婚約破棄されたので、匿名仮面舞踏会で推しの王子を特定します
レートノット王立魔法学園の校門前。
私は、カテリーナ・マルカス。登校したばかりだというのに、目の前では婚約者が胸を張っていた。
ブリッツ王国第七王子、アベリアは私をびしっと指差し、高らかに宣言する。
「貴様とは――婚約破棄だ!理由は、つまらんから!以上!」
「……はい?」
さすがに聞き間違いかと思った。"つまらない"という理由で婚約破棄?
私は冗談を言うのが苦手だし、無口な方だ。面白い人間ではない自覚もある。
だからといって、婚約破棄される理由になるものなのだろうか。首を傾げながら尋ねる。
「差し出がましいお願いですが……私のどこが『つまらない』のでしょうか」
「顔はそこそこだ。だが頭脳も運動神経も何もかも平凡! 話していても、なんとなく話を合わせているだけだろう? もう飽きた!」
そこまで言う?しっかしまあ、薄っぺらい理由だな。
「というわけで、今後一切、俺に関わるな!」
「……お待ちくださ――」
「それ以上、アベル様に近づかないで!」
澄んだ声が割って入る。振り返ると、1人の令嬢が勝ち誇ったように笑っていた。
腰まで届く艶やかな金髪に宝石のように輝く碧眼。
白い肌に整った顔立ちにいかにも高位貴族らしい華やかなドレスを身にまとっている。
絵本から抜け出してきたような、美しい令嬢だった。
もっとも、その表情だけは、勝者を気取る悪役そのものだったけれど。
「私が新しい婚約者! ドルイド公爵家長女、セーラ・ドルイドですわ!」
「そういうことだ! じゃあな、カテリーナ!」
アベリア王子は私に見せつけるようにセーラと手をつなぎ、そのまま校門をくぐっていく。
残された私は、その背中を見送った。
「……せめて放課後にしてほしかったわ」
朝一番にこんな目立つ場所で婚約破棄。
今日は一日中、この話題で持ちきりになるだろう。
「まあ……学校には行くしかないわね」
私は小さくため息をつき、校門をくぐった。
――昼。
私は食堂のテラス席、その隅にある2人掛けの席へ腰を下ろしていた。
昼食を口へ運ぶたび、周囲からひそひそとした声が耳に届く。
「ねえねえ聞いた!? マルカス公爵家のカテリーナさん、婚約破棄だってさ! しかも校門前で!」
「私も聞いた! 今その話題で持ちきりよ! アベリア王子も罪な男よねぇ。かっこいいんだけどさ」
「まあ、でもカテリーナさんって、いつも何考えてるか分からないし、あんまり目立たない子だったもんね~。言っちゃ悪いけど、不釣り合いだったんじゃない?」
「それは思った!」
……聞こえてますけど。
心の中だけで小さくため息をつく。
食堂のあちこちから同じような声が飛んでくるせいで、静かに昼食を楽しむことすらできない。
いっそのこと、空でも眺めて気を紛らわせよう。そう思って顔を上げた、その瞬間だった。
「すっかり有名人ね。あんた」
視界いっぱいに、1人の少女の顔が飛び込んできた。
赤髪は肩まで伸び、前髪は銀細工の髪留めで上品に留められている。
すっと通った鼻筋に、涼しげな蒼い瞳。整った顔立ちは、誰が見ても貴族令嬢と分かるほど気品に満ちていた。
けれど、その口元には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「……近いわよ」
「ごめんごめん」
悪びれる様子もなく笑う少女。彼女の名はレイシア・バートン。
バートン公爵家の長女であり、私とは幼い頃からの付き合いだ。
いわゆる――腐れ縁というやつである。
「あなたも私なんかと一緒にいないで、あっちの集団に混ざってきたら?」
「あたし? 別にいいわよ。アベリア王子には興味ないし」
レイシアは向かいの席へ腰掛けながら肩をすくめた。
「それに、あんたと喋ってる方が楽しいし」
「そりゃどうも」
「でさぁ」
レイシアは机に肘をつき、じっと私の顔を覗き込む。
「実際、あんた全然気にしてないでしょ?」
「何を?」
「婚約破棄よ。だって、あんた昔からフェリス第一王子が好きじゃない」
「ああ、それね。うん、そうね」
私はあっさりとうなずいた。
今日のフェリス王子は学園に来ているだろうか。
何を召し上がったのだろう。今日は何歩くらい歩いたのだろう。
授業中、何回あくびをしたのだろう。
「ふひ……♡ ふひひひひ♡」
