7
鞄を手に走っていた夏月は、学園の裏門への最後の角を曲がろうとした所で、反射的に足を止めた。
違和感がある。
奇妙な、違和感が――――。
≪夏月、編まれた魔力を感じます≫
「やっぱり? …………何だろう、本当、嫌な予感が…」
≪彼からの連絡と、関わりあるのでしょう。間違いなく≫
淡々と狐月は嫌な断言をしてくれた。
はぁ、と小さく息を吐き出してから夏月は気を取り直しすように1歩を踏み出す。
角を曲がり、顔を上げて―――――。
「何……どういう事?」
思わずそう呟いた。
およそ30メートル先には、裏門がある。
あるのだが。
それに連なるように、覆うように、学園の塀を丸ごと囲んだ薄いスカイブルーの皮膜。
―――――結界。
不吉な予感が決定的なものになった。
よくよく見れば、それは、学園全体を包んでいる。
どうして今までそれに気付かなかったのかと小さく舌打ちしながら、落ち着いた足取りで夏月は裏門へと向かった。
「おはよう」
裏門前にて、向こう側から現れた姿に足を止める。
「おはようございます」
(………大和騎士団の第3師団、第6部隊の人が、何でこんな所で暢気に挨拶…?)
にこやかに挨拶をしつつ、ざっとその姿を確認し、内心呟く。
大和騎士団の制服は遠目には全て同じに見えるが胸元で所属師団が区別できるようになっているし、近付けば襟章で所属部隊もわかるようになっているのだが、襟章の方は余り知られていない。
「………早いね、試験勉強かな?」
「いえ、先生から連絡を貰ったものですから」
「そうなんだ? 大変だねー、朝早くから。試験中なのに。………ええとね、ちょっと、今の時間、通行は制限されててね。立ち入りも 「そのようですね。人払いの結界まで設置してあるようですから」 ……見えるの?」
「はい。それで、何かありましたか?」
「申し訳ないがそれは教えられない」
「わかりました」
柔和だった表情を厳しいそれに変えてきっぱりと告げた科白に、あっさりと夏月は頷いた。
簡単に引いた夏月が意外過ぎたのか、本気で唖然とした顔をしている。
(………魔法騎士の割に、感情が表に出過ぎじゃないかな…、この人)
「それで、中には入れるんでしょうか?」
内心思った事は口に出さずに、聞いてみる。
夏月にとって担任というよりは、上官という認識の強いシノッチ。そのシノッチからの呼び出しである。上官の命令―――――ではなかったが、夏月自身が行くと言ったのだ。
「ああ、うん。確認して、通行許可が出てるならね。時間が早いし、折角来てくれた所申し訳ないけれど、入れない可能性もあるからね」
「そうなんですか…。大変ですね、朝早くから」
「うん、本当そうなんだよ。夜勤の担当だっていたのに、夜も明けないうちから叩き起こさ 「川面、余計な話をするな」
本気で苦笑して告げる科白が、背後からかけられた声に止まる。
それに夏月が内心で舌打ちをしたのは、知らない方がいいだろう。
「………相馬さん。ただの世間話じゃないですか、そんな目くじら立てなくても」
「勤務中だ」
「…………だって、折角、しかもこんなに朝早く来てくれた学生さんですよ? 後輩ですよ? 無下に対応するなんて可哀想じゃないですか」
「あのな、今どういう事態かわかって…―――――ああ、なるほど」
あきれ返ったように言いながら傍まで歩いてきて、苦笑する川面と呼ばれた魔法騎士である筈の男の隣に並んで、夏月と顔を合わせる。
少しその顔を無言で眺めてから、相馬は訳知り顔で頷いて川面の肩をぽんっと叩いた。
「勤務中に後輩ナンパするな」
「なっ…!? し、してないですよっ!!」
「ドモるな、何だ実はそうだったのか?」
「ち、違っ! 何を言っちゃってるんですかっこの人!!」
「あーはいはい。わかったわかった。しょーがないよな~、潤いのうの字もない、彼女いない暦が年と同じで27年の淋しい人生だもんな、うん。わかるぞ、川面。………だが、勤務中はダメだ」
「だから違いますって!! しかもさり気なく酷い事言っちゃってるしこの人っ!!」
