■五月五日 舞踏學の実習
今日は、舞踏學の実習だ。
舞踏學は、ボクが最も苦手で、しかも一人で自習のしようがない科目だ。
最初の授業は四月七日で、講義形式だった。
授業グループが、『舞踏衣装魔法少女』の宝生明星様と一緒だと知って喜んだ。
そして、ボクたちの担当教諭が、祓衣玉枝學園長だと知って、驚いた。
その學園長先生から、ボクの不見識を怒られた。
魔法少女が踊れないなんてことは、あってはならないことだそうだ。
授業の最後に、「前期末、つまり七月末に開催される次の舞踏会までに、社交ダンスと神楽舞の両方を、一通り踊れるようになってもらう」と言い渡された。
四月一四日が二回目の授業で、この日から、実技指導が始まった。
ボクの運動音痴が露呈した。
學園長先生でさえ頭を抱え、「薄荷さんについては、予定変更せざるを得ません。とにかく、七月末の舞踏会までに、男性のリードについていけるようにだけ、おなりなさい」と方針変更された。
そんな状況でありながら、ボクは、そのあと二回の授業を欠席してしまっている。
三回目の授業が、四月二一日。
四回目の授業が、四月二八日。
この物語の目次を見れば分かってもらえると思うど、やむを得なかったんだよ。
學園長先生なら、きっと、ボクの状況に理解を示してくれると思う。
神學を担当されていた教皇様みたいに、頭ごなしに怒ったりはしないと思う。
ボクは、重い足取りで、學生寮を出て魔法少女育成棟へ向った。
☆
明星様から、前もって、「魔法少女育成棟のロピーで待ってるよ」と、電話連絡をもらっていた。
ロビーに行くと、既に明星様が待っていて、こう言われた。
「実習室が変更になったのだよ。案内するね」
連れて行かれた先は、地下だった。
入口に、生徒徽章による認証システムがあって、事前に使用登録されている者以外、入れないようになっている。
更に、劇場とかにあるような、防音性の高い二重扉を潜る。
入室した瞬間、濃厚な魔力結界内に入ったことが分かった。
そこで、祓衣玉枝學園長先生が、待ち構えていた。
同じ授業グループの、他の子たちは、誰も来ていない。
ただっ広い空間の中央に、背もたれのない丸椅子が三つ用意されていた。
着席を促される。
學園長先生の口調は丁寧だけど、目が笑っていない。
學園長先生は、今日もスキの無い立ち姿だ。
長く艶やかな御髪を、白紙で一本に結んでいる。
衣装は、白衣緋袴の上に、千早を羽織っている。
學園長先生は、破魔矢を教鞭のように右手に持って、左掌にパシパシ打ち付けながら、宣う。
「他の子たちは、別の授業グループへ分散移動してもらいました。薄荷さんへの特訓が、必要なのでね。今日から、スパルタ方式です」
「うわ~っ、授業、二回もサボっちゃってスミマセン。でも、ボク、確かにダンスは下手っぴだけど、なんで、學園長先生自ら特訓なんて話しになるんですか? 前の授業で、學園長先生も、七月末の舞踏会までに、男性のリードについていけるように『だけ』なりなさいって、仰ってくださったじゃないですか」
「理解していないのかしら? この子、これだけの事態に立ち至っていながら、本当に無自覚なの?」と、學園長先生は、ボクではなく、明星様に訊ねた。
明星様が、両掌を上に上げ、お手上げのポーズを取る。
「そんな子なんです。學園長、一から全部、きっちり、かっちり言い聞かせてやってください。じゃないと、この子、理解できませんよ」
學園長先生は、天を仰いで、これ見よがしに嘆息する。
それから、やっとボクに向き直った。
「あなた、第二皇子と、前期末舞踏会でのダンスの約束したことが、どのような意味を持つのか理解していますか?」
「はい、ダンスのお約束してしまった後に、芍薬牡丹公爵令嬢の取巻の方々から教えていただいて、愕然としました。まず、男女間で、ダンスの事前申し込みが成立した場合、当日のエスコートが決定したものとみなされるのですよね。そして、鹿鳴館で開催される公式な舞踏会でのエスコートは、カップル成立とみなされるのですよね」
學園長先生が、「で」という一音で、その先を促した。
『ダンスの約束が意味することは、それだけではないですよね。その先を言ってごらんなさい』と促している。
ボクは、もう何を答えればいいのか分からない。
「あっ、生徒会の方々からも教えていただきました。ボク、どうやら大物語『令嬢の転生』の『メタヒロイン』なんてものになっちゃったみたいです。悪役令嬢となられた牡丹様や、その取巻令嬢の方々と敵対するみたいなんです」
「でも、ほら、ボクなんか、どんなにガンバッテも、まともに踊れるわけないじゃないですか。約束だから一曲だけ醜態を晒して、『やっぱり第二皇子に相応しいのは、子も成せない平民の男の娘なんかじゃなくって、しっかりファーストレディーたり得る教養を積まれた牡丹様です』って言って帰ってくるつもりですから――」
パシッ!
