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3 美しき婚約者は求婚する

誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

 十年前。

 ローヴァリー子爵家とエレアナのリーリエ家は互いの仕事関係で家族ぐるみでの交流があり、ローヴァリー家の兄弟とリーリエ家の兄妹(エレアナには兄が二人いる)は、年も近く親戚かのように仲良くしていた。


 ローヴァリー子爵の三兄弟は三者ともどもまったく違う顔立ちではあったがそれぞれに見目良く、特にイリアスは天の使いであるかのような美しさを当時からもっていた。だが兄弟の中でも一番粗暴であり気性も激しく、輝くような美貌はもちろん体のあちこちに傷をつけるような、有り体に言うとやんちゃで暴れん坊な子どもだった。


 ある夏の日。

 久しぶりに会った子どもたちは大はしゃぎでローヴァリー領にある湖畔に遊びに出掛けていた。

 エレアナはまだ小さく泳ぐこともできなかったために、楽しそうな兄たちを尻目に少しいじけながら木の下で手にした枝で絵を描いていた。

 ふと影がよぎり上を向くとイリアスが立っていた。髪は濡れて白いタオルケットを肩にかけたままの水着姿だった。


「どうしたの? もう泳がないの?」


 首を傾げたエレアナの隣にストンと座ると黙って前を向く。


「イリアス?」


 なんとなく不機嫌な横顔をおもむろに覗き込んだ。程よい高さの鼻と少しだけ赤みが戻った唇。顔だけ見ると美少女なんだけどなとエレアナはそっと見つめていた。


「お前……」

「なに?」

「お前、ジル兄が好きなのか?」


 ジル兄とはイリアスの一番上の兄であるジルヴァンのことだ。十二才であるがこのところぐんと背が伸びてすでに母親を抜いていた。兄弟では一番穏やかで優しい性格だ。


「好きだけど……」

「──なっ!」

「マルコ兄も好きだよ?」


 キョトンと次兄の名も当たり前のように答えるエレアナにイリアスは再び前を向いた。


「……昨日の夜、父さんたちが話していた。ジル兄とお前、結婚させようとか言ってた。お前が……ジル兄が好きだから」


 ボソボソと口を尖らせながら言うイリアスにエレアナは本気で不思議がる。イリアスの性格は知っているが、こんなにも気弱そうな顔は見たことがない。

 木々の光と影が風を纏って降り注ぎ、ゆらゆらとイリアスにまだらな模様を作っていた。幻想的なワンシーンを切り取ったような綺麗な顔がそっとエレアナを向いた。


「ジル兄と結婚するのかよ」

「うーん、わかんないけど。ジル兄は優しいしいいだんな様になると思うよ」

「おれだって!」

「うん! イリアスも優しいね!」

「だ、だったらおれと結婚してもいいよな?」

「うん! あ、でも、イリアスはきれいだからきれいなおくさんがいいのかも」

「ばかっ!」

「わたしもきれいになれるかな」

「お前はかわいいからいいんだっ!」

「わたし、かわいい?」

「お、おう」


 にっこりと笑ったエレアナは本当に可愛らしくて。淡いブラウンの髪はふんわり柔らかく、大きな碧の目はキラキラと輝いて、ぷにぷにしたほっぺは食べてしまいたいくらいと思うほどで。ちょっとすましてて、でもしっかりしてて、いちいち乱暴なイリアスにも負けじと向かってくる。このままずっと一緒だと思ってたのに、この笑顔がまさか自分じゃなくて兄のものになるなんてどうしてもいやだった。


「じ、じゃあ! お前と結婚するのはおれでいいな!」

「うん!」


 今思えば、お互い結婚やその成り行きをよくわかっていなかったと思う。でも、漠然とではあるが結婚というものが両親のような「形」であると想像できた。幸いなのは二人の親が仲の良い夫婦であったことだろう。


「結婚の約束ってキスするんだよね!」

「はあっ?」

「はい、約束」


 無邪気に「ん〜」と小さな桃色の唇を尖らせてねだってきたエレアナにイリアスは固まった。ごっくんと喉が鳴り、チラリと周囲を窺う。兄たちの騒ぐ声は湖で水音とともに聞こえており、こちらには気付いていない。ついてきた使用人たちは休憩するためのテーブル近くに控えており、兄たちに目を向けていた。


