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灰冠の反逆者  作者: 大きい橋


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第八話 血の門


夜は沈んでいた。月はなく、雲は低く垂れ、森も地面もひとつの塊のように黒く固まっている。音は少ないが、消えているわけではない。風は止み、葉も鳴らない。ただ、人の気配だけが闇の奥で動いていた。


第二集積所は、その闇に埋もれるように存在していた。石壁に囲まれた小さな拠点で、見張り塔が二つ、門は厚い木と鉄で補強されている。規模は大きくないが、隙もない。灯りは最小限に抑えられ、巡回は一定の間隔で繰り返されていた。無駄がないというより、削られている印象だった。


森の縁、低木の陰に四つの影が伏せている。レオンは門を見据え、ガルドは巡回の癖を追い、リシェルは指先で空気を確かめ、エドワルドはその全体を眺めていた。


「いるな」


ガルドが低く言う。


「ええ、きちんと」


エドワルドが応じる。その声には余計な緊張がない。


レオンは何も言わず、門の動きを目で追った。規則は守られている。だが規則は、破るために覚えるものでもある。


「合図は」


「南側、煙が上がります。ほんの一瞬です」


「裏切られた場合は」


エドワルドはわずかに笑った。


「その時は、私の見込み違いです」


ガルドが舌打ちする。


「軽く言うな」


「重く言っても結果は同じです」


沈黙が落ちる。レオンは一度だけ目を閉じ、呼吸を整えた。頭の中で手順をなぞる。門、内側の混乱、中央の制圧、倉庫の確保、撤退。単純だが、単純なほど誤差が出る。


(ここからだ)


街道の襲撃とは違う。相手は逃げない。守る意思を持っている。


「……来る」


リシェルが呟いた。


南の森の奥に、細い煙が立つ。弱いが確かだ。


エドワルドが頷く。


「開きます」


次の瞬間、門の内側で音が弾けた。怒号、鉄の擦れる音、走る足。内側から門が押し広げられ、わずかな隙間が生まれる。


「今だ」


レオンが立つ。四人が同時に動いた。草を踏む音が闇に吸われる。門の隙間へ、ガルドが先に滑り込んだ。


最初の兵が気づく。


「敵――」


言い切る前に、ガルドの剣が喉元で止まる。刃は触れるだけで引かれる。代わりに柄が振り抜かれ、喉を打つ。息が止まり、兵は崩れる。次へ。迷いがない。殺さない戦いは手間が増えるが、彼はそれを選んでいた。


レオンも続く。門を押さえようとする兵の腕を外し、体勢を崩し、膝裏を蹴る。崩れたところをさらに押し、戦線から外す。刃は最小限しか使わない。時間を削る。


「侵入だ!」


角笛が鳴る。音が夜を裂く。


その瞬間、リシェルの指が弾かれた。地面をなぞるように火が走り、乾いた木箱へ移る。炎が広がるのではなく、線となって配置を乱す。光と煙が視界を歪め、兵の動きが一拍遅れる。


「目を潰す!」


ガルドが叫ぶ。煙が上がる。火は制御されているが、恐怖は制御されない。隊列が崩れる。


レオンはその隙を抜け、中央へ出た。倉庫の前に神殿兵が立つ。動きが違う。重心が低く、視線がぶれない。


「止まれ」


低い声。命令ではなく、確認に近い。


レオンは止まらない。踏み込む。刃が交わる。重い。受け流す。返す。だが崩れない。相手も同じだけの技量を持っている。


「……なるほど」


レオンが小さく言う。神殿兵が半歩詰める。速い。刃が頬を掠め、血が滲む。だが視界は揺れない。間合いを詰める。半歩。肩でぶつかる。体勢を崩す。足を払う。わずかな綻び。


