■四月六日 神學の授業
皇立鹿鳴館學園では、今日から授業が始まる。
ボク――儚内薄荷――は、早めに學生寮を出て、魔法少女育成棟へ向かった。
授業の前に、これから三年間通うことになる、學舎の中を、散歩してみようと思ったからだ。
魔法少女育成棟は、一言でいうと、巨大な、三段重ねの丸いスポンジケーキみたいな建物だ。
壁面は、ふわふわの白いホイップクリームみたいに、デコレーションされている。
そこへ様々の色合いの、星や、ハートや、花々の意匠が、ゴテゴテと散りばめられている。
最上部には、蝋燭みたいな形の尖塔が一本立っていて、その先端は、昼夜を問わず光を放っている。
魔法少女育成棟の一段目の上で、二段目の横にあたる、広い回廊へ出た。
遠目からホイップクリームみたいに見えた壁面は、白い大理石だった。
雫のような形をしたポッシュ絞りのデコレーションを避けたところで、反対側から走ってきた誰かとぶつかってしまった。
見ると、食パンを口に咥えた女の子だ。
転んでしまったボクに、手を差し出し、立ち上がらせてくれた。
器用なことに、食パンを咥えたまま、「ゴメンね」と謝ってくる。
一見して、『服飾に呪われた』女の子の一人だと分かる。
だって、女生徒用のセーラー服じゃなくて、鮮やかな若葉色をした陸上選手用のブラトップにレーシングブルマ姿だ。
髪型は精悍なウルフカット。
露出した手脚は、日焼けしていて、カモシカのよう。
素足に、足袋を履いている。
全身がバネみたいな溌剌さだ。
この子なら、その場で、自身の身長より高くジャンプできそうだ。
咥えていた食パンを、あむあむと一口で頬張って、「オレは、菖蒲子爵家の綾女。『運動部衣装魔法少女』だぜ」と、ブラトップに縫い付けられたゼッケンを指し示す。
確かにそこには、「魔法少女育成科一年菖蒲綾女」とある。
ボクも、自己紹介しようとしたら、「オレ、オマエのことなら知ってるぜ。カストリ新聞も読んだし、オレも舞踏会に出てたんだぜ」と、笑われた。
健康的な満面の笑顔で、白い歯が眩しい。
そのまま、並んで、教室が連なっている廊下へと歩を進める。
歩きながら、「なんで、食パン咥えてたの?」と訊いてみた。
「オレ、昨日、陸上部キャプテンから、朝のランニングは、必ず食パンを咥えて走るもんだって言われてたんだぜ」と、頭の短髪をガシガシ掻く。
その明るい表情からは、他意が感じられない。
たぶん、おみくじでも引くような、軽いつもりで走って、ボクを引き当てたのだろう。
「キャプテンって誰?」って、尋ねて見る。
「召喚勇者様だぜ。オレ、入學式のとき、この格好で、会場の大講堂まで走ってったら、勇者パーティーにスカウトされたんだぜ。魔法少女と掛け持ちでもいいかって尋ねたら、大歓迎だって――」
「召喚勇者様って三年生だよね。これまで二年間もあったのに、攻略パーティーに、まだ空席があるの?」
「『卒業したパーティーメンバー分を補充しないといけないし、ハーレム展開を目指してるから、美少女なら、何百人でもウェルカムさ』とか、なんか、そんなこと、言ってたんだぜ。勇者パーティーって、全員女で、三十人くらいいるみたいだぜ。」
「ハーレム? ウェルカム? どっちも聞いたことのない言葉だけど――」って、言ってみる。
ほんとは、『あの世界』の言葉だって、知ってる。
綾女ちゃんは、頬を指先でカシカシ掻きながら、ちゃんと説明したくれた。
「召喚勇者様の言ってることって、召喚前の『あの世界』の言葉や知識が混じるから、半分くらい意味がわかんないんだぜ。『朝は、食パン咥えて走れ!』ってぇのも、『あの世界』の『お約束』ってやつらしいんだぜ」
どうやら、綾女ちゃんは、転生者でも召喚者でもなさそうだ。
ボクと綾女ちゃんは、やくたいもない会話を交わしながら、教室まで並んで歩く。
気がついたら、お互い『ちゃん』付けで呼び合っていた。
綾女ちゃんは貴族だけど、平民のボクのことを対等に扱ってくれる。
どうやら、綾女ちゃんとボクは、同じ教室で、神學の授業を受けるらしい。
実は、同じ魔法少女育成科の一年生でも、二人が同じ教室になる可能性は、意外と低い。
鹿鳴館の座學は、十人程度のグループに分かれて行われる。
それも、教わる學科ごとに、グループが組まれる。
たとえば、一緒に神學を教わるメンバーと、魔法學を教わるメンバーは、異なるんだ。
だから、ボクと綾女ちゃんは、同じ魔法少女育成科だけど、この授業で、同じ教室になる可能性は、かなり低かったはずだ。
偶然の出会いを必然に変える『食パン』効果は、誠に素晴らしい。
暫く話してみて思ったけど、綾女ちゃんは、なんと言うか、危うい。
ボクや金平糖菓ちゃんは、精神年齢は幼いけど、年齢相応の智慧はあると思う。
だけど、綾女ちゃんは、まったくなにも考えていない。
誰かから褒められたら、それだけで、相手のことを信頼して、突っ走りそうな感じだ。
しばらくして、始業のベルがなり、先生が入室してきた。
――う、うそ!
