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君がいる奇跡  作者: トウリン
サイドストーリー:キミと歩く明日

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ネガイとミライ

 りょうの優しいキスが離れていって、唇からその温もりが消えないうちにひびきはクルリと振り返って彼にしがみ付いた。

 凌の腕は彼女の身体にしっかりと回され、彼女の頭の上に彼の顎がのせられる。響はピタリと彼の胸の中に納まって、まるで一つの塊のように感じられた。

 幸せだ。

 幸せで幸せで……幸せすぎて泣きたくなる。

 こうやって凌に抱き締められるたび、父を救えなかった自分がこんなにも幸せでいいのだろうかと、響は思う。

 響のこれまでの人生は、多分、『平凡』とはちょっとずれている。

 それでも、幼い頃には愛情に溢れた母と父がいたし、二人を喪ってからはなぎがいた。

 いつでも、響のことを想ってくれる人がいた。

 そして今は、凌もいる。みんな、響を惜しみない愛で包み込んで、彼女を受け止めてくれる。

 身に余るほどに与えてもらった想いだから、他の誰かに伝えることで、返していきたいと思う。

 この身に受けた愛情を、自分を通して感じて欲しいのだ。

 そうやって、誰かを大事に想う気持ち、誰かを愛する気持ちを伝えていけたらいい。

 祖父母にも、凪にも、ナナにも、凌にも。

 抱き締めてくる腕の中で身じろぎをした響に、凌は少し力を緩めてくれた。

 頭を反らせて彼を見上げると、穏やかな眼差しが見つめ返してくる。

 大きくて、誰よりも強い凌。

 響はそんな彼が愛おしくて大事で、ただ守られているだけでは我慢できなくなる。

「わたし……わたしがリョウさんにしてあげられることって、何でしょう?」

 思わずこぼれた、衝動的な、呟き。

 自分にできることなどたかが知れているけれど、響はそう言わずにはいられなかった。

 凌は彼女の言葉にほんの少し目を見開いて、そして微笑んだ。

「お前が俺の傍にいる、それだけで充分だ」

 そう言って、彼はまた響をその広い胸へと引き寄せる。

 彼の温もりと力強い鼓動の心地良さに、響はまどろみそうになる。

 その優しさに、頭の天辺まで浸ってしまいそうになる。

 そして同時に、凌が与えてくれるのに値するものを――それ以上のものを、響も返したくなる。

 彼女は、自分の身体がもっと大きければいいのに、と思った。そうすれば、彼が響にそうしてくれるように、響も彼を抱き締めてあげられるのに。

 懸命に腕を伸ばしても、凌の身体は大き過ぎて、響の手は彼の背中には届かない。凌が響にそうしてくれるようには、彼を包み込むことができない。

 それが、もどかしくてならなかった。

 と、そんな気持ちに歯噛みする響の耳に、押し当てた凌の胸から響く声が届く。

「いつか……いつか、お前を捉えているものがなくなったら――」

 彼の言葉はそこで途切れた。

 少し待っても続きはなくて、響は顔を上げて彼の目を覗き込もうとする。けれど、頭の後ろに回された大きな手が、そうさせてはくれなかった。

「リョウ、さん?」

 少し痛いくらいに力を込められ、響は彼の名前を呼ぶ。

 聞こえてくる凌の鼓動は、先ほどよりも速まっていた。

「お前が、俺だけを見ていられるようになったら、その時はお前の全てを俺のものにしたい。お前の、今も、未来も、全部」

 抱き締めてくる凌の腕は、まるで溺れる者が命綱にすがり付いてくるようで。

 響は、思わず微笑んでしまう。

 そうして、答える。

「わたしはとっくに、そうなってます」

 響のその言葉に、またギュッと凌の腕に力が入った。

 本当は彼の目を見ながら言いたかったけれど、放してくれそうにない。仕方がないからそのまま、響は続けた。彼の胸に、頬を摺り寄せて。

「わたしはこの先ずっと、リョウさんと一緒にいたいです。離れたくないです。わたしと一緒にいて幸せだって、リョウさんに思って欲しいんです……わたしが、リョウさんを幸せにしたいんです」

