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05

 当初は一緒に文化祭を楽しむつもりだったので、俺と瑛美は店番が同じになるようにシフトを組んでもらっていた。けれど自由時間は一人で行動しなければならなくなったので、俺はとても暇を持て余している。

 瑛美を勇一に預けてから、二十分。そろそろ話が始まっている頃だろうか。俺は適当に教室展示を見て回りながら、そんなことを考えていた。

 やはり、一人で歩いていても面白い出し物なんて何一つ見つからない。仕方がないから俺はまた外に戻って、何か適当な食べ物を見繕うことにした。

 午前中、クラスの屋台で売り子をしながら見回してみた感じでは、定番の焼きそばやお好み焼きが人気のようだった。主食にならないようなものではたこ焼きやフランクフルトを売っている屋台もあったというのに、どちらもじゃがバターに敵う売れ行きではなさそうで、おかげでウチは大忙しだった。

 長いことじゃがいもを蒸かしていた所為で食欲はあまりないのだが、デザートみたいなものなら食べられそうなので、ネタが被ってしまった不遇なクレープ屋(全部で四軒もある)の味を食べ比べてみることにする。

 そうして二つのクレープを両手に持ったところで、初めて自分が一人で居ることに違和感を持った。こうした瞬間に「ちょっと持っていて」と頼める相手がいないことは、俺にとってはかなり珍しいことだったりする。

 昔からずっと三人で遊んできたし、高校に入ってからも、どこかに行くときは決まって勇一が隣にいた。

 エクサと二人のときもあったか、とついでのように思い出しておきながら、思い浮かべた相手の髪の色は、晴天のような青色ではなく、明るく澄んだ灰色だった。

 どうやら俺の中で、瑛美の存在はすくなくともエクサよりは上をいっているらしい。まぁ、死なせてしまったことをこそ後悔しているものの、最初から離れ離れになることが前提だった相手だ、深い関係になるつもりなんて最初からなかった。彼女が俺の心の重要な部分を独占していることは間違いないのだが、それは色恋とは別のところである。あんなところで死なれていなければ、今さら思い出しもしなかったはずの相手だ。

 クレープに噛りついた口が自分で思っているより大きくなっていたことに気がついて、慌てて平常心を取り戻す。些細なことだが、無自覚のまま行動が荒っぽくなってしまうというのは、俺にとっては非常に問題がある。

 よく聞く「ついカッとなってやった」というような事態が、本当に洒落にならないのだ。ただの八つ当たりで校舎が倒壊しかねないし。勿論、そんな事態は俺自身だって御免である。

 甘味を食べ続けることで苛立ちを抑えていたら、校舎の中から勇一が出てくる姿が目にとまった。瑛美や美貴を連れている様子がなかったので、声をかけてみることにする。


「よっ、勇一。お前こんなところで何やってるんだ?」

「お、なんだ力也か。いやそれがな、美貴の奴が、支倉の持ってきたじゃがバターを妙に気に入っちまってよ。おかわりを買いに行ってやってる最中なんだ」

「……そうか」


 きっと干されたんだろうな。

 というかコイツはいつも、自分がパシリにされているという自覚はないのだろうか。俺たちが頼んだことは大抵素直にやってくれるから、こっちも罪悪感を抱きにくくて困るんだよな。


「それで、他にも何か頼まれなかったか?」

「お? なんだよ手伝ってくれるのか? だけどそれには及ばないぜ、なんてったってじゃがバターだけだかんな」

「そうか」


 やはり、物がじゃがバターだというところに作意を感じる。人気があるから並ばないと買えないし、俺と遭遇する確率も高い。厄介払いをされたと見て間違いないだろう。

「……エクサの話は終わったのか?」

「だいたいな。今じゃあの二人、お前の昔話で盛り上がってるぜ」


 ありゃ本気でお前に惚れてんな、と茶化してくる勇一には悪いが、二人は今、そんな浮ついた話はしていないだろう。お前が魔王を殺したときの、俺が感じた絶望について話しているに違いない。


