嚆矢
それは、緩やかに。
されど、確実に。
迫り来る時、逃れえぬ定め―――――――。
「カナ、妙な事ぶつぶつ言ってねーで、勉強した方が早くねぇ?」
苦笑した声が上がる。
それに対して、ギギギッ、と硬直したまま振り返ったその顔は、声をかけた張本人が半歩後ずさるほど“死人”のような顔だった。
カナ――井上歌南――は、死相というかすでに死んだような青白い顔で、うつろな眼差しを向けてくる。
「…ヨシ」
「だから言ったじゃん、オレ」
後退しながら苦笑するヨシ――古池芳秋――は、自分は余裕ですからねーと言ってるようにカナには見えた。
気のせいなんだけど。
歯を食いしばると勢いよく両の拳を握り締め立ち上がり、
「―――う、裏切り者ぉおおっ!? テストなんか嫌いだぁーっ!!!!」
「いやだって、受けないと、留年しちまーよ?」
渾身の叫びに返ったのは、酷く冷静な科白だった。しかも至極真っ当なご意見。
ごすん、と頭上に何かが落ちてきたようにカナは机に突っ伏した。
「第一、わかってた事じゃん、前から。苦手なのは攻めて、落第点にならんよーにしとかないと」
基本じゃね? と笑うその姿が、非常に羨ましかった。
むしろ妬ましかった。
というか、マジで憎かった。
「………。“赤き刃、輝ける衣、暗き地に建つは焔の塔〟」
「え…? ―――って、か、かかかカナぁあ!? ちょ、すとっぷ、すとーっぷ」
「〝触れる物全てをその身に包み、溢れ出るは炎の力〟」
「んなもん此処でぶっぱなすなーっ!?」
「〝満ちて、沈み、落ちて、打 「はい、そこまで。授業始まるから、続きは後で」
横から入った凛とした制止の声に、何故か2人揃って半泣きの視線を巡らせる。
つーか泣くな。
「だって、夏月。ヨシってばさぁ…」
まるで何事もなかったかのように隣に着席する夏月――水代夏月――にカナは情けない声を上げる。顔を向けるでもないその様は、先ほど止める必要のあった事など綺麗さっぱり流していた。
尤も、日常茶飯事なので気にしてないと言った方が正しいのだが。
「筆記試験が始まるまでまだ2週間あるし、何とかなるよ。それよりも、明日から始まる実技の心配しないとね?」
「あ~、うん。そーだね」
「それは心配ないだろ、カナは」
「そーだよぉ。カナちゃん羨ましいよぉ~」
「や、まーね。それはそーなんだけど~」
後方から羨望の声2つに照れ笑いが続き、最後に溜息が1つ。
「2人とも、今回の試験の範囲全然見てないでしょう?」
声は3つ上がったのに、何故か2人と言った夏月の科白に、
「私は見たよ~」
という科白と、頷きが二つ返った。
手元の教本をぱらぱらとめっくっていて、聞いた本人は見向きもしてないんだけど。
「メグはそういうの、きちんと見るってわかってるから」
「えへへー」
その科白に、メグ――橋木愛美――は澄んだ湖水のような青い瞳を嬉しそうに輝かせて笑う。
「それで、カナ、ヨシも。そういう科白は、確認してから言わないと駄目だよ」
その科白に、カナとヨシは無言で机の中を漁り、メグは首を傾げた。
方や、丸められたプリント。方や、二つ折りで放置されたままのプリント。
ほぼ同時に取り出して、それをまじまじと読んで行く。
その様子をのほほんとメグは眺め、夏月は全く気にした様子もなく教本を眺めてている。
2人の表情が揃って困惑から蒼白へと変わるのに、そう時間は必要なかった。
その日は、9月30日。
年3回ある試験の内、今年2回目になる試験開始前日。
うららかな午後の日差しの中での出来事だった。