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君がいる奇跡  作者: トウリン
探し、求めた、その先に

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19/74

愛のカタチ

「ねえ、リョウにもうアタシと寝ないって言われたんだけど」

 ベッドの上で寝転びながら両肘をついたナナが、唐突にそう切り出した。

 たった今、他の男に抱かれた女が出す話題じゃないだろう、と虎徹(こてつ)は呆れる。だがナナはそんな『常識』は全く気にせず、足をパタパタと動かしながら不服そうに唇を尖らせた。


「リョウってば、何で急にそんなこと言いだしたんだろ?」

「さあな、オレに訊くなよ」

「ええ? でも、コテツが一番リョウと仲良いじゃん」

 そう言えば、この間の『試合』の後、凌とナナが派手な愁嘆場を演じていたと誰かが言っていた。凌がナナを振ったらしい、と。

 もっとも、結構前から凌がナナを疎んじる様子は見られていたから、虎徹にしてみればそれほど驚くようなことではない。


 彼はサイドボードから煙草を取り、くわえると、火を点けた。煙草だけではなく、少々他のモノも混ぜてある。胸いっぱいに煙を吸い込み、吐くと、彼は肩を竦めてナナに返した。

「オレはあいつのママじゃねぇよ」

「何よ、ケチ。リョウってば携帯持ってないからなぁ。住んでるところも知らないんだよね。コテツは知ってる? あ、そうだ。今度、後付けてみよっかな」

「お前なぁ」

「何よぅ」

 呆れた視線を流した虎徹に、ナナはむっと口を尖らせた。


 実際は、虎徹が連絡用にと渡した携帯を持ってはいるが、彼女にそれを教えてやる必要もあるまい。どうせ凌は、虎徹が鳴らさない限り、携帯を持っているということすら忘れているのだ。しばしば電池は切れているし、家の中に忘れているのか、いくら鳴らしても出ないことの方が多い。

 ナナに凌の携帯番号を教えて彼女がしょっちゅう鳴らすようになったら、その煩わしさに、きっと彼はそれを壊してしまうだろう。


「そういうのをストーカーってんだよ」

「だって好きなんだもん。好きなヒトのことなら全部知りたいし、好きなヒトのことは全部欲しくならない? その為なら、何だってするでしょ?」

 膨れっ面のナナの問いに、虎徹は応とも否とも答えなかった。


 好きとか愛とか、巷には溢れている言葉だ。だがそんなものには何の意味もない。虎徹はそんなものにかまける気はなかったし、そんなものに(うつつ)を抜かす(やから)を見ると反吐が出そうになる。

 そもそもこのナナだって、凌のことを好きだと言いながら、こうやって他の男とも寝たりしているのだ。その本気具合はたかが知れている。

 そう思った途端に急に彼女の隣にいることに嫌気が差して、まだ三分の一も吸っていない煙草をもみ消し、虎徹はベッドから下りる。


「どこ行くの?」

「親父と会うことになってんだよ」

 実はその約束の時間をもう三時間は過ぎている。父親の指示に素直に従いたくなかったから、ナナを呼び出して時間を潰していたのだ。

「そうなんだ。じゃあ、またね。あ、そうそう、リョウのことで何か判ったら教えてよ。次の『試合』、いつやるの、とかさ」

 ナナはベッドに寝転んだまま猫のように伸びをしつつ、虎徹にそう言ってよこした。彼は彼女を無視して部屋を後にする。


 電車でもタクシーでも使えば早いものを、虎徹は敢えてダラダラと歩きながら父親の待つ事務所へ向かう。

 ただでさえ遅れていた約束の時間から更にたっぷり一時間を過ぎた頃、彼は父親である中江虎刀(なかえ ことう)の前に立っていた。

 誰かに名前を訊かれた時、虎徹が口にするのは『桑名(くわな)』の姓だ。戸籍の上では『中江』なのだが、普段の彼はそう名乗っていた。本当は名前に父親と同じ文字が入っていることも気に入らないのだが。


 息子の姿を認め、虎刀が片手を上げる。

「遅かったな」

「オレもこう見えて暇じゃないんでね」

「ああ、例の『商売』はなかなか順調なようだな」

 すべてお見通し、と言わんばかりの口調が鼻に付く。笑みながら自分を見る眼差しも。

「で、何の用だよ?」

 さっさとこの場を引き上げたくて、虎徹は低い声で父親を促した。

「何の用とはあんまりな言い草だな。お前、またやり過ぎただろう?」


 虎刀の言うのは、五日ほど前に酔った勢いでやらかした喧嘩のことだろう。

 あれは、虎徹が率いていた一団の一人が、すれ違った男と肩をぶつけたことが始まりだった。虎徹たちは彼を含めて十二人、相手はそれよりも幾人か多かった。どちらも相当の酒が入っていて、一たび火がついたら収拾がつかない状態になったのだ。