「でもよー、お前いったい、エイミィに向こうの話をしてどうするつもりなんだ? まだ付き合ってるわけでもないのに、ちょっと無防備すぎやしないか?」


 いつの間にか呼び方が支倉からエイミィに変わっている。馴れ馴れしいというか、今日だけでそれなりに仲良くなれたらしい。


「それだけ俺も本気だってことだよ。……今、ちょっと一人で文化祭を回ってみてたんだが。やっぱり隣に好きな人がいないのは寂しいな、と再認識してたところだ」

「それはいい! よし、じゃあ早速ダブルデートといこうぜ」

「はぁ?」


 なんでせっかくの文化祭を二人で回ろうとしないんだコイツは……と、一瞬疑問に思ったが、よく考えるといきなり俺と二人きりになるのは瑛美にとって酷かもしれない。


「お前の妙案は、どうしていつも突飛なくせに適確なんだろうな」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、なんでもない」


 しかし確かに言われてみると、最近の俺は自分のことしか考えてなかったかもしれない。

 勇一の言動はいつも俺を冷静にさせてくれる。今もまた助けられてしまったようだ。


「よし、決めた。ちょっと仕上げをしてくる。三人で話したいことがあるから、お前はここで待っててくれ」

「は? いや、ちょっと待ってく――」

「……エクスプレス」


 説明するのが面倒になったので、俺は勇一の額に指を突きつけてチカラを使った。


「ぬおおぉぉぅ!? なんじゃこりゃ! 急に体が重てぇぞっ」


 勇一や美貴は、俺の能力がこんな使い方もできるということを知らない。勇一は二本足だけでは自分の身体を支えきれず、右手も地につけて必死に踏ん張っていた。


「悪いな、しばらくそこでそうしててくれ」


 それほど強力にはしなかったはずだから、しばらくすれば歩くくらいのことはできるようになるだろう。


「いや、さすがにこれはちょっと酷くねぇ!?」

「そう思うなら追って来い。顔パン一発くらいなら覚悟しといてやる」


 仔鹿のように手足をプルプルさせている親友を一瞥してから、俺は制服のポケットに両手を突っ込み、背中を向けて歩きだした。

 あの様子では、いくら勇一に根性があったところで、階段を上りきるのは無理だろう。

 やっぱり俺は、悪役の方が性に合っているのかもしれない。






 屋上に出る前から、なんとなく嫌な予感はしていた。それでも平然と、何気ないふりをして顔を出せば誤魔化せると踏んでいたのだが、どうやら俺の読みは甘かったようだ。


「それでエイミィは、力也のどこを好きになったの?」

「え……えぇえ!?」


 こんな話をされていては、まったく出るに出られないじゃないか。

 俺は屋上に出る扉のすぐ横で、壁に背を付けて聞き耳を立てることしかできなかった。


「その……私、前に住んでた家の隣が、おっきい犬を飼っててね」

「うん」


 ともすれば全然関係がないと思われることを、しかし、瑛美はとても恥ずかしそうに話し始めた。


「私も仲良くさせてもらってたんだけど、やっぱり自分の家の人じゃないからかな、あんまり素直に甘えてくれはしなくってさ」

「その犬が?」

「うん。それで、本当は甘えたり遊んだりしたかったときのその仔と、同じような目をして私のことを見てたんだ」

「目……?」


 ちょっと待て、瑛美の中で俺は犬と同レベルなのか。「仲良くしたい」って言ってくれたのもまさか、そのまんまの意味だったりはしないよな?

