さまよえる異世界人
参道:神社や寺に参拝するために設けられた道。
私の記憶が正しければそういう意味だったはず。けれど今、ディケドラルトから逃れるために歩いているこの道は……。
「普通の山道にしか見えない」
「どうしたの? チサ」
今歩いている道は舗装はされているとはいえ、山の中の道ゆえに起伏も大きい。野宿生活でろくに身体も休められないのにこの道はきっつい。ふらふら歩いているのに気づいたレトは、無言で私の手を握り、そのまま引いていってくれた。女子力ならぬ男子力か! 不言実行かっこよすぎ!
「つらい? 休む?」
「そうだね……空から完全に隠れられる場所があったら、そこで休も。ところで……」
「なに?」
「参道って聞いたけど、教会や神社はどこ? てっぺん?」
意味から考えればそういうのがあるはずだよね。ロスもそれを狙ってくるかもしれないから、そこは避けないと。
「?? ああ。そっか、チサは知らないのか。この世界では、山そのものが神聖な場所とされているから。そこに続く道や中の道は参道になるんだよ」
「山が? 神聖? どういうこと?」
それからレトは自分が知っている範囲でのこの世界の知識を教えてくれた。私の疲れを紛らわせるためでもあるんだろうな。
「冗談でも何でもなく、僕達の祖先は空からやってきたと言われている。それくらい、過去の遺物や遺跡は突然現れてるんだ」
そういえば、学園都市で見た教科書。先祖は空からやってきたみたいに書かれてたっけ。あれって事実に基づいてたんだ! 色眼鏡で見てた……。
「それが周知の事実になったころだったかな。山が神聖視されたのは」
「そうなの? どうして?」
「空と地を繋ぐ境界――そう考えられたんだ。祖先も降りるなら平地よりも山だろうと思ったんだろうね」
なるほどそういう事か。しかし、地球の概念に照らし合わせて考えると、降りるなら普通に平地だと思う。惑星探査機みたいなのの話を聞くに。でもロマンが台無しになるから言わないでおこう。
「レトって物知りだね。参考になるよ」
「そうかな? チサの役に立つのは嬉しいけど……でも古代魔法について、僕は……」
ついにきたか。触れないでいた話。
「レトくんは、古代魔法についてはどれくらい知ってる?」
「……本当にごめん。何も知らないんだ。父は、かなり早くから僕を廃嫡しようと思ってたのか、そういう知識を与えられなかった。家庭教師から聞いた、歴史や地理、外国語、簡単な音楽にダンスくらいしか知らない」
「うん。それだけ知ってるなら充分じゃないかな」
古代魔法についてはやはりレトは知らなかった。でもレトの知ってる分野、君家庭教師とか出来そうだね。
「チサの力になりたかった」
「充分なってるよ。今も」
手を強く握り返す。言葉なんていらない。夜の暗闇の中、視覚が制限されて触覚が過敏になる。手の温もりで気分が盛り上がったのか、私とレトは無言のままキスをした。
「ご、ごめん!」
終わった後、何故かレトのほうが慌てる。
「何で謝るの? それじゃあ悪い事したみたいじゃない」
「いやだって……悪い事じゃなくていいの?」
「知らない!」
そういえば彼氏? とか私も初めてだった。レトなんて最初、上手く利用して目的を達成するための踏み台だったのに。どんどんそういう風に思えなくなっていく。情がうつったっていうのかな。
「……」
しばらくお互いが照れているために、無言で夜の山道を歩く。しばらく歩いた頃、巨大な木の下に休めそうな場所があるのを見つけた。
「チサ! あそこ」
「うん。今日はそこで休もうか」
木のうろがいい感じによっかかれそうに出来ている。それも二人分。ほとんどない荷物を下ろして足を休ませる。
「レトも……」
「僕はまだ。夕飯と朝ごはんを調達してくるよ。参道だけあって無事な果実が結構あったし!」
「それなら私も」
「チサは休んでて! 僕の方が慣れてるから大丈夫!」
それからあっという間にレトは走っていっていなくなった。ホームレス、やってたんだもんね……。それに夜目が利くのか、足元がよく見えなくて倍疲れた私より断然元気だ。ここは任せようかな。
静かな夜更けだった。時折、遠くに動物の咆哮と鳥の夜鳴きが聞こえる。ぼんやり空を見上げる。葉の影から、四つに並んだ月がかすかに見えた。
「綺麗……」
月なんて地球じゃ一つだった。それを思えば贅沢な光景に感じる。もっと近くで見たいかも……折角山の頂上付近なんだし……。ディケドラルトは怖いけど、この暗さじゃ見つけることはまず無理だろう。少しだけ……。
開けた場所に出た。四つの月がぼんやりと辺りを照らしている。四つあるから明るさも四倍ということはない。どれも地球の月に満たない大きさで、明かりもやや暗い。しいて言うなら日本のそれよりやや明るいというくらいか。
文学少女だった千沙。異世界の景色にあてられて、思わず和歌を口ずさみたくなる。
ぴったりなのは何だろう?