「はいはい。じゃぁそういう事にしておくから。―――で、名前はお嬢さん?」
「相馬さん! アナタこそ何言ってんですかーっ!!」
「名簿確認するのに名前いるだろ?」
あっさりとした科白の相馬に、いや、顔はいじわるげにニヤニヤしていたんだけれども、それはともかく、川面は項垂れた。
一方、そのやりとりを眺めていた夏月は、どこかで見た事あるその光景に、騎士団って実はイロモノ集団なんだろうかなどと思っていたのだが。
「で、名前は?」
「水代夏月です」
「「………水代?」」
短く答えた夏月に、2人は揃って訝しげな声を上げる。
ついでにまじまじと夏月を眺めている、品定めというよりは、どこか驚嘆といった信じられないものを見る目付きである。
夏月自身にそんな目で見られる覚えは皆目ないんだが。
「………兄弟いる?」
「はい、兄がお2人と同じ師団におります」
「「あ゛あ゛~~~~っ!!」
的外れな問い掛けに素直に答えた夏月の後で、珍妙な叫びを上げる。
その後、振り返って相馬が川面の肩に腕を回してぼそぼそと何やら語り合っている。
内緒話をする2人を余所に、その理由がわかってしまった夏月はどうしたものかと小さく溜息を付いた。
(……時間、過ぎてるような気がする……)
≪ええ、夏月。話が進みそうにありませんので、催促した方が宜しいかと≫
(………そうだね)
「―――あの、取り込み中に申し訳ありませんが、急いでるのですが…?」
「え、あ、ああ。はい、すぐに確認を…」
「いや、必要ないだろ。隊長の妹じゃ」
「え、でも一応やらないと…」
「んじゃ、ちゃちゃとやれや~。―――んで、えー…水代さん、急いでるところ悪いけどもう少し待って貰えると有りがたい」
いきなり腰の低くなった2人に、夏月は苦笑いを浮かべた。
その変わり様が長いものに巻かれたわけでなく、別の理由だとわかっていたからだ。
「しっかし、大変だねー。いや、オレ等は仕事からしょーがないんだが、学生の身分、更に試験中なのにこんな朝早くから呼び出しとか。もう進路決まっ 「止まれェエエエエエエエィッ!!!!」
周囲を揺るがす怒号が響き渡った。
騎士2人はそろってビクリと躰を震わせて恐る恐るといった風に背後を振り返り、夏月は諦めの境地のような表情になる。
≪………夏月、夏哉が≫
(うん)
「「………隊長」」
騎士2人の呟きは怯えた声だった、それは、心の底から。
だって物凄い勢いで走ってくる姿は、本気で、彼等2人をしっかりと見据えて、―――――殺気だっている。確実に殺る気だ、標的が自分の部下だって事はすっかり忘れているようです。
「妹に近付く男は滅ぶべしーっ!!!」
「違っ、隊長違いますっ!!」
「うわ、本気だよあの人っ!?」
「問答無用っ!!」
愛槍を構え―――――
「兄さん、おはようございます」
えらく場違いな挨拶をして一礼した夏月に、ずざざっと間を開けた2人の間に隊長こと夏月の兄、夏哉は急停車してぴたりと止まると超笑顔になって、頭を上げた夏月に微笑みかける。
殺気はどうした? 標的は左右にいるぞ。
「おはよう、夏月」
「兄さん、朝早くからお勤めご苦労様です」
「うん。でもまぁ、夏月と朝の挨拶なんて久しぶりだから、そう悪くも無いよ」
にこにこと微笑みを浮かべる兄妹を左右から眺めて、2人は本気で安堵の息を吐き出す。
噂には聞いていたし、本人も公言していたから、そうなんだろうとは思っていたが、軽くその想像を越えていた。
水代夏哉は、重度のシスコン。
日々、「妹に近付く男は殺す」、「自分が認めた相手じゃないと結婚は赦さない」、などなど部下に向かいのたまっている。騎士団内部でも有名だから、きっと他でも公言して憚らないんだろう。
どこの頑固親父だ、あんたは。
「ああ、そうだ。相馬、川面、夏月はいいから。こっちの都合で来て貰ってるからさ」
「え、あ、………そうなんですか?」
「魔術痕の解析に? まぁ、本部に就職決まってるくらいだからなぁ」
