大体自業自得
学校か家の用事かで席を外したイルース。足音が完全に聞こえなくなったのを確認して起き上がり、逃亡ルートを確保するため部屋を漁る。
「実験動物みたいな扱いなんて、誰が大人しく受けるもんか」
異世界からの人間で、戸籍がない。おそらく人権も――。それを考えたら黙ってここにいるなんて考えられない。中世の魔女狩り。植民地支配下の原住民の扱い。人間と認められないことはひたすら恐ろしい。
「部屋には何もない、か。私の持ち物は……。あ!」
慌ててポケットを確認する。あった。石にされたレトくん。イルースも動転してて身体検査を忘れてたのかな? その甘さに感謝する。あと手持ちのものは……あの日、家に帰った時にポケットの中にあったものがそのまま。えーと。
低刺激日焼け止めに、化粧のベースとファンデーションが入ったポーチ……だけだ。脱出にはとても使えない。でも逃げたあとの変装にくらいは役立つかな? ただ私、肌が弱くて化粧が辛いんだよね。すぐぶつぶつ出来るし。これも結局ほとんど使ってない。……いやでも考えようにようっては人相変えられて変装になるかも?
「あとあるのは……髪についてるヘアピン」
髪の量が多い私には欠かせないものだ。そういえば、漫画なんかではヘアピンで鍵を開けたっていうけど……。物は試しだ。突っ込んでガチャガチャ言わせる。しばらくすると手ごたえがあり、四苦八苦しながら回す。
「開いた!」
自分の意外な才能にびっくりする。さああとは玄関を……。
「元気なのは結構ですが、お戻りいただけますか?」
左右に昨日のSPっぽい人達がいた。そうですよね、見張りもなしにどっか行くなんてまぬけすぎますもんね……。
「逃がしてくれませんか?」
部屋の中に戻されて直接見張られる。前向きに考えるんだ、味方になってくれれば心強いと。
「私どもも雇われている身なのでね。諦めてください」
駄目かあ……。うう、こっちに来てから異様にもてるから、もしかしてこっちの世界では美少女なんじゃ、と思ったりしたけど、そんなことはなかった。でも諦めない。生きている限り。
「大切な人が、殺されるかもしれないんです。行かなくちゃいけないんです。彼女が殺されたら、私も生きていられない」
もしかしたらケイトも逃げてるのかもしれない。そして見つかったら殺されて、私も……。時間がない、なんとしても探さなきゃ。この世界の一般人は魔法とか信じて無いし、きっと苦労してる。
「イルース様から、人間ではないとお聞きしましたが、まるで人間のようなことを仰る」
「人間です! ……ちょっと中身が違うだけで」
背の高い方の見張りが訝しげに言ってくる。何で言葉が通じるのに化け物みたいに言われなくちゃいけないの。いやでも確かに魔法みたいなチートがなかったらすぐ死ぬみたいだし、実際この世のものではない? し、こっちの概念では怪物に相当するのかもだけど。
「これは失礼。私の名はセル。向こうがジン。貴女の名前は?」
「チサ。苗字はサクラ」
「チサ殿、信じてもらえずとも仕方ありませんが、イルース様には貴女に危害を加える気はございません」
嘘だ。というか、既に危害加えられてるじゃない。弟を誑かしたって殴られたんですけど。そう思ったのが顔に出てたらしく、セルさんは苦笑しながらフォローを続ける。
「弟の――マイスル殿のことは例外として、貴女様はイルース様が焦がれていた、御伽噺の世界の住人なのですから」
「……えーと」
「この屋敷に来るまで、イルース様は苦労なされたと聞きます。狂人と噂される母親に、気難しい弟の世話を一手に担って。古代魔法のことも、何も当主様が言うから取ったのではありません。イルース様は、御伽噺のような事を夢見る事で、日々を生きてきた、とかつて洩らした事がございました」
何ですか、その他人と思えない話は。
夜、イルースが千沙のいる部屋に帰ってきた。
「……よう」
「……どうも」
お互い無愛想な挨拶から入る。ベッドに腰掛けていた千沙の隣に、遠慮なく座るイルース。
「可愛くねえな。もう俺しか頼れる人間はいないんだから、帰ったら媚売るくらいになってると思ったんだが。マイスルのとこで使い切ったか?」
セクハラ発言にも千沙はボーッと遠くを見て動じない。
「……お前な」
「あのさ」
不意に千沙が話しかける。
「あ?」
「……ここに引き取られるまで、大変だったって本当?」
セルかジンが吹き込んだな――と思う。ここに住み始めた時から、あいつらのお節介なまでの世話焼きぶりには苦々しい思いをしている。別に本気で嫌という訳でもないが。とはいえ弟をたぶらかす奴にこっちの事情を話すのはいい気しない。
「さあな、覚えていない」
「そう?」
と言って、チサはベッド脇にあったノートを取り、ページをめくって読み始めた。何がしたいんだ?