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして。……別にそんな悲愴感ない。そもそも異世界の月だから違って当然だし、季節も……今いつなんだろうか。
名月や 池をめぐりて 夜もすがら。……ここに池はないし。
いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと 思いいでける。……確かに月から来た人が主役だけど。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
ああ! それだ! 異郷の地で思いを馳せるには実にぴったり……って。
「誰!?」
今言ったのは私じゃない。私じゃないのに、誰が地球の日本の和歌を言った!?
「……っ……日本語?」
木の影にいたのは、私と同い年くらいの男子だった。お互い目立たないようにしていて気づかなかったっぽい。ただ、彼は随分とその、はっきりって乞食みたいな服装だった。この人が?
「貴方は? もしかして日本人なの?」
「! 君、も……?」
怯えたような仕草、表情。
どういうことなの? まさかこの人もケイトに連れられてきた人なの? 異世界で同郷に会うなんて……。
「えーとえーと、異世界トリップとかしてここに来た、とか」
「うん……! うん……! 君も?」
信じられない……でも凄い、ケイトの手がかりかもしれない。
「私、佐倉千沙っていうの。貴方は?」
「……日本に居た頃の名前は……川田勇人」
「日本! やっぱり地球の日本なのね! 私以外にここに来た日本人がいるなんて……ねえ勇人くん、ケイトに連れられてきたの?」
「ケイト……? いや、俺は……」
そう言ったっきり勇人くんは口ごもった。あれ? ケイトは関係ないの? もしかしたら引きずられてきた近所の人かとも思ったけど。勇人くんは黙ったまま、私をじろじろと観察するように見た。何だろう?
「千沙さん、だっけ。最近ここに来たの? 服もまだそんな汚れてないし。言葉が通じないから、働くことも出来なくて大変だろう?」
「え?」
「え?」
……勇人くんの言ってる事が分からない。言葉、普通に通じてるんだけど。
「いや、結構前に。それに言葉には苦労してないよ」
「え? どういう意味? 俺は、ここの言葉が全然分からないのに」
え? え?
「あの、勇人くんはどうやってここに?」
「呼び出された。小説や漫画でいう、召還みたいな……」
「召還って」
私は元の世界に戻されるケイトを追ってワープに入った。でも彼は召還??
「家に、帰る途中だった。いつもと同じ、何も変わらない日常の中で……。クラスの連中に『いたの?』 って言われるような、平凡以下の俺だった。だから、突然地面に魔法陣が現れて、次に目が覚めたら絶世の美女がいて、歓待してくれて……選ばれた存在だって、酔っていた……」
「……」
古代魔法だ。勇人くんを召還したのはおそらく、隠された島の人だろうか? しかしそれなら、何故彼は今ここにいるのか。
「『もう必要ない。天国のような思いをさせてやっただろう? お前の役目は終わった。向こうから幸せが勝手にやってくるのを期待するだけの社会の蛆虫が。話していてよく分かった。お前には元の世界へ返すほどの価値もない』 あの女はそう言って、魔法みたいなのを使った。俺は、気がついたら知らない街にいて、そこでは言葉も通じなくて、何も出来なくて、物乞いをして、治安部隊にそれすらもやめさせれて、今は森や山を彷徨っている……」
「一体……その女の人は」
「種が欲しかった。そう言っていた。マジで種馬にされたらしい。そういえば名前も知らないな……二十代半ばから後半くらいに見えたが」
あ、じゃあケイトじゃない。ケイトは誰が見ても少女だったし。にしても……まさかそれ、隠された島で起こったことなの? そこでは一体何が起こっているの?
