04
十月に入ると、学校は文化祭の準備で忙しくなった。勇一のように他校に恋人がいる生徒が一番張り切っていて、この準備期間の間に意中のクラスメイトと親しくなろうとしている者もまた、同じ様に浮かれていた。
その中で俺は、どうにもその熱気に浮かされることができないでいた。
瑛美のことが好きだという気持ちに確信はあるのだが、〝だからどうしたい〟という欲求が特に湧いてこないのだ。エクサのことがあったから、女の子に対して素直な気持ちを持てなくなってしまっているのかもしれない。
そんな俺の心境を知らない瑛美は、なんだかヤキモキしているようだった。何かと俺に話しかけてくるのだが、俺が普通に対応していると、次第に不満そうな顔になって席に帰っていく。
「どうして力也は、私と仲よくなりたがってた癖に、私と距離を取りたがるの?」
瑛美がそう糾弾してきたのは、文化祭を間近に控えたある日のことだった。俺たちのクラスは屋台でじゃがバターを売ることになっていて、近所のスーパーに仕入れの予約をしてあるので、二人で念押しの確認に伺った帰りのことだった。
「どうしても何も、俺は初めからそんな態度だっただろう。俺が『瑛美』って呼ぶようになったときのこと、忘れたのか?」
「覚えてるよ。だから私も、力也のこと名前で呼ぶようになったんだもん。力也は変なところで私と距離を置こうとしてるみたいだけど、まったく別のところで私の中に踏み込んでくるよね。それがすっごく気に入らない。力也はいったいどうなりたいの? そこをはっきりしてほしいよ」
俺が瑛美の中に入っていってるんじゃなくて、お前が俺を招き入れてるんだよ。恋をしているのはお前の方だという指摘は、喉まで出かかったが言えなかった。
「前に言ったよな、瑛美は昔の知り合いに似てるって。俺がその人のことをどう思ってるのかとか、考えたことはなかったのか?」
他に誤魔化す方法が思い浮かばなかったので、本当のことを教えるしかなくなった。
「……もしかして、好きだった?」
「だとしたら、俺が瑛美にどんな態度を取ってしまうのか、容易に想像できるよな?」
「……仲良くしたいけど、近づき過ぎたくないってトコ?」
「ちゃんとわかってるじゃないか」
瑛美の頭に手を載せて軽く褒めてやったら、彼女はかぶりを振ってそれを拒絶した。
「そんなの全然嬉しくない」
「そんなのってどっちだ? 俺に頭を触られたことか、それとも――」
「私はもっと、力也と仲良くしてみたい」
……困った。どう切り返したらいいのかわからない。
そもそも俺は、自分がどうしたいのかもわかっていないのだ。だからこの場で答えを返してやることもできそうにない。
「なら……お前が入ってこい」
「え?」
だけど……決意や覚悟なら、してやれる。
「俺がお前の中に、じゃなくて、お前が俺の中に踏み込んでこい。だけどどうやら、直接ぶつかってこられても俺は逃げる一方みたいだからな。俺の幼馴染から、話を聞いてみるといい。隣のクラスの塚本勇一って奴、覚えてるか? お前にその気があるのなら、俺から話を通しておくが」
俺が突然妙なことを言い出したので、瑛美はきょとんとしてしまった。それでも俺が言ったことは理解できているらしく、すぐに挑戦的な視線を返してくる。
「……塚本勇一って、あの目立つ人?」
「ああ、そのバカで間違いない」
転入生なのにもう隣のクラスの人まで知っている瑛美がすごいのか、それとも勇一がすごいのか。
きっと初日の無礼ぶりが印象的だったのだろう。
「力也自身からは、話してくれないの?」
「それじゃ面白みに欠けるからな。それに、インパクトや信憑性もない。自分の口からあの話をすると頭のおかしな人に思われるだけだしな。やっぱり、美貴か勇一か――とにかく他の人から聞いた方がいいだろう」
「……みき?」
俺が下の名前で呼んだ女性のことが気になるのか、瑛美が怪訝な顔をした。
「ああ、俺のもう一人の幼馴染で、勇一の彼女をやってる人だよ。文化祭には当然来るだろうし、せっかくだから話をしてみるか? 得られるものは多いと思うぞ」
