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灰冠の反逆者  作者: 大きい橋


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第五話 噂と牙


夜が明ける頃、森はまだ冷たさを残していた。


白く凍りついた地面の上に、薄く霧が漂っている。

空は灰色。陽は昇りきらず、光は弱い。


猟師小屋の前で、レオンはひとり立っていた。


眠らなかった。


火はすでに消え、残った灰だけが静かに燻っている。

その灰を踏みしめるように、レオンは思考を整理していた。


麦はある。

だが、ただ配れば終わりではない。


「……見られている」


背後から声がした。


振り返ると、ガルドが腕を組んで立っていた。


「村に入れば、必ず誰かが見る。隠しきれない」


「ああ」


レオンは頷く。


「だから隠さない」


ガルドの眉が動く。


「どういう意味だ」


「盗賊ではないと示す」


「……なるほどな」


ガルドは息を吐く。


「中途半端に隠すより、“意図がある”と見せる方がいい」


「そうだ」


「だが、その分目立つぞ」


「構わない」


レオンの声は変わらない。


「最初から、そのつもりだ」


ガルドは少しだけ笑った。


「やっぱり狂ってるな、お前」


その時、小屋の扉が軋んで開いた。


リシェルが出てくる。

寝ていたのかどうか分からない顔で、髪は乱れたままだった。


「朝から重たい話ね」


「お前には関係ない」


ガルドが言う。


「関係あるでしょ」


リシェルは肩をすくめる。


「どう配るかで、面白さが変わるもの」


「面白さで決めるな」


「でも重要よ?」


レオンが口を開く。


「三村に均等には配らない」


ガルドが視線を向ける。


「……理由は」


「均等に配れば、均等に足りない」


「……」


「優先順位をつける」


リシェルが笑う。


「冷たい」


「現実だ」


レオンは続ける。


「子供が多い家、働き手が残っている家、再生可能な家に回す」


「切り捨てる家も出るな」


ガルドの声が低くなる。


「ああ」


沈黙。


リシェルが楽しそうに言う。


「いいじゃない。全部救うなんて幻想よ」


ガルドは彼女を睨むが、否定はしなかった。


それが現実だと、分かっているからだ。


レオンは小屋の中へ戻る。


子供たちはまだ眠っていた。

その中で、昨日の少年だけが起きている。


「起きていたか」


少年はすぐに背筋を伸ばした。


「は、はい」


「名前は」


少し戸惑い、それから答える。


「カイ……です」


「カイか」


レオンは一瞬だけその名を記憶する。


「歩けるな」


「はい」


「なら手伝え」


少年の目がわずかに揺れる。


命令されることには慣れている。

だが“頼られる”ことには慣れていない。


「できるか」


「……やります」


その声は小さいが、確かだった。


レオンは頷いた。


「いい」


外に出ると、ガルドが馬車の準備を終えていた。


「いつでも動ける」


「北から回る。人の少ない道を使う」


「了解だ」


リシェルは荷台に軽く腰をかける。


「私は?」


「好きにしろ」


「雑ね」


だが彼女は文句を言いながらも、その場に残った。


―――――


最初に向かったのは、北部三村のひとつ、ルグ村だった。


村は静まり返っていた。


人はいる。

だが活気がない。


家は痩せ、煙は細く、空気が重い。


馬車が入った瞬間、視線が集まる。


警戒。

恐れ。

そして、わずかな期待。


レオンは止まらず、村の中央まで進んだ。


「……降ろせ」


ガルドとカイが動く。


麦袋が地面に置かれる。


ざわめきが広がる。


村人のひとりが、恐る恐る近づいた。


「……それは」


「お前たちのものだ」


レオンが言う。


「……え」


「取られた分の一部だ」


沈黙。


誰も動かない。


信じられないのだ。


「……嘘だ」


誰かが呟く。


「そんなはずがない……」


レオンはそれ以上説明しなかった。


ただ言う。


「必要な分だけ持っていけ」


「……代わりに、何を」


「何もいらない」


空気が揺れる。