 イリアスは再び確認するようにキョロキョロと顔を振った後にエレアナに目を落とした。今までこれほどの緊張と覚悟なんてしたことなかった。心臓の音がこんなにもうるさいことも初めて知った。


 そして────。


 ゆっくりと触れた唇は柔らかくて、でも弾力もあって。目を開けるとエレアナの眩しい笑顔が待っていた。それがあまりにも嬉しくて可愛くて。思わずもう一度してしまった。


「えへへ。お口のキスは家族以外でイリアスがはじめて」

「おれだって。おい、もう誰ともするなよ」

「ええー、家族も?」

「おれの知ってる家族なら、まあ、許す。でも、口はなるべくおれだけだ!」

「結婚するから?」

「そうだ!」

「うん!」


 この後、屋敷に帰ったイリアスは「エレアナのはじめてをもらったから結婚する」と爆弾発言をして両親や兄弟は一瞬物言わぬ岩と化したが、その後もちろんみんなから大目玉をくらったのは言うまでもない。

 だが、エレアナは嬉しそうに「約束したの」とイリアスの手を握ってブンブン揺らして彼を援護した。子どもの言うことである。他愛もない幼い背伸びとして軽い気持ちで両親は二人を許したのだが。


 その二年後。

 ローヴァリー子爵の三男であったイリアスは正式に伯父であるセルデス侯爵家の養子になった。前よりその話はあったし、伯父夫婦とは幼い頃より交流もあったため彼自身なんの抵抗もなかったのだが、それでも一つだけ条件を出した。


 ────エレアナとの正式な婚約。


 これだけはイリアスは絶対に譲らなかった。

 まだ幼い眼差しではあるが、それでも真剣に言ってくるイリアスに侯爵はにっこりと笑った。「己の妻まで一緒に連れてくるとはさすが我が息子だ」と。

 そして、くしくも数年後に干ばつ災害が襲い、侯爵家はエレアナの実家からの多額の援助金で難を救ってもらう結果となった。





 結局あの歓迎パーティーではヘルミナのエスコートは彼女の兄である第二王子が務めたらしい。というより本来はそういう予定であった。

 学生の身分では参加できないが、アグレイアは王太子の婚約者であったため参加が認められていた。そんな彼女から聞いた話では、ヘルミナは引き攣った笑顔を貼り付けていたようだ。イリアスが来ることを当たり前のように待っていたのだろう。だが待てども彼は来なかった。不本意ではあるがパーティーに出ないわけにはいかず、怫然とした顔を扇で隠しつつも好みの男性を見つけると従者へと声をかけて呼んでいたという。参加者の多くは目上でありパートナー同伴なので呼ばれた方もいい迷惑だ。気が多いのは確かで手当たり次第なその行為は一夜にしてかなりの反感を買ったようだ。


 あれから王女は学園に数日に一度という頻度ではあるが通っている。

 自国では通っていなかったらしく、決められた時間に決められた科目を学ぶということがどうも性に合っていないようで、その日の気分しだいで足を向けているようだ。しかも遅刻したり早退したりと自己本位なことをしているという。

 他の学生への配慮はもちろん、警備上の問題などもあり学園側もかなり頭を抱えていると聞いている。


 そしてイリアスにこれまで以上の執着も見せていた。

 エスコートを断られた、と侍女から本当のことを聞いたのか聞いていないのかわからないが、とにかく接触を図ろうとしていた。

 二学年に在学するこの国の第三王子に頼んで呼ぼうとしたり、女生徒禁止の男子棟へ乗り込もうとしたり、帰りを狙って馬車待ちを陣取ったり。


 しかし、イリアスは上手いこと逃げ切っている。その第三王子が間に入ったり、友人が盾になってくれたりと。なぜが妙に男子生徒間で連携プレイを発揮しているようで、ミッションクリアを目指して変に盛り上がっているらしい。「男ってほんと馬鹿よね」と言ったのはアグレイアだったか。王女もまさか自分がゲーム感覚のネタにされているとは思いもしないだろう。



「ちょっとあなた!」


 そう声をかけてきたのはヘルミナの集団の一人だ。一緒にこの国に来たボレネ王国の令嬢二人が目を釣り上げていた。


「あなたの差金なんでしょ! イリアス様にまったく会えないじゃないっ!」


 堂々と三年の教室へやって来た一団はエレアナの机を囲むと悪びれずに言い放った。エレアナは昼食も教室で食べており最近は食堂にも足を向けていない。移動教室も階を挟まないので、一度学園に入ると他学年の生徒とはあまり会わない。稀に当番や委員などで他階まで行くこともあるが、その時は心配してアグレイアやラーナが付き添ってくれている。それに業を煮やしたかどうかは知らないが、とうとうここまでやって来たというところだろうか。


