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奥さまはTS娘

作者: 城弾

 奥様の名前は「りん」

 旦那様の名前は「達之」(たつゆき)

 あまり普通でない二人は、普通でない恋をして、普通でない結婚をしました。

 しかし飛び切り普通でなかったのは、奥さまはTS娘だったのです。



「うぎゃあああああーっっっっっ」

 住宅街のマンション。爽やかな朝に不似合いな男の悲鳴。

「りん。寝ぼけるな。はなれろ」

 彼。桜田達之は、しがみつく存在を、振りほどこうとしていた。

 あどけない幼顔。短い髪。薄い胸。だが、腰回りは女性的な大きな物。

 それをピンクのネグリジェ。やたらにリボンやフリルのついた、生粋の女子でもためらいそうなデザインのものを着用していた。

 ぬいぐるみを抱かせたら似合いそうだが、彼女が夢の中で締め付けていたものはまるで違うもの。

 ダブルベッドの上でその被害をこうむるのは、いつも『夫』である達之だった。

 ちなみに彼は、水色と白のストライプのパジャマ。


「い、いい加減に目を覚ませ。りん」

 もがきつつ二人ともベッドから転げ落ちる。

 その衝撃でやっと「妻」は目をさます。

「……おはよう。あなた」

 まだ寝ぼけている。とろんとした目だ。

「おはよう。りん」

 軽く皮肉は混じるが、いきなりしかりつけたりはしない。

 しかし、状況から彼女は自分のしでかしたことを察した。

「もしかして…またやっちゃった?」

 声すら幼い印象の高い声だ。

「ああ。その様子じゃ快心の『さば折り』だったんだろうな」

 皮肉なのだが、彼女は言葉通りにとって、顔を輝かせる。

「そうなんだ。あそこまで決まったさば折りは、現役のときでもなかったぜ」

 『男言葉』で嬉しそうにいってから、彼女は表情を曇らせる。

 達之はそっと声をかける。

「まだ、未練があるのか?」

「……かもしれない。もう、土俵には上がれないのに」

 彼女が男だったころの職業。それは「力士」だった。


 二年前。無敵の強さを誇る横綱。大海麟。

 それが、りんの前身だ。

 現在の150センチ半ばのりんからは、想像も出来ない2メーター近い巨体。

 体重に至っては135キロと、現在の42キロの三倍以上。


 15歳で入門。めきめきと頭角を現し、異例のスピード出世。

 だから周囲がちやほやして、それが彼を増長させた。

 歯向かう相手は文字通り力でねじ伏せていた。


 達之はたまたま観戦に着ていた。

 この日は千秋楽。危なげなく大海燐は全勝優勝を決めていた。

 だが、その傲慢な態度ゆえ、ファンからも嫌われていた。

 スポーツ記者達も彼を快く思っていない。

 達之も好印象はなかったが、勝利を称えることは放棄しない。


 優勝を決めてのインタビューが、土俵の上で行われていた。

「横綱。優勝おめでとうございます」

 アナウンサーはさすがにプロで、笑顔でマイクを向ける。

「ああ。当然の結果だがな」

 確かに実力差は歴然としていた。だが、ここまで見下した発言は、当然ながら敵意を招く。

「まさに向かうところ敵無しですね」

 これは半ば誘導尋問。口を滑らすのを期待している。

「まったくつまらん。もう普通の力士では相手にならん」

 期待通りの大口だ。だが、ここからはさすがに予想外の大きな口だった。


「そうだな。今なら神すら土俵に這い蹲らして見せるぞ。つれてこい。叩き伏せてくれるわ」


 彼にしたら一休禅師の故事。

「トラを成敗するので、屏風から出してくれ」と言うのと同じノリだった。あくまでジョーク。だが


(おろかものめ)


 その天からの声は誰の耳にも、そして達之の耳にもはっきりと聞こえた。騒然となる場内。


(身の程を知れ。その増長。我慢ならん。土俵に上がれぬ体にしてくれる)

 また聞こえた。直後に落雷。室内なのに雷が落ちたのだ。

 そして、それを食らったのは他ならぬ横綱。

 誰もが感電死と思ったが、彼は死んでない。

 それどころか肉体が変化して行く。

 油で撫で付け、結ったはずの髷がするりとほどけ、長い髪が垂れ下がる。

 加速をつけて肉体がしぼんで行く。小さくなって行く。

 とうとうまわしが外れて下半身があらわに。

「わ。わわっ」

 反射的に前を隠すが、男にあるはずのものが無くなって見えた。

(な、何が起きているんだ?)