「ところで千沙さん。君は、言葉が通じるの? 俺と違って……」
「え? ああうんそうみたい。でもきっとこの世界に来る方法が違ったからだと思う」
「今、何やってるの?」
「一緒に来たここ出身の女の子を捜しているの。多分、その女の子が私に力をくれて、私は言葉に不自由してないんだと思う」
「そんなの……ずるいだろ」
勇人くんが豹変するのを感じた。みるみるうちに怒りの形相になる。
「俺は騙されて言葉も通じないまま追い出されて乞食になったのに、その恵まれっぷりはどういうことだよ」
勇人くんは苛立ちを隠しもしないで声を荒げて私に言い募る。フラストレーションを私に全てぶつけるかのように。月明かりで見える彼の目つきは、まるで親の仇でも見るかのようだった。
「……っそう言われても」
言われてみれば、確かに私は恵まれていたのかも。レトと会った時も、言葉が通じなかったらと思うとぞっとする。何も分からないまま手篭めにされてたのかも……笑えない。
でもだからって不満をぶつけられても困る。むっとして思わず睨み返す。
「千沙、お前分かってねえよ、どれだけ自分がラッキーなのか全然な! 俺は、お前見てると反吐が出る!」
「……なんで、そこまで言われなくちゃならないの!?」
「同じ日本人で、何でここまで差が出る!? 俺とお前、何が違うっていうんだ!」
「分からないよ! それに私だってここの戸籍がある訳じゃないし、親切な人の力をかりて何とかここまで……」
「人の、力……。俺だって、コミュニケーションさえとれれば、俺だって!!」
何だか、喋れば喋るほど勇人くんの怒りに油を注いでいるような気がする。一体何が彼の逆鱗に触れているって言うんだろう?
「ねえどうしたっていうの、落ち着いて……」
「黙れ!!! ……いいか、お前もどうせ利用されるためにこの世界と関わったんだ……何一つ自分の力でないくせにへらへら笑うな!!!!」
そう言って彼はくるりと身体を反転させて駆け出した。
「え!? ちょっと待って!! 夜の山道は危ないよ! 勇人くん! 勇人くん!!」
慌てて追おうとして木の根につまずく。明かりが月と星だけしかないと、本当に世界は暗い。顔をしかめながら立ち上がった時、聞きなれた声が耳に届いた。
「チサ? チサー? どこにいるの?」
レトだ。勇人くんのことは気になるけど……ケイトの手がかりかもしれないけど……ものすごい嫌われっぷりだったしなあ。夜中だから道も危険だし、一旦戻ろう。彼だってそう遠くには行けまい。朝になったら探して、話を聞きだそう。
「……チサと同じ世界からの人か」
「うん。そう離れてはいないと思うんだ」
翌朝、私はレトに事情を話して山道を下山していた。
「下山の方向だからね。言葉も通じないって言ってたし、探せばその辺にいたり……」
「ん? チサ、あれを見て」
レトが言った方向には、人が集まっていた。ここら辺に住む人達だろうか。何かを取り囲むようにしてガヤガヤと騒いでいる。
「ちょうどいいや、あの人達に聞いてみようか」
「僕が聞いてみるよ。チサはディケドラルトに追われてるんだから、余り前に出ないほうがいい」
「……ありがとう」
レトって気が利くし、顔もイケメンだし。本当、最初に会ったのがレトでよかった。
「すみません。……えーと、どうしたんですか?」
レトはまず無難に人が集まっている理由を尋ねた。
「昨日の夜半にな、人が山から滑り落ちて死んだんだってよ」
「遺体は黒髪黒目で……格好からして乞食らしい」
レトの制止を振り切って、チサは人を押し分け遺体を見た。崖になっているところから落ち、頭から地面に突っ込んだために頭部の損傷が激しいが、それでもそれが誰であるか、チサには分かってしまった。
「ゆうと、くん」
千沙は、遺体の入った棺が地面に埋葬されていくのを、微動だにせず見ていた。せめてそうするのが、同郷の義理だと思っていた。
簡単な葬儀が終了して人がいなくなり、レトと自分だけになって、千沙はようやくほろほろと涙をこぼした。
「もう一人の自分が死んだんだ。あれは、ケイトの恩恵を受けられなかった自分だ」
レトは泣きじゃくる千沙を抱いて、時折ポンポンと背中を叩いてあやした。少しでも心が安らぐように、小さい頃、優しい乳母にされたようにした。
「落ち着いた?」
「うん。ありがとうレト」
「どういたしまして。さて、これからどこに行く?」
「そうだなあ……」
墓地から街道を見て思う。ここで一番近い王家のある場所は……。と、北の街道から慌てて走ってくる集団が見えた。
「? 何だろうあれ?」
「……様子がおかしい。何かあったのか?」
集団に近づいて少し探ってみる二人。
「着いた、着いたわ!」
「さあ早く村長に連絡を!」
「討伐隊を組んでもらわないと……それに村に残してきた人達も助けなければ」
「ああ神様! 悪しき吸血鬼に天罰を!」
……!? 魔法は御伽噺なのに、吸血鬼とかいるの? この世界。
歌の大体の訳
「月やあらぬ」……月も春も昔のままではないのか。私だけが変わらないで。
「いまはとて」……羽衣を着る今になって、貴方をお慕いする気持ちがわくことです。
「天の原」……空に浮かぶあの月は、故郷の月と同じ月なのだろう。