 沈黙。

 そして。

「ああ、クソッ」

 唸るような声。

 次の瞬間、大きな手で頬を包まれて、顔をグイと持ち上げられたかと思うとあっという間に唇を奪われた。それはさっきのような触れるだけの穏やかなものではなくて、息ができない響はクラクラしてくる。

 響の頭の中が真っ白になって意識が飛びそうになる寸前に、凌はようやく彼女を解放してくれた。

 ぐったりとした響のつま先が浮くほどにきつく抱き締めて、彼は囁く。

「俺は、幸せなんだ――多分、これが幸せってやつなんだ。苦しくて……苦しいのに、ずっと浸っていたい。お前と出会うまでは、こんなふうに感じたことはなかったんだ。こんなふうに、どうしようもなく、頭がおかしくなりそうなほどに何かを望んだことは、なかったんだ」

 震えるその声はまるで迷子の子どものようで、苦しい息の下、響はもぞもぞと手を伸ばして彼の頭をそっと撫でた。

 ゆっくりと硬い髪を一撫でする毎に、彼に対する愛おしさが溢れてくる。

 しばらくそうしていると、やがて凌の身体から力が抜けてくるのが感じられた。ホッと彼がついた小さなため息に、響の髪が揺れる。

 響を下ろし、しゃんと立たせてから、彼はまた彼女の頬に手を添える。その手付きは、まるで壊れやすい砂糖菓子か何かに触れているかのようで。

 ついさっき吐き出した身を引き絞るような声は幻であったかのように、凌は穏やかな眼差しで響を見つめてくる。

「俺の過去もお前の過去も、きっと『普通』とはかけ離れているのだろうけれど、そんな過去だったからこそお前と出逢えたというなら、俺にとっては必要なことだったんだと思うよ」

 何の気負いもなく発せられた彼の言葉に、響は、ああそうだ、と思った。

 父を救えなかったことへの後悔や罪悪感はどうやっても彼女の中から拭い去れないけれど、その過去はどうやっても変えられない。

 そう、過去は決して変わらない。

 だから、過去に囚われるのではなく、響がその手で過去を抱き締めて生きていかなければいけないのだ。

(――わたしは、幼い頃のわたしを赦そう)

 弱かったわたしを。

 父を助けられなかった、わたしを。

 今の響はたくさんの人たちに愛されている。彼女自身が大事に想っている、人たちに。

 そんなふうに想われている自分を赦さずにいるということは、彼らが伸ばしてくれる手をはねつけようとすることではないだろうか。

 コロリと、響の目から涙がこぼれる。

 と、狼狽を露わに凌が親指でそれを拭い取った。

「悪い、お前にとっては、違うよな。お前は、もっと――」

「違うんです、リョウさん。わたしも、そう思うんです」

 微笑んで、響は彼を抱き締める。彼女が持てる力の全てで。

「わたしも、リョウさんも、ナナさんも、凪さんも、お祖父さんもお祖母さんも、みんな、幸せになりましょう。わたしたちは過去には行くことはできない――未来にしか、進めないんですから。後ろばかりを見て目の前にあるものを掴みそこなったら、もったいないですもの」

 一拍おいて、凌の力強い腕が響を包み込む。いつものように、優しく、温かく。

 彼の胸に頬を寄せ、響はそっと目を閉じた。

 彼女の心から、何かがまた一つ、剥がれ落ちた気がする。

 不意に、響の頭の中に、小さな笑い声が響いた気がした。それは、懐かしい、とても大好きな人たちの声で。

 ――わたし、幸せになるから。

 胸の中で、大事な二人に向けて、そう囁く。

 ――わたしを産んでくれて、ありがとう。

 感謝の想いは、きっと二人にも届いている筈。

 響は目を閉じ、今彼女の傍にいてくれる人の温もりに身を任せた。


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