「でも、文化祭に来るってことは、その二人ってデートなんでしょ? お邪魔するのは悪いんじゃないの?」
「まさか。普通に考えたらそうなのかもしれないが、俺たちの場合はちょっと事情が違う。そんなものよりも大事なものがあるって、俺たちはちゃんと解っているからな。むしろ喜んで乗ってくるだろう」
「なんか力也、さっきからちょっと偉そうだね……」
しまった、つい地が出てきてしまっていたか。
異世界で生活しているうちに、美貴から「冷たくなった」と言われるようになってしまったので気をつけるようにはしているのだが、真剣になると若干、上から目線になってしまう。
だが。
「二人に話を聞いた後なら、俺がそういう性格になってしまった原因も、思い出の中のあのヒトのことも、俺の口から話してやるよ」
今は敢えてそんな態度をとり続けたままで、ミステリアスを演じようと思う。これでもし瑛美が食いついてこなかったなら、俺のこの恋はもう終わりでいい。
「わかった。じゃあ塚本くんには、私からちゃんと頼んでみる」
どうやら俺にアポを取っておいてもらうつもりはないらしい。そんな勝気なところは嫌いじゃないが、きっと勇一は、瑛美に話しかけられただけでは俺の意図までを汲み取ってはくれないだろう。美貴にメールしておく必要がありそうだ。
「いいだろう。存分に、根掘り葉掘り聞いてこい」
だが、俺はそんな考えはおくびにも出さずに、敢えて偉そうな態度を維持していた。
我が強い性格をしているくせに、俺は誰かの手助けをすることが嫌いではない。人間に絶望さえしていなかったら、教師になるという選択もあったかもしれないほどだ。
俺たちの関係は微妙な空気のまま、文化祭当日の朝を迎えた。
私、相田美貴は、生まれてから十五年以上の歳月のほとんどを、塚本勇一、菖蒲力也の二人と一緒に過ごしてきた。勇一と私は家が隣同士で、力也も勇一の家の向かいに住んでいるということもあって、本当に家族ぐるみで仲がいい。私が勇一と付き合うことになったことも、すぐにバレるだろうから自分から両親に報告したくらいだ。
その時はどこの家の両親も(勇一の両親でさえ)私の相手が力也じゃなかったことに首を傾げたみたいだけど、そういう成り行きになってしまったのだからしょうがない。
一緒に異世界に迷い込んだ仲間だというのに、再会した当初、力也は私たちとの共闘を拒んだ。異世界での立場に縛られて、私たちと一緒に冒険してはくれなかった。
だからその間、ずっと一緒にいてくれた勇一と〝そういう仲〟になってしまったことは、本当にどうしようもないことだったのだ。
それに加えて、力也は向こうの世界に渡って以来、妙に冷たくなってしまった。
無慈悲に、ただただ効率的に、けれどどこか楽しそうに、まるでゲームでもしているかのように魔物と戦っている力也を見て、恐ろしいとまで感じてしまったことが何度かある。
それが彼なりの優しさだと理解できたのは、こちらの世界に帰ってきてからだった。彼が向こうの世界で最後に負った心の傷は、本当に同情に値する。
正直な話、今の私は勇一の傍にいるよりも、力也の心を支えてあげたいとすら思っている。だけど勇一を好きな気持ちも確かにあって、結局私は、向こうの世界へ渡る前、この世界で普通に過ごしていた頃と同じように、二人の間で揺れ動いてしまっているままだった。
だから、力也の学校の同じクラスに、エクサによく似た女の子がやってきたと聞いたときには、飛び上がるような気持ちになった。私以外で力也の心を癒してくれそうな娘が現れてくれたことを、思わず神に感謝してしまったくらいだ。
先日の墓参りの日には、私の胸はそんな気持ちで一杯だった。
そして今日、その娘に異世界での話を聞かせてやってくれと、力也から頼まれている。先に顔合わせだけでもと思って力也のクラスの屋台を覗いてみたら、本当にエクサとまったく同じ顔をしている女の子が居て、とても驚いた。あれでもし髪を青く染められていたら、本人がこの世に遊びに来ているんじゃないかと勘違いしていたかもしれない。
