■五月一九日 世界の目覚め
ボク――儚内薄荷――は、真夜中に、目が覚めた。
ゼンマイ式の目覚まし時計で、時刻が分かる。
どうして目が覚めたのかな、と考えた。
見られている気がするからだ。
ここは皇立鹿鳴館學園、平民女子寮、地階にある、ボクに貸与されている一室だ。
ちゃんと、ドアはロックされているし、地階なので窓すらない。
つまり、この部屋には、ボク一人しかいない。
なのに、見られている気がする。
きっと、あの恥ずかしいテレビ放送のせいだ。
自意識過剰なんだって、理性的に考えれば分かる。
でも、それでも、カストリ皇國中の人々が、ボクのミニスカートの中を覗き込んでる気がする。
それどころか、ポコペン大陸中の人々が、ボクのミニスカートの中に、頭を突き入れてきている気がする。
憐れむような視線。
蔑むような視線。
無遠慮な視線。
下卑た視線。
そんな、あまたの視線か、遠慮会釈なく、ボクに……ボクのミニスカートの中に、突き刺さって来る。
自分の精神的弱さが、ほとほとイヤになる。
――ボクに、この視線を撥ねのけるだけの力があれば……。
……チカラハ、アタエタ。
えっ、と思った。
だって、自分の下腹部から、声が聞こえた気がする。
……オマエノ、チカラハ、ナンダ?
――ボクにできることって、拒否することぐらいで……。
暫し待ったが、返事はない。
返事を待ちながら、また眠り込んだ。
☆
次に目が覚めたら、朝だった。
イタイ……下腹部がイタイ。
なんだか、そこに、オトコノコにはあるはずのない器官があるかのような、ズキズキと鈍い痛みだ。
ベッドから起き上がる力が、でない。
朝食にも、昼食にも行けず、部屋に閉じこもり続けた。
下腹部から漏れ出た痛みが、スカートの中で澱んでいる。
ボクのスカートの中に劇場があって、そこから、世界が変革されていくような感じ……。
いや、そんなトンデモないこと、あり得ない。
ちゃんと、分かってる。
分かってはいるものの、世界の様子を確認しに行かなきゃいけない気がする。
なのに、下腹部は痛いし、力が出ない。
☆
下腹部の痛みが、だんだんと弱まり、ジクジクとした微かなものに変わってきた。
何とか起き上がれたときには、夕食時も過ぎていた。
食欲はないから、問題ない。
でも、喉がカラカラだ。
一階の大食堂へ行けば、お茶だけは、何時でも飲める。
ヨロヨロと立ち上がり、壁伝いに歩く。
何とか、大食堂に辿り着いた。
遅い時間帯なので、生徒もまばらだ。
座席に座り込み、薬缶から、冷めたお茶を注ぐ。
テーブル上に置かれた小さな壺を開けたら、小梅の酢漬けが入っていた。
お茶をゴクゴクと飲み干し、お代わりを注ぐ。
小梅を一個、口中に放り込む。
酸味が口中に広がり、脳が覚醒する。
學食に置かれたテレビ画面から、こんな言葉が聞こえてきた。
「緊急討論会 『服飾に呪われた魔法少女』薄荷ちゃんは、履いているのか履いていないのか?」
ボクは、その言葉に、衝撃を受け、カッと目を見開く。
テレビ画面いっぱいに、いま読み上げられたまんまの番組タイトルが、テロップ表示されていた。
意味が分からない。
――ナニ、これ。
これって、國営放送が、公共の電波を使って放送するようなことなの?
