これを掴めばイケメンも?
異世界に転生してしまった。
それはまぁいいとして、よくないのが住環境。
衛生面と食事が壊滅的で、それを何とかしたいと奮闘していたらチートしちゃってた。
そんなつもりはなかったけれど、結果として我が家は流行を生み出す家として知名度を上げ、資産を蓄えたらしい。
親に大変感謝されたけれど、私こそ感謝してる。
貴族の家では、娘は政略の道具で、家族として大切にしてくれる家は少ないらしい。
今生の両親も兄も、私を大切にしてくれる。
良い家に生まれて良かった。
異世界ライフ、楽しむぞー!
今日は、侯爵家主催の夜会に、兄にエスコートをしてもらって参加。
兄は妻のいる身だけれど、その妻、つまり義姉が妊娠中。
本来なら兄は妻を置いて夜会に参加する人じゃない。
でも、主催者のハンニガン侯爵家は公爵家を上回る勢いがある家。
そのハンニガン家主催の夜会に参加しないということは、社交界において遅れをとる、ということらしい。貴族社会大変。
異世界転生して貴族になったことも驚いたけれど、もう一つ驚いたことがある。
この世界、獣人と呼ばれる人達がいる。
王様も獣人。お約束のライオン。
本日の主役であるハンニガン侯爵家の方々も獣人。狐の獣人らしい。
周囲を見渡し、顔ぶれを確認する。
「令嬢が多いわね」
ハンニガン家の夜会だから多くの貴族が出席している、というだけではなさそう。
私と変わらない年齢の女性が多い気がする。
「リアム殿目当てだろう」
「リアム様?」
リアム・キース・ハンニガン。
ハンニガン侯爵家の後継者。白銀の髪にアイスブルーの瞳の外見と相まって、氷の貴公子と呼ばれている。
王家主催の夜会で何度か見かけたことがあるけれど、二つ名のとおり、表情が変わらない、口数が少ない、素っ気ない、の三拍子。
鑑賞するには大変素晴らしい外見の持ち主。話したことはないから人柄は分からないけれど、氷の貴公子なので、推して知るべし。
「番は国内では見つからなかったのよね」
「あぁ。周辺国にも探しに行ったようだが、見つからなかったそうだよ」
獣人達にとって番は魂の片割れ、というだけではない。
番との間に生まれた子は優れているとのことなので、獣人達はできるなら番と結婚したいらしい。
番が見つからなかったということは、他の令嬢達にチャンスが訪れるということ。
令嬢の出席率が高いのも、むべなるかな。
「そういえばドロシー、最近」
兄が言いかけて止まる。
視線の先にはハンニガン家の方々。主催者登場である。
令嬢達がきゃあきゃあ騒ぎながら、リアム様をうっとりした顔で見てる。
分かる。
ご尊顔と表現したくなる程の美貌の持ち主だもの。
どんなご令嬢が隣に並ぶのかしら。
……って私も人のことを気にしてる場合ではなくて、自分の今後のことを考えなくてはならないのよね。
今は家族が好きなようにやらせてくれているけれど、私の前世再現という、お金と時間のかかる趣味に理解を示してくれる相手を探さなくては。
色々と開発したのもあって、生活にそれ程不便は感じないけれど、前世日本人の異世界転生の鉄板ともいえる、食生活の改善、これだけはライフワークになると思う。
兄と一緒にハンニガン家の方達に挨拶を済ませた。
これにて本日のミッション終了。
あわよくば私のお相手を探したいところだけれど、出席者が令嬢ばかりなので、難しそう。
何も失礼はなかったはずなのに、侯爵とリアム様が私をじっと見ている、気がする……。
その場を逃げるようにして去ると、飲み物を手にしてひと呼吸吐いた。
「……お二人とも、ドロシーのことを見ている気がする……」
「……やっぱりそう思う?」
そっと視線をやると、ハンニガン侯爵とリアム様が、人に囲まれながらもこちらを見ている。
……何故?