自分の見ているものが、信じられない。
天壇白檀猊下だ。
あり得ないよね?
教皇様だよ、教皇様。
このカストリ皇國で、爵位とかではなく、最も貴い地位にある方を三人挙げるとしたら、皇帝陛下と、教皇猊下と、斎宮様だ。
白檀教皇猊下は、十人ほどいらっしゃる公爵のお一人だけど、それ以前に、天津神を祀る神殿を統べる立場にある。
ゆえに、國津神を祀る御社を統べる立場にある斎宮様とともに、皇帝に次ぐお立場となる。
斎宮の祓衣玉枝様については、この鹿鳴館學園の學園長でもあらせられるのだから、學園にいらっしゃることに、驚きはない。
だけど、白檀教皇猊下は、違う。
神殿の総本山は、皇都トリスにある。
供も連れず、お一人で、學園の教室に姿を現わすことなど、そもそもあり得ない。
ボクだけじゃなく、教室にいる全員が、呆けたような表情になっている。
いや、綾女ちゃんだけは、平然としている。
たぶん、綾女ちゃんは、教皇猊下と面識があり、今日ここにいらっしゃることを、予め知っていたんだと思う。
教皇様は、してやったりという表情だ。
「担当教師が入室してきたのに、全員、何を呆けておるのじゃ。とっとと、始業の挨拶をせんか」
挨拶を交わしながらも、ボクたち生徒の、戸惑った反応に満足げだ。
いきなり、話しはじめる。
「昨日、黄金の小僧が、儂に電話してきおったんじゃ」
――教皇様、『小僧』って……。
その方、第一皇子ですよね。
来年度には皇太子になられるって、噂の御方ですよね。
「黄金の小僧がな、自分の愛する許嫁が、友だちのことを心配しているというんじゃ」
――第一皇子の許嫁って、萵苣智恵様?
智恵様の友だちって、誰?
あ~~っ、ヤな予感しかしない……。
「何でも、その友だちってぇのが、あまりにも世間知らずで、放っておくと、道を誤りそうな子らしい。神學の知識が欠けておって、召喚と転生の重要性を理解しておらず、召喚と転生の区別もつかんらしいのじゃ。でな、『そんなアホの子』の神學の授業に、信頼に足る神官を派遣して欲しい、と言うのじゃ。でな、面白いので、一番信頼に足る教師を派遣してやることにしたのじゃ。」
教皇様は、「儂じゃ。儂!」と、自分自身を指さす。
――教皇様、『そんなアホの子』って、言うところで、ボクをギロッて睨むの、やめて。
お願いします。
それにしても、教皇様、なんか、イメージが、ぜんぜん違う。
教皇様は、國営テレビ放送が開始されて以来、週一回早朝に、祈祷と法話を行う番組を担当されている。
教皇様は、その番組では、清らかな慈愛に満ち、優しく語りかけるような口調で、話される。
ボクだけでなく、誰もが、教皇様のことを、半分神様みたいな貴い御方だと思い込んでいる。
ところが、今、教壇に立っておられる方は、腹に一物も二物も抱えていそうな、狡猾さを漂わせている。
踏み込んだ言い方をすると、厳格な理想論者と、老獪な現実主義者が、ひとつの人格に宿っている感じだ。
糸のように細い、眼と唇、真っ直ぐ通った鼻筋。
何と言うか、表情が読めない。
年齢の判断すら、つかない。
『百歳と見紛うぐらいに老成した壮年男性』なのかもしれないし、『異様なくらい若作りのご老体』なのかもしれない。
「当の『アホの子』に限らず、魔法少女は、みな危うい。ちょっとしたことで道を踏み外し、魔女として恐れられておった頃の、悪魔の眷属に堕ちてしまう。これまでは、それでも放置できた。だが、もはや、それが許されん事態となりつつある」
なんか、ボクだけじゃなく、魔法少女みんなをディスりはじめましたよ、この人――。
『ボク、悪いスラ○ムじゃないよ』って、言ってやりたい。
「ここ数年のこのカストリ皇國の物語には、不穏な蔭が忍び寄っておる。その事実を、如実に物語っているのが、一昨昨日の舞踏会じゃ。儂は、國営テレビの中継で、舞踏会の様子を見ておったのじゃが、あれは酷かった」
――え~っ、あれって、テレビ中継されてたの?
