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君がいる奇跡  作者: トウリン
サイドストーリー:キミと歩く明日

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カラダと想イ

 台風一過。

(まったく……やれやれだ)

 ナナが去り、凌はようやく一息入れる。

 響にすっかり懐いた彼女は、ほぼ毎日、ここで夕食を摂っていた。その所為で、凌が響に触れられる時間はめっきり減っている。

「リンゴ、ちょっと切り過ぎちゃいました」

 聞こえてきたのは、残念そうな響の声だ。ようやく二人になれたと安堵の息をついた凌からすれば、彼女の声に含まれるその残念そうな色が今一つ気に入らない。

 黙ってリンゴを刺したフォークを口に運ぶ凌に、響がチラリと目を走らせた。

「……リョウさん、怒ってます?」

 唐突な問いかけ。

 怒ってはいないが愉快な気分ではなかった凌は、肯定も否定も返さなかった。

 そんな彼の隣に、ぺたりと響が腰を下ろす。

「リョウさん?」

 凌はヒタヒタと横顔に注がれる視線を感じる。

 ナナがいる時には彼女に奪われがちなその眼差しが自分だけに向けられているのを感じ、凌の中にくすぶっていた不満は一瞬にして跡形もなく消え去った。

 すぐにでも響に笑顔を返して抱き寄せてしまいたいところだったが、同時に、彼女の意識を独占しているその感触が心地良く、手放し難く思ってしまう。

(もう少し気を揉ませてやれ)

 凌は敢えて響の視線を無視して次のリンゴに手を伸ばした。

 と。

 すぐ傍で、彼女が動く気配がした。無視が過ぎたか、と響に向き直ろうとしたところで、彼の頬を柔らかな温もりがかすめる。いや、頬というよりは唇の脇、か。

 思わずパッとそちらを向くと、赤くなった響の顔が間近にあった――「あ」、とでもいうような表情で。

 多分、彼女としては頬を狙ったのだろう。急に凌が動いたから、触れたのが殆ど唇と言っていい場所になったに違いない。

 たとえ狙いは頬だったとしても彼女の方からこんなふうに触れてくることは滅多にないから、つい、まじまじと見てしまう。その視線にいたたまれなくなったように、響は顎を引いた。

「響?」

 うつむいた彼女には触れずに、名前だけを口にする。と、肩までで切り揃えられている真っ直ぐな髪の間から覗く彼女の耳まで、赤く染まった。

 触れたら、さぞかし熱いことだろう。

 そう思って、凌の手が疼く。勝手に持ち上がりそうになるそれを、意志の力で膝の上に抑え込んだ。

「響」

 もう一度、名前を呼ぶ。

 そして、待つ。

 チラリと彼女の視線が上がり、ジッと見つめていた凌の眼差しとぶつかると、またパッと下がった。

「その、ナナさんが……」

 尻すぼみになる声はもぞもぞと彼女の口の中に消えていく。

「ナナが何だって?」

 そう追及すると、響の顔は益々深く伏せられた。

 きっと、またナナに何かしようもないことを吹き込まれたのだろう。

 凌はため息混じりに心の中で呟いて、響の顎を指先で持ち上げた。

「ナナが何て言ったんだ?」

 覗き込んだ大きな目が、泳ぐ。

「その……リョウさんが拗ねたら、キスをしたら機嫌が直るって……」

(――まったく、あいつは)

 舌打ちをしたくなるのを堪えて、凌はナナを無言で罵った。

 何となく、ナナは凌と響の間を煽っている観がある。

 毎日毎日邪魔をしに来るくせに、何かと響と凌の間に何もないことを揶揄し、呆れた声を出す。

 響が席を外している時などは、凌に向かってあからさまにさっさと抱いてしまえばいいとすら言うのに、そうしない彼にどこかホッとしているようにも見えるのだ。

 ナナが何を考えているのか、凌には今一つ理解不能だったが、いずれにせよ、放っておけよ、と思う。

 確かに、響とはまだキス止まりだ――まあ、服の下の素肌に多少は触れるが、それでも、今まで接触があった女たちと比べれば、触ったうちにも入らない。

 響を抱きたくないと言えば大嘘になる。彼女に触れる度、キスをする度、抱き締める度、彼の身体は熱くなった。

 だが、まだ、その時期ではないような気がして、凌はいつも自分にブレーキをかけていたのだ。

 無言で見つめ続けていると、響はもじもじと身じろぎをし始める。

「リョウさん?」

 凌は響の丸い頬を手のひらで包み込み、親指で唇の端をそっと撫でた。そうすると彼女は、自然と頭を傾ける。彼の手のひらに頬を押し付けるように。

 彼への信頼を隠さない、その仕草。

 些細なことで、彼女は凌の中に狂おしいほどの愛おしさを掻き立ててくれる。

(俺はいつまで待てるだろう)