「なにも失礼はしていないはずだけれど、どうにも居心地がよくないね。今日は早々にお暇しよう」
「そうね、お義姉様も心配してらっしゃるわ」
「身重の妻が、と言えば早めに退出しても失礼にはあたらないだろうからね」
兄夫婦は貴族の結婚としては珍しい恋愛結婚。
両親は政略結婚だったけれど、相性が良かったようで、仲睦まじい。
兄夫婦のようにとはいわないけれど、両親のような夫婦になりたい。
兄の知人や友人とも挨拶を済ませ、そろそろお暇を、と思っていたところ、まさかのリアム様からお声をかけられてしまった。
「失礼、レディ」
「ごきげんよう」
いつの間にこんな至近距離に、と思ったけれど、さすが獣人とも思った。
狐は狩りも得意そうなイメージがある。
「レディから大変芳しい香りがするのだが、どちらの香水をお使いか、教えていただけないだろうか」
「香水ですか? キャンベルストリートのマダムブリットのお店ですわ」
「マダムブリットの香水なら私も存じているのですが、どうもその香りではないような……」
獣人にしか分からない香り、となると番からの香りということになりそうだけれど、リアム様の落ち着きぶりからして、それも違う気がする。
「お力になれず、残念です」
「いや、私も不躾な質問をして申し訳ない。それでは、楽しんでいってください」
「ありがとうございます」
さっと翻して去って行く姿からしても、私が番というのはなさそう。
番は一目見れば分かるというしね。
過去に顔を合わせたことがある時にそうじゃなかったんだから、番じゃないと分かってるのに、残念に思ってしまう。それくらいお顔が良いのよねぇ。
至近距離であの美貌を拝めたので今日は良い日。
明日からのお料理開発にも身が入るというもの。
お相手探しをしなくては、と思うものの、ついつい料理のほうに情熱を傾けてしまう私。
おかげさまで個人での資産もたっぷりあるし、このまま独身でもいいんじゃないかなー、なんて思ったり……。
なんでそんなに後ろ向きなのかといえば、届いた釣り書きの相手と顔合わせをしたんだけれど、どの方も私の趣味に難色を示されたからです。
女性の立場が弱いのよねぇ、異世界。
鬱々としていたら、また兄に誘われた。
「気分転換に夜会に行かないか?」
「うーん……」
ここ最近顔を合わせた人達のことが頭をよぎって、あまり気乗りがしない。
「開発に熱心なのもいいし、嫁がなくてもいいけれど、とりあえずやれることをやってから判断したらどうだい?」
兄は本気で、私が嫁にいかなくていいと思っている。
私の開発が惜しいからではなく、私の意に沿わぬ結婚をさせる必要がないという考えなのだ。
貴族らしからぬ考え方だけれど、前世日本人の記憶がある私としては、とてもありがたい。
「……行きます」
私の返事を聞いて、兄はにっこり微笑んだ。
今夜も令嬢が多く出席していて、何故かと思えばリアム様がいた。
番が見つからなかったとはいえ、侯爵家の跡取り。
いずれかの令嬢と結婚する必要があるものね。
「ねぇ、お兄様」
「なんだい?」
「他の方と婚姻を結んだ後に、番が見つかったらどうなるの? やっぱり、番が優先されて婚姻はなかったことになるのかしら?」
「昔はそうだったらしいけれど、婚姻によっては国際問題に発展するものもあってね、番以外と婚姻した獣人は、番封じの儀を受け、二度と番が分からないようにするのが一般的かな」
至極もっともな答えに納得する。
番が見つかったから君はもう用済み、なんてやっていたら、王族同士の婚姻に支障をきたす。
「友人にちょっと挨拶をしてくるよ」
そう言って兄が離れたので、私は壁の花、にはならず、用意された料理に目を向けた。
本来はお相手を探さなくてはならないし、そのつもりで来たのだけれど、どうにも気が進まない。
