13
室内には、コツコツという音だけが響いている。
音の主は幾分白いものが混じる髪を肩口で切り揃えた、初老の優雅な女性。そこに置かれた豪奢な机に並べられた書類を眺めつつ、右手で机を叩いていた。
その左側に、女性と同年代と思われる男性が立っていて、彼の視線は机の上ではなく、その向こうへと注がれている。
「全く、困った事をしてくれたものね」
はぁ、と大きく息を吐き出して顔を上げ、机の向こうに並ばせられている者達を一望する。
「けれど、過ぎた事を言っても仕方無いわね。―――まず、篠崎先生。使用不可になった訓練場の件ですが、時間割を照らし合わせて空きのある時に他の訓練場を借りて下さい。空きがない時は、こちらに連絡を。特別に野外に場所を設置します」
「はい、有り難うございます」
「夏宮から支援があるそうなので、訓練場の再建築に1ヶ月もかからないでしょう」
「………な、夏宮からですか?」
「ええ。今回の件に関しては、陛下まで話が伝わっておりますので」
くらっとシノッチが揺らいだので、慌てて隣にいた山吹がフォローに入る。
大和国は代々王家の者が国王として国のトップに立っているが、王政という訳ではない。
国の最上層部は5部門に分かれていおり、国王の下にいる宰相達がそれぞれの部門の長を務め、事実上国を動かしているのは――重要案件については国王承認が必要だが――この5人である。
それぞれ央宮、春宮、夏宮、秋宮、冬宮と呼称され、先に名前の出た夏宮は軍部に当たる。
騎士団、魔術師協会、そして、それらに関わる研究施設はすべて夏宮の管轄だ。
「それと山吹先生、夏宮の方から、教職を辞して来て欲しいとの通達も頂いたのですが?」
「またっすか…」
「ええ、またです。今回の報告書を見て、更にその思いを強めたといった感がありますね。子育ても終ったんだからいいだろ、と夏宮の長が直訴されまして」
夏宮の長、国を動かす5人の1人な宰相その人である。
「あぁ、なるほど。でもま、何度言われても同じ答えしか返せませんね、学園長」
「ではそう伝えておきましょう。確か………紫蘭の相手をするのに時間不当なお役所勤務なんかしてらんねー、で、いいのですよね?」
「お願いします」
山吹が普通に口にしそうな科白を、口調まで真似て告げた初老の優雅な女性学園長は満足げに微笑んだ。
本当にそんな事を夏宮の長に言ってる可能性を示唆したシノッチはショックで完全に気を失い、山吹は肩を竦める。
「それでは最後に」
気絶したシノッチを支える山吹、その更に前に横一列に並んだ姿を一瞥し、有り得ないくらい爽やかな笑みを浮かべる。
「水代夏月以下、チーム“細雪”には、罰則として反省文50枚を言い渡します」
「「ええええええっ!?」」
カナとヨシが揃って叫び声を上げた。
その姿をじろりと一睨みしてから、肩を竦めた夏月と、うううっと涙目になっているメグを見やる。
「期限は一週間後、私に提出しなさい。一秒でも過ぎたら、倍に増やしますから」
「そんなっ!?」
「学園長、おおぼうだよー! 今試験の真っ最中でそれどころじゃないのにぃ!!」
「………そうですか。足りないんですね、なら、100枚に 「「やります!!」」
揃って敬礼する、カナとヨシ。
「宜しい。罰則理由としては、器物破損、不許可とされるレベルの召喚魔法の行使、監督者のいない状態での上級以上の魔法の行使、学園業務への妨害、以上です。これらに水代さんは直接関わってはおりませんが、チームの責任者という事で共に受けてもらいます」
「はい、仕方有りません」
「うう、やっぱり……夏月まで被害が」
「まぁ一蓮托生って事だよな、オレ達4人はさ」
「それから、もう1つ。水代さんを除く3人へ、罰則があります」
「「え゛!?」」
「罰則理由としては、立ち入り禁止区域への立ち入り、持ち出し禁止図書の持ち出し、更にそれの使用、試験に遅刻。以上です」
メグが真っ青になり、夏月が諦めにも似た表情になった。
「………バレてましたか、学園長」
「バレバレです、井上さん。罰則通達の前に、更にハデにやらかしてくれましたね」
「………どこで見てたんですか、学園長」
「退出する後姿をばっちり拝見しました、古池君」
項垂れる2人。
「それでは。4年S組、井上歌南。今後2週間図書館への立入禁止。及び、今後1ヶ月間の学園内において授業以外での魔法行使を禁止します」
ひぃっ、とカナが奇妙な声を上げてヘンに引いた格好で固まった。
