第十三話 見えない綻び
出発は夜明け前だった。空はまだ暗く、東の端がわずかに白んでいるだけだ。森を抜ける道は狭く、人数が増えた分だけ音が増える。足音、衣擦れ、呼吸。そのすべてを消しきることはできない。だが抑えることはできる。
十人は二列に分けられ、間隔を空けて進む。ガルドが先頭、レオンが中央、エドワルドが後方、リシェルはその間を自由に動いている。
ガルドが振り返らずに言う。
「速度を落とすな。間が詰まると一気に気配が濃くなる。バラけすぎても駄目だ。見つかる前に気づかれる」
一人の若い男が息を切らしながら答える。
「……これ、どこまで行くんだ」
「泊まる場所までだ」
短い返答。
「目標はアルセリアだ」
エドワルドが後ろから言う。
「巡礼都市。教会の補給と人の流れが集まる場所です。人が多い分、紛れることもできる」
ガルドが低く言う。
「紛れるだけじゃ済まねぇだろ。あそこは目も多い。余計な動き一つで全部露見する」
「ええ。だから“目立たない形で目立つ”必要があります」
リシェルが笑う。
「なにそれ、矛盾してるじゃない」
「矛盾ではありません。印象を操作するという意味です」
レオンが言う。
「具体的に」
エドワルドは少し間を置く。
「三つに分けます。表で動く者、裏で動く者、そして何もしない者」
ガルドが眉をひそめる。
「何もしない?」
「ええ。何もしないことで“そこにいる理由”を作る」
リシェルが肩をすくめる。
「面倒ね。燃やした方が早いのに」
「それではすべて終わります」
エドワルドは淡々と答える。
「今回は壊すのではなく、“歪ませる”」
レオンが言う。
「やることは」
「教会の補給路の一部を止めます。ただし完全には断たない。あくまで“遅らせる”」
「なぜだ」
「完全に断てば、即座に全力で潰しに来る。ですが遅れなら、内部で原因を探り始める」
ガルドが低く言う。
「内側を疑わせるってことか」
「ええ。それが狙いです」
短い沈黙。
レオンは前を見たまま言う。
「動く」
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昼前、森を抜ける。視界が開け、遠くに街道が見える。アルセリアへ続く道だ。巡礼者の列が点のように続いている。
エドワルドが手を上げる。
「ここで分けます」
一同が止まる。
「三班に分かれる。ガルドは正面から入る。巡礼者に紛れてください。あなたの動きは目立つが、逆に“隠すより紛れる”方が適している」
ガルドが鼻を鳴らす。
「要するに、堂々と行けってことか」
「ええ。その方が疑われにくい」
「気に入らねぇが、理屈はわかる」
エドワルドは続ける。
「レオンは中央。アリアと数名を連れて内部へ。観察と接触が目的です」
レオンは短く言う。
「了解」
「リシェルは遊撃」
「一番自由ってことね」
「ええ。ただし暴れすぎないように」
リシェルは笑う。
「努力はする」
エドワルドは最後に、あの男を見る。
「あなたは私と来てください」
男は少しだけ目を細める。
「後ろか」
「ええ。後方で全体を見ます」
男は短く頷く。
「いいだろう」
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アルセリアは大きかった。石造りの建物が密集し、人の流れが絶えない。祈る者、売る者、奪う者、すべてが混ざり合っている。教会の鐘の音が定期的に響き、その度に人の動きがわずかに変わる。
レオンは人の流れに紛れて歩く。視線は動かさない。だがすべてを見ている。
アリアが小さく言う。
「……人が多い」
「だから使える」
レオンが返す。
「紛れろ」
「はい」
短い会話。
だがアリアの目は動いている。観察している。
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一方、エドワルドは路地裏を進んでいた。人通りは少ないが、完全に消えることはない。
男が横で言う。
「こういう場所、慣れてるな」
「ええ。目立たない場所ほど、情報は集まります」
男は少し笑う。
「便利な頭だな」
「生き残るためのものです」
一瞬の沈黙。
男が言う。
「なあ、あんたさ」
「何でしょう」
「全部、見えてるのか?」
エドワルドは少しだけ考えた。
「すべてではありません。ただ――」
視線がわずかに動く。
「崩れ方は、ある程度」
男の口元が歪む。
「怖ぇこと言うな」
「現実です」
エドワルドは言う。
「人は、崩れる時に同じような形を取る」
男は何も言わない。
ただ、その目はわずかに鋭くなっていた。
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その頃、ガルドは巡礼者の列に紛れていた。周囲は年寄りや子供ばかりだが、油断はない。視線は常に動き、逃げ道を確認している。
隣の老人が話しかけてくる。
「どこから来なすった」
ガルドは短く答える。
「北だ」
「遠いかぁ」
「そうでもない」
それ以上は話さない。
だが周囲の視線は自然に外れていく。無愛想な男は、興味を持たれない。
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夕刻、三つの班がそれぞれ位置につく。
エドワルドは高台から街を見ていた。人の流れ、荷の動き、兵の配置。すべてが繋がって見える。
男が横で言う。
「で、どこを切る」
エドワルドは指を動かす。
「あそこです」
視線の先、補給の荷が集まる一角。
「一つ止めるだけでいい」
「全部じゃねぇのか」
「ええ。全部止めると“敵”になる。今回は“内部の問題”に見せる」
男は小さく笑う。
「ずるいな」
「効率的です」
一拍。
「……なあ」
男が言う。
「もし失敗したら?」
エドワルドは答える。
「失敗の形にもよりますが、いくつか出口はあります」
「自分は?」
その問いに、エドワルドはほんのわずかに間を置いた。
「私も、駒の一つです」
男は目を細める。
「……そうか」
短く答える。
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夜が来る。街の灯りが増え、影が濃くなる。
そして――
見えない綻びが、静かに広がり始めていた。