まさか、ボクなんか、映してないよね。
「三年生の物語『勇者の召喚』で、儂が召喚した勇者は、いまだ戦うべき魔王を見つけきれず、ナンパに、うつつを抜かしておる。二年生の物語『令嬢の転生』では、やっと物語が動き出すかと思ったら、そのヒロイン候補が毒殺されおった。しかも、来年度入學する生徒の物語であるはずの『混沌の浸蝕』が不穏な動きをみせておる。そんな中、ここに集まってもらった一年生については、大物語が始まるより先に、『服飾に呪われた』五人が登場してきおった」
「ゆえに、儂自ら、お前ら二人に、教育的指導をしてやう」
『お前ら二人』って、『服飾に呪われた』ボクと綾女ちゃんのことだよね。
この教室には、魔法少女育成科の生徒が十人ほど集められているっていうのに、この人、ボクと綾女ちゃんしか見ていないみたい。
「系統だった話は、次回の授業からにして、今日は要点を話そう。これは、ほら、物語のオチを、先に聞いてしまうようなものじゃ。これが一篇の物語本であれば、ここで、儂の話しを聞いた者は、もうこの先を読む必要などないぞ」と、カメラ目線で、ポーズを決めた。
教皇は、チョークを取って、黒板を向く。
教皇様が板書しながら、教えてくれたことは、ボクみたいな、アホの子には難しい内容だった。
ええっと、二つの宗教があるっていう話しからだったよね。
神殿は、この世界の世界宗教で、天津神を信仰している。
その祭儀を司るのは男性で、神官と呼ばれ、その頂点に立つのが教皇様だ。
御社は、このカストリ皇國の土着宗教で國津神を信仰している。
その祭儀を司るのは女性で、巫女と呼ばれ、その頂点に立つのが斎宮様だ。
御社は、幼き種=六歳児の中から、特別な実り=ロールを宿すものを見いだす。
その際、他の世界から飛んできた種=転生者があれば、それも見いだす。
神殿は、ロールを持つ特別な種の中から、時代の物語を紡ぐべき者に、試練=トラウマイニシエーションを与える。
もし、この世界にある種だけで、物語が完結できない場合には、この世界の種と引き換えに、他の世界においてトラウマを得たものを召喚することができる。
どうにかこうにか、ボクに理解できたのは、そこまでだった。
教皇様は、特別な種はいかに生きるべきとか、時代の物語を紡ぐべき者は何を選択すべきかに主眼をおいていて、延々とお話しいただいたのだけれど、ボクには、ちんぷんかんぷんだった。
ボクの中には、この世界のものではない記憶の、断片がある。
となると、召喚者か転生者かってことになる。
まず、ボクは、この世界に召喚されてはいない……と思う。
だって、普通に、赤ん坊として、この世界に生まれているから。
となると、転生の可能性が高い。
だけど、あの世界についての、ボクの記憶は、とても断片的だ。
何だか、ちゃんと繋がっていない。
あの世界での、自分の名前すら思い出せない。
だから、普通の転生とも、違う気がする。
召喚だとか、転生だとかは、いまは、まだ、脇に置いておこう。
まずは、ロールを持ち、トラウマイニシエーションを与えられた者として、いかに生きるべきか考えたい。
だけど、アホの子のボクには、さっぱり分からない。
この授業が終わったら、ボクと同じく『魔法少女』のロールを持ち、ボクと同じく『服飾の呪い』を与えられた綾女ちゃんと、話し合いたい。
そう思って、教皇様が板書しているスキに、ちらりと、隣の席の綾女ちゃんを見た。
綾女ちゃんは――机に俯せになって、眠り込んでいた。
――ダメだ、こりゃ。
――あっ、しまった。
教皇様が、よそ見をしたボクの視線を追って、
居眠りしている綾女ちゃんに気づいてしまった。
教皇様の反応は、素早かった。
迷うことなく、手にしていたチョークを、綾女ちゃんの、おでこに向って、投擲した。
――あれって、僅かだけど、聖力を込めてるよね。
だって、かなりの距離があるのに、空間を直進したよ。
綾女ちゃんは、俯せ姿勢のまま片手をあげ、視認することなく、そのチョークを、ハシッと掴み取った。
我が目を疑った。
――綾女ちゃんてば、魔力による感知と、反射加速を常時発動してる!