画面が切り替わると、司会を務める有名アナウンサーのアップ。
カメラが引いていくと、後ろのひな壇に、五人ほどの男女が控えている。
物理學者、哲學者、社会學者、皇國軍参謀、興業プロモーター、そうそうたる肩書きを持つ先生方だ。
司会のアナウンサーが、現在巻き起こっている事態と、番組主旨の説明を行う。
昨日放送された『服飾に呪われた魔法少女』のテレビ番組内で、ミニスカートからアンスコだけを引き抜かれた状態のボクが、ミニスカートの下に、パンツを履いていたのか履いていなかったのかが話題となり、全國的な大騒動となっているそうだ。
番組中の問題シーン直後から、國営放送のあらゆる電話が鳴り続け、直接乗り込んで来た者たちが、その場で勝手に論争を始め、派閥に分かれて徒党を組み、抗争にまで発展しているとのこと。
直接関係のない新聞社や雑誌社への問い合わせも多く、國営放送は、そういった新聞社や雑誌社からの取材攻勢も受けている。
最初のうちこそ、問い合わせ内容は、「見えた」「見えない」とか「履いてた」「履いてなかった」といったレベルのものだった。
それが、「ピンクだった」派と、「それは、素肌の色だ」派との過激な争いに発展する。
そこへ「神聖な白以外あり得ない」「黒こそ高貴だ」「青こそ至高」「赤にきまってんじゃないかバカヤロウ」の各派閥が乱入。
「おまえら分かっていない、青と白の縞々以外ないだろう」「花柄だ」「ペイズリーだ」と、どんどん具体化していく。
遂には、「オレの心眼は見た。お尻に猫の絵柄が入ったパンツだった」「いや、あれは犬パンツだった」「……白鼠様が護っておられた」などと先鋭化する者まで現われた。
誰もが、自分は間違いなく見たと主張し、決して譲らない。
そこで、国営放送は、薄荷ちゃんのスカートの中の真実を明らかにし、事態の沈静化を図るべく、急遽識者を掻き集め、この特番にこぎつけたとのことだ。
何でも、物理學者さんは、「薄荷ちゃんのパンツは、シュレディンガーの猫パンツである」という天啓を受けたたらしい。
物理學者さんが、口角泡を飛ばしながら、事態を説明中の司会者に喰ってかかる。
「わしは何度も言っておるではないか! 履いているのか履いていないのかが、問題なのではない。量子力學上は、観測者が観測に成功するまで、薄荷ちゃんのピンクのミニスカ内においては、あらゆるパンツが重なりあって存在するのだ。履いているか履いていないかの二者択一ではなく、猫パンツ、犬パンツ、鼠パンツなどのあらゆるパンツが存在する。そして、観測者が、パンツ観測に成功すると、はじめて、パンツの状態はひとつに収縮するのだ」
哲學者さんが、「むしろ、我々が薄荷ちゃんのパンツを観測すると、パンツの状態ではなく、観測した側が分岐してしまうのだと、解釈すべきではありますまいか」と、話しを混ぜっ返す。
「つまり、あのとき、明星さんの手が、わずかにすべって、二人の観測者に、同時に観測されたとして、片方は履いていると観測し、もう片方は履いていないと観測したとしても、この解釈であれば問題が発生しないのではありますまいか」
社会學者さんが「いや、いや、いずれにしても『薄荷ちゃんパンツパラドックス』が発生してしまいましょう」と笑い飛ばす。
「それらの解釈では、我々がパンツの観測に成功するまで、薄荷ちゃんのミニスカの中には「履いているけど、履いてない」「猫パンツだけど、犬パンツ」などという、相容れない状態が平行して存在していることになりましょう。そ、れ、は、いくらなんでも――、ハッ、ハッ、ハ」
學者さん三人の議論は平行線を辿り、睨みあったまま、煮詰まったような状態へと至った。
それまで沈黙していた皇國軍の軍師さんが、頃合いを見計らったように口を開いた。
「儂の名は、闇烏暗部。カストリ皇國軍の参謀を務めておる」
恰幅は良いが、不健康な顔色で、目の下が、ぶよんと弛み、黒ずんでいる。
金モールの肋骨服に、中将の階級章と、鈴なりの勲章が並んでいる。
一旦口を開けば、余人が口を挟めなくなるほどの威圧感がある。
「どうやら、學者先生方は、事態を正確に把握しておられないようだ。昨今、『服飾に呪われた魔法少女』たちは、テレビ放送の度ごとに、皇國民の間で爆発的な人気を加速させ、社会現象にすら至っておる。そして、その一人がリンチ殺害されかけたことをきっかけに、このパンツ騒動が勃発した。あのパンツには、急激な社会変化に対する皇國民たちの不安や不満が集約されておるのだ。対応を誤れば、社会制度を揺るがす事態へと発展するだろう。『たかだか魔法少女のパンツごとき』と侮ることは許されんのだ。そこで、皇國軍は、鹿鳴館學園との間にある太いパイプをフル活用し、事態の沈静化にあたることとした」
「具体的な施策については、民意操作を専門とされている、こちらの毀誉褒貶氏と相談しておる」
全員の視線が、褒貶氏に集まった。
背丈はさほどないのに、でっぷり太った男性だ。