並んだ料理は当然だけれど洋風。肉料理が圧倒的に多く、野菜はほとんど出ない。あとは蜂蜜を贅沢に使ったスイーツ。
転生してからこの食事だから、慣れているといえば慣れているけれど、やっぱり日本食が恋しくなってしまって、家では日本食研究をしている。
ここ二年で再現できた料理も増えた。
こちらの男性と婚姻を結んだら、日本食も諦めるか、人目を忍んで食べるかしかないのだろうな。
家族は、帰省した時に食べるといい、なんていうけれど、頻繁に実家に足を運ぶことになって離縁になりそう。
「良い夜ですね」
声の主のほうに振り向くと、リアム様だった。
軽く礼をして挨拶を返す。
「ごきげんよう、リアム様。良い夜ですわね」
「レディ、ダンスにお誘いしても?」
「まぁ……わたくしでよろしいの?」
「どうか私にレディと踊る栄誉をお与えください」
差し出されたリアム様の手に、自分の手をのせる。
リードされるままにホールの中央に出て、曲に合わせて踊った。
正直気乗りはしないものの、リアム様なら良い。
イケメンだからとかそういうことではなく、他の方だと後日釣り書きが届く、なんて展開になりそうだけれど、リアム様ならありえないから。
「……レディは本当に、芳しい香りがしますね」
「お褒めいただき、光栄です」
貴族社会において、外見等を褒めるのは当たり前のこと。
むしろ褒めないのはマナー違反。
二度に渡ってにおいを褒められた。
香水しか褒めるところがない、という意味でなければいいのだけれど。
「同じ会場にいると、レディが何処にいらしても分かるんです」
「……わたくし、リアム様の番ではなかったはずですが」
「えぇ、あなたは私の番ではありません。ですが、あなたの香りにどうしようもなく惹かれるのです」
「……不思議ですわね」
「えぇ」
踊りながらそんな話をした。
リアム様は一曲踊って満足したのか、去って行った。
二曲誘えば、それは恋人か、婚約したいという意思表示になる。
三曲は婚約者や伴侶にしか許されていない。
分かっているけれど、あの美貌は離れ難いものがあるわね。
踊っていただけてラッキーだったと思うことにしなくちゃ。眼福ということで。
「ドロシー、リアム様狙いだったのかい?」
「違うわ。一人でいたから誘ってくださったのだと思うの」
友人の元から戻った兄が揶揄ってきた。
リアム様と踊ったことで、周囲の令嬢から冷たい視線が刺さる。
仕方がないので、無難なことを、周囲に聞こえるように言っておく。兄の揶揄もそれを見越してのことだろう。
「こちらの料理も素晴らしいね。さすが領地に港を持つ伯爵家だ。香辛料が惜しみなく使用されている」
「羨ましいわ」
「おや、ドロシーも香辛料が欲しいのかい?」
「多くの貴族がそうじゃないかしら」
「それはそうだね」
我が家の領地に港はないものの、標高がそれなりにある山があり、大きな湖がある。温暖な地域で、暮らすには良い場所だ。
農作物を育てるのには向いているけれど、鉱山があるわけでもないから、特産品が農作物になってしまう。
農作物はどの領地でも作っており、飢饉でもない限り、他領から買い入れるものではない。
うちは外貨を得にくい領地なのだ。
私がチート無双する前は、あまり裕福ではない家だった。
今では色んな流行りのものを生み出す家として、裕福な家になったけれど。
領地では輸入した米と大豆を栽培してもらっている。
本来なら小麦を多く作るのだけれど、一つの作物に依存すると、その穀物が病気になったら全滅してしまう。
私はそこまで考えて頼んだわけではなかったけれど、子供時代に小麦にかかる病気が流行って、国内の多くの領地が危機に瀕した際、うちの領地は米や大豆で凌いだことがあった。
元々栽培していたものではなかったから、米も大豆も実入りがそれほど良くなく、味も褒められたものではなかったらしいけれど、飢えずに済んだし、どちらも食べ方を工夫すれば食べられるものだったから、領民達に大変感謝されたんだよと父が言っていた。
