところで、気付いていないようだが――」

 深遠を覗き込んでいる俺に<ザ・キング>が声をかけてきた。

「――<彼>がおまえの後ろに迫ってるぞ」

 次の瞬間、皮の手袋に包まれた手が俺の口を塞いだ。

 冷たいものが喉の左から右に走り、その冷たさのすぐ後を熱さが追いかけていく。冷たいものが刃物であり、熱いものが痛みだということに気付いた時、全身の力が抜け、視界が歪んだ。

 赤いものが見えた。

 血だ。

 俺の血だ。

 次に見えた色は青。

 空の青。

 いつの間にか俺は地に倒れ、空を見上げていた。もう痛みはない。それ以外の感覚もない。

 暗くなっていく視界の隅に誰かが現われ、俺を見下ろした。

 いや、「誰か」じゃない。

 誰なのかはよく判っている。

 やはり、<彼>もこの街にいたんだ。まあ、いるに決まっているよな。いないわけがないさ。

 レジェンド級のレジェンド――切り裂きジャック。



 死後の世界(あるいは未来人だか異星人だかのシミュレーション)が罪人に罰を与える場だということを知っていたら、俺はもっと違った生き方をしていただろうか?

 いや、違った死に方を。

 そう、俺は自分で人生を終わらせた。娑婆で人を撃ち殺したことはないと言ったが、あれは嘘だ。自分自身を撃ち殺した。同僚の前でなにくわぬ顔をして銃を取り出し、銃身をくわえ、引き金をひいた。

 罪の意識に耐えられなかったわけじゃない。そもそも、罪なんて犯しちゃいない。ミスを犯しただけだ。それは単純なミスだったが、取り返しのつかないミスでもあった。

 娑婆で三人殺したというのも嘘だ。あれは悪人だけをカウントした場合の話。四人目で俺はしくじった。闇サイトで仕入れた情報の真偽をろくに確かめもせずに、罪の無い者(善人ではなかったかもしれないが、少なくとも死に値する罪は犯していない者)の命を奪ってしまった。

 たった一度のミスを犯した断罪者――それが俺だ。しかし、管理者(やっぱり神なのかもな)から見れば、他のイカれた殺人者どもと同じらしい。



 ……いや、待てよ。

 本当にそうなのか?

<ザ・キング>の言葉を真に受けていいのか?

 エイモスが自慢げに語っていたルールは間違っていたじゃないか。だったら、<ザ・キング>のルールだって間違っているかもしれない。

 いや、「かもしれない」じゃない。絶対に間違っている。

 なにが罰の第一段階だ。そんなものはクソくらえ。

 このヴァルハラ街に罰があるとすれば、それは俺だ。

 娑婆でそうだったように、俺はここでも断罪者として生きていく。娑婆にいた時と違うのは、絶対にミスを犯さないという点だ。

 待ってろよ、ウジ虫ども。



 俺が最初の死を迎えてから今日で一週間と一日。

 この街で死んだ回数、七回。

 この街で殺した回数、ゼロ。

 今日こそは()る。

 絶対に()ってやる。

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