 達之たちも呆然と見ている。

 その間にも大海燐は小さくなって行く。

 胸だけは薄くふくらみを残している。肌は白くきめ細かに。

 どう見てもその姿は


(おなごでは土俵に上がれまい)


「え? えっ?」

 それまでの威風堂々とした態度は霧散。無理もない。

 衆人環視の中、女性へと性転換してしまったのだ。

 どんな強心臓でも動揺しないはずがない。


 ここでこれまでの増長のつけがきた。

 観客が文字通りの「爆笑」をしたのだ。

 それほどまでに嫌われていた。

 報道陣すら仕事を忘れて「いい気味だ」とばかしに笑う。

 だが、達之だけは違った。

 土俵に駆け上がると、着ていた背広をその華奢な背中にかけて、裸体を隠す。

「オイオイ。いいカッコすんなよ」

「そうそう。その『横綱』はかなり態度が悪かったからな」

「天罰だな。本当に」

 なんとスポーツ記者から心ない声が浴びせられる。

 彼らの心情もわかる。横綱は本当に態度が悪かった。しかし

「だからって晒し物にしていいわけあるか」

 彼は力士だった女性をつれて逃げ出した。


「どうして?」

 小さくなった「横綱」は、子供のとき以来であろう上目遣いで達之に尋ねる。

「なにがだ?」

「どうして助けてくれる? 自慢じゃないが俺は嫌われていたんだ。それを誇りとすら思っていたのに…」

 達之も大海燐には好意を抱いてはいなかった。

 とはいえど、人前で望まぬまま裸体をさらしている女を、そのままにはして置けなかった。

「どうでもいいだろ。とにかく医者に行こう」

 テレビ中継されていたとは言えど、この小柄な女性と巨漢の横綱が同一人物とは信じてもらえるとは思いがたい。

 達之は「同一人物」であることを証言すべく、病院までつきあった。


 まず入院。そして検査。

 検査結果を聞いて「彼女」は愕然とした。そして絶望。

 どこからどう見ても女性と。

 神の怒りに触れての性転換だ。人類の医学ではなす術がない。


 追い討ちをかけるように、部屋を追い出された。

 女では相撲がとれない。単純な理由だった。

 非情ゆえ? それだけではないのを、彼女自身が理解していた。

(俺が今までえらそうにしていたから、ここぞとばかしに…言うことを聞かせようにも、こんな細腕では何も出来ない)

 仕方なく彼女は街をさまよう。

 服は弟弟子達からの餞別で、ひらひらスカートのワンピース。

 これまたしっぺ返しで、意図して女性性を強調した衣類をよこされた。

 半ば自棄でそれを着て出ていった。


(これからどうしたらいいんだ?)

 うつろな目。ぼさぼさのロングヘアがまるで幽鬼のようだ。

 そんな姿でさまよう女。その不気味さに、人々は遠巻きに見ているだけだ。

 彼女はそれに関心を示さない。ただそれまでを省みていた。

(俺はなんてバカだったんだ。今までは相撲で強かったから、ちやほやされてた。だがそれが出来なくなると用済みとばかしに…)

 ふらふらと歩く。

(それにしてもなんと薄情な…相撲のとれない体になったら手のひらを返して。しょせんは俺がもたらす利益に群がっていただけか)

 彼女は空を見上げる。

(だが…あの男だけは違ってたな。この体になったときに助けてくれた男)

 打算無しで助けてくれた男に恩を感じていた。

 その恩を、そして女性化したことで「愛」と勘違いした。

(あいたい…あの男だけは『金づる』ではなく、人間扱いしてくれた。あいたい)