今では米も大豆も、味も改善して収穫量も増え、領民達も色んな料理にして楽しんでいるらしい。
米はパエリア、大豆は煮込み料理などに使われている。
豆料理は貧しい者が食べる、という偏った考えがこちらの世界にもあったから、豆は栄養価が高くて美味しいのだということを、時間をかけて浸透させていった。
お金のある領主一家も食べている、という風に。
「ねぇ、お兄様」
「なんだい?」
「わたくし、臭いかしら?」
「どうしたんだい、唐突に。そんなことは全くないよ?」
「先日と、先ほどと、リアム様に良い香りがするといわれたの」
兄が笑う。
「なんだ、褒められているんじゃないか。驚かさないでおくれ」
「同じ会場にいたら分かるとおっしゃるのよ?」
まじまじと私を見つめる兄。
きっと、私がリアム様に尋ねたことと同じことを考えているのだと思う。
「番ではなかったはずだね?」
「えぇ。私も同じことをリアム様にお尋ねして、番ではないと言われたわ」
「ドロシーから良い香りがするとおっしゃるのだね。だがドロシーが愛用している香水は、他の令嬢も使っているものだろう」
「そうなの」
「……不思議なこともあるものだね」
「えぇ」
兄は何か考えているのか、ふむ、と呟いた。
「今度の、我が家での夜会の招待状、ハンニガン家にも送っているのだが、いらっしゃると思うかい?」
いくら我が家が力をつけてきているといっても、飛ぶ鳥を落とす勢いのハンニガン家が、気にかけるほどではない。
「ハンニガン家にメリットがないし、いらっしゃらないんじゃないかしら」
「そうだね。でも、いらっしゃる気がするよ」
「まぁ、どうして?」
「勘かな」
兄の勘は当たる。
でもこればかりは外れるだろう。
来てくれたらいいのに、とはなんとなく思うけれど、無理な話よね。
「いらしたわ……」
来客の中にリアム様の姿を見つけ、思わず呟いてしまった。
「だから言ったろう?」
隣に立つ兄が得意げな顔をする。
話の見えない両親が、何事かという顔をする。
「実はね、ハンニガン家のリアム殿がドロシーに興味がおありのようなんだ」
「おや、ドロシー、いつの間に?」
「いつの間にも何もないわ。ただ、良い匂いだと言われただけだもの」
「番では……」
「ないわ」
お約束のやりとりをして、否定する。
ホストとして挨拶を受けていると、リアム様と、驚いたことにハンニガン侯爵がやって来た。
リアム様は結婚相手を探すために夜会に顔を出すとしても、ハンニガン侯爵までやって来た理由が分からない。
「良い夜だ、マニング伯」
「ようこそお越しくださいました、ハンニガン侯。当家の夜会にご参加いただき光栄です」
ハンニガン侯は鷹揚に頷き、私を見た。
リアム様も見てる。
両親は二人の視線の先に私がいるものだから、驚きを隠せない様子。
兄だけはいつも通り。
挨拶が終わると、ハンニガン侯とリアム様は他の来客に囲まれていた。囲んでいるのは下級貴族。
侯爵家主催の夜会に招待されないような下級貴族も、我が家の夜会には招いている。
あちらは侯爵家。招待客は伯爵以上。
けれどうちは伯爵家だから、子爵家や男爵家も招待する。
王家主催の夜会なら上級下級に関係なく、貴族であれば参加できるけれど、見えない線のようなものがあって、気安く話しかけられない。
だから子爵家や男爵家の方達は、ハンニガン侯爵やリアム様に話しかけることができて嬉しいのだろう。ただ、この夜会で何かあったら我が家の責任になる。
両親が慌てて手配していたけれど、兄によって手配済みだったらしい。
「お兄様のおっしゃる通りだったわ」
まさか、兄の言った通りになるなんて思わなかったから、驚いた。
「初めは勘だったけれどね、今日確信に変わったよ」
「確信?」
「うん」
確信?