 ちょっと不安になってきちゃったじゃないか。


「休み時間とかにね、ふと気がつくとそんな目で私を見てるの。それが毎日続いてて。だけど絶対に自分から声をかけようとはしてこないから、思い切って私の方から話しかけてみて。そしたらこう……コロッ、っと」


 よかった。ちゃんと瑛美も俺に恋をしてくれているらしい。危ない危ない、友達としての「好き」で勘違いしてしまうことほど、男にとって恥ずかしいことはないからな。


「それだけで力也を好きになれる人、ってのも珍しいわね。アイツ、結構冷たいじゃない?」


 放っとけ。


「冷たい……のかな?」


 お?

「お?」


 俺と美貴の反応が重なった。


「冷たい、って言われるとその通りなのかもしれないけど……。でもなんていうか、相手のためにわざと突き放してる……みたいな? そんな感じがしないかなぁ?」

「あら、ちゃんと解ってたのね」


 ますます居心地が悪くなってきた。裏に隠している善意を知られてしまったら、わざわざ悪ぶる意味がなくなる。これも相当に恥ずかしい。


「よかった、貴女がアイツの良さを解ってくれてる人で。その優しさもわからないのに付き合おうとしてるをだったら、私はそれを許せないとこだったわ」


 言葉の後に、美貴が偉そうに溜息を吐く音が聞こえてきた。後腐れなく出ていくタイミングがあるとしたら、今しかないだろう。

 俺は二人に気付かれないように屋上に出ると、精一杯屈伸して小さく「エクスジェット」と呟き、何メートルもの大ジャンプをして美貴の背後に降り立った。


「なんだその、『俺と付き合うためには美貴の許可が要る』みたいな発言は?」


 努めて低い声で凄んでみせながら、美貴の頭を鷲掴みにして指先で締めつける。


「いだだだだだだっ! ……パワースクエア!」


 しかしその数秒後には手首を掴み返され、増幅した腕力で無理やり引き剥がされてしまった。まぁ、こちらも最初から単純な身体能力で〝スクエア〟相手に勝てるとは思っていない。