「あれ? 君はもしや?」

 目の前にラフなスタイルの達之。スーパーの帰りのようだ。

 彼女は驚いた。まさかこうしてあえるとは思わず。

 そしてその奇跡を逃したくなかった。

 怒とうの「がぶりより」を見せると、がっぷり四つ。

 そして胴体に両腕を回して、思い切り抱きしめる。いな、締め付ける。

「ぎゃあああああっ。痛い痛い痛いーっ」

 小さな体のどこにこんな力があるのか。凄まじいさば折りが炸裂する。

「結婚してくださいっ」

 逃したくない思いが彼女に叫ばせた言葉だった。

「するする。するから離してくれーっ」

 さば折りから逃れるがために、彼はとんでもない受諾をしていた。


 その後、それを説明して取り消そうとしたが、殺されかねなかったので仕方なく結婚した。

 だがそれ以上に同情もあった。

 「覚悟」のないまま、突然に女として生きることを強いられた身の上に。

 男として許されなかった涙で、訴えかける姿に流された。


 そして結婚してから彼女…りんは女として生きていく覚悟を決めた。

(俺は…あ、あたしは誓う。このただ一人、あたしのためによくしてくれたこの人のために、よき妻になる)


 それが達之にも伝わり、少しずつ夫婦らしくなっていく。

 ただ一年以上経つが未だに「夜の営み」はない。

 りんとしたら、やはり男を受け入れる覚悟が出来ていない。

 達之にしても、いくら今は可愛らしい女性でも、元の姿を知っているだけに簡単に肌を重ねる気にはなれない。

 双方ともに「その気」でないので、結婚生活が維持できていた。


「元気出せ」

 「夫」は「妻」の髪を軽くなでる。

「無理に女らしくならなくてもいい。自然になって行くものだろう」

「そ、そうかな?」

 不安そうである。

 こうまで「女になろう」としているのは、中途半端を嫌ってのことだ。

 変えられた肉体で死ぬまで過ごさなくてはならない。

 だとしたら「男への未練」は早めに断ち切ったほうが、精神的にも楽だ。

 だから強引に男を捨てようとしている。

 言葉遣いも積極的に女言葉にしている。

 しかし四股名から女性としての名前を取る辺り、すっぱりとは切り替えられなかったようだ。


「しかし、女らしくなりたいなら、なんで髪をそんな短くしたんだ?」

 空気を変えようと達之は違う話題を出す。

「長いと…なんだか髷を結いたくなって…だから短くしたの」

 なるほど。この短さなら間違っても髷などゆえない。

 そしてこの髪の長さには、印象を変える意味もあった。


「あっ。ごめんね。今すぐ朝ご飯の用意をするから」

「ああ…って、お前また…」

 達之は顔をしかめた。


 しばらくして、朝の食卓にちゃんこ鍋ができていた。

 一月である。寒い日には御馳走である。ぐつぐつと煮えて食欲をそそる。

 これが朝でなくて、一日の仕事を終えて帰ってきてから食べるのならだが。

 達之はげんなりとした表情をしている。対するりんは、快心の出来だったらしく、ニコニコと微笑んでいる。

「なぁ、りん。朝から鍋は考え物だと思うのだが」

「ダメよ。しっかり朝を食べないと」

「いや。それは確かなんだが、同じものが続きすぎてないか?」

 三日連続でちゃんこ鍋である。

「今日は味噌味よ。昨日はしょうゆ。その前はチゲとアレンジして」

(日本の国技の相撲で食べるちゃんこに韓国のチゲって…)