「父上、ドロシーが嫁入りしたとしても、我が家の産業は問題ありませんね?」
「それは問題ないが、良いお相手が見つかったのか?」
「えぇ、とても良いお相手です」
父が相手の名を聞き出そうとしても、兄はのらりくらりとかわして答えない。
すぐに分かります、なんて思わせぶりなことを言うばかり。
兄は昔からこういうところがあって、何故そんな物言いをするのかと尋ねたら、断言して外したら恥ずかしいだろう、なんて笑っていた。でも、外れるなんて思っていないと思う。長年妹をやっているから分かる。
夜会も後半戦に突入というところで、ハンニガン侯爵が父の元へやって来た。
「話をしたいのだが。人のいない場所で」
事業の提携の話か、はたまた……?
両親だけでなく、私も緊張してきてしまった。
そんな気持ちになるのは、リアム様がじっと私を見ているからだと思う。
サロンに案内すると、ハンニガン侯爵は身を乗り出して、私を見た。
「マニング伯、ご息女を当家の息子の婚約者に迎えたいのだが、どうだろう」
まさかの提案に、表情を取り繕うことも忘れてしまう。
一人、普段通りの兄が、ハンニガン侯爵に答える。
「大変光栄ですが、我が妹のどういったところを見初めていただいたのか、教えていただいても?」
「うむ……」
ハンニガン侯爵とリアム様の視線が私に注がれる。
「香りがな……」
侯爵の隣でリアム様が頷く。
「とてつもなく良いのだよ」
「番とは違う香りということでしょうか?」
「あぁ、私とリアムだけが惹かれている」
リアム様だけでなく、侯爵まで?
「やはりそうでしたか」
兄は頷いて、そばにいた執事に合図を送る。
執事は頷くと侍女達に指示をしていた。
知らないうちに、兄は何か手配しているみたい?
間もなく、侍女がワゴンを押して戻って来た。
ワゴンには私が最近作っている料理がのってる。
侯爵とリアム様は勢いよく立ち上がって、ワゴンを見ている。
「この香りだ!」
にこにこしながら兄が言う。
「こちらは近頃、妹が開発している料理です」
「……なんという芳しい料理なんだ……」
「よろしかったらお召しあがりください」
「お兄様、これはまだ……」
「いいから」
ハンニガン侯爵とリアム様が、料理を口に運ぶ。
本当は箸で食べるものなんだけれど、不慣れな人には無理なので、フォークで食べていただく。
「なんという美味しさなんだ……」
「美味い」
まだ完成品ではないけれど、こんな風にしみじみと言ってもらえると嬉しくなる。
「妹から漂っていたのは、こちらの料理の香りでしょう」
「そうだったのか」
「この為に婚約なさいますか?」
なるほど。
お二人は獣人だから、私からする料理の匂いを嗅ぎ分けていたのね。
知らず期待していたようで、がっかりしている自分に気付く。
「あぁ、この料理はまだ未完成らしく、妹しか製法を知りません」
侯爵とリアム様の目が光った、気がした……。
まさかのリアム様との婚約。
友人達にはどうやってと問い詰められたけれど、趣味の前世再現については秘密のため、政略結婚だと伝えておいた。
「ドロシー、今日も良い香りだな」
「……ありがとうございます」
褒められているけれど、理由を知ってからは複雑な気持ち。
リアム様とハンニガン侯爵が夜会の日に食べたのは、お稲荷さん。
狐って本当にお稲荷さん好きなんだ、って思った。
兄は早い段階で気付いていたらしい。
何故かと尋ねたら、義姉が妊娠で匂いに敏感になっており、私から醤油やらなんやらの匂いがすると言っていたみたい。
狐の獣人の侯爵とリアム様はお稲荷さんの匂いがする私が気になっていたと、そういうことらしい。