「あー痛かった……。まったく、ちょっとご挨拶が過ぎるんじゃない、エックス?」

「五月蝿い黙れ。親でもない奴にあんなことを言われて黙っていられるか。それより、ちゃんとあの豚の話もしたんだろうな?」

「終わらしてるわよ、ちゃんと。そろそろ勇一も戻ってくる頃だと思ってたし、そんな迂闊な真似、私がするわけないじゃない」

「ならよし」


 立ち聞きしてたことも上手く誤魔化せたかな、うん。

 どんな顔をしているのかと思って瑛美の方を見てみると、どうやら今日聞かされた話についてよりも、俺たち二人の今のやり取りの方に驚いているようだった。

 ついでに、机の上に折れ曲がった五百円玉があることに気がついた。


「なんだこれは?」

「ああそれ? ただ話をするだけじゃ信じてもらえないかと思って、目の前でスクエアをやってみせたのよ」


 つまり、さっきと同じように身体強化を使って、指先の力で折り曲げて見せたのか。勿体ないことをする。


「塚本くんのお金だったんだけどね……」

「そりゃ酷い」

「あはは……。だって私、百円や十円しか持ってなかったんだもの」


 小さすぎると折り曲げにくいらしい。だからって人のお金を曲げなくてもいいだろうに。

 いくら俺の〝エックス〟が万能だとは言っても、流石に『く』の字に曲がった硬貨を元に戻せる自信はない。


「それより、アンタも何か見せてあげたら?」

「エクスファイアとかをか?」


 そう言いながら、俺は右手の指先に炎を灯して見せた。第三者に見られると問題かもしれないが、この屋上に他に誰も居ないことは確認済みだ。


「わぁ……すごい、手品みたい」

「そんな種や仕掛けがあるものと一緒にしないでくれ」


 そう言って俺が炎を消した瞬間、


「力也ぁー!」


 という絶叫が、背後から聞こえてきた。

 まさかと思って振り向くと、汗だくで跪いている勇一がそこに居た。


「お前、よく階段なんて登れたな!」


 しかもその傍らには、じゃがバターと思しきビニール袋まで置かれている。まったく呆れるくらいに律儀な奴だ。


「ちょっと待ってろ、すぐ解除してやるから!」


 急いで勇一の元へ駆け寄って、さっき自分でかけた〝プレス〟の魔法を解除してやる。


「力也……約束は約束だからな」

「は?」

「歯ぁ食いしばれ!」


 油断していた俺の顔面に、勇一の拳が叩き込まれた。そういえばそんな約束もしていた気がする。いくら相手が勇一とはいえ満身創痍の男のパンチだ、それほど痛くはなかったが、無様にも俺は尻餅をついてしまった。

 しかし勇一は俺以上に無様に、右拳を突き出した体勢のまま前のめりに倒れていた。

 俺は無言のまま立ち上がると、席に戻って空いている紙コップを手に取った。


「あいつが使っていのはこれか?」

「うん、そうだけど……」


 突然のことに唖然としている女子二人のことは気にせずに、「実演その二。エクスウォーター」と言ってみせつつ、回復効果のある水を注いだ。そして、仰向けになって休んでいる勇一に持たせてやる。


「あ、ずるい! なんで力也を殴った勇一がおかわりを貰えるのよ!」


 だったら私も殴る、という無茶苦茶な理論を振りかざしながら、美貴が席を立って憤慨していた。さっき頭を鷲掴みにされたイライラが残っているのかもしれない。

 俺はしばらく考えて、腕試しをすることにした。


「ならお前も俺を殴ってみるか? 一発入れられればエクスウォーターを一杯やろう」


 俺が言い終わるか言い終わらないかというギリギリのタイミングで、美貴が「スピードスクエア!」と叫びながら突っ込んできた。

 魔物との戦いを日常にしていた彼女に、騎士道精神という概念はない。不意打ちだろうが奇襲だろうが、殺される前に殺せた者が生き残る。その判断の早さこそが、そこらの武道家と本物の戦士を分ける境界線だ。

 そして当然、その奇襲を回避してこその〝本物〟でもある。

 通常、速度を倍化させた美貴の攻撃をかわすのは不可能に近いが、事前に予想できていた俺には、それほど難しいことではなかった。


「俺は強い」


 勢い余って俺の脇を通り過ぎていった美貴の首を、また後ろから鷲掴みにして捕まえる。すると同時に、美貴の身体が強張るのが判った。


「何よ今の動きは……」


 美貴が、振り向かないまま俺に尋ねる。俺は無視して話を続けた。


「今まで実力を隠してたが、俺はお前ら二人を雑魚呼ばわりできる程度には、強い。それこそ、数十の魔物の群れを数秒で虐殺できるくらいにな」


 勇一が立ち上がって俺を警戒し、美貴は首を掴まれたまま微動だにしない。下手に動けば命を取られると、本能が理解しているのだろう。

 美貴なら悪あがきをする愚は犯さないと信頼しているからこそ、俺の殺意は本物だった。勇一もきっとそれは理解していて、だから離れたところであわあわ言っている瑛美だけが、すこしだけ可哀想だった。