 エレアナは驚きながらもぐるりと周囲を見渡す。

 ヘルミナは不遜に腕を組んで後ろにいた。その後ろにはいつもエレアナに突っかかって来ている見知った顔の女生徒数名と他にも顔色の悪い令嬢ら総勢約十人くらいがいる。青ざめている女生徒は無理やり連れて来られたのだろう。目を伏せて申し訳なさそうにしていた。他国とはいえ王族から直接声が掛かれば弱冠十五才の令嬢らは否とは言えない。エレアナの方が逆に申し訳ない気持ちになる。


「ちょっと聞いてるのっ!」


 こんな大所帯で動けばイリアス率いる男子生徒には王女らの行動は筒抜けだろう。なのにエレアナ主導だとよく言えたものだ。


「皆様方、ここは教室です。他の方にご迷惑をおかけしてはいけませんので移動しませんか?」


 エレアナはゆっくり立ち上がってそう言った。


「ヘルミナ様がわざわざ来てくださったのよ。よくもまあ、そのようなことを言えるわね!」

「まずは謝罪なさいよ! 本当に礼儀知らずだわ!」


 いきなりの出来事で呆然としていたクラスメイトらがここに来て騒ぎ出す。数人が走って出て行ったのは教師を呼ぶためだろう。

 しかし、謝罪とは何の謝罪というのだろうか。イリアスに会えないから? それをエレアナが仕組んだという方向違いな発想に対してか。またはそうだと決めつけてここまで足を運ばせたことに対してか。……ああ、頭が痛い。


「ねえ、あなた。わたくしは前に言ったわよね? 身の程を知るべきだと。わたくしは王女なのよ? あなたを、家をどのようにもできるの。あなたのせいでご家族もお可哀想に。いえ、ボレネとの関係にまで問題になってこの国も被害を受けるのよ。そうなればあなたを含めた一族は居場所を失うことになるの。あなた、自滅したいのかしら? これ以上わたくしを不愉快にすればどうなるか思い知ることになるわよ」

「……………………」


 目を細めて嘲笑うように言い切るヘルミナのそばでは賛同するように令嬢がうんうんと相槌を打っている。


「彼との婚約は両家、そして王家も裁可しています。それに対して異議があるのであればそれを正式に双方に申し立てされればいいかと。王女殿下はもちろん、今まで私と彼との婚約に納得していただけない方々も同じです」


 エレアナはチラリと王女の後ろで睨んでいる学園の女生徒らに目を向けた。本当になんだかんだと言ってくるのであれば、親に泣きついてでもそうすればいいのだ。


「ふふ、ではそうさせてもらうわ。わたくしの一言は何よりも重く国さえ動かせるのよ。後悔するのね」


 ヘルミナは傲慢な笑みを浮かべるとそのまま踵を返して教室から出て行った。慌てるように取り巻きも続くが、廊下では急いでやってきただろう教師が王女を呼び止めて勝手に教室に入ったことを注意していた。それに対しても「王族に対して不敬」とか「あなたは首よ」など何の権限もないのに言い放って去っていった。


「……自滅したいのはどっちかしらね」


 そばにやって来たアグレイアとラーナが呆れるようにそう呟いた。



 その後もヘルミナの問題行動は学園外でも起きていた。王宮や招かれた茶会での横暴な態度もそうだが、特に困らせているのは容姿端麗な男性への誘い込みだ。皆がみなイリアスのように断れるはずもなく、彼らを呼び出しては自己満足な一方通行の楽しいひとときを一緒に過ごしているというから驚きだ。もちろん深い関係までは持ち込んでいないが、それでも問題なのはその多くがすでに伴侶や婚約者がいる者ということだ。

 まだ十五才という王女が男を侍らせて悦んでいるのだから、将来はいったいどのようなものになるのか。

 苦情の声はイリアスだけではなく、しだいに大きくなり、兄である第二王子の判断でとうとう半年という期間を繰り上げて三ヶ月で国に帰らされることになった。



誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

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3ヶ月もキチガイ痴女を放置してたのか(´゜д゜`) 兄も無能だな(´゜д゜`)
初な恋愛ってニヤニヤするなぁ
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