兄弟仲クラッシャー
「待ってたよー。マイスルさん!」
マイスルが来る直前にイルースと別れて彼と会う。わざわざ鉢合わせさせるようなことないしね。イルースから事情は色々聞いたけど、本を読んで知りたいこともあるからマイスルさんも貴重。笑顔で近寄っていくと、何となく彼の顔色が悪い?
「あの、疲れてます?」
「え! ううん、そんなこと、ないよ……。さあ、図書館だったね、行こう」
本人が否定するのだからまあ、聞く必要はないだろう。それはそうと図書館! 昨日職員の方に追い出された図書館! 身分証明書を持つ人の他に一人だけならノーチェックで付き添ってもいいらしいので有り難い。とりあえずこの世界の簡単な歴史、それと地図が見たい。それに王家の在籍地。これを頭に叩き込んだら次の目的地を決めて出発しよう。
彼女はいたって普通だ。とても浮気しているようには見えない。それが逆に妙な生々しさを感じさせた。もしかしなくても、慣れてる? 記憶喪失という衝撃的なことがあったからと心の中で弁護してみても、多情なのが彼女の地じゃないとは言い切れない。
「マイスルさん?」
鬱屈したものを抱えながらぼんやりしていたら、チサがまた心配してくれた。笑って異常が無いことを示す。
……イルースと、兄と話したからなんだ。あいつは女に不誠実だから、最後に戻ってくるのは僕のところだ。そう結論付けて、気を紛らわす。
「うわあ、広い、凄い……」
身分証明書さえあれば一般人も利用可能な図書館。この大陸一の蔵書量を誇る。大陸一とはすなわち世界一ということ。イルースはアウトドア派だからこういう所には女を連れてこないだろう。圧倒的な本の数を前にはしゃぎまくるチサを見て、勝った、と思わずにいられない。
「何が調べたいんだっけ? 案内するよ」
「すみません、お願いします。えっと、まずは簡単な歴史から……」
歴史コーナーにて優しい世界の歴史という本を取る。受け取ったチサがページをパラパラとめくって呟く。
「やっぱり、読める……ケイト」
「え?」
「ううん! 何でも!」
記憶喪失じゃないんじゃないか? 何らかの事情でディケドラルトに捕らえられて逃げてるだけじゃないのか? それで僕を利用しているだけの。そしてその目的はケイトとやらの人間のため? 舐めてもらっては困る。母の事もあり、僕は小さい頃から鋭い奴――気づかなくていい事にまで気づくって嫌われてきたんだよ。
……とはいえ、名前を聞いた瞬間安心した。どう見ても女の名前だったからだ。友人なんて替えがきく上に居ても居なくても変わらないようなもの、大した事はない。
チサは夢中で本を読み始めた。僕は彼女のために地理の本、宗教の解説本、国別ガイドブックなどを探して持っていく。横にとすん、と置かれるたびに、彼女は嬉しそうに笑った。
……最初のページから度肝を抜かれた。この世界の歴史書、『天から神が降りて人の祖先となった』 なんて書かれてるよ……。あーでも、古事記とか日本書紀とか戦中は正史扱いだったし似たようなものかも。聖書だって敬虔な人は事実と思ってるものね。
でもそこから先が普通。完全に人に同化して、水の近くに定着。集落を作って、文明が起こり、身分差が生まれ、貿易が始まり……うん普通。始まりがあれなのに魔法は最後まで出てこなかった。
ただ、コラム的なページの中に、世界最古の文書が出てきてビクッとしたけど、『最古の娯楽本』 と紹介されてた。泣いた。
次に国のガイドブックをめくる。『どの国も基本王制だが、特に国家間の問題もなく、交通は比較的自由。身分証明書があれば国境を越えるのは容易』と最初のページ。……逆に言えば無ければ通さないって事ですよねー。
『例外は空賊の問題』 ……! 『空を飛ぶ機械が発明されたが、ディケドラルトがこの開発者を誘拐、彼らは各地を荒らしまわっている。旅行の際は注意されたし』 私、もったいないことしたかも……。空からなら(不法だけど) 旅し放題だったんじゃないか。
地理の本をめくる。この世界の全体図が目に入った。一大陸しかないんだ。で、今居るところは西の端っこらしい。そういえば、最初に落ちたところはどこだっけ? 焼き討ちにあった国の名前は? 頭を抱える。今度からはもっと注意深くならなくちゃ。
「どうしたの? 何か悩んでる?」
「! マイスルさん、最近ディケドラルトが滅ぼした国ってどこか知ってます?」
「ああそれなら……」
地図上ではすぐ北にあった。世界で最も古い国の一つらしい。……ごめんなさい。
気を利かせたマイスルさんはさらに新聞みたいなものを持ってきてくれた。何て出来た人。それによると『メリア 空賊の襲撃で打撃 王族は行方不明』 メリアっていったんだ、あの国……レトくんの出身地。ポケットの石を握る。
今はまだ助けられそうにない。魔法の手がかりすら掴めないこの状況では……。でもケイトに会えばもしかしたら。……そもそもこの世界がケイトの世界なのかすら怪しいのだけれど。でも呪いをかけた旅の魔法使いは存在する……。
あ、その人あたればいいのかな?
