忘れられた物語
あなたは、魔女と呼ばれた彼女の物語を知っているだろうか。
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昔々。気の遠くなるほど昔。
山深い小さな村に、一人の少女が暮らしておりました。
少女には両親がおりませんでしたが、生まれた時から子供のドラゴンが一緒にいたので、寂しいと感じる事はほとんどありませんでした。
少女は村人たちに暖かく見守られながら、まっすぐに育ちました。
そして時が立ち、大人になった彼女は一人の青年と恋に落ちます。
二人と一匹は山のふもとに家を建てると、静かに暮らし始めました。
けれど、そんな穏やかな暮らしは長く続きませんでした。
ある日の事です。山へ出かけていた青年が、あやまって崖から転落し、大きな怪我をしてしまったのです。
今にも死んでしまいそうな青年を見て、彼女は深く悲しみました。そして悩んだ末。
彼女は誰にも言った事の無い、大きな秘密の一つを使う事にしたのです。
それは普通の人には使えないはずの、魔法と呼ばれるものでした。 彼女のおかげで青年の傷は癒えて、二人と 一匹の穏やかな生活が戻って来ました。
元通りの生活を取り戻してから数日後。
水を汲みに外へ出た彼女のもとへ、たくさんの村人たちがやってきました。
戸惑う彼女に村人たちは言います。
「あなたの奇跡の力で、家族の病や傷を治し て欲しい」と。
彼女は驚きました。どうして力の事を村人が知っているのでしょうか。
その理由はすぐに分かりました。
彼女が力を使うところを、偶然通りかかっ た村人が見ていたのです。村人たちは彼女に祈るように頼みました。
けれど彼女には村人の願いを叶えてあげる事ができないのです。
なぜなら彼女の魔法は、自分の命を削らな くては使う事ができなかったからです。そして彼女には、これ以上命を削ってはいけない大きな理由がありました。
ずっと村人に秘密にしていた本当の事。
それは、魔法が使える事ではなく。
彼女の中に、人々を滅ぼそうとした闇が封じられている事でした。
彼女の一族は子から子へ、代々闇を封じてきたのです。
彼女が今死んでしまえば、闇は解き放たれてしまいます。けれど村人に本当の事を言う訳にはいきません。知ればきっと、不安にかられてしまうでしょう。
彼女は命を削らなくては使えない事だけを言って、村人たちの願いをことわりました。
「嘘だ」
と、誰かが言いました。
「彼女は今も元気で、命が削られているようには見えない。きっと嘘をついて、その力で自分達だけ幸せになろうとしているんだ」
と、また誰かが言います。
まるで病に冒されていくように、暗い感情が村人たちに広がっていくようでした。彼女は否定しますが、暗い感情に支配されてしまった村人たちには届きません。
村人の男が彼女の手を乱暴に掴みました。
その時です。 山へ行っていた青年が帰ってきて、村人と彼女の間に立ちました。
「いったい何をしているんだ」
青年が怒りの声を上げます。けれどそれに負けない声で、彼女の手を掴んだ男が叫びました。
「お前は彼女に助けてもらったからいい。だけど、他にも苦しんでいる人がいるのに、あいつは嘘をつくんだ」
男は、近くにあった鍬を掴んで振り上げました。そして、青年の胸に振り下ろしたのです。
彼女は気づいていなかったのです。
青年を助けた事で、闇の封印が弱まってしまっていた事を。
その闇が、村人の暗い感情を大きくしてい た事を。
青年はたくさんの血を流して倒れました。
彼女は哀しみと怒りのあまり、悲鳴を上げました。同時に彼女からまばゆい光が放たれて村人へ向かって行きます。
気がついたときには、辺りは血の海となっていました。
「魔女だ」
と、生き残った村人が言いました。そして逃げるように村へ帰って行きました。
残された彼女は倒れた青年の元へ膝をついて、犯してしまった罪と青年を失ってしまった哀しみに、あやまり続けました。
どのくらいそうしていたでしょうか。
「逃げるんだ」
死んだとばかり思っていた青年から声が聞こえて、彼女は驚きました。そしてすぐ、魔法で傷を治そうとします。 けれど青年は、そんな彼女を止めました。
「ここでまた力を使って、命を縮めてはいけないよ。僕の事はいいから、村の人たちがまたやってくる前に逃げるんだ」
青年をおいてなど行けません。彼女は青年と一緒にいたいと言いました。
「こんな傷、すぐに治るさ。治ったら絶対に迎えに行くよ」
それでも彼女は青年の側を離れたくありませんでした。けれど、生まれてからずっと一緒にいるドラゴンに裾を引かれて、彼女は心を決めました。
ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、彼女は山へ行ったのです。
生き残った村人は村に帰ると、彼女の家で起きた事を人々に言いました。
そして、魔女狩りを始めたのです。
彼女はドラゴンと一緒に、山の中を逃げ続けました。けれど山に不慣れな彼女にとって、山の中を歩く事は容易い事ではありません。
徐々に村人が彼女に近づいてきます。
逃げ続けた彼女がたどり着いたのは、今にも崩れ落ちそうな遺跡でした。
そこに身を隠しながら、彼女は考えます。 このままでは村人に追いつかれ、殺されてしまうでしょう。
そうすれば闇が解き放たれてしまうし、なにより青年の思いを無駄にしてしまいます。
考えた末。
彼女は自分自身を封印するという、大きな決断をしたのです。
彼女を探して山へ入っていた村人たちは、 山の頂上から光が天空に向かうのを見ました。
その光はどんどん大きくなり、ついには山全体を囲んでしまいました。
光がおさまるといつの間にか村人たちは山のふもとにいて、二度とその山に入る事が出来なくなっていたのです。
その後どこからやってきたのか、大きなドラゴンが山に住み着きました。
そして、山へ近づく者を襲うようになったのです。
人々はドラゴンが住み着き、魔女の眠る山を、魔の山と呼び恐れるようになりました。
どのくらいの月日が経った事でしょう。
いつしか魔女は忘れ去られ。
人々から魔王と呼ばれるようになったのです。
こうして魔女と呼ばれた彼女は、深い深い眠りにつきました。
いつか、青年が迎えに来る日を夢見て。
いつか、その身に封じられた闇を倒せる者が現れる日を、待っているのです。
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あなたは、魔女と呼ばれた彼女の物語を覚えているだろうか。
例え世界が彼女の物語を忘れても、あなたにだけは覚えていて欲しい。
わたしとあなたが愛した、彼女の物語なのだから。
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ドラゴンに守られた魔の山で、魔王は眠る。
遠い遠い未来。
物語の続きが紡がれる、その時まで。
『魔女と呼ばれた魔王の、忘れられた物語』
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