ボクは、とある可能性に思い至って、愕然とした。
――綾女ちゃんが、いま着てる陸上ウェアって、
たぶん『平服』じゃなくって、『体育服』だ。
綾女ちゃんが、顔をあげる。
寝ぼけまなこで、口から涎が垂れていた。
茫洋とした表情が、ハッとした驚きに変わり、グッと引き締まる。
教皇様が自分を睨んでいるし、教室中の視線が自分に集中していることに、やっと気がついたみたいで、あたふたしている。
「ちゃう、ちゃうって。居眠りなんかしてないって。オレ、ちゃんと起きてたんだぜ。ほら、昨日の夜、教皇様と召喚勇者様から、今日の授業で薄荷ちゃんと仲良くなって、さりげなく勇者パーティーに勧誘しろって指示されたことだって、ちゃんと憶えてるんだぜ」
それって、どう考えても、ボクにバラしちゃいけなかった一言のはずだ。
教皇様と、ボクと、教室のみんなが、一斉に、『ダメだ、こりゃ』と、首を横に振った。
☆
神學の授業が終わってから、暫し考え込んでしまった。
何というか……考えれば、考えるほど、不穏な感じがする。
まず、綾女ちゃんについては、陸上部キャプテンとして尊敬している召喚勇者様と、その後見人である教皇様から言われたことに、ホイホイ気軽に、応じているだけだと思う。
教皇様と召喚勇者様が、綾女ちゃんに指示したことって、たぶん、こうだ。
一 食パンを咥えて、ボクにぶつかって、仲良くなる。
二 自分と一緒に勇者パーティーに入るよう、勧誘する。
召喚勇者様って、ホントに、綾女ちゃんや、ボクを、自分のハーレムに入れたがってるのかな。
そうじゃない気がする。
召喚勇者様のパーティーって、信心深い、聖力信奉者の集まりだ。
昨年放送されていた、召喚勇者シリーズのテレビ番組のことが、思い出される。
とある放送回で、召喚勇者パーティーに加入した、魔力使いの子がいた。
勇者パーティーで、聖力じゃなく、魔力を使う子って、あの子だけだったと思う。
だけど、あの子って、いつの間にか、居なくなってしまったよね。
他の子にイジメられ、あげく、奸計にハメられて、使い潰されたって噂があった。
それに、これは、ボクの直感でしかないけど、勇者様って、女の子は大好きだけど、男の娘は好きじゃない気かする。
ボクのこと、表面上は気があるふうに装ってるけど、実は、嫌っている気がする。
ボクなんか、自分のハーレムに入れたら、自分の女たちを奪われかねないって思ってる気がする。
綾女ちゃんもボクも、召喚勇者様とは、距離を置いた方が良さそうだ。
だけど、綾女ちゃんってば、召喚勇者様のこと、陸上部キャプテンとして、心底慕ってるみたいだからな……。
それから、ボクたち『服飾に呪われた魔法少女』を、召喚勇者様陣営に引き込みたいと考えているのは、召喚勇者様より、むしろ、その後ろにいる教皇様なんだと思う。
だから、魔力陣営と敵対しているはずの、聖力陣営のトップでありながら、綾女ちゃんと、ボクへの神學授業を引き受けたんだと思う。
教皇様の行動背景には、ボクなんかが知らない、深い闇がありそうだ。
用心しなきゃ。
~~~ 薄荷ちゃんの、ひとこと次回予告 ~~~
■四月七日 舞踏學の授業
いました、男の子、魔法少女育成科に!
「ボクと、お友だちになってください。
ち、違います。
ボク、オトコノコだから、カノジョになりたいんじゃありませんてば!」