人間のさくら
人間のさくら
一代目のサクラというのは、まぎれもなく犬だった。じいさまが可愛がり、ひたすら面倒を見ていた。しかし、じいさまよりも犬の寿命のほうが先に来た。そして、ぽっくりと逝ってしまった。
それからというもの、じいさまはひたすら落ち込み、延々落ち込み、だんだん食が細くなり、体はやせていき、幽霊のサクラが呼び寄せているんじゃないかと、兄たちは言っていたものだ。
とにかく、家にいては体によくないと、ある日、散歩に送り出した。と、いっても運転手が見張り役でついていった。橋から飛び降りられても困る。
すると、じいさまは生き生きして帰ってきた。
「さくらに会ったんだ。」
「サクラは死んだでしょ。」
母は言った。兄たちは、ついにボケたのだろうかと、ひそひそ話していた。
「違う、二人目のさくらだ。」
最初はどうにかなったのではないかと思ったが、どうやら、新しい犬に会ったのだということになって、じいさまがあれだけ幸せそうならいいかと、誰も会いに行くというのを止めなかった。活き活きとしてきたじいさまは、うれしそうに毎日出かけていった。
家につれてこないのは、誰かが飼っているのか、ペットショップにでもいるのか、それとも、最後まで面倒を見ることができないと思っていたからだろうと、勝手に誰もがそう思い込んでいた。
しかし、目の前にいる二代目のさくらは、どうみても、人間だった。女の子は、余っていた椅子にちょこんと腰をかけた。
一番、動転したのは、妻である、ばあさまだ。
「ど、どういうことなの?さ、サクラが人間だなんて!柊、説明しなさい!」
怒鳴られた、柊というのは、運転手だ。それもじいさまの専用の。
「その。彼女が確かに、二代目のさくらさんです。」
「あ、あの人が、う、浮気?」
「違います!断じてそのようなことはありません!」
柊は慌てて、言ったが、ばあさまの耳には聞こえていないようだった。ばあさまはオイオイと泣き出してしまった。女の子が急に言い出した。
「梅ちゃんでしょ。」
ばあさまが顔を上げた。
「勇太郎、言ってた。妻の梅ちゃんは、白くて、ちっちゃくって、可愛い人だって。僕の最愛の宝物なんだよって自慢してた。それで、どっちが勇介さん?」
勇介というのは父親の名前だ。
「私だが。」
「勇太郎、言ってた。息子の勇介は、のんびりしているけど、こつこつやりつづける人だって。それについてこられるのは、辛抱強い、由里さん。じゃあ、こっちが、太郎さん?」
太郎は叔父の名前だ。
「あ、ああ。」
「もう一人の息子の太郎は、てきぱきしているけど、たまにそそっかしいって。それを支えているのが、由美さん。」
叔母は急に名前が呼ばれてちょっとおどろいたようだった。
「長男の勇一さんは、そのうち会社を継ぐ人。いとこの次郎さんは経営に回る人。次男の勇次さんはきっと自分の道を歩く。三男の勇太さんは。」
女の子はオレのほうを見つめた。
「私のお婿さんになるの。」
「はぁーーーー?」
オレは大声を出した。
「そんなこと、聞いてないし!なに勝手に決めてるんだよ。」
「だって、勇太郎が言ってた。」
「じいさまがそんなこと言っていたってしらねぇよ。そんなもの、関係あるか!」
「ダメ。契約したから。」
女の子は弁護士のほうを指した。さっきの書類!
「まさか!」
「はい。婚姻も入っております。」
「む、無茶言うなよ!そんな契約破棄だよ。」
「できません。印を押しましたから。それに遺産ですし。」
「そ、そんな……。」
「もちろん、今でも結婚はできる年齢ではありますが、さすがにすぐというわけには行かないでしょうから、とりあえず、婚約者ということで。これに反するようなことをすると、ちょっと大変ですね。」
弁護士は顔色どころか、眉一本上げずに言い切った。
「まって。契約に反することをしたら、どうなるの?」
母の由里は聞いた。
「全員の遺産配分はそれぞれ、施設に寄付されます。」
この時点で誰もオレの味方はいなくなった。
「梅ちゃん。」
少女は、ばあさまを部屋の隅に引っ張っていくと、なにやら、耳打ちをした。ばあさまの顔が華やいだようになった。
「太郎さん。」
今度は叔父さんをまた隅に引っ張っていった。父さんにも何か言ったようだ。母さんには聞こえなかったようだ。
「以上よ。」
少女はにっこりと笑った。それを聞いたばあさまが言った。
「わかりました。それでは、さくらさん、ここに引っ越してきなさい。あの人の部屋でいいですか?」
「勇太郎の?いいよ。」
「え、ここに引っ越すの?だけど、誰だかわからないような子を……。」
「勇次!」
兄さんがいいかけたのを、父さんが止めた。
「いいんだ。いつ、来られるかな?」
「んー。あさってにでも。」
「わかった。手配しよう。」
兄さんたちと、いとこと、ばあさま以外の母親たちは顔を見合わせた。とりあえず、少女は柊と一緒に去っていった。
「あの子、なんだって?」
オレは聞くだけ、聞いてみた。
「いいんだ。気にするな。」
やっぱり父さんは答えなかった。それは、叔父もばあさまも一緒だった。誰も答える気はないらしい。
そして、おじさんたちは去っていき、兄さんたちは会社の寮に戻るからと帰った。あさってからのことを考えると、なんだか、怖いような気がしていた。