薄くなった頭頂部を、周囲の頭髪を持ち上げて隠している。
仕立ての良い背広姿だけど、それか不思議なほど似合っていない。
揉み手をしながら、「わたくし、興業プロモーターの毀誉褒貶ですです」と話し始めた。
「『服飾に呪われた魔法少女』たちって、ほんとステキですよね。なかでも、儚内薄荷ちゃんのカワイさったら、生身の人間だって思えないくらい、尋常じゃないですよね。見た人は、男も女も魅了され、熱心なファンになってしまいますよね。わたくしたちの業界では、薄荷ちゃんみたいな子を、偶像という新たな名称で呼び始めていますです」
「わたくし、褒貶は、偶像薄荷ちゃんを排斥するのではなく、活用すべきだと、皇國軍に提案させていただきましたです。具体的には、薄荷ちゃんのパンツを主軸にした全國ツアー展開し、肉眼による直接的なパンツ観測者を全國規模で増やそうではないか、とのご提案です。わたくし、この全國ツアーで、直接的なパンツ観測データを蓄積し、統計學的に真実を導き出すことが可能だと確信しておりますです」
この提案に、討論会参加者全員が感嘆、賛同した。
全員が立ち上がって、拍手喝采を送っている。
かくして、緊急討論会は最初の激論から一転して、和やかな雰囲気の中で、終了した。
☆
――なっ、なにコレ……。
ぞわーっと、悪寒が、全身を駆け抜けた。
まるで、國家レベルのデキレースでも見せられていたかのような、気色の悪さだ。
ボク、何か恐いものに絡め取られてしまったんじゃ……。
ボクは、「待て、落ち着け」と、自分に言い聞かせる。
そうでもしなければ、その場で絶叫しそうだ。
お茶を飲み、小梅をもう一個、口中に放り込む。
そもそも、というか、前提からオカシイ。
ボクのパンツは、誠に不本意ながら、もう何度も見られている。
テレビ放送内で、『平服』のアンスコも、『体育服』のパンティーも、パンチラしている。
カストリ新聞には、『セーラー服魔法少女の強さの秘密!』という見出しで、一面トップに、下から煽るような角度で撮影した、ボクの写真が『短パン→アンスコ→パンティ』と三枚並んで掲載された。
だから、ボクのパンツには、いまさら、秘密なんてない。
こんなことになってしまった契機として、思いつくことは、二つ。
ひとつは、ボクが番組内で『履いてない』状態になってしまったこと。
もうひとつは、ボクがその現実を、拒否しようとしたこと。
だけど、それだけで、こんな事態に至るはずがない。
☆
同じ學生寮平民女子棟で生活している、『服飾に呪われた魔法少女』仲間の、金平糖菓ちゃんが、大食堂に駆け込んできたのが見えた。
息を切らしている。
どうやら、ボクを捜して、學生寮内を駆け回ってくれたようだ。
糖菓ちゃんは、ボク宛ての郵便物を、差し出してきた。
その郵便物の、とんでもなさは、封筒を見ただけで分かる。
だって、この封筒って――『青紙』だ。
カストリ皇國の一般的な若者が、一生、自分宛てに届いて欲しくないと思っている郵便物が、二つある。
ひとつは、皇立鹿鳴館學園の入學命令書である『赤紙』。
そして、もうひとつが、皇國軍の徴兵令状である『青紙』だ。
――あり得ない……。
だって、通常、學園在籍中の者に、『青紙』が届くことなんて、ない。
それでも、そんな特別措置が認められる場合が、あるには、ある。
學徒出陣って、呼ばれてるものだ。
だけど、それって、戦時下などの非常時にしか認められないはず――。
「さっき、これが、薄荷ちゃんと、うちに、届いたんよ。それも、7474号室に、直接、兵隊さんたちが届けてきたんよ」
糖菓ちゃんの、この短い言葉の中には、二箇所注目ポイントがある。
ひとつは、ボクだけでなく、糖菓ちゃんにも『青紙』が届けられたこと。
きっと、『服飾に呪われた魔法少女』五人全員に届けられたんだと、思う。
そして、もうひとつは、7474号室に國軍の兵士複数名が直接届けてきたことだ。
だって、通常であれば、『赤紙』も『青紙』も、郵送される。
その場合、ボクと糖菓ちゃん宛の郵便物は、學生寮平民女子棟エントランスにある、7474号室ポストに、郵便配達される。
ところが、この『青紙』は、寮内に、皇國軍の兵士達が、寮内にズカズカ踏み込んで、直接、確実に届けてきた。
學生寮平民女子棟の二階以上って、男子厳禁なのに……。
あの緊急討論会が開催されることが事前に分かっていて、そのテレビ放送が終わるタイミングに合わせて、『青紙』を届けてきたとしか思えない。
皇国軍に出頭したら、そのまま死地に送り込まれてもおかしくない、と思う。
覚悟を決めるしかなさそうだ。
~~~ 薄荷ちゃんの、ひとこと次回予告 ~~~
■五月二〇日 物語學の授業
ボクと糖菓ちゃんに、物語學の先生である博學宰相が、世界に何が起きているのか教えてくれた。
いや、いや、いや、あり得ないよ。
ボクのパンツに、世界を変える力なんてありません、ってば――。