「……キモ」
レイシアが心底引いた顔をする。
「絶対に近づくことすら叶わない相手なんだから、もう諦めたら?そういう態度がアベリア王子にも見抜かれてたんじゃないの?」
「んー、無理かな」
私は素直に答える。
「そんなことは分かってるわよ。身分だって違うし、接点だってほとんどない」
「じゃあなおさら」
「でも、私はフェリス王子を『推し』ているの」
「推し?」
「応援しているってこと」
「へぇ」
レイシアは首を傾げた。
「だから別に近づけなくてもいいの。遠くから見ているだけでも幸せだし」
「もちろん、もし機会があるなら全力で掴みにいくけど」
「欲望はあるんだ」
「それはもちろん」
私が真顔で答えると、レイシアは呆れたように笑った。
「まあ、ほどほどにしなさいよ」
「善処するわ」
「あたしは、あんたには楽しく生きててほしいんだから」
「ご親切にどうも」
そのとき。カーン、コーン、と学園中に鐘の音が響いた。
午後の授業開始を知らせるチャイムだ。
「もう時間か」
レイシアは立ち上がる。
「カテリーナ」
「なに?」
「ここしばらくは色々言われるだろうけど……頑張りなさいよ。学校には、ちゃんと来なさい」
レイシアは少しだけ真面目な表情になる。
「はいはい」
「返事が軽い」
「大丈夫よ」
私は小さく笑って立ち上がった。
「ありがとう、レイシア」
その一言だけで十分だった。
◇
午後になっても状況は変わらなかった。
廊下を歩けば視線を向けられ、教室へ入ればひそひそ話が始まる。
レイシア以外は、誰も私へ近寄ろうとしなかった。
結局、その日まともに会話をした相手は彼女だけだった。
放課後、校門から少し離れた場所で待機していたマルカス家の馬車へ乗り込む。
「カテリーナお嬢様」
御者席にいた執事が、穏やかな声で振り返った。
「浮かないご様子ですが、いかがなさいましたか?」
「ちょっと、色々あってね」
私は苦笑する。
「お父様には後で話すわ」
「左様でございますか」
執事は深く一礼した。
「では、私からはあまりお聞きしないようにいたしましょう」
「助かるわ」
婚約破棄ーー本来なら、公爵家の未来にも関わる大事件だ。
だけど、私にとっては、それほど重要ではなかった。
そんなことより、今日一番の楽しみが、もうすぐ始まる。
屋敷へ着くなり、私は誰よりも早く自室へ駆け込んだ。
部屋の中央には、1枚の大きな全身鏡が置かれている。
ただの鏡ではない。これは、『魔法の鏡』。
選ばれた者だけが、その力を使えると言われている。私は鏡の前へ立ち、大きく息を吸った。
「鏡よ~、鏡よ~」
静かな部屋に、私の声だけが響く。
「私を幻惑の舞台へ――連れて行きたまえ」
瞬間、鏡がまばゆい光を放った。
視界が白く染まり、足元の感覚が消えていく。
◇
気がつくと私は満天の星空が広がる舞踏会場へ立っていた。
豪華なシャンデリアに夜風が吹き抜ける広間。
音楽に合わせて踊る人々けれど、その姿は人間だけではない。
竜や獣人、妖精に悪魔まで。様々な姿が入り混じっている。
もっとも、それらはすべて仮初めの姿と仮初の名前で成り立っている。
本当の容姿を晒す者は、この場所には1人もいない。
もちろん私も同じだ。青い瞳は深紅に変わり、銀髪は黄金色になっていた。
身長も少しだけ低くなっている。
誰にも正体を知られない。だからこそ、この舞踏会は成り立っている。
私は人混みを歩きながら、1人の人物を探す。
そして、すぐに見つけた。誰とも踊らず、壁際でぼんやりと立っている獣人。
犬の顔――柴犬の顔をした青年だった。
「――あら。探していましたわ。コンバンワンパチさん。こんばんは」
私は微笑みながら歩み寄る
柴犬は耳をぴくりと動かし、こちらを見る。
「ストーカー令嬢さん、どうも」
そう言って、優雅に一礼した。
「一曲、踊りましょうか」
その瞬間だった。
――パッ。舞踏会場を照らしていたシャンデリアの灯りが、一斉に消えた。
「えっ?」
どよめきが広がる。
音楽も止まり、辺りは夜空の星明かりだけが照らす静寂に包まれた。
そして、どこからともなく感情のない声が響く。
『幻惑の舞踏会へようこそ』
男女の区別すらつかない、不思議な声。
参加者全員が空を見上げる。
『これより、本日の特別催しを開始します』
「催し?」
「そんな話、聞いてないぞ」