婚約まではしなくても良かったのではないかと思ったのだけれど、兄の、これはまだ未完成で、レシピは私しか知らない、という言葉が決定打になった気がする。
「結婚したら、週に一度でいいからあの料理を食べさせてもらえないか?」
「それは構いませんけれど……」
「ありがとう!」
婚約してから知ったのは、リアム様は割と表情豊かで、口数もそれなりにある、ということだった。
「本日も持って来ておりますし」
「本当か!?」
今日は騎士団の副団長を務めるリアム様の、職場見学にお邪魔している。
差し入れはリアム様の大好物のお稲荷さん。
珍しく興奮した様子の副団長の様子に、戸惑う団員達。
氷の貴公子だものね、あだ名。
「政略と聞いているが、令嬢が来ただけであの喜びよう」
「オレが聞いたのは、副団長からの強い希望で結ばれた婚約だという話だ」
「なんだと!?」
団員達、ヒソヒソ話が全然ヒソヒソになっていない。
番以外と結婚することになった獣人は、婚姻後に番封じの儀式をするのが一般的なのだけれど、リアム様は私との婚約成立後に儀式を行った。
番探しの旅に出はしたものの、元より番に関心はなかったのだという。つまりちゃんと探していない……。
ここ数代に渡って、ハンニガン家は番を立て続けに得ていたことで、他家が危機感を募らせているそうなのだ。
王家も公爵家も、ここ何代も番を得ていない。
そんな中、ハンニガン家だけが四代に渡って番を得たものだから、嫌味なども凄かったのだとか。
随分つまらないことで嫌味を言うんだな、と思ってしまった。
下手に失脚を狙われるのも困ると思っていたところに、お稲荷さんの香りをさせた私が現れた、ということらしい。
私が選ばれた理由は理解しました。
私なんかが選ばれていいのかしら、なんていう考えは私にはないのですね。
こうして実力で?イケメン獣人の婚約者をゲットしたのだから、この立場守ってみせますとも!
胃袋で掴んだ婚約者ですからね、もっとがっちり掴んで離しませんよ!
昼休憩の時間。
私達はリアム様の執務室で、持参したお弁当を食べていた。
「美味い。何度食べても美味い」
三角にしたお稲荷さん。リアム様はまだ箸の使い方は不慣れなようで、私が口に運んで差し上げている。
何故かって、リアム様がそうしてほしいと言うからで、私もイケメンをがっちり掴みたいのでね。
元々リアム様の外見は好みだった。
氷の貴公子と呼ばれ、澄ました嫌な奴かと思ったら、ただの不器用だったということも分かったし。
ついでに言うなら、食べさせてほしいと言うくらい、甘えん坊だったりもする。
「この、揚げに染み込んだ旨味が、噛むとじゅわりと口に広がって、幸せな気持ちになる」
「具はいかがですか?」
「今日のは具がたくさんで、色んな味が楽しめるし、食感もいい。先日のも美味かったが、今日のも良い」
ごはんに混ぜ込むものは都度変えている。
五目、ゴマ、ゆかり、シンプルな酢飯に紅生姜のみトッピングといった感じに。
今日は五目。
リアム様が執務室の外のほうに顔を向ける。
意識を向けると、何やら足音や声が聞こえた気がした。
「……なにかしら?」
リアム様の表情が険しい。
人間よりも獣人は聴覚が優れている。私には聞こえないものも聞こえているのだろう。
私のほうを向いたリアム様が一言。
「どんなことがあっても、ドロシーとの婚約は解消しない」
真剣な表情に、何かトラブルが迫っているのが察せられた。
「番が見つかっても?」
「前に話したとおり、ハンニガン家は番を求めていない。私も不要だ。だから儀式も受けた」
高位貴族ともなると、ほんのちょっと頭が他家より出ただけで、モグラ叩きのように叩かれるのだそう。