「あの小競り合いで、八人が病院送りだ。そのうちの一人の親が弁護士でな、傷害罪で訴えると騒ぎ出しやがったんだよ。知らなかっただろ?」

「だから何なんだよ」

 虎刀が言わんとしていることは虎徹にも判ったが、むっつりとそう返す。

「うちの若いもんを三人ほど代わりに出頭させておいた」

「はあ?」

「捕まりゃ三年は食らい込むだろ」

「そんなヘマするか」

 虎徹は素っ気なく応じる。実際、仮に捕まって刑務所に入ったとしても、その方が虎刀に借りを作るよりも遥かにマシだった。


 余計なことを、と言わんばかりに睨み付けた虎徹に、虎刀が苦笑する。いかにも『父親』面したその顔が気に食わなかった。

 無言で踵を返してその場を立ち去ろうとした虎徹の背に、虎刀が独り言めいた呟きを投げた。虎徹は足は止めたが、顔は前に向けたままだ。


 虎刀は、息子が振り返ることなど期待していない口調で、続ける。

「なあ。確かに、俺はお前の母親のことは愛してない。俺の女房は涼子(りょうこ)だけだ――女として愛しているのもな。けどな、息子のお前のことは愛しているんだぜ?」

 その台詞に、虎徹は(まなじり)を吊り上げて振り返った。大きなデスクの向こうに鷹揚な風情で座っている父親を、睨み付ける。


「その『大事な女房』が死にそうな目に遭ってた時によその女の腹に種蒔いたんだろ、あんたは。あげくにそん時の子どもを二度と孕めなくなった『大事な女房』に育てさせたんだよな。大した『愛』だよ」

 吐き捨てるように一気にそう言ったギラつく虎徹の目を、しかし、虎刀は静かに受け止めた。

 そんなふうに平然と彼の糾弾を受け流す男が、憎かった。

 母親だと信じていた相手と血のつながりがないことを虎徹が知ったのは、彼が十二歳の時だった。優しく温かな、まさに母親そのものの涼子は、実は彼を産んだ女ではなかった。新参者の下っ端が、うっかり『虎徹の本当の母親』のことを口にしたのだ。


 それまでの彼は、父親のことを尊敬していた。社会の日陰を歩く身だが、病弱な妻の涼子を慈しみ、配下の者達を堂々と従える虎刀は、尊敬に値する男に見えていたのだ。

 だが、実際の虎刀は献身的な妻を裏切り、あまつさえ、他の女の子どもを実子として育てさせるような男だった。

 その事実を知った時、それまで虎徹の中に存在していた父親への尊敬の念は、一気に侮蔑へと転化した。


 実の母親のことは名前しか知らない。『桑名』というのは、その実母の姓になる。けれども、『血のつながった母親』は、彼を金で虎刀に売り渡したも同然の女だ。彼女に対する愛着は全くない。今でも、虎徹にとって唯一母と呼べるのは、涼子だけだ。

 一変した虎刀に対する虎徹の感情は、多分、二度と元には戻らない。


「話がそれだけならもう行くぜ」

 反論しない虎刀に冷やかな一瞥をくれ、虎徹は事務所を後にする。

 虎刀と会った時にはいつもそうだが、どうにも気分がくさくさした。真夏の日差しにも苛々する。

 何か、この不快な気分を追い払うことをしなければ、通りすがりの人間を殴り付けかねない。

 虎徹のストレス解消法は、決まっていた。彼は携帯を取り出し、いつもの番号にかける。


「ああ、凌?」

「何だ?」

 相変わらず、辛気臭い声だ。幸せなことなど何一つ知らない、という声。

 基本的に他人と長く付き合うことのない虎徹がこれほどの期間凌とつるんでいるのは、ひとえに彼が『不幸』だからだ。

 凌の『家庭の事情』は虎徹よりも複雑で陰惨だ。不幸な彼を見て、決して幸せにはなれない彼を見て、虎徹は安堵する――あるいは、優越感に浸る。

 他人の不幸は蜜の味、というヤツなのだろう。


「二週間後にまたやるぞ。この間は三対一だっただろ。今度はどうするかな。いっそ、犬とか相手にしてみるか?」

 どうも凌は人間相手だと今一つ本気を出していないように見えるから、人間以外を相手にしてみたらどうだろうか。

 どんなに不利な闘いでも、たいていの場合、凌は虎徹の提案を二つ返事で了承する。

 だが、今日の彼からの応答は鈍かった。


「凌?」

「少し、考えさせてくれ」

 それだけ言って、電話はプツリと切れた。

「……腹の具合でも悪いのか?」

 手の中の携帯電話を見つめて、虎徹は眉を潜める。

 凌との付き合いは長いが、彼が「考える」という言葉を口にするのを聞いたのは、これが初めてな気がした。


 何となく、虎徹の胸の中はざわつく。

 そう言えば、最近の凌はどうも付き合いが悪い。元々、彼の方から寄ってくることはなかったが、虎徹の方から声をかけた時にそれを拒むことはなかったのだ。


 ――傍にいない時、あいつは何をしているんだ?

 ふと、そんな疑問が虎徹の中に浮かんで、消えた。


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