 自制心は強いと思っていたが、響のことになるとその自信も揺らぐ。

 響は今、過去と向き合い、それを受け入れようともがいているところだった。時々伯母のなぎを伴って祖父母の家に行き、長らく絶縁状態だった親子の仲を取り持ち、彼女自身も忘れ去っていた――あるいは元から存在していなかった――肉親との絆を作り上げようとしていた。

 祖父母の家から戻ると響はぐったりしていて、殆ど喋らず、笑みも無理やり作ったようなものになる。

 見るからに憔悴しきった彼女を目にすると、もう会いに行くなという台詞が凌ののど元までせり上がってくる。それをグッと呑み込み、黙って響を腕の中に引き入れるのが、常だった。

 別に来るなと言っているわけではないようなのだが、不思議なことに、そういう時はあれだけ毎日入り浸っているナナが姿を現さない。だから、響の部屋で、彼女を抱き締め、二人きりでまんじりともせずに過ごすのだ。

 時折、響の笑顔だけで理性を溶かされそうになってしまう凌だったが、そうしている時は、彼の身体はピクリとも反応しなかった。どれだけ響の温もりを全身に感じても、凌の中に湧き上ってくるのはただ彼女を安心させたい、寛がせたいという想いだけで、彼女を奪いたいという衝動は微塵も生じてこない。

 それはつまり、そういう時の響は、凌にとって『女』であるよりも先にただただ『護るべき者』なのだということなのかもしれない。

 そして、そう感じてしまうことがある間は、彼女を抱くことはできないのかもしれない。

 響との一線を越えるのは、多分、祖父母と会った後でも彼女がいつも通りに笑っていられるようになってからになるのだろう。

「リョウさん?」

 物思いにふけっていた凌を、そっと窺うような響の声が引き戻す。

「あの……機嫌、直りました?」

 すくうように見上げてくる、少しまなじりの下がった大きな目。

 凌はその目にひたと見つめられて、現実に帰ってくる。

 そんなふうに悶々と色々と思い悩んでいる凌の気も知らないで、ナナの悪巧みに乗って煽ってくるとは。

「リョウさん?」

 おずおずと目で問い掛けてきた響の頬を両手で包み、緩んでしまいそうになる口元を引き締めて凌は敢えて厳しい顔を作った。

「あれで直るわけがないだろう」

 ムスリとした声でそう言ってやると、響の目に落胆の色が浮かぶ。

「……ですよね――!」

 彼女の台詞が終わらぬうちに、凌は頭を下げて唇を重ねた。

「リョウ、さん」

 触れ合わせるだけのキスから顔を上げて響を見下ろすと、彼女の眼差しには戸惑いが滲んでいた。

「あんなのでごまかされるわけがない」

 口ではそう言いつつも、凌の胸の中は温かなもので満たされていた。実際のところ、響の方から行動したというだけでも、大きな価値がある。

 ――ナナの入れ知恵ではあっても。

 嬉しくてたまらない、というのが本音だが、うっかりそんなことを口にしたら、響のことだからずっとそこ止まりになってしまうかもしれない。

 凌はもう一度軽く唇を触れ合わせてから、彼女の身体に腕を回して引き寄せた。

「あんなのじゃ、短すぎるし――足りない」

 響の耳元でそう囁いて、彼が望む形を実践してみせる。

 頬ではなくて、唇に。

 触れるだけではなくて、もっと深くつながって。

 響の背中に回した腕に力を込めると、凌の胸に小鳥のような彼女の鼓動と細波のような震えが伝わってくる。

 あまりに儚く、あまりに愛おしい。

 ほんの少しだけ解放してやると、彼女は、はふ、と小さな吐息がこぼした。

「これくらいしてもらわないとな」

 額を触れ合わせてそう囁いてやると、上気していた頬が一層赤く染まった。

「う……わたしには、ちょっと、難易度が……」 

 ぼそぼそと響が言う。

 どことなく申し訳なさそうな声だから、つい笑ってしまう。

「リョウさん……?」

 ジトリと睨み付けてきた彼女を宥めるつもりでもう一度軽く唇を触れ合わせて。

「だったら練習させてやるよ」

 今度は深く、貪った。

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