余計なトラブルを招かないためにも、しばらくは大人しくする、というのがハンニガン侯爵家の総意らしい。
足音と叫び声が一気に近付いて、許可なく執務室のドアが開いた。
入ってきたのは、可愛らしい令嬢と、慌てた様子の騎士達。
「リアム様!」
頬を赤らめ、目をキラキラさせた令嬢は、とても可愛らしかった。
「……どなたか知らないが、随分無礼な振る舞いだな」
リアム様は部下の騎士達を睨む。
「申し訳ありません、副団長! こちらの令嬢がその……」
「私、ジェニファー・マリー・バーって言います! リアム様の番です!」
騎士達が令嬢を止められなかったのは、彼女がリアム様の番だと言ったから。
番に自分以外のにおいがつくのを獣人は嫌がる。
触れて、リアム様の怒りを買うのを恐れたのだろう。
「私の相手はここにいるドロシー・アン・マニング伯爵令嬢だ」
「私もリアム様も獣人です! 番に勝る相手なんていないとご存知でしょう!?」
「決めつけないでくれ、不愉快だ」
きっぱりと拒否してくれるリアム様。
好感度がぐんぐん上がっていく。
令嬢が番だと名乗りをあげた時、思わず顔を見てしまった。でも、全く表情に動揺が現れていなかった。
もしかしたら、なんて思ったのに。
儀式を受けたとは聞いている。でも、儀式が完全じゃなかったら? 儀式をしても運命が強く引き寄せあったら……?
「私に番は必要ない。私に必要なのはドロシーだけだ」
リアム様が言いたいのは、ドロシー(の作った料理)だけだ、なんだろうけれど。
……いずれ本体に対してそう思わせてみせます。
「番ですよ!? 獣人にとって番はなによりも大切なのに!」
「何を言われても、私に必要なのはドロシーだ。番でも君でもない」
リアム様は部下の騎士達のほうを向くと、「ご令嬢がお帰りだ」と言った。
追い出すよう命じられた部下達が、令嬢を取り囲む。
「リアム様!」
諦めきれない令嬢が叫ぶが、騎士達によって室外に連れ出された。
彼女の叫び声がゆっくりと遠ざかっていく。
「……よろしかったのですか?」
番が不要な理由は聞いたけれど、あの令嬢の必死さを間近で見ていたら、何が正しいのか分からなくなってしまった。
「彼女は番がほしいのであって、私ではない」
「それはそうだと思いますが、番ではなくても、リアム様に憧れている令嬢は多くおります」
この美貌に侯爵家の跡取りというスペックですからね。
「侯爵家の後継者という立場や外見に惹かれているのだろう」
「まぁ……」
自分の価値を把握しているといえるけれど、拗らせてるともいえる。
「ご自身を見てほしいのですね」
「誰もがそうなのではないか?」
「そうでしょうが、中にはそうではない方もいらっしゃると思います」
貴族同士の婚姻は政略がほとんど。
政略とはいえ、良い関係を築きたいと思う人のほうが多いと思う。
好きになれそうな人、つまり素敵な人と結婚したい、と思うのは自然なことだと思う。
「リアム様はわたくしに何をお求めなのですか?」
「ドロシーに求めていること? ドロシーの料理が食べたい」
ですよね。知っています。
納得し、お茶を飲もうとして、騒動ですっかり紅茶が冷めてしまったことに気付く。
淹れ直そうとしたところ、リアム様が少し不満気な顔を見せる。
不満気な顔って、変顔だと思うんだけれど、それすらカッコいいのだから、美形はズルいと思う。
「私にも聞いてくれないか?」
「何をです?」
「私に自分が求めるものはないのか、と聞く流れじゃないか?」
……結構子供っぽいことを言うわね。
「私が求めてもよろしいのかしら」
「勿論。家柄と容姿はそれなりと自負している。ドロシーが望むなら権力もまぁ……」