そんなこと、ありえるはずがないとわかっているのに。
その話を彼女にしなければいけないということは、やっぱりちょっと憂鬱だった。力也自身が平然としているからこそ余計に、彼が本当は何を考えているのかがわからなくて不安になる。
勇一との待ち合わせ場所で待っている間の私は、ひどく落ち着かなくてそわそわしていた。不安で心臓が押し潰されそうなのに、何が不安なのかがさっぱりわからない。
だけどそういう心配は意外と、その時が来たときにはどこかに行ってしまうもので。
勇一が支倉さんを連れて現れたのを見たときには、私はいつもの平静を取り戻していた。
魔物たちとの戦いにおいて、過度な緊張は命に関わった。そうした経験が活きているおかげなのか、私は何事も本番に強いタイプになっているみたいだ。
「この人が、昨日話した支倉瑛美さん」
まず最初に、勇一が私に彼女を紹介してくれる。その後はお互いに、お決まりの「はじめまして」という挨拶。
いくら本番に強くなったとはいっても、どう会話を切り出したらいいのかはわからなかった。
一番に思い浮かぶ話題と言ったらやっぱりエクサのことだけれど、まさか本当に「エクサにそっくりですね」なんて言えるわけがない。相手はエクサのことを知らないのだから。
「な? ほんとにエクサにそっくりだろ?」
「こら、本人の前でそういう話は失礼でしょ」
でも、このバカにはそんなことはお構いなしらしい。それでも会話を始めるきっかけを作ってくれたことには、心の中だけで感謝しておく。
力也もよく言っていることだけど、勇一はバカだからこそありがたい存在だった。本人に面と向かってそう言うと拗ねちゃうから褒めるのがすごく難しいんだけど、私は勇一の、こうやって無意識にフォローしてくれるところが好きだった。
「あ、悪い。で、こっちがさっき話した相田美貴ね、俺の彼女の。俺と同じで近くに住んでる、力也の昔からの幼馴染」
「今日はその、恋人たちの時間を邪魔してしまってごめんなさい」
そう言って、支倉さんが私に頭を下げる。普通に考えたら文化祭といえば恋人たちの一大イベントだから、恐縮しちゃうのは仕方がないことだと思う。だけど私にとっては、勇一とのデートよりも力也の恋の応援の方がよっぽど大事だったりするのだ。自分にとってもプラスになることなのだから、あまりかしこまられても困ってしまう。
「あ、べつにそういうのはいいから。このバカで遊ぶのはいつでもできるし。……で、どこ行こっか?」
「ちょっと待てコラ。せめてバカ『と』遊んでくれよバカ『で』じゃなくて。バカって言われることはもう慣れちまってるけど、さすがにそれは酷くねぇ?」
「あら、そう? じゃあバカ、あんたゆっくり話せそうな喫茶店やってるところ知ってる?」
「ごめんなさいできればバカって呼ぶのもやめてくださいお願いします」
だから私は、努めて何でもないということをアピールする。勇一もそこまでは理解してないんだろうけど話に乗ってきてくれたので、彼女に負い目を持たせないように振舞うことはできたと思う。
「あとそれから、ウチの文化祭は屋内で火ぃ使うの禁止だから、食べ物屋は基本的に屋台しかないぞ。それにここ休憩所なんだし、わざわざ動かなくてもいいんじゃね? 椅子と自販機まであるんだから」
確かに、私たちが待ち合わせをしたのは屋上の食事スペースだった。外の屋台からは遠いので、私たちの他にここに座っている人はほとんど居ない。人通りといえば、たまにこの学校の生徒が自動販売機目当てで来るくらいだ。
妙な話をしていても、それを聞かれる心配がない。言われてみると確かに絶好の場所だった。
「じゃあ勇一、せめて何か飲み物買ってきて。私炭酸じゃない奴ね」
いつもの調子でそう頼んだら、何故か勇一は「フッフッフ……」と声を低くして笑い出した。また馬鹿の奇行が始まるらしい。私はこれがちょっと楽しみだったりする。
「この俺様が、力也に何の見返りも求めずにお前との時間を潰してやると思うたかっ!」
「いばるな。っていうか思ってたわよ」
彼女としては言われて嬉しい言葉だったけれど、ときどき男二人の友情が心配になってくる。
