おぼろげな不安
その日は、由香と久しぶりにランチをしていた。
このところ、週末は結婚式の打ち合わせで武士さんと出かけていたから、こうして由香とのんびりランチできるのは久しぶりだ。
「水野さんとうまくやってるみたいね」
「うん。少ししか歳違わないのに、すごくしっかりしてて頼りになるの」
「そりゃまあ、主任になるくらいだからね。でも、幸せそうで安心した」
「その節はご心配をおかけして……」
ふざけて言うと、由香も笑った。
「今日はウェルカムボード作るんでしょ?そろそろ部屋に行きましょ」
「うん。ウェルカムボードにあんなに手間がかかるなんて思ってなかったから、手伝ってもらえて助かるー」
二人で私の家に行く。
私の部屋に久しぶりに入った由香は、周りを見回して、ちょっと笑った。
「すっかり、水野主任のものが増えてるわね」
「あっちには私のものが増えてるけどね