権力には魅力を感じない。
「財力と、突拍子もないことを申し上げても驚かない胆力かしら」
予想しなかった答えだったのか、リアム様が「突拍子もないこと?」と聞き返してきた。
「えぇ」
「どういうことか尋ねても?」
「リアム様を信用していないわけではないのですが、まだちょっと……」
前世がー、なんて言って、頭のおかしな奴と思われたくないし、言えない。
「財力はよほどでなければ問題ないと思うが……。その突拍子もない話は、いつか話してもらえると思っていいのだろうか?」
「そうですわね、いつかそんな日がきたら、わたくしも嬉しいです」
話すと断言されなかったのが不満だったのか、リアム様は不満そうな顔をした。
たぶん、見当違いな想像をしているだろう。
「わたくしは、わたくしの作る料理をリアム様が喜んでくださるだけで十分です」
生活改善系は特に欲求もないし、もっぱら料理に目標全振りだし、それを許してくれる許容力と財力があれば問題なし。
それにしても、話せば話すほど、意外な一面が出てくる人だなぁと思う。
子供っぽいのも可愛いなと思っている。
リアム様の番だと言った令嬢は儀式を受けていないわけで、せっかく見つかった番、それも財力、権力ともに申し分のない格上の家柄、整った容姿。
諦めろというほうが無理な話。
「リアム様を解放してください!」
王家主催の夜会。
リアム様にエスコートしてもらって参加したところ、ジェニファー嬢に捕まってしまった。
「リアム様の番は私です! 人間のあなたではなく!」
隣のリアム様をちらと見やると、明らかに不機嫌な様子。
周囲にもあっという間に人集りが。
今をときめくハンニガン侯爵家の跡取り。婚約者ができたと思ったら番が現れた──好奇心をくすぐられる状況だ。
「先日、リアム様から拒絶されたのに、これほどの人の前で騒ぎを起こすなんて……未来の侯爵夫人になるには浅慮がすぎるのではないかしら」
残念ながら彼女がリアム様と結ばれることはない。
運命なら私が入る隙はないけれど、その運命はリアム様本人によって断ち切られたのだから。
「浅慮なのはそちらでしょう!? 獣人にとって番がいかに重要かご存知ないなんて、恥ずかしいことだわ」
知ってる。
それにしても、番であるはずのリアム様が、これほどまでに冷ややかであることに疑問を抱かないのかしら?
それすら思いつかないほど、冷静さを失うものなのかもしれないけれども。
リアム様が一歩前に踏み出す。
ジェニファー嬢の顔色が明るくなる。
期待に満ちた表情だ。
やっと分かってくれたのか、そういう顔をしている。
「レディ、あなたが私の番だとしても、もはやどうでもいいことだ」
「え……?」
「私は儀式を受けている」
「儀式って……そんな、嘘でしょう……?」
番との縁を切る儀式。
儀式を受けた獣人は、番が分からなくなる。
「嘘ではない。私が婚約したのはドロシーであり、私が婚姻を結びたいのはドロシーだけだ。今の私の心をくすぐる香りはドロシー以外にありえない」
ここだけ聞くとなんとも素敵なセリフだけれど、私からするお稲荷さんの香りがリアム様の心をくすぐっているだけ。
でもね、いいんです。
このままがっっちり胃袋を掴み続けますよ!
ショックでその場に座り込んでしまったジェニファー嬢。
リアム様は言いたいことを言えてすっきりしたのか、良い笑顔を私に向けた。
この先、もしかしたらリアム様は他の女性に心を移すかもしれない。
でもその女性は番ではない。
「では行こう、最愛の婚約者殿」
「えぇ、リアム様」
リアム様が私の元に戻ってきてくれるように、胃袋を掴んで、最後に笑うのです。