「同、古池芳秋。今後2週間図書館への立入禁止。及び、今後1ヶ月間は土日を利用して終日大和病院へ手伝いに行って下さい」
「………学園長、何で罰則が手伝い?」
「その間ずっと勧誘され続けますから、アナタにとっては十分罰則となりうるでしょう」
あっさりと告げられた科白に、ヨシは果てしなく遠い目になった。
「同、橋木愛美。今後2週間図書館への立入禁止。及び、今後1ヶ月間は異能力を封印指定とします。ホームルーム終了後、保健室へ行くように」
「………やっぱりぃ…。おばーちゃん、それは勘弁してよぉ。他の罰なら受けるから」
「お黙りなさい、愛美。アナタは甘やかすととことんロクな事をしません。どうして同じ日に生まれてほとんどの時間を一緒に過ごしているのに、夏月ちゃんとこうも違うの、アナタはっ!?」
大和学園学園長こと大和騎士団第6師団長、橋木雅美まさみ。
天人と結婚した珍しい人ではあるが、その血が如実に悪い方へと出てしまった孫娘が唯一の悩みの種だったりする、63歳。生涯現役を貫くつもりだが、孫娘の所業の数々で、本気で、引退して遠い場所へ行きたいと思う事があるのも事実だった。
「夏月ちゃんと私は違うもん」
「威張って言う事ですか! ヘンな所ばっかりセンリに似て 「学園長」
こほん、と雅美の左側にいた男性が口を挟んだ。
「………と、とにかく。これはもう決定事項です。覆りません。いいですね?」
「うぅう……おばーちゃんのいぢわるぅ」
「これもアナタのためです、愛美。少しは、自重、それから、反省、という言葉を学びなさい」
涙目になって頬を膨らませて拗ねるメグに、おもいっきり大きな溜息を吐き出す、威厳がなくなった学園長の雅美。それから首を左右に軽く振って、視線を先ほど口を挟んだ男へと向ける。
「轟、病院と保健室への通達をお願いします。それから訓練場の使用状況の有無を調べて、篠崎先生の机の上に置いてあげて下さい」
「了解しました。それと……」
「ああ、いえ。夏宮へは私が」
「はい。ではそのように。失礼させて頂きます」
最敬礼を雅美にしてから1人静かに部屋を後にする、学園長付きの執事にしか見えない副学園長の轟和真。
名前に反して、非常に物静かで穏やかなその様は、“大和学園最後の良心”と囁かれている。
「轟さんは、相変わらずだなぁ…」
「ええ、結婚してからどんどん丸くなって、今ではまん丸です」
「学園長………」
「暢気に苦笑している場合ではありません、山吹先生。アナタには、召喚陣の詳細な解析をお願いします」
「出てきてるのわかってんのに、ですか?」
「ええ。夏宮から報告要請が来ておりますので」
「………なるほど。あれっすね、学園長。交換条件ってヤツですか?」
「ええ」
「飲みますかねー、あの頭でっかちの 「受け入れさせました」
しーん、と学園長室内が静まり返った。
「いや、流石は学園長。頼りになる。どうかオレが教職の間はずっといて下さい」
「そのつもりです、と言いたい所ですが、アナタが私の年になるまでと言うなら無理です」
「ああ、その前に引退するんでご心配なく。息子に負けたら隠居するつもりなんで」
「そうですか、そう遠くなさそうですね」
「不吉なっ!?」
「それはともかく、篠崎先生を休ませて上げて下さい。その後、解析をお願いします」
「了解」
「ああ、篠崎先生は今日は試験に携わっていないので、宿直室の方へ運んであげて下さいね」
「はいな。………あー、で、コイツラは?」
「チーム“細雪”は、試験を受けに行って下さい。第5訓練場です」
「ちょ、待ってよ、学園長!」
「無理だって、今日体術なんだぜー!」
「眠いのにぃ」
「私、首を怪我してるのですが……」
珍しく4人揃って抗議する姿に、にっこりと雅美は微笑む。
「常に万全の体制で戦いの場に立つとは限りません。それを思えば丁度良いでしょう、仮にもあなた方はS組の生徒なのですから。 ………ああ、古池君、水代さんを治療して上げなさい。現状で出来る事をし、備えるのも手ですから」
「え? いや、でも……」
「命令です。それとも………罰則追加を希望ですか?」
「すぐに!」
いい返事を1つ、そそくさと夏月の背後に回りこんで包帯の巻かれた喉元に手を翳してぶつぶつ呪文を唱える。
それに夏月は哀しげに微笑む。
「………ごめんね、ヨシ」
「いや、オレの方こそ。こっち得意で悪い」
終った、と呟いて離れたヨシに、再度、雅美は満足げに微笑んだ。
「早いですね、非常に優秀です。さて、チーム“細雪”は試験に向かいなさい。生徒としての本分を忘れてはいけません」
