第六話
鈿音は後悔している。「人間だもの」なんて励まし
は何の救いにもならない事態だ。
一時間前、鈿音は考えもなしに裏路地に入った。
全身を大きな舌でくるまれたような湿気と、人間特有の臭気から本能が渋谷ハロウィンを受けつけないために咄嗟にとらせた行動は、予想されるはずのリスクを不運にも引き寄せた。
渋谷ハロウィンに集まるのは冥界以上にたちの悪い
者達だ。犯罪行為やそれに近い行為が平気に見受けられる。特に狂っている人々にはうってつけの環境
なのだろう。
鈿音が見たのは危ない粉を集団で取り扱っている
また、盛り上がりもピークに達した様子だ。
楽しんでいる集団の奥にいる見張り役が懐中電灯で鈿音を堂々と照らす。
ここで、鈿音は普段見る警察関連の番組の大きな嘘に気づいていた。渋谷ハロウィンという状況もあるが、怪しい人間は見苦しく抵抗する存在で、
不合理かつ無鉄砲に動くのでは無かった。
むしろ見つかった時の行動パターンは丁寧に練り込まれていたようで、鈿音が気にも留めなかった、
裏路地の入り口付近でゴミ袋を配っていた明らかにボランティア活動中の二人組にはさみうちされてしまった。無線で懐中電灯を持つ見張り役と合図を取り合ったらしい。シャツを着て'ゴミを減らそう'の
丸くポップな字体のプラカードを首からぶら下げる、誰から見ても好青年と答えるであろう爽やかな外見をした囲み役は、想像もつかない邪悪さでこう言った。
「お菓子パーティの邪魔するってことはさ、
いたずらされる覚悟さ、出来てんだよね?」
鈿音はプロフェッショナルである。
(最後に足掻くならカメラマンのジャーナリズムを
この犯罪者共に見せつけてやる!)
カメラ機能を搭載していそうなものをちょうど持っていた!腕にはめられたぷるウォである。
写真を選択させたり、SNSと関わる機能が付いているなら、カメラも必要になるはずだ。冷静に考え、
自分の震える指でカメラに近そうなアイコンを見つけた鈿音は迷いなくタップし、すぐさまお楽しみ中
でまともに動けない被写体にフラッシュをお見舞いした。
鈿音は、すぐに囲み役の一人に腕と足を抑えられ、もう一人の持つゴミ袋に頭を覆われてしまう。
もがきながら何度かぷるウォに触れた気がしたが、
鈿音はアドレナリンが体から引いていくのを感じ、
取り戻した冷静さの中で自分のやったことの反省をする。
(写真を撮ったにしてもそれを警察に届けるまでにはコイツら撤収してるじゃない!それに、もし写真を見せてもこんなオモチャみたいな見た目の腕時計で撮ったもの信用が全くないわ。)
遠のく意識の中でよくここまで考えられたと呑気に
自画自賛しながら、鈿音は不意に男のうめき声を聞く。幻聴ではなさそうだ。顔を覆っていた袋は直後に滑り落ち、さっきまであんなにも嫌だと感じた
渋谷ハロウィンの空気が今やよく味わいたいものになったようだ。
急に突き飛ばされたので、目をやれば腕と足を痛く握ってきていたもう一人の囲み役が必死に走っている姿が見えた。
「どうしてよぉ、この寒い時期のしかも都会のど真ん中に、スズメバチがいんだよぉ。夜なんだから寝やがれよぉ。」
ダミ声で喚く囲み役に容赦なくはちの針が刺さる!
懐中電灯を慌てて消す見張り役もまっすぐに向かってくるスズメバチになす術なく刺された。
鈿音が驚いたことにどちらも2回ずつ的確に
アレルギー反応が起こるように刺し、しかも一匹のハチが3人の男全員を倒してしまったのだった。
鈿音が肩を叩かれて振り向くとそこにはしっかりとした体格の色黒の男が立っていたそして心配して
いることがよくわかる声で囁く。
「大丈夫ですか?我々が駆けつけることができてよかった。今からあなたにある提案をしたいので、
ここでこのまま二人で待ちましょう。」
「急にどういうことなの?あのハチは…あなたの
武器らしいけれど。私以上にこの状況を理解して
いるの?」
「いや…いやいや!そんなことは無いんです。
でも、これから会う人と話せば、貴女の助けになるはずですよ。」
お楽しみをしていた集団が気になって、今度は逆の向きに振り返る鈿音は全員が巨大な洗濯バサミに
挟まれている様子を3度見返した。ゾロゾロと10人
くらいの人達が、鈿音から目を離さずに歩み寄る。
「無事そうでよかったです。とても危険な人達に
遭遇してしまったようだったので。写真を投稿してくれたので助けることができました。」
鈿音はこの声に聞き覚えがあった。背中をさすってくれたあの少女だ。少女は続けて話す。
「今みたいな状況になったら迷わず武器や、能力を使うべきです。私たちはこの腕時計をかざさないとお互い傷つけられないようになっていますが、この
渋谷ハロウィンにいる人々には自分の能力が通用
するんです。」
鈿音は思わず質問した。
「あんな少ないルールからどうしてそこまでのことがわかるの?」
「少ないルール?いえ、あ10ページ以上はあるのでじっくり読み込むとそれなりに時間を要するとおもいます。」
少女の後ろにいる人達は鈿音がまっ青になるのを
共感するように頷いた。
「そうだよな、俺たちはネットで何やるにしてもよ、"'利用規約'"とやらを読み飛ばしちまうよな。ヒョイヒョイとスクロールしてよ。」
鈿音は自分のルール説明はページ型だったにも関わらず、しっかり読み込めたはずのルールをすっぽかしたのだった。
「普段使っている機器に応じて使いやすいように
変わっているようです。スクロールできるように
なっていたのは多分あなたが普段スマートフォンをよく使うからです。私はガラケーなのでスクロールするにもボタンがないから、ページ型になっているんだと思います。これは、私たちの監禁前の生活があのキツネに筒抜けだったということですね…。」
少女は嫌味も全く感じさせずに優しく、しかし聡い
ことを言ってくれる。現に、もう10人も初対面で
あろう他人を集めている。
なるほどこの子には頼っていいのかもしれない。
鈿音は大人気もなくこう考えた。
「私の名前は 乗波 美琴{のりなみ みこと}
あなたはどちらのタイプでしたか?」
「……ありがとう。亀螺鈿音よ。もちろん私は
スクロール…よ!ホント嫌になっちゃうわぁ」
鈿音は迷いなく嘘をつく。ただ、少女には簡単に
見透かされている気がしてグルグルと考えていたが、その考えは吹っ飛んだ。
少女にしては力のこもった声でこんな提案をされた。
「私たちは、あのキツネがやらせようとしている
ことに全力で反抗します。鈿音さんぜひ協力して
頂きたいのです。」