 結婚前は良くてトーストとコーヒーで済ましていた朝食。

 それが毎朝鍋ではたまった物ではない。

「うう…」

 思わずうめくと、それを敏感に聞き付けた。

「あれ? まずかった?」

 不安そうに上目遣いにみてくるりん。背がないからそうなるだけで、狙ってはいないのだがこの表情は男には効く。

「いや。そんなことはない」

 確かに、まずくはないのである。

 新弟子時代に仕込まれたとかで、これだけは自信を持っていた。

 そう。これだけは…である。他はまるでダメだった。

 それが研究に研究を重ね、少しずつレパートリーが増えて行く。

 それを達之は認めていた。だから頭ごなしには叱れない。

「そんなことはないのだが、朝はまだ調子が上がってない。それでいきなり鍋はちょっとつらいな」

「もう。そんなことじゃ強くなれないわよ」

「いや…別に強くなくても」

「でも、せっかく男なのに」

 この言葉に、りんの未練が込められていた。

 自分はもう二度と男には戻れないだろう。だからこそ、決別の意味もあり「嫁」にまでなった。

 けれど達之は男のままである。

 男なら強く。女なら可愛く。それがりんの男時代からの考え。

 だから女の身となった自身は可愛くなろうとし、そして達之には強さを求める。


「……わかったよ」

 力ずくより効く「哀願」だった。

 達之は鍋からすくい食べ始めた。

 ほっとした笑みを浮かべるりん。


 出社時間が迫る。もたれる腹を強引にベルトで締め付ける。

 企業戦士となった達之が靴を履きつつ「じゃあいってくるぞ」と言う。

「あっ。待って」

 りんは駆け寄って達之の頬にキスをした。

「いってらっしゃい」

 結婚してからと言うもの「こうするのが妻」と言う決め付けで、出勤時には必ず頬にキスをしている。

 ほぼ毎日なのに未だに照れるらしく、赤くなる。

 見た目だけなら美女。むしろ美少女なので、それが赤面するとドキッとなる達之。


「夫」を見送り、マンションのゴミ捨て場にゴミを出すりん。

 ゴミ捨て場には近所の主婦が「井戸端会議」に興じていた。

 りんは何度も挨拶を試みようとしているのだが、どうしても躊躇いが先に出る。

 あの変身した局面はテレビで中継されていた。もしこの主婦達がそれを見ていたら?

 男同士の夫婦と揶揄される。

 自分はいい。だが助けてくれた達之が、変な噂にさらされるのは耐えがたかった。

 それを思うと、いくら髪を切って印象を変えたと言えど、積極的にそれに加わる気になれなかった。

 そして二つ目。二十歳まで男性として過ごしてきた彼女には、こういう女性ならではの「のり」を体験していない。

 それゆえに馴染めない。

 だからいつまで経ってもりんは「友達」が出来ない。

 達之だけが唯一の相手。

 ゆえに彼のためになら、なんでもしようと決めていた。


 洗濯機を回している間に掃除機をかける。

 これも少しずつ上達していた。

 自分のためなら適当にやる。しかし「愛する夫」の喜ぶ顔が見たい。

 そう思うと自然に上達していた。

(こういうのが…女の幸せなのかな? まだよくわかんないけど)

 生まれついての女性でも、かなりしてから悟るもの。

 女になってわずか二年のりんでは、まだまだ無理であった。


 昼食は適当である。

 自分の分だけなら、そんなに手間なんて掛けたくなかった。


 そのころの達之。自分の机で弁当を広げる。そしてため息をつく。

(なんでこう、ムダに精力のつくものばかり…)

 繰り返すがセックスレスである。だから夜のための物ではない。

「男は強く」と考える彼女ならでは「気遣い」だった。

(かなりのカロリーになりそうだ…今日もエレベーターやエスカレーターはつかえないな)

 昇降を全て階段にしてカロリーを消化しようと言う狙い。

 それで間に合わなければ、自宅もより駅の一つ前で降りて、そこから歩くことで消化を試みる。


 二時ごろ。リビングのソファで寝ていたりんは昼寝から目覚める。

 これは力士時代からの名残でもある。

 ただ小さな体だからか、エネルギータンクがすぐ空になってしまい、それを補うと言う意味合いもある。

「ふぁーあ」

 伸びをすると彼女はソファから降りる。

「さぁ。晩御飯のしたくしなくちゃ」

 駅前のスーパーまで出向こうとしていた。


 白いセーターにピンクのジャンパースカート。小柄な体躯とあいまって幼く見える。

 化粧は身だしなみ程度の軽いもの。

 それが今日の買い物に出るりんの姿だ。

 自転車など使わずゆっくりと歩く。彼女は昼下がりのこの、散歩じみた買い物が好きだった。

(今日は暖かいなぁ。こうしてゆったりとあるいていると、自分が男だったことを忘れられるわ)

 確かにつまらないことは忘れられる。そんな心地よさだった。

(でも、女になった実感もないけど。あたしはあたしと言うことかしら?)

