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君がいる奇跡  作者: トウリン
探し、求めた、その先に

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35/74

不安と迷いと

(――やっぱり、いる)

 シフトを終えてコンビニの裏口の戸を開けた(ひびき)は、(りょう)の姿がいつもと同じ場所にあるのを見て唇を噛んだ。


 何故、彼はああなのだろう。

 限りなく苛立ちに近い気持ちを抱きながら、響は彼を睨んでしまう。


 二週間ほど前から、凌は月曜日から土曜日、朝の九時から夕の五時まで、フルタイムで仕事を始めたというのに。

 ほとんど夜明けと言ってもいいようなこの時間のこの場所に、いていいはずがない。


 銀次(ぎんじ)に紹介された自動車工場で働くことになったと凌から聞かされた時、響は喜んだ。賭け試合をやめてくれれば、これで彼が怪我をすることは無くなるだろうと思ったから。

 逢える時間は減ってしまうけれど、それでも、響は嬉しかった。


 ――嬉しかった、けれど。


 凌の仕事は朝の九時からで、八時には家を出なければならないのだ。にも拘らず、彼はこうやって響の深夜バイトの送り迎えを続けている。

 体力を使う仕事だし、響に付き合っていたら、凌の方が身体を壊してしまう。

 だから、口を酸っぱくしてこの送り迎えをやめるように言ったのに。


 最初の二、三回は申し訳ない気持ちばかりだったけれど、何度言ってもやっぱりこうやって自分の身そっちのけで待たれていると、苛立ちの方が上回ってくる。

 凌と出会うまでの二ヶ月間ほどは一人で行き来していても別に問題はなかったのだから、そんなに心配する必要はないのだ。元々過保護だったけれど、最近の彼は流石に度が行き過ぎている。

 響は凌から十歩ほど離れたところで立ち止まって、彼をジッと睨み付けた。明らかにムッとした顔をしているだろう彼女を、彼は平然と見つめ返してくる。


「帰るぞ」

 短くそれだけ言ってさっさと背中を見せた凌に、響の頭にはカッと血が上った。

「リョウさん!」

 名前を呼ぶと、彼は立ち止り、ゆっくりと向き直る。その目が「何だ?」と問いかけていて、余計に響はムカムカした。

「もう来なくていいって、わたし何度も言ってますよね」

「ああ、そうだな」


 それが何だと言わんばかりの、怪訝そうな眼差し。


「道は明るいですし、人通りもありますし、何かあったら大声出しますし、一人でも大丈夫なんですから」

「それでも危ないことは危ない」

「平気ですよ。リョウさんと会うまでは一人でやってたんですから」

「そうだな」

 短く答えた凌が眉間に皺を寄せる。それが響の台詞に対する同意でないことは明らかだった。今の世界にタイムマシンがあるのなら、きっと彼はそれを使って過去の彼女の送り迎えまでするに違いない。


「行くぞ」

 むっつりと黙り込んでいる響を一瞥して、凌はまた踵を返して歩き出そうとした。そんな彼の服の裾を掴んで、彼女は引き止める。

「ちょっと待ってください、今日こそはちゃんと話さないと」

「歩きながらでもいいだろう?」

 その凌の台詞に、響はキッパリとかぶりを振る。

「ダメです。ちゃんと聞いてもらわないと。いいですか? 明日からはリョウさん自身の生活の方を優先してください。昼は働いて夜はこんなことして、じゃ、身体を壊しちゃいます」

「気にする必要はない。元々、俺はあまり寝ないから」

「そんなこと言われても、気になります」

 背中に手を添えて歩くように促す凌に逆らって、響はその場に留まった。


 彼が小さくため息を漏らす。それがいかにも子どものわがままを持て余している大人のようで、響は一歩彼から遠ざかった。

 いつになく意固地になった彼女に凌が困惑しているのが判ったけれども、ささくれ立つ感情をコントロールすることができない。少し前からモヤモヤと胸の底にわだかまっていたものが、ムクムクと首をもたげてくる感じだった。


「わたしは一人でもちゃんとできます。こんなふうにずっと傍で見守ってる必要はないんです」

 この苛立ちは、理不尽だ。

 響にはその自覚がある。

 凌は彼女のことを案じてくれているのだから、それを拒むのはあまりに強情だ。


 けれど。


「響」

 名前を呼び、彼が差し伸べてきたその手を、響は咄嗟に振り払っていた。

 パシッと乾いた音が人気のない路地に響く。

 しまった、と思った時にはもう遅くて、微かな痛みの残る指先を、彼女はもう一方の手で覆う。


「わたし……」

 ジッと見つめてくる凌の眼差しから逃れるようにうつむいて、響は口ごもる。頭の天辺に視線を感じていても、顔を上げることができなかった。

 こんなふうに意地を張るなんて、本当に子どもじみている。何か言わなければ、呆れられてしまう。

 そう思っても、言葉が出てこない。凌に言いたいことは喉の辺りまで出かかっているのだけれど、そこで引っかかってしまっていた。


 凌も無言で、響も黙りこくって。

 表通りの喧騒がやけに遠くに聞こえる。


 沈黙を先に破ったのは、凌だった。

「取り敢えず、帰ろう。お前も休まないとだろう?」

(やっぱり、『わたし』優先なんだ。でも……)

