ドラゴンの住処
肌寒い。鳥の鳴き声がする。草の上に寝ていた千沙の瞼が開けられる。
「ううん……何で私、屋外で寝てるの?」
目を開けたら夜明け前か日没だろうか、真上に綺麗な空が見えた。……おかしすぎる。起きたばかりの頭を懸命に働かせて状況を整理する。
「確か学校から帰って、ケイトが。それで光に触れる直前に変な彗星? が……」
まさかまだあの変な空間に? と思って咄嗟に見上げる。綺麗な空だったが段々暗くなり始めている。しかし視力両目合わせて4:0の千沙には、空に浮かぶ四つの衛星のようなものがはっきり見えた。
「ここ、木星じゃないよね」
と言ったものの、自分で否定する。多分人の住める環境じゃないし、地球の人間があそこに降りたらまず死ぬし。……やっぱり、異世界? ケイトは? ここは? ケイトの故郷と同じ世界なんだろうか。そうだったらケイトを助けたい。でも違ったら? そもそもここはどこの何という場所なのか……。
上下しか見ていなかった目を、左右に回す。開けた場所だ。少し向こう、下の方に森が見える。ここは少し高い丘か何かかな。立ち上がって散策しようとして、下に落ちているものに目が行く。
「……これ、倒木?」
足元に木らしきものが転がっていた。異世界仕様名のか知らないが、樹液がまるで血みたいに見えて痛々しい。
「もろともに あはれと思え 山草木。木よりも他に知る人もなし……なんてね」
木の一部分がぱっくり裂けていて血のように液が滲み出ている。千沙はハンカチを取り出し、広げて丁寧に傷部分を塞ぎ、落ちないように絆創膏で止めた。
「大き目のでよかった。はい、これで大丈夫」
と、獣の咆哮のような声がそれに答える。嫌な予感がした千沙が冷や汗をかきながら斜め上を見ると、そこにはドラゴンがいた。木だと思っていたものは、ドラゴンの尻尾だったのだ。
「……えっと」
「グルルルルル……」
「……」
耐えられずに再び気を失った千沙だった。
次に目を開けたのは、すっかり夜も更けた頃だった。
「!!! ど、ドラゴンは!?」
慌てて辺りを見回すも、近くにそれらしき影は無い。月明かりだけでもそれは分かる。
「出かけたのかな? よかっ……」
視線を感じる。誰かが見ている。木の影辺り……。目を凝らすと同い年くらいの少年がいた。少年は全裸だった。
「(逃げるべき?)」
じりじり後ずさりして距離をとる。と、後ろを確認しなかったので、丘から滑り落ちそうになる。
「!!」
「危ない!」
少年は脅威の瞬発力で千沙に追いつき、手をとって助ける。
「あ、ありがとう」
「僕にお礼なんていいよ。手当てしてくれたんだし」
「え?」
「あの、ドラゴン……。悪しき魔法使いに呪いをかけられていて、夜だけ人間に戻れるんだ」
魔法? じゃあケイトの世界なんだろうか? と瞬時に納得した千沙だった。ファンタジー設定なら存分に思い知っている。
「僕の名前はレト。本当は一国の王子なんだけれど、ある妖精の怒りを買って呪われてしまった。ドラゴンに変身した後は、誰にも僕と気づいてもらえず、民衆には石を投げられて、元の国を追い出されるように出てきた。あそこではもう、死んだ扱いなんだろうな。今は仕方なく、人里離れたこういう場所で木の実を食べて暮らしている。巨体でもここなら安心だしね」
草木で作った下着のようなものを履いてもらって、横に並んで語らう。人間バージョンのレトは、優しげな容貌のイケメンだった。服さえ着ていればあとは……いや、こういう身の上なら無茶か。
「大変、だったんだね……」
「どうだろう? もう当たり前になっちゃったし。それで、チサはどうしてここに? 驚いたよ、帰ってみれば巣穴に人間の女の子が寝ているんだから」
ちらと左足の傷に撒かれたハンカチを見て思う。うん、信用できそう。
「実は……」
「……ケイト。名前に心当たりはないな。でも古代魔法なら名前だけなら知っている。とっくに絶えた技術のはずだけど」
「! じゃあ、ここがケイトの世界なのね!」
「ごめん、はっきりした事は言えない」
「そう、だよね……」
項垂れる千沙をレトは必死に慰める。
「いや、うん、でもそんな貴重なものなら、確かに王家みたいなところで匿うのも分かるよ。どこの大陸か分からないけど、多分どこかには……」
「ありがとう、慰めてくれるんだ。ごめんね。レトくんだって辛いのに」
「僕は、もう……。それより、辛い目に合ったばかりの人の方が心配だよ」
裸を見た時に偏見抱いてごめんなさい! レトくんすごい紳士!
「でも、外に出るのは感心しないな。ここは人間にとっては秘境も同然の地。ここはいいけど、下に行くと毒虫や吸血動物がうようよしているんだ」
んん?
「食べ物なら僕が運んであげるよ、だから、ね」
何か ね なんでしょうか。
「久しぶりなんだ、人間と話すの。初めてなんだ。ドラゴンの姿で優しくしてくれた人」
え、ちょ。びくつく肩を両手で掴まれる。
「ここに居ようよ。僕が養ってあげるから」
半裸の男に真剣な目で見つめられ、おまけに肩を強い力で掴まれて、頷く以外に私に何が出来ただろうか。ケイトを助ける前に自分がピンチとか笑えない。