 彼女は意図して心中でも女言葉を駆使する。

 そうでないと、とてもではないが女になれないと思っていた。

(いつかは達之さんに抱かれて、そして子供を産んでいくのよ。女なんだから。これからは)

 半ば強引に「女になろう」としていた。

 それほどまでに、望まない性転換は後からの覚悟が大変だった。


 スーパーでは食材を目的としていたが、シャンプーが切れているのを思い出したりんは、薬品・化粧品のエリアに行く。

 ちょうどその場に着いたとき、女子学生らしい服装の娘が居合わせた。

 一件マジメそうな黒髪。しかもうなじの見える長さで清潔感もある。

 クラスの委員長と言われたら、信じてしまう雰囲気があった。


 その彼女はぎょっとした表情をしていた。

 売り物の口紅を手にしている。それをかごではなく、ジャケットの内側にいれようとしているように見えた。

(万引き!?)

 そう思ったりんはやめさせようと怒鳴りかける。「こらーっ。貴様何している」と。

 口からでかかって思い直した。

(あたしは女。そんな風に言っちゃダメ。女らしく。優しく。可愛く)

 深呼吸をしてやり直す。万引き娘はあまりの不思議さに動けない。

 もっとも下手に逃げるといい逃れが出来ないから、むしろやり過ごそうと決めていたようだ。


「何しているのかしら? そんな風にもっていたら万引きと間違われるわよ」

 女として生きる。そう覚悟したりんでも、気持ち悪く感じた猫なで声。

 これはこれで相手を刺激しないと言う意味でもあった。

 しかし裏目に出た。小柄な体躯もあり、逆に向かってくる万引き娘。

「あ。なにいってんだよ。あんた?」

「だから、その手に持った物はかごにいれるか、棚に戻すかしなさい」

「言いがかりはやめてよ」

「見なかったことにしてあげるから」

「うっせぇ。ブス!」

「ブ、ブス?」

 ブスと言われて、りんは瞬間的に頭に血が上る。

『ブス』と言われて喜ぶ「女」はいない。

 そう。次の瞬間、それに気がついた。

(あたし今、ブスと言われて怒った。男なら無意味。でも女には絶対いってはいけない罵り言葉。これで怒ったあたしは…そうかぁ。やっと心から女になれたのかしらぁ)

 へらへらと笑い出す。今度は不気味になってしまう万引き娘。

 あわてて逃げ出した。結局口紅はふところにいれている。

 りんが正気に戻ったころには完全に消えていた。


 その様子を一部始終、見ていた男がいた。


 そのころの達之。書類をチェックする手が止まっている。

(何だ? どうにもなんか嫌な予感がする。りんの奴、何かしてなきゃいいが…)

 それが気になって仕事が手につかない。

 恐るべき直感。それとも夫婦の絆?

 さすがにそれではよくないし、むやみに疑うのも妻に対して失礼と思い直し、一旦その事は忘れて仕事に没頭した。


(うー。失敗したなぁ。でも仕方ないよね。女ならブスなんて言われて平気なはずがないし)

 自己完結させつつ、りんは食材を吟味していた。

(ちゃんこが一番なんだけど、達之さんは相撲取りじゃないわ。だから違うものも食べさせてあげないと。でも何がいいかなぁ)

 まとまらないままさがしていると店内放送が。

『これから食品売り場でタイムセールを行います。牛肉ステーキ用が50%オフ。お得な買い物を…』

「ステーキ半額!?」

 一気にメニューが決まった。


 りんが駆けつけると既に争奪戦になっていた。

 主に中年女性が我先に奪いあっていた。

(話に聞くバーゲンセールってこんなのかしら?)

 りんは愕然となった。女にもこんな激しい争いがあるのかと。

(勿体無いわ。この人達、元から女なのに、なんで磨かないのかしら?)

 自分が傲慢な態度…つまり心の欠けた状態で天罰を受けこの姿になった。

 それだけにこの浅ましい争いも、いずれ天罰が下りそうな気がして加わる気になれない。

(悪い所まで真似しなくてもいいよね)

 彼女は参戦を諦め、別の食材を探す。


 だが、胸の内の男の部分にかすかに火が着いている。それには気がつかない。


 スーパーを出ると遠くから声が聞こえる。

 揉みあっているようにな音もしている。

(何かしら?)