「なにかの悪ふざけか?」
会場がざわつき始める。
しかし、アナウンスは構わず続いた。
『本日の舞踏会には――フェリス第一王子が参加しております』
その一言で、空気が一変した。
「……は?」
「フェリス第一王子だって?」
「本当なのか!?」
「どこだ!?」
あちらこちらで歓声と悲鳴が入り混じる。
踊っていた男女も足を止め、一斉に周囲を見回し始めた。
この舞踏会では誰もが仮面を被り、姿を偽る。
竜も獣人も妖精悪魔も、すべて偽装。
だからこそ、本物のフェリス王子が紛れ込んでいても誰にも分からない。
再びアナウンスが響く。
『制限時間は1時間』
『フェリス第一王子を見つけ出した者には、褒賞として"駆け落ちする権利"を授けます』
一瞬の静寂。そして――。
「絶対に見つけるぞ!」
「フェリス様ぁぁぁ!」
「情報を集めろ!」
舞踏会場は一瞬で狩場へと変わった。
誰も彼もが怪しい相手へ話しかけ始める。
ダンスどころではない。
皆、フェリス王子という"極上の褒美"しか見えていなかった。
「……なるほど。面白い催しね」
私は小さく笑う。
普通なら、人混みへ飛び込んで聞き込みでも始めるのだろう。
でも――。
「そんな非効率なことはしないわ」
私は舞踏会場の中央にある巨大な鏡へ歩み寄る。
鏡へ手を添えると、水面のように波紋が広がった。
「管理領域へ接続しなさい」
静かに呟く。すると、鏡は私一人を飲み込んだ。
◇
そして、私は真っ黒な世界へ浮かんでいた。
上下左右も分からない漆黒の空間。
頭上には満天の星空だけが広がっている。
そして、その星々の代わりに、無数の文字列が空間を流れていた。
参加記録に入場時刻。
会話履歴、ダンスの申請履歴。
あらゆる情報が光の帯となって流れ続けている。
まるで、情報そのものが海になったようだった。
私は情報の海を駆け巡る。その中心へ身を委ねながら、一つ一つの記録へ目を通していく。
『リュウオウ:こんばんは』
『白猫姫:こんばんはー』
『銀狼:こんばんは』
『コンバンワンパチ:お疲れ様です』
「……やっぱり」
私は思わず笑みを浮かべた。
私は知っている。フェリス王子は、夜に"こんばんは"と言わない。
理由は単純。昼間、城下町を視察していたフェリス王子をストーカー......じゃない。尾行していた際に聞いてしまったことがあるからだ。
『私、挨拶は苦手なんです。常に"お疲れ様です"と言うことにしているんです。ーでも、挨拶しないと怒る人っているでしょう?』
そう侍従へ話していた。
その何気ない言葉を、私は覚えていた。さらにダンスにおける足の運び方や歩き方の情報を照合させる。
そして、コンバンワンパチというハンドルネームで代わりに挨拶させることで、気を悪くさせないようにしていたのだ。
「見つけた」
そう言って、私は舞踏会場へ戻った。
柴犬の獣人は、相変わらず壁際で退屈そうに立っていた。
私は彼の前まで歩く。
「コンバンワンパチさん」
「おや」
「あなたが――フェリス第一王子だったのですね」
柴犬は数秒だけ沈黙した。
そして、くすりと笑う。
「……いかにも」
犬の口元が、どこか嬉しそうに緩む。
「君なら見つけてくれると思っていたよ」
「当然ですわ」
私は胸を張る。
「君以外が見つけてきたなら。君は、その程度だったと思うことにしていた」
「それは絶対にありえませんわ」
即答だった。
「あなたのことは、誰よりも見ていますもの」
「……それは少し怖いね」
「よく言われます」
フェリス王子は肩を震わせて笑った。
ひとしきり笑ったあと、彼は真剣な眼差しになる。
「ちなみに、本当にいいのかい?」
「何がです?」
「駆け落ちするということは、この国を出るということだ」
彼は静かに言う。
「君にはレイシアという親友がいただろう?」
「ええ。問題ありません」
私はあっさりとうなずいた。
「どうして?」
私は少しだけ口角を上げる。
「だって私、記録を見て知っちゃったんですもの」
「何を?」
「レイシアが、アベリア王子とこの舞踏会で浮気していたって」
フェリス王子が目を細める。
私はくすりと笑って肩をすくめる。
「嘘か本当か――わかりませんけどね?」
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