「相馬、それ違う」
「はい?」
「本部に行くのは上の妹の夏樹で、夏月は下の妹だから。名簿確認してくれ、4年S組だ。夏樹は5年SS組だから」
騎士団の団員が総じて“本部”と口に出した時に指すのは、魔術師協会本部の事であり、騎士団内部の組織ではない。
言われた通りに、川面がその画面を出すと、顔写真入りで夏月を確認し特記事項に補助員の文字を目にして、納得する。その後で、序に、本部で手をこまねいて待っているという噂の人物を確認するのに5年SS組を開き、目を丸くした。
手元の名簿と、そこにいる夏月と、目を瞬くようにして何度も何度も見比べている。
「……………川面。何でここにいない夏樹まで確認したのか、聞いてもいいかな?」
「申し訳ありませんっ、ついっ!!!!」
怒気の篭った声に反射的に謝ってから、顔面がみるみる蒼白になった。
つい、じゃないだろう? 何て言いながら、据わった目で笑みを浮かべる自分の部隊長にガクガクブルブルと首を振りまくる。
何でわかったんだろう、と疑問を抱きながら半泣きになってじりじりと後ず去って行く。
「隊長。川面をからかって楽しいのはわかるんですが………あ、いや、オレも言えないっすけど。一応緊急事態なんでそんくらいにしてもらって。持ち場を離れたのはどうしてですか?」
「夏月を迎えに来たんだよ。四郎さんから聞いて」
「四郎さんまで出張ってるんすか?」
「まぁ、事態が事態だから。関係者と思われる方面へは全員連絡が言ってるよ」
「オレ等って何のために来たんすかねー?」
「勿論仕事。ああ、序に、新しい伝達しとくか。これから指示出す所だったんだが、今後、許可が降りるまで誰1人として中に入れないように」
「生徒も?」
「勿論。それから、中にいる生徒を見つけたら、保護するように」
「「……保護?」」
「危険だからね」
「捕獲じゃなくて、保護なんすか?」
「中にいる時点で容疑者の可能性が高いんですよね…?」
「人命最優先。それに、目的と、何があったのか聞かないといけないからね。手遅れになって死人に口無しなんて事になったら話にならない。オレ達が呼ばれたのは警護任務なんだから、そのくらい当然だろ?」
納得してない顔の2人に、夏哉は肩を竦めた。
何で朝っぱらから叩き起こされる原因作ったヤツの面倒見なきゃなんねーんだよ、とか思ってるに違いない。相馬は。
「それじゃ、夏月。付いて来て」
「はい。―――相馬さん、川面さん、お仕事頑張って下さい。失礼します」
穏やかに微笑んで夏哉の後を付いて行く夏月をほけーっと2人は見送った。
暫くしのままでいてから、気を取り直したようにお互い顔を見合わせて、大きく頷き合う。
「あんな妹がいたら、シスコンになる隊長の気持ちもわからんでもない」
「確かに。いいなぁ、妹……。ボクなんか、生意気な弟が3人もいるのに」
「馬っ鹿、川面。アレは特殊な部類だ、夢を見るな、夢を。妹なんてーのはな、本来ロクでもねーもんなんだよ」
「…………そういえば、相馬さん、妹いましたね」
「言うな、語るな、思い出させるな」
「そんな事言って、妹さんが彼氏とか連れてきたら品定めするんですか?」
「するかっ! むしろ喜んで、式はいつですか? とっとと嫁にもらってつかぁさいって感じだ」
「素直じゃないなぁ」
「阿呆! 妹というカテゴリーに夢を見るな、アレが特殊なんだ。レアなんだ、レア妹」
「いや、意味わかりません」
「………川面」
「はい?」
「うちの妹、やるぞ」
肩ぽむっ。
「是非とも嫁に貰ってやってくれ」
「は? えぇえ?」
「ああ、年は25だから丁度いいくらいだよな。それと見た目は保障するぞ、オレに似てなくて物凄い美人だから」
「ななななな何言っちゃってんですかっこの人ーっ!?」
本気で考えているのか、仕事そっちのけで耳まで真っ赤にしてオロオロしてる川面を満足そうに見やる。
ああ、本気で纏まったらオレも嬉しいんだがなー。などと相馬は心の底から思っていた。
仕事しろよ、お前等。