そこへガルドが入る。


「下がれ」


重い一撃が兜を打つ。神殿兵が沈む。


「硬ぇな」


「訓練されている」


短い言葉で状況を共有する。


その時、リシェルの声が飛ぶ。


「レオン!」


振り向く。倒れた子供の影。カイが荷の陰で転んでいる。その前に神殿兵が一人。刃が振り下ろされる。


レオンの体が先に動く。距離が足りない。間に合わない。


火が割り込む。リシェルの炎が刃の軌道をずらす。だが完全ではない。刃が肩を掠め、血が散る。


「……っ!」


短い呻き。


レオンが踏み込む。神殿兵の腹へ短剣を突き立てる。刃が入る感触が、掌に重く残る。これまでの打撃とは違う、確かな抵抗と崩れ。神殿兵が倒れる。


カイが崩れる。血が広がる。


「大丈夫か」


レオンが問う。


カイは歯を食いしばり、頷こうとする。その背後で、別の兵が槍を構えていた。死角。


「レオン!」


ガルドの声。だが距離がある。間に合わない。


――誰かが割り込んだ。


鈍い音。槍が肉を貫く音。視界に血が散る。レオンの前に立っていたのは、エドワルドだった。


槍を受け止めている。


「……はは」


息が浅い。だが口元に笑みが残る。


「……予想外、ですね」


ガルドが兵を斬り伏せる。リシェルの炎が周囲を払う。だが時間が一瞬だけ遅れる。


エドワルドが膝をつく。血が石に広がる。


「なぜ」


レオンの口から言葉が落ちる。自分でも意外な問いだった。


エドワルドはかすかに肩をすくめる。


「……あなた、死ぬと困るので」


息が揺れる。


「まだ……見ていない」


「何を」


「どこまで……行くのか」


体が崩れる。血の色が暗い。


「撤退だ!」


ガルドが現実へ引き戻す。角笛が増え、増援が近い。


レオンは即座に判断する。


「担げ」


迷いはない。だが、何かが残る。


エドワルドを担ぐ。重い。血が止まらない。三人が門を離れ、森へ入る。リシェルが後ろに火を走らせ、追撃の足を鈍らせる。火は道を塞ぐのではなく、迷わせる。


森に入った瞬間、音が途切れる。追手の気配が遠のく。だが誰も振り返らない。止まれば終わると知っている。


やがて木々の奥で足を止める。エドワルドを地面に下ろす。呼吸は浅い。血が溢れている。


リシェルが膝をつく。傷口を見る。


「……死ぬわね」


平坦な声。


「止められるか」


ガルドが問う。


リシェルはわずかに目を細める。


「賭けになる」


レオンは即答した。


「やれ」


「代償、いるわよ」


「構わない」


短い沈黙。リシェルの視線がレオンに刺さる。値踏みではない。確認だ。


「いいの?」


「ああ」


リシェルは息を吐き、手をかざす。火が灯る。先ほどとは違う火だ。焼くためではなく、繋ぐための火。温度が変わる。炎が傷口の上で形を変え、血の流れを止めにかかる。


エドワルドの体が跳ねる。声にならない息が漏れる。だが火は離れない。痛みを押さえ込むのではなく、押し留める。壊れたものを無理に繋ぐやり方だった。


ガルドが低く言う。


「……持つか」


「持たせる」


リシェルは目を閉じない。火を見続ける。集中が切れれば終わる。


レオンはその様子を見ていた。血の匂い。土の冷たさ。手に残る刃の感触。初めての“殺し”の重さが、遅れて胸に落ちてくる。だが揺れはない。揺れないまま、そこにある。


(……これが)


火は広がった。だが、その火は敵だけを焼かない。


エドワルドの呼吸がわずかに整う。完全ではない。だが、途切れていない。


リシェルが小さく息を吐いた。


「……繋いだわ」


「助かるか」


ガルドが問う。


「まだわからない」


それが正直な答えだった。


夜は深い。だが、その深さの中で、確かに何かが変わっていた。小さな反逆は、もはや小さくない。門を破り、血を流し、仲間を傷つけた。その事実は消えない。


レオンは立ち上がる。森の奥を見据える。


もう戻れない。戻るつもりもない。


ただ一つ、はっきりしたことがある。


この火は、止めない。


止めれば、ここまで来た意味が消える。


だから進む。


血の匂いを引き連れてでも。


夜はまだ終わらない。だがその夜の底で、確かに“戦い”が始まっていた。

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