「で? そのお強いエックス様は、スクエアの命を握ってどうしようっていうんだ?」


 勇一が――いや、勇者シグマが俺に吠える。


「べつに。俺は強さの証明がしたかっただけだ。ただ、それが殴り合いにすらならなかったのは予想外だが。お前ら、こんなに弱かったか?」

「てめぇ!」


 俺は勇一の怒号を聞き流しながら、美貴を掴む腕の力と殺気を緩めた。

 それは、合図のようなものだ。


「フルスクエア!」


 美貴は俺の期待通りに、全力を振り絞ってこちらを向いた。その回転力だけで俺の右腕が振り解かれるほどに、彼女の力は圧倒的だ。


「エクスブレイク」


 だがその瞬間には、その腹部に俺の左掌が叩き込まれている。

 対象の戦闘能力を奪う魔法をかけた。彼女にはもう、小学生と喧嘩する力も残っていないだろう。俺の目の前で両膝をついて、倒れないように身体を支えるのがやっとだった。


「見ての通り、美貴が本気を出したところで話にもならない」


 半歩踏み出した体勢のまま様子を窺っている勇一を片手で制しつつ、俺は美貴の身体を支えながら告げる。


「つまり何が言いたいかって言うと、さ。俺が初めから本気を出していれば、エクサは死なずに済んだんだよな」


 それは向こうの世界での、俺の最大の後悔だった。

 俺が緊迫した空気を解いて美貴の身柄を勇一に預けると、もう危険はないと理解したのか、瑛美はしっかりと話を聞ける距離まで近づいてきた。俺はそれを視界の端に留めつつ、話を続ける。


「向こうの世界を救うのは、爺さんの孫である勇一がやるべきだったとか、人間と精霊が手を取り合える環境を残していきたかったとか、そういう余分なことを考えずに、最初から俺一人で魔物を倒していっていたら、エクサが殺されることはなかったんだ」


 俺のチカラは本当に強大で、どんな魔物が相手でも一方的に虐殺することができた。けれど、ある遺跡の攻略に時間をかけている最中に、エクサを残してきた砦が魔物の奇襲を受けて崩落した。


「力及ばず、守りたかったのに守れなかったわけじゃない。俺は、守ってやれるだけの力があったのに、自分の都合でそれをしなかったんだ。豚と話して肉が食えなくなった? ……馬鹿な。その程度よりも、エクサを〝死なせた〟ことの方が、よほど辛い」


 同居していたことで多少の愛着は湧いた相手だったが、そうでなくとも、親友の伯母に当たる女性だったのだ。心に傷を負わないはずがない。


「……俺は酷い人間だ」


 懺悔するような気分で、一度大きく息を吸った。


「エクサが死んだ原因が俺にあるとはいえ、俺は魔王を恨めなかった。エクサを殺した魔物たちの、その命令を与えた主を目の前にしても、まったく殺意が湧いてこなかった。それどころか俺は――」


 その魔王にこそ、同情したんだ。

 あの豚を殺した勇一の手前、最後まで言葉を紡ぐことはできなかったが、美貴と瑛美には俺の本心が伝わったはずだ。

 こんな人間が、はたして他にいるだろうか?

 親しいひとを殺されても、その相手を恨むこともなく憐れんでいる。それどころか俺は、あの豚を殺した勇一のことをこそ、未だに許せないままでいる。

 結局俺にとって、親愛の情とはその程度のものなのだ。

 エクサを殺されても復讐心は芽生えず、だというのに親友のことは平気で恨むことができる。そんな人間に、恋人を持つ資格なんかない。

 そう思っていたから、俺は瑛美との距離を詰めることを避けていた。


「だけど、それは力也が優しいからだよ」


 知らず知らずのうちに下がっていた目線を上げる。三人の顔を見回すと、全員の視線が瑛美に集まっていた。


「……逆じゃないのか?」


 恐る恐るといった感じで反論すると、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「ううん、力也はただ優しいだけなんだよ。ただちょっと、博愛精神とか動物愛護精神とかが行き過ぎちゃってるだけで、全然酷い人なんかじゃないよ、絶対に」