そんな私の言葉を無視して彼が「じゃじゃーん!」と取り出したのは、紙コップが三つと、オレンジジュースのペットボトルだった。ただしそこにはオレンジ色のジュースではなく、薄い水色に透ける液体が入れられている。
その中身を見て、私は歓喜に打ち震えた。
「よくやった勇一!」
「任せろ!」
その飲み物を見て盛り上がっている私たち二人を見て、支倉さんはきょとんとしていた。
「大きな声じゃ言えないんだけどな、これは力也特製のスポーツドリンクなんだ。元気になるぞぉ~」
勇一はそうやって嘘の説明をしながら、それをコップに注いで支倉さんに手渡していた。実際は力也が生み出した魔法の水で、これで傷口を洗うと痛みが引くという回復魔法だ。直接飲んでも疲労回復の効果があって、しかもとんでもなく美味しい。
普段の力也は「俺はお前たちの自販機じゃない」と言ってなかなか飲ませてもらえないんだけど、やっぱり今日だけは特別らしかった。
「その紙コップも力也が用意したの?」
「おう。準備がいいよなぁ、あいつ」
もしかすると、本当は勇一から見返りを求めたわけじゃなくて、力也の方から持たせてくれたものなのかもしれない。今の彼の口ぶりから、なんとなくそう思った。
力也には異世界の話をしてやってくれと頼まれているし、こうやって話の糸口を持参させてくるあたり、狙ってないとは思えない。
だけどどうやら、勇一はここで何の話をするのかを、わかっていないみたいだった。これがどういう水なのかをはぐらかしていたし、力也から何も聞かされていないのかもしれない。
「べつに隠さなくてもいいじゃない。これは魔法だ、ってはっきり言ってやりなさいよ」
だから私は、さっそく切り込んでいくことにした。支倉さんの「何言ってるのこのヒト?」という視線にもめげずに、話を続ける。
「カレが勇者で、私が戦士、力也が魔法使い。漫画みたいな話だけれど、私たちは異世界に呼び出されて、その世界を冒険したことがあるのよ」
「ちょ、お前……」
その話はまずい、と勇一が合図を送ってきているが、私は瞬きひとつでそれを黙殺した。
「あの、私は真面目な話を聞きにきたつもりなんですけど」
「うん、私も真面目に話をしているつもりよ、支倉さん。まずは貴女がここを理解してくれないと、私たちが向こうで出会った女性の話もできないもの。エクサの話を聞きたいんでしょう?」
「それはまぁ、そうですけど……」
支倉さんは訝しげな顔で、納得できてはいないようだったけど、とりあえず話だけは聞いてくれるつもりになったみたいだった。
もしここで怒り出してしまっていたようなら力也の恋人は務まらないし、私としても彼のことを任せるわけにはいかないところだった。
だから、それを回避してみせたこの娘はいい子だと思う。
「いいのかよ、話して?」
珍しく真面目な顔で、勇一が私を問い詰めてきた。まさか人体実験とかの研究をされるとまでは考えてないけれど、自分たちが不思議なチカラを持っているということは、できるだけ人に知られないほうがいい。彼はそういう心配をしているのだろう。
「いいのよ。私たちのことはいいとして、とにかく力也が普通の人間じゃないってことは知っておいてもらわないと、付き合ってもらう意味がないもの。それに、そうでもなきゃわざわざ、力也が自分の話をするのに私たちを頼るわけがないでしょ? 俺は魔法使いなんだとか自分で言ったところで、普通の人に信じてもらうのは難しいもの。だから私たちの手を借りる必要があったのよ、信憑性を増すために」
私がそう説明すると、勇一は「むぅ」と唸って黙り込んでしまった。言動は馬鹿でも頭は悪くない奴だから、彼にも彼なりに思うところがあるのかもしれない。
「とにかく。エクサっていうのは、そういう剣と魔法の世界で知り合った女の子でね。一緒に戦ったりしたこともあったけど、ちょっと別行動をしてる間に死んじゃって。力也は平気なふりをしてるんだけど、すっごくいい雰囲気になってた相手だから、絶対にまだ、辛い思いをしてると思うのよ」