「……謎の空間に少年はいた。そこにはなんと女神がいた。そいつは言った。『お前がこの世界を救うのです』 少年はバーンとなってガーンとした。た。『くそっ! 静まれ俺の右腕……!』……」
「わあああああああああああああ!?」
あ、すごいうろたえてる。セルさん達がくれた厨二病ノートは素晴らしいな。誰のかって? もちろんイルースの。人の黒歴史は蜜の味いいい!
「こんな話を書くほど切羽詰って……」
「やめろ! てめえ憐れんだ目で見てんじゃねえ!」
からかうのも楽しいけど、程々にしておこう。
「でも結構リアルなんじゃないの? 私も女神に連れられてここに来たようなものだし」
「……! ほ、本当か」
「うん! ね、聞かせてくれない? イルースさんの思う異世界の話」
「……別に。お前が聞きたいっていうなら」
かかった。私も苛められてる頃に、異性がこんな風に痛いとこ含め肯定してくれたら、そいつを王子認定しただろう。要するに惚れる。
「本当なら自分は特別な存在で、いつか他から迎えが来る。その世界では英雄になれる――。そう思っていた」
いつの間にか、外では雨が降っていた。雨戸に叩きつける音をBGMにイルースの昔語りを聞く。
「父親は気がついたらいなかった。母親は……狂っていた。マイスルのこと、あいつの父親の名で呼ぶんだぜ。弟は、多分一度も自分の名を呼ばれたことはない。あの名前だって、祖母にあたる人が戸籍を出す時に咄嗟につけた名前だ」
胸が痛む。そんな人を利用していたなんて。それにしてもマイスルさんは一見普通そうで重い過去なんて持ってなさそうに見えたのに。……いや、母親がそんなだから異性に過剰な期待を寄せ、それが裏切られたと思うと……なのかもしれない。何が爆弾のスイッチかなんて誰にも分からないのだから。
「母は、俺を認識もしてなかったな。あの頃は死なない程度のものを食べてた。あの人は、母親の本能で分かったんだろうな。弟が真に愛した人の子で、俺が……っていうの。なんだよ、お前が辛そうな顔するなよ」
当てにならない両親のもとに生まれることがどれほど辛いかは、少しだけ分かるつもりだ。
「マイスルはな、そんな兄の扱いを見て、自分もああはなりたくないと、父の名を呼ばれて積極的に返事してたぜ。それどころか自分の地位を守ろうと夫みたいに振る舞ったりした。純粋な被害者じゃないのかもな、こういうの」
マイスルさん、期待もたせて本当ごめんなさい。
「その時期だよ。広告の端に自分が異世界に呼ばれて大活躍みたいな話を書いてたのは。現実逃避の中で最も実にならないものだと思わないか?」
「そんな事はない、と、現実に異世界から来た人間が言ってみる」
イルースさんは豪快に笑った。そういえば、私この人の笑った顔見るの初めてかも。
「そんな折、貴族の種だったって発覚してね。髪色以外は肖像画で見る父に瓜二つだった。灰かぶりの童話のようになった、が」
――母親がとんでもないふしだらな女とか――
――そのうち弟にも貴族の地位を求めるのではないの。貧乏人は強欲で嫌になるわ――
――あらあらお止めなさないな、元、ですよ元。ほほほ……――
「どこに行っても、同じなんだ。そう思ってからは、夢を見るのをやめた。貴族でも後ろ指さされる生活は同じだったからな」
「……」
「なあ、お前の世界の話を聞かせてくれよ。住んでいる人は? そこにも身分制度はあるのか? 子供は母親から生まれるのか? なあ……」
「……そうだなあ。空賊ディケドラルトみたいに何百人も乗せて飛ぶ船があるよ」
「そうなのか! さすがだな」
「あとは、離れたところにいる人間とお話できたり、遠くの物を映したり、そうそう宇宙にも行ったの」
「御伽噺の楽園みたいだな……そういうところに産まれたかった」
全部私以外の人の功績ですけどね。それにそんな所でも、私は死のうとしたんだよ。
「そこだったら、俺も今みたいじゃなかったんだろうな」
「? 不満でもあるの? 変わりたいとか?」
「そりゃそうだろ。結局この世界にいたら何も変わらない。異世界にでも行かなきゃ……」
空しい逃避願望。でもよく分かる。
「いつか、お前のいる世界に行ってみたいな。こんな堅苦しい地位も身分も捨てて」
「……言っておくけれど、自分が変わらないなら、何も変わらないよ」
ケイトが来たから変わったけど、もしケイトが引きずり込まれるのを止めようとしなかったら、相変わらずクラスと家で孤独な思いをしてたのだろう。普段だったら怖くて何もしなかった。でも、私は助けようと思ったからここにいる。