 頭の上から聞こえてきた彼のその声には宥めるような含みが感じられて、響は唇を噛む。

 凌のその気遣いを、素直に受け取れない。


(彼は本当に『わたし』を見ているの?)


 大事にされても、いや、されるほど、底知れぬ不安が増すのは何故なのだろう。

 凌が大事にしてくれるのは、自分を誰かを重ねているからではないかという微かな疑念は、確かに以前から響の中にあった。けれど、前はそれでもいいと思っていた――いや、むしろ、出逢ってまだ間もない頃は、そんな関係に安心を覚えていたくらいだったのに。


 そこに仄暗い気持ちが混じり始めたのは、いつからか。


 あのナナという女性に会ってからのような気がするし、その前からだったような気もする。

 こんなふうに、何かの拍子に響の足元が揺らぐ。まるで深い谷に渡された細い木の板の上を歩いているような、腰の辺りがぞくりとする感じに襲われる。

 少し気を抜けば自分が消え失せてしまいそうな心許なさは、今まで感じたことのなかったものだった。

 多分その感覚は、凌が響のことを気遣ってくれる度に、彼女の中に降り積もっていっている。

 ふるりと身体を震わせた響の頭に、不意に、温かなものが触れた。それは柔らかく彼女の髪を撫でる。


(優しさがつらいなんてこと、あるのかな)

 そう思った途端、響の口からポロリと言葉が転げ落ちていた。


「リョウさん、わたしのことを見てくれてますか?」


 ピタリと、彼女の頭を撫でる手が止まる。そして少し遅れて訝しげな彼の声が続いた。

「どういう意味だ?」

「……わたしのこと、誰かと重ねてるからこんなに大事にしてくれるんじゃないですか?」

「誰か……?」

 ――妹さんとか。


 それは、口に出せなかった。

 もしも肯定されたら、多分、凌に触れられるのが怖くなる。


 響の頭に置かれていた彼の手が、頬に滑り降りてきた。もう片方の彼の手も反対の頬に添えられて、彼女は顔を上げさせられる。


「響」

 静かな声で名前を呼ばれ、響は逸らしていた視線を正面に向けた。そこで凌の穏やかな眼差しと出合って、彼女は目が逸らせなくなる。


「俺は、お前を誰かと混同したりはしていない。俺が見ているのは、お前だ」

 真っ直ぐに見つめられながらそう言われても、響の気持ちは揺れる。そしてそれは彼女の目に表れてしまったようで、彼は微かに苦笑した。

「俺の何がお前を不安にさせるんだろうな?」

 呟くようにそう言って、凌は両腕を響の身体に回して彼女をその胸に抱き寄せる。それはやんわりとした包み込み方で、響は彼のそういう優しさに不安を覚えるのに、やっぱり小さな安堵のため息をついてしまう。


 ついさっきまで彼のことを責めていても、こうやって彼の温もりが近くにあればすり寄ってしまう。

 ――そんな自分の弱さが、響は嫌だった。


「ごめんなさい……」

 何に対しての謝罪なのかは曖昧なままに、響はそう囁く。

(この人と出会うまでは、わたしはもっと強かった)

 苦い思いで自分に言い聞かせるように胸の内でつぶやいたけれど、それは正しくないことだと、彼女自身判ってしまった。

 多分、この弱さは元々自分の中に在ったものに違いない。それに気付いていなかったのか、気付いていないふりをしていたのか。


 この弱さを知った上で、もう一度、強くなりたい。


 凌の胸に頬を寄せながら、響は切にそう願う。きっとそうなって初めて、彼と対等になれる。ただひたすら守られるだけの存在ではなくなれる。

 凌と出会うまでは、『頼りない自分』でも良かったのだ。伯母のなぎや友人たちに甘やかされることに自己嫌悪を覚えながらも、それに甘んじていた。


(でも、リョウさんとは、それじゃイヤ)

 彼とは、同じ高さに立っていたい。

 一方的なものではなく、お互いに支え合えるような関係になりたい。


 ――けれど、それにはいったいどうしたらいいのだろう。


 響は震える小さな吐息を漏らし、凌のシャツを握る手に力を込めた。


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