それは、學園長先生が、手にしていた破魔矢で、ボクのお尻を、したたかに打ち据えた音だ。
丸椅子の座面ギリギリで、見事にヒットしたものだから、ボクは、「ひゃう!」と飛び上がった。
「そんな甘えが、許されるはずがないでしょう! 確かに、平民で、しかも男の娘のあなたを選ぶなんて、第二皇子の正気を疑います。だけど、あなたは、カストリ皇國中の貴族子女を差し置いて、選ばれたのですよ。」
――おっ、お尻が、痛い。
ジンジンする。
「世間一般では、第一皇子の白金黄金が、来年の卒業と同時に、許嫁の萵苣智恵と婚約し、同時に、皇太子の座に就くものと目されています。しかしながら、第二皇子は、自身が皇太子となることを諦めていません。だけど、許嫁の牡丹様では、その座に届かないと判断したのです。そして、自身を皇太子の座に押し上げてくれる者がいるとしたら、あなただと判断したのです」
ボクは、お尻を押さえて、椅子から転がり落ちる。
「牡丹様って、芍薬矍鑠元帥のご息女じゃないですか。國の軍事のトップですよね。國の官僚を束ねる萵苣博學宰相のご息女である智恵様に対抗できる唯一の御方ですよね。こんなボクみたいなイロモノが、牡丹様や智恵様に対抗できるわけ、ないですよ?」
「いいかげん、自覚なさい。あなたは、大物語『服飾の呪い』のメインキャラクターです。あなたは、『この世界』において、なによりも重要な、物語力を持っている。そして、自らの意思で、名乗りをあげた。この國のファーストレディ候補として――」
「自ら、ファーストレディの玉座を目指すと宣言した以上、あなたは、そうあるべく務めねばなりません。教養に、社交に、作法、身につけるべきものは多々ありますが、この國において、何より肝要なのは舞踏です」
「つまり、もはや、踊れないでは済まされないのです。祝入學進學舞踏会における、第一皇子と智恵様のダンスを覚えていますか? 前期末舞踏会で、あれを越えるダンス、それが無理でも、あれと並び立つダンスができなければ、あなたは怒りと顰蹙を買い、生きて鹿鳴館を出ることすら、できないでしょう」
ボクは、何とか立ち上がって椅子に座り直したものの、身震いが止まらない。
だって、あの智恵様に匹敵するダンスを、自分が踊れるなんて、カケラも思えない。
そんなダンスを踊れている自分を、イメージすることすらできない。
「ボクには、ムリですって……。ボク、自分のことは、この學園に来る前から諦めてます。だけど、ボクのことで、母や妹にまで蔑視や、迫害が及ぶことだけは、絶対イヤです。もしかして、ボクって、舞踏会に出て恥をかく前に、『この世界』から、いな――」
「お待ちなさい。わたくしは、學園の長として、學園の生徒であるあなたを、見捨てたりはしません。それに、明星さんには、勝算があるようです」
ボクは、「ホントに?」と、明星様を振り返る。
「もちろん、勝算はあるよ。その算段がなきゃ、そもそも、薄荷ちゃんに、鍍金第二皇子とのダンスを提案したりはしないさ。薄荷ちゃん、僕はね、宝生侯爵家の者だよ。九十九年前にあった最初の大物語『天の岩戸』で、國津神の命を受け、唄と踊りを奉納し、天津神を『この世界』に降臨させた、あの宝生鈿女様の子孫だよ」