 りんは音の方へと出向いた。


 スーパーの裏手に回ると、大柄な中年男と先刻の万引き娘が揉みあっていた。

 万引きGメンが、未会計のまま商品をもって出た所を、万引きの現行犯で取り押さえた。そんな感じでもない。

「おいおい。頭悪いのか? このまま逃げたらこの写真をネット上にあげるか、このスーパーの責任者に見せるぜ。そしたらお前、窃盗で逮捕だよな」

 娘は答えずに逃げようと懸命だが、両手をそれぞれ捕まえられて逃げられない。

「だからよ、一晩だけでいいんだよ。俺といいことしようぜ。どうせ遊んでいるんだろ? たまには中年もいいもんだぜ」

 何のことはない。万引きの事実をネタにゆすりをかけている。

 それも金ではなく肉体目当てだ。


(なんてこと。女の子の体をそんなことで)

 りんは「女として」激怒した。

 そして思わず叫んでいた。

「こらーっっっ。そこのおっさん。その汚い手を離しなさーい」

 甲高い声がまるで幼女だ。だがその高さがよかった。

 その声を聞きつけた人々が集まってくる。

「な、何だ、この女っ。なんてことしやがる」

 普通の女ならびびってしまい、声なんかでないと踏んでいた。

 しかしりんは二年前まで「横綱」だったのである。

 貧相なロリコン男など数の内にも入らない。


「くそっ。てめぇら消えろ。さもないとこの娘の首をへし折るぞ」

 劣情どころではない。このままでは恐喝。そして婦女暴行未遂で逮捕される。

 それくらいならばと、万引き娘を人質にして逃げようとしていた。


 りんはその場ですっと腰を落とす。

 両手の拳を前におく。

 相撲の立会いそのままである。

 恐喝男が万引き娘の首を締めるため体勢を入れ替えようとした隙を狙った。

 現役時代そのままの瞬発力で飛び出した。

 瞬時にふところにもぐりこむと、まっすぐに手のひらを相手の胴に叩きつける。

「ぐえっ」

 背の低いりんの一撃である。腹部にまともに入り、「くの字」に折れ、人質にしていた娘を離してしまう。

 それを見てからりんは追撃をする。

「どすこい どすこい どすこい どすこい」

 張り手の連打である。完全に相手の動きが止まるや否や、がっぷりと組み豪快に投げ飛ばす。

 土俵の土ではなく、アスファルトの地面に顔面から叩きつけられた。

 丁度そのタイミングで、誰かが通報したらしい警察が掛けつけて恐喝男を取り抑えた。

「がっはっはっは。見たか。これぞ相撲取りの力よ。恐れ入ったか」

 かわいらしい声に似つかわしくない言葉遣い。最高に気持ちよさそうに言い放つと、見ていた野次馬から拍手が起きる。

「あ、ありがとう。助けてくれて」

 万引き娘に礼を言われてりんは我に帰る。

(やっちゃったぁーっっっっ)