「「「「はい」」」」
諦めた声が4つ上がり、それぞれがくるりと踵を返して部屋を出て行くその背に。
「“赤の王”、アナタはここに残って頂きたいのですが」
思い出したかのように雅美が告げた。
それに沈黙しっぱなしだった“赤の王”は、片方の眉を上げて雅美を睨む。
「お前の命令を聞く必要は 「血印者である夏月ちゃんの身を心配するのは尤もですが、そうべったりくっついてるのはどうかと思いますよ。見た目的に同年代ですから。女性にだらしない男性に見えます。もしくは女性の尻に引かれている男性に」
ひくり、とその頬が引き攣った。
「第一、先ほども言ったように彼女達はこれから試験です。生徒でもないアナタが一緒に行っても意味がないでしょう? それとも、見目麗しい夏月ちゃんを眺めて愛でていたいとかいう理由からですか? もしくは、未だに諦めがつかず、吸血が無理なら、隙あらば魔界へ連れ帰ろうと思っているとか。序に手篭めに 「そんな訳あるかっ!!」
思わず叫んだのは、仕方がないのかもしれない。
「それなら、残って下さい。アナタにとってもその方が都合がいいと思います。ここの責任者は私ですから、彼女達の件に関しても、最終的な責任は私にあります。それで、今後の話をしようと思いますが、いかがですか?」
「………いいだろう」
黙っていたとはいえ、それまでの他者のやりとりを眺めていただけに、にこにこと笑みを浮かべる雅美は非常に不吉でならない。
「学園長、仮にもソイツ、“赤の王”とかトンデモ魔族なんだけど?」
「流石に学園長でも2人っきりは危険なんじゃねーか?」
「おばーちゃん、早まったらダメだよ」
「お黙りなさい、ヒヨッコ3人衆。心配いりません。第一、夏月ちゃんのおかげで人命に関わる危害は加えられなくなっているようですし。それに、彼が真実“赤の王”であるなら、元から無闇に人を傷付けたりしませんよ。5王の中で唯一、人的被害を考えて人界で暴れた稀な魔族です」
「「「嘘ぉ!?」」」
「大和市はご存知の通り、大和国建国以来、その位置を全く変えておりません。それなのに何故、北西にあれだけ濃い瘴気の森があるのかと言うと 「ちょ、待て! お前何言う気だ!?」
果てしなく動揺した声が遮った。
「史実を」
「やめろ……」
「そうですか。仕方ありませんね。機嫌を損ねてもいけませんから」
「「「えー」」」
「知りたいなら後で教えてあげる。私が」
「お前もやめろっ!!」
「命令される謂われないよ、使い魔に」
「使っ…!?」
絶句。
きっと後にも先にも“赤の王”を使い魔呼ばわりするのは、夏月だけの筈。
「んじゃ、後で教えてね、夏月」
「つーかさ、もっとこう………オレ、かなり“赤の王”のイメージが変わったんだけど」
「何か私達と変わんないね~」
「基本的には変わらないよ。人間にも、悪い人と良い人、凶暴な人と穏やかな人がいるのと同じ」
「夏月ちゃんの言う通りです。だから早く試験を受けに行きなさい」
うっ、とカナとヨシの2人は唸った。
「それでは、学園長。後はお任せします」
「ええ、夏月ちゃん。良きに計らうから、安心してね」
「………悪巧みしてる顔で言われても、不安が募るだけなのですが」
「根回しは得意だから大丈夫よ」
「そうですか。なら、お任せします。自分でやるのも面倒ですし」
「ええ、夏月ちゃんならそう言うと思ったわ」
にこやかに微笑みあう2人に、カナとヨシとメグは顔を見合わせてから頷き合う。
その後で渦中の筈の赤い姿を眺め、―――――合掌した。
心の中で。
「それでは失礼します。………ほら、メグ、カナ、ヨシ、悟った顔してないで、行くよ」
「「「はーぃ」」」
“ケルベロスの鎖”の言う事だけはきちんと聞く、“学園最凶トリオ”の面々。
最後に夏月が退出しながら、ドアを閉じる前に一言。
「学園長。そういえば、彼、見た目に反して繊細なので余りいぢめないで下さいね」
「誰がっ! しかも見た目っ 「あら? 意外ね、夏月ちゃん。そんな事言うなんて」
「だって私の使い魔ですから」
「使っ…!? またし 「それもそうね。後で夏月ちゃんに怒られても困るから、手加減しておくわ」
「はい、宜しくお願いします」
ぱたん、と扉は無情に閉じられた。
渦中の筈なのに思いっきりスルーされまくった魔界に名立たる5王が1人、“赤の王”。
彼は、心の底から思った。むしろ悟った。
人間って魔族より絶対性質が悪いに違いない、と。