「社交ダンスには、貴族間における政治の道具として、洗練され、発達してきた歴史がある。従って、魔力持ちより、聖力持ちに有利なものとなっている。もし、ここに、國津神の愛情を一身に受けながら、天津神から毛嫌いされている人間がいたら、社交ダンスは、てんで踊れないかもしれない」
「だけどね、鈿女様が舞っていた「原初の舞踊」は、そうじゃない。それは、魔力使いにしか踊れない、粗野だけど力強いダンスだ。ほら、大物語『魔女の宴』で、魔女たちが踊ってたようなやつさ」
學園長先生が、手にしていた破魔矢を、ボクの眼前に突きつけた。
「薄荷さん、「原初の舞踊」の習得のために、己のすべてを曝け出す、覚悟をなさい」
「す、すべてを曝け出すって――」
「薄荷ちゃん、「原初の舞踊」の習得にはね、膨大な魔力の解放が必要なんだ。つまり――分かるよね」
明星様は、にんまりとした、とってもいい笑顔だ。
「『平服』や『体育服』では、力が足りないんだよ。さあ、ここで『道衣』姿になって」
「い、イヤです。ダメ、それだけは――。ボク、どんな厳しい修行でも耐え抜いてみせます。だから、どうか、『道衣』姿だけは勘弁してください。恥ずかしすぎて、ムリなんです」
ボクは、平身低頭、懇願した。
「だいじょうぶだよ。ほら、ここは、窓一つ無い地下室で、防音も完璧だ。薄荷ちゃんの『道衣』姿を目にするのは、口が固い、僕と學園長先生だけだよ。習得には『道衣』が必須だけど、習得さえしてしまえば、舞踏会本番は『体育服』でも、大丈夫……じゃないかな……そんな気がする」
「『道衣』姿のボクを見て、笑ったりしない?」
「僕だって、同じ『服飾に呪われた魔法少女』だよ。笑ったりなんかしないさ」
ボクは、意を決して、着用している『平服』を、『道衣』にチェンジした。
一瞬の沈黙。
そして、學園長先生と、明星様が、「「プッ!」」と、吹き出した。
手を叩いて、大笑いされた。
【えっ、なんですか?
『道衣』がどんなものなのか、
ここで、ちゃんと描写しろ、と。
ムリ、絶対ムリ!
教えないったら、教えない!】
學園長先生が、巫女服の袂から、破魔矢を二本取りだした。
最初から手にしていたものと合わせて三本になる。
學園長先生が力を込めると、その三本の破魔矢が、宙に浮き上がった。
「では、その『道衣』姿で、スパルタ指導を開始しましょう」
學園長先生は、浮遊した三本の破魔矢を操りながら、指導を開始した。
矢で問題箇所を指し示し、矢で正しくない動きを強制する。
そして、ボクがちゃんと出来なかったら、容赦無く、矢をボクのお尻に突き立ててくる。
破魔矢って、先端が丸みのある木製だから耐えられるけど……。
ボクのお尻は、どんどん腫れ上がり、悲惨なことになっていく。
きっとこれでは、痛みのあまり、暫くは湯船に浸かれないと思う。
~~~ 薄荷ちゃんの、ひとこと次回予告 ~~~
■五月六日① 水泳部の一大事
あんな話し聞いちゃったら、糖菓ちゃんも、ボクも、放っとけないて思っちゃって。
助けに行かなきゃって……。