 決別したはずの男。そして相撲に対する未練が表に出た形だ。


 近くの警察署。連絡を受けて達之は駆け込んだ。

「りん!?」

「あ、あなた…」

「どうしたんだ? なにがあった?」

 涙目のりんを見て、達之は彼女が被害者と勘違いした。

 それほど落ち込んだ表情をしていた。

「いえ。奥さんは捕らわれていた女子高生を助けたので、むしろ感謝状を送りたいところですが…今になって怖くなったのでしょうか?」

 説明した警察官は当然ながら、りんが元・男と言うことを知らない。

「助けた?」

「ええ。証言によると自分から飛び込んでいったとか」

「本当なのか? りん」

 彼女は力なくうなずいた。

「バカッ」

 達之は今まで見せたことのないような怒りの表情でしかりつけた。

「たつ…ゆきさん?」

 うっすらと涙のにじむ顔で見上げるりん。

「お前は女なんだぞ。そんな危ない真似をするな。何かあったらどうする?」

 最後の方で達之が抱き締めた。

 怒声と裏腹。心配していたのが、その抱擁で伝わってくる。

 自分は女として愛されているのが、りんにも伝わった。

「ごめ……ごめんな、さ…い。ごめんなさーい」

 彼女は声を上げて泣きだした。

 それはどこから見ても女性にしか見えなかった。


 事情優聴取を終え、警察署から帰る二人。無言だったが達之が口を開いた。

「すまない。頭ごなしに怒ったりして」

「……達之さん」

「お前にしたら、単に女の子を助けたかっただけだよな。それをあんな風に」

 りんは首を横に振る。優しく可愛らしい微笑を浮かべて。

「ううん。叱ってくれてありがとう。あなたがあたしを大事にしてくれているのが、よくわかって嬉しかった。でも」

「でも?」

「あたしはまだ、女になり切れてないわ。さっきも相撲の技が出たし、調子に乗ってしゃべった言葉も男のままで。こんなあたしがあなたの妻で…」

「いいじゃないか」

「え?」

 道の真ん中で歩みが止まる。

「俺はな、りん。元横綱で、でも今は可愛い女の子で、一生懸命に俺のために、がんばってくれるお前が好きなんだ。そう。あ……」

 ここで達之は口ごもる。面と向かっていうには、かなり恥ずかしい言葉。

 だが期待に胸を膨らませて待っているりんのために、口に出すことにした。

「愛しているよ。りん」

 見る見るうちに嬉し涙が「妻」の双眸からあふれだす。

「あ、あたしも。あたしもよ。達之さん。こんな…元は男で嫌な奴だったあたしが、妻のままでいいですか?」

「ああ。俺達は夫婦なんだ。時間を掛けて、一緒に歩んでいこう。そうすればそのうち、お前の望む姿にもなれると思う」

 優しい笑みだった。まさにこの瞬間、りんは旦那に惚れなおした。

「嬉しいっ」

 心のままに抱きつき、抱き締める。そう。力いっぱい。

「うぎゃああああああああっ。り、りん。せ、せめてもっと優しく抱きしめてくれぇぇぇぇっ」


 夫婦生活も命がけであった。

あとがき





 城弾初の「夫婦もの」はいかがだったでしょうか。


 この作品の元ネタは師走冬子先生の「奥さまはアイドル」と言う四コマで。

 タイトルどおりの内容です。

 たぶん海外ドラマ「奥さまは魔女」にも、インスパイアされているのではないかなと思います。

 それをそのままなぞったのが冒頭のナレーション。

 ちなみにアニメ「らんま1/2熱闘編」の一時期のOPナレーションもこのパロディ。


 魔女でもアイドルでもなく、TS娘に置き換えたのが今作です。


 結婚と言うのは女性にとっては「覚悟」がいるのではないかと考えます。

 ただ多くの女性は、幼いころから漠然とでも、心の準備ができていたのではないかと。

 しかし元々男の立場だと、男を愛し、子を宿すなんてことは想定外。

 覚悟なんてあるはずなく、だからこそTS物は面白いと。


 大抵のTS作品だと、男時代に未練を残して、女である現状に馴染もうとしないのがパターンですかも今回はその逆。

 男への未練を絶ち、心から女になろうとするものどうにも上手く行かない人のお話です。

 逆さついでにいつもと違い、胸は薄め。髪も短く設定してます。


 りんが元相撲取りなのは「女性が絶対につかない職業」としての設定。

 男しかいない世界から、一気に妻と言う女の世界に。


 達之は当初スポーツ新聞の記者と言う設定でした。

 だから取材で来ていたところで巻き込まれて。

 けど、新聞記者じゃ時間が不規則なので、普通のサラリーマンに。

 りんの変身した直後のシーンに、スポーツ記者からの言葉があるのはこの名残。


 ネーミングですが元ネタの「奥さまはアイドル」からいくつか。

 「アイドル」では「桜井」なのをこちらでは「桜田」

 ヒロインは「アイドル」では「桜井まゆり」愛称「まゆりん」の下をもらい「りん」。

 四股名はそこから逆算して、最後に「りん」とつくように。

 達之は特になく、なんとなく浮かんできたものを。


 ちなみに、相撲はほとんど見ません(笑)

 なんか色々間違ってそうですが…


 お読みいただきましてありがとうございました。


 城弾

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― 新着の感想 ―
[一言] おお、良い設定ですね
[一言] イイハナシカナー? とりあえず、出たはいいけど見事に出落ちた神様に敬礼。 あとカワイイ。 んむ、お見事でした。
[一言] さすが城弾さん。着眼点と設定のち密さが違いますね! 次回作も楽しみにしています!^^
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