「どこに居たって変われるよ。誰かの為に動くなら、人は変われる」
「お前……」
驚いたようなイルースの表情。せっかく夢見てたのに現実的な意見でテンション下がったかな。
「案外クサイこと言うんだな」
「……それはどうも」
「でも、悪くない。なあ、もっと聞かせてくれよ。お前の世界の話を……」
チサははにかみながらニホンとやらの話をしてくれた。俺は何故か、その顔をずっと見ていたいと思った。小さい頃から憧れた異世界。その体現者。最初はまた弟をたぶらかすやつかと思ったが、明日の生活に必死な異世界人と聞いて流石に印象は変わった。何より、改めて見るとチサは……。
横に置いてあるノートを見る。ノートと言っても、チラシをホチキスでとめてノートっぽくしてるだけだが。そうまでして取って置いたそれには、幼少期に俺が書いた異世界冒険ものが綴ってある。そのヒロインが、チサにそっくりだった。
平凡で頼りない異世界で最初に出会った少女。始めは反抗的だが、主人公が過去を話すと同情して親しくなるところが特に……。
今では、ノートから飛び出して会いにきてくれたのかもしれない、なんて事まで考えてしまう。
もしそうだったら、俺が面倒見るべきだよな……。
「もう、真夜中みたいですね」
チサが話を中断して言う。……確かに、遅い刻限だ。
「お帰りにはならないんですか?」
「帰ってほしいか」
「意地悪なこと言わないで。私は……」
と、チサがしな垂れかかってくる。ちょ、若い男女が夜に部屋で二人っきりでこれはまずいだろう!
「どうして最初に貴方に会わなかったのかな」
「それは……」
「ごめんなさい。困らせて。もうやめにします」
「……チサ!」
勢い余ってベッドに押し倒す。あれだ、据え膳食わぬはってやつだ。
「ずっと、お前を待っていたんだ。異世界の……!?」
腹に衝撃が走る。鈍器を隠し持ってそれで殴ったのだと理解するまでに時間がかかった。
「……脳味噌下半身で出来てるの? 人のこと淫売って罵っておいて。自分も人のこと言えないじゃない」
冷たい声と視線。それを崩すことなく彼女は腰元を漁って、鍵束を抜き取る。
「これかな。……見張りもいない……。一度阻止したからって油断したら駄目だよ。ふふ」
「チ、サ。なぜ」
後ろから蚊の鳴くような声でイルースが問う。
「最初に会いたかったよ。そうすれば効率よくこの世界が分かったもの。ケイトのことは話したよね? 彼女こそ私をここに連れてきた張本人で、私の一番大事な人。私は彼女のためにしか生きられない。彼女以外はどうでもいい。彼女に会うためなら何でもする。これに懲りたら、夢を見るのもほどほどにするのね」
本当なら時間がないんだけど、問われたら答えておくべきだよね。誤解と未練防止のためにも。
「じゃあね」
人目を避けつつ玄関に行き、夜の街を駆け出す。とりあえず、最初にこの辺りに着いたところ……ワープ機能とかまだ使えるかな。ここ以外ならどこでもいい。どこかに行って離れなきゃ。
「戻ってきてくれるんじゃないの?」
突然背後から声をかけられる。姿を見なくても誰かは分かった。見張ってたのかな。ゆっくり振り返って名前を呟く。
「マイスル、さん」
「今度は……どこに行くの?」
「私、人を探してるんです。その人が見つかったら、必ずここに戻ってきます」
だから見逃して――くれなさそう。その光の無い目を見つめていると、深淵を覗き込むような気分になる。
「僕は、好きな女性には尽くすよ。ずっとそうして来たんだから」
一度も名前を呼ばれなかったという母親のことですかね。
「でも誰も……兄がいいって離れた。もっと軽く付き合いたいんだって。軽く付き合うって何なんだろうね。交際って軽くしていいようなものじゃないよね」
「……マイスルさん」
「あの時、兄を否定したじゃないか」
彼の考えを否定したのであって、彼自身を否定した訳ではない。というか、異様な幼少期を送ったせいでヤンデレ並みの愛情表現に……! しかも親しくなった後に本性むき出しにする人か。そりゃ引かれるわ。
「それとも、最初から利用するつもりだったの?」
「はい! あっさり引っかかってくれて助かりました!」
最初からろくな女じゃなかったんですよ。だからどうぞ見損なってください!
「……それでも、諦められない」
フラグ折りたい、切実に。
「マイスル。何を手間取っているんだ?」
今度は真横から声がした。……こんなことなら気絶させとくんだった。後悔すでに遅く、腹パンチをくらって私は気絶した。
「なんで」
「お前も……だろ……なら……」
薄れゆく意識の中、兄弟の声を遠くに聞いていた。