プロローグ 神なき時代の焔
世界から神の声が消えて、もう三百年が過ぎていた。
かつてこの大陸には、七柱の神がいたという。
空を裂く雷神、土を耕す豊穣神、海に眠る蒼き女神、戦場に血を啜る剣神。
人々は祈り、捧げ、恐れ、その加護のもとで王を戴き、国を築いた。
だがある日を境に、神々は沈黙した。
神殿でいくら鐘を鳴らしても、祭壇にどれほどの黄金を積んでも、奇跡は起こらなかった。祈りは空に溶け、聖職者たちは沈黙を権威に変えた。
神がいなくなったあとに残ったのは、神の名だけだった。
そして人は、その名を最も都合よく使う生き物だった。
七つの大公国は互いを牽制しながら争い、王侯貴族は税を重ね、教会は救済の代わりに服従を説いた。痩せた農民の畑から最後の麦束まで取り上げ、孤児の涙には祝詞を、死者の骸には沈黙を与えた。
魔物は辺境を喰らい、盗賊は街道を荒らし、兵は民を守るより先に民から奪った。
それでも世界は続いていく。
腐った城壁も、泥に沈む村も、煤けた酒場も、売られていく子供も。
誰かが変えねばならないと、多くの者が思った。
だが、本当に変えようとした者は少なかった。
なぜなら、世界を変えるというのは、たいてい自分が壊れることと同じだからだ。
後に“灰狼団”と呼ばれる反逆者たちが現れる。
王国に牙を剥き、教会の威光を踏みにじり、神の遺した秩序にさえ刃を向けた者たち。
その中心にいた男は、英雄ではなかった。
慈悲深くもなく、熱くもなく、正義を叫びもしなかった。
人の痛みに鈍く、涙の意味も知らず、ただ冷たい目で世界の歪みを見ていた。
だが、そんな男だからこそ、見抜けたものがあった。
誰もが目を背けていた腐敗の芯を。
誰もが信じたがっていた大義の虚飾を。
そして、己の内にぽっかりと空いた、どうしようもない欠落を。
その男の名を、レオン・ヴァルディアという。
これは、神に見捨てられた世界で、
神ではなく人の手によって火が灯るまでの物語。
そして同時に、何も感じられなかったひとりの男が、
それでもなお誰かを守りたいと願ってしまうまでの、長い長い敗北の記録である。