というか、人がドラゴンとかどう考えても魔法……あ、だからレトくん、誰にも信じてもらえずにあんなところで人間不信で……。詰んだ。
うーんこれからどう動くべきか。ケイトを探すのに必要な事は……。メリアの王族さんまだこの辺にいないのかな? いや、いても頼っちゃマズイよね。大変そうだし、私元凶だし。メリアに戻る……復興で大変な状況と新聞にある。情報収集なんて出来る状態じゃない。ここでしばらく情報を集める? いや、大体必要なものは調べた。これ以上の手がかりはないみたいだし。
何とかして他の王族とコンタクトを取りたい。イルースくんの教授いわく鍵を握ってるっぽいし。会えるかどうかも定かじゃないけど、それでもケイトの手がかりなら……。道中で旅の魔法使いにも会えないかな。
うん、やっぱりここを出なきゃ。……そうすると旅支度が必要かもしれない。でもマイスルさんにこれ以上の迷惑は、やっぱり、人の良心的に……。書置き残して出て行くかなあ。これは自分の問題なんだから。
「今日はどうも有り難うございました」
時間ギリギリまで居残って十冊以上読破した。……手がかりらしい手がかりはなかったけど。付き合ってもらったマイスルさんに超頭が上がらない。
「喜んでもらえて嬉しいよ。じゃあ、僕は夕飯の買出し行って来るから、先に帰ってて」
と鍵を渡される。信用、されてるんだなあ。
重い気分で彼の家に着くと、人影があった。イルースさん?
「よっ」
手には何か封筒を持っている。マイスルさんの生活費のと同じっぽいけど。それを押し付けるように渡されて言われた。
「突然で悪いが、弟と別れてくれ。これは俺からの手切れ金だ」
「分かりました!」
願ってもない展開なんですけど。綺麗さっぱり別れられてお金まで貰えるなんて。
「……随分あっさりしているな。やっぱり他の女と同じように都合の良い奴扱いだったのか? 興信所使って調べさせてもらったが、お前の素性が一切分からない。話した感じ怪しいところは無かったが」
大体合ってる。でもまあ、これでさよならなら本当のこと言っても問題ないかも。
「そりゃあ分かりませんよ。私、異世界人だもの」
「……は?」
「ここの世界の出身であるはずの、ケイトって子を探したかったから丁度よかったです」
「……何、言ってるんだ?」
「古代魔法を知りたがってたのは、それで私がこっちに来たからです。本当ならケイトと一緒だったのに、繋いでいた手が外れてしまって。いやあ、一人で衣食住どうなるかと思ったけど、渡る世間に鬼はないですね!」
奇異な物を見る目に変わっていくのが見て取れた。マイスルさんに見たまんま言ってもらって構いませんから。
「それじゃあ、さよなら……」
「待て!」
ばっくれようとしたら呼び止められる。まだ何かあるの?
「余りにも奇妙な話だが、うちのプロが何も分からないというのも、確かにそれなら説明がつく……。嘘は言って無いな?」
「当然」
「なら、お前の血液を寄越せ。検査にかける。結果が出るのに一月はかかるだろうが、その間の生活費はそれで何とかしろ」
血液……? そういえば見た目は同じ人間っぽいけど、中身って違ったりするのかな。ちょっと迷ったが、特に断る理由もないのでお受けする。人外だと分かればマイスルさんも納得してくれそうだし。世話になった人に後味の悪い別れはしなくて済むかも。
「医師を調達する必要があるから、明日また会うぞ。今日の昼間あった場所でいいか」
「はい」
「じゃあな」
これで、騙まし討ちみたいに別れるのは無しとなった。気分よく玄関の鍵を開ける。それにしてもイルースさんって、実はかなりのブラコンなんじゃないかな。しかもツンデレ。ふふ。
別れろとか指示するのはどうかと思ったけど、私ももし下に兄弟がいて、ある日その子が戸籍もないような人と付き合ってるなんて言ったら……。やばいよ犯罪の香りがするよやめときなよ! とかなるよね、そりゃ。真っ当な心配だ。マイスルさんは愛されてるんだなあ。
階下でそのマイスルさんが、私とイルースの会話で誤解しやすい部分だけ聞いていたことは、勿論この時の私は知る由もない。