ガルドが低く言う。


「……怪しすぎるな」


「そうだな」


リシェルが笑う。


「でも、それでいい」


村人のひとりが、ゆっくりと手を伸ばす。


麦袋に触れる。


本物だ。


その瞬間、堰が切れた。


「……本当に……」


「助かる……!」


人が集まる。


泣き出す者もいる。


だがその中で、レオンはただ立っていた。


何も感じていないわけではない。


だが、言葉にはならない。


カイが、その光景を見ていた。


そして、ぽつりと言う。


「……すごいです」


レオンは視線だけ向ける。


「何がだ」


「みんな……喜んでる」


レオンは少しだけ考える。


「そうか」


それだけだった。


―――――


その日のうちに、二つ目の村へ。


同じように麦を置き、同じように去る。


だが、噂はすぐに広がった。


「麦が戻ってきた」

「誰かが奪い返した」

「貴族じゃない」

「でも盗賊でもない」


そして――


「ヴァルディアの若い伯爵が関係しているらしい」


その噂は、夕刻には屋敷へ届いた。


―――――


西棟、執務室。


ハインツが静かに報告する。


「……南東街道にて、輸送隊が襲撃されました」


レオンは机の前に座っていた。


「被害は」


「死者は出ていません。ですが、麦と……子供が数名」


「そうか」


ハインツは一瞬だけ間を置く。


「……そして、噂が出ております」


「どんな」


「“奪われた麦が村に戻された”と」


レオンは黙って聞いている。


「さらに、“伯爵家の誰かが関与している”と」


静寂。


暖炉の火が、ぱち、と音を立てた。


ハインツは続ける。


「……この件、どうなさいますか」


レオンはゆっくりと立ち上がる。


窓の外は、すでに夜だった。


遠くの村に、小さな灯りが見える。


「そのままにしておけ」


「……よろしいのですか」


「ああ」


レオンは言う。


「噂は広がる方がいい」


ハインツは目を細めた。


「……承知しました」


だが、その時だった。


扉が乱暴に開く。


「レオン!」


重い足音。


現れたのは、先代伯爵オズヴァルドだった。


顔色は悪い。

だが、その目には怒りが燃えている。


「これはどういうことだ」


部屋の空気が一瞬で変わる。


レオンは振り返る。


「何のことです」


「とぼけるな!」


杖が床を叩く。


「街道の件だ! 麦が消え、子供が消え、そして村に戻ったと聞く!」


沈黙。


「……お前だな」


レオンは答えなかった。


だが、その沈黙が答えだった。


オズヴァルドの目が細くなる。


「なぜだ」


低い声。


「なぜ、そんなことをした」


レオンは静かに言った。


「歪んでいたからです」


「……」


「正した」


その一言で、空気が凍る。


オズヴァルドはゆっくりと息を吐いた。


「……愚か者が」


その声は、怒りよりも冷たかった。


「お前は何もわかっていない」


「何がです」


「支配だ」


父は言う。


「民は、与えれば従う。だが、自ら手に入れたと思えば、欲を持つ」


レオンは黙って聞く。


「欲は、やがて牙になる」


「……」


「お前は今、その牙を育てている」


静寂。


レオンは言った。


「それで構いません」


オズヴァルドの目が揺れる。


「牙が必要だ」


その言葉は、静かだった。


だが確かだった。


父はしばらく息子を見つめ、それから吐き捨てるように言った。


「……いずれ後悔する」


「かもしれません」


「その時、誰も助けんぞ」


レオンはわずかに目を伏せた。


「最初から、そのつもりです」


沈黙。


オズヴァルドは何も言わず、踵を返した。


扉が閉まる。


重い音が、部屋に残る。


ハインツが静かに言う。


「……後戻りはできませんな」


レオンは窓の外を見る。


遠くの灯りが、かすかに揺れている。


「ああ」


その声に迷いはなかった。


「もう始まっている」


火は、すでに灯っている。


小さく。

だが、確実に。


そして火は、いずれ広がる。


止められないところまで。


――ここからが、本当の始まりだった。

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