 その言葉はまるで淀みなく、そして力強い。根拠なんてないはずなのに、何故か瑛美は自信満々だった。


「だってそうじゃなかったら、豚肉だって食べられるはずだもの」


 それは、そうかもしれないが。


「でも俺は――!」


 咄嗟に勇一のことを睨んでしまった。慌てて誤魔化そうとして、俺は険を取った表情を取り繕う。

 勇一は「え、俺?」と自分を指差して戸惑っていたが、すぐに肩を抱いたままの美貴に「あんたはちょっと黙ってなさい」とたしなめられていた。本当にいいコンビだと思う。


「多分力也は、塚本君がその、魔王? ……を殺しちゃったこと自体は、まったく恨んでないんじゃないかな?」

「え? 俺力也に恨まれてたの?」


 忠告を聞かずに口を挟んだ勇一は、美貴に張り倒されていた。

 瑛美はそんな二人に苦笑いを浮かべておきつつも、言葉を止めようとする様子はない。


「力也はきっと、その魔王さんのことも許してあげたかったんだよ」


 俺の心臓が一度、ドクン、と大きな衝撃を受けた。


「だからそのひとの不平不満を全部聞いて、その上できちんと決着をつけたかったんじゃないのかな」


 あの日、あの時の情景が脳裏に浮かぶ。


『お前は何も悪くない』


 俺はアイツに、そう声をかけてやりたかったのか?

 人間に対する家畜の慟哭を、せめて、全部受け止めてやってから死なせてやりたかったのか?

 よくわからない。

 いや、本当はすべて解っている。ただ、最近出会ったばかりの瑛美に言い当てられて、ちょっと悔しく感じているだけだ。

 美貴でさえ、俺のことをそこまで肯定してくれたことはなかったのに。


「……なーんて。ダメだね」


 突然瑛美がそう言って、チラリと舌を見せてはにかむ。


「私ってばさっきからずっと、全部自分に都合のいいように、力也のことを美化しちゃってる。恋は盲目って言うけど、これは酷いね。反省しよっ」


 そう言って照れていた。


「いや……でも、その通りだ」


 そのまま自己完結されてたまるものか。

 俺は必死になって言葉を探した。


「大丈夫、全部当たってるから。……そこまで俺のことを解ってくれて、ありがとう、瑛美」

「う……ど、どういたしまして」


 瑛美が面食らってたじろいでいる。

 でも、これだけじゃ駄目だ。まだ足りない。

 俺の気持ちは、この喜びは、きっと十分の一も伝わっていない。


「お前となら……安心して付き合っていけそうだ」


 勇一と美貴が息を呑んだ。

 照れる瑛美の顔は真っ赤に染まっていた。

 告白しよう。

 異世界で受けた絶望を、この世界にまで引き摺るべきじゃない。一年過ごして、ようやく今、それが解った。

 いや……瑛美がそれを教えてくれたからこそ、俺は、この一歩を踏み出せるのだと思う。

 俺はゆっくりと歩いて、瑛美の前で立ち止まった。そしてこれまたゆっくりと、芝居がかった動作で右手を差し出す。


「好きだ」


 本気になっても、もう上から目線の命令はしない。でも、「なってくれ」とも頼まない。


「恋人になろう、瑛美」


 ただそう言って、彼女を誘う。


「はい……喜んで」


 差し伸ばした俺の手に、瑛美がそっと自分の手を載せた。

 このままキスでもしたい雰囲気だったが、観客が二人も居るのでぐっと堪え、でも堪えきれなくなって抱きしめた。


「ちょ……恥ずかしいよ」


 無視する。


「いいなぁ……」


 羨むような美貴の声。これも無視する。


「なんかアレ、告白っつーよりむしろプロポーズじゃね?」


 これも無視……したかったのだが、瑛美に突き飛ばされて身体が離れてしまった。照れなくてもいいのに。


「よし……それじゃ、まだ文化祭も終わってないし、早速ダブルデートへと洒落込みますか」

「だな」


 場の空気を変える勇一の一声に、全員が乗っかった。

 俺はもう一度、瑛美に手の平を差し出した。今度は左手。

 そこに、彼女の右手が絡まった。


 俺はこの世界で、いったいどう生きていけばいいのだろう?


 その問いの答えは、正直に言うとまだ、見つかったとは言い難い。

 それでも、この手を掴む温もりがあれば、人間に絶望せずに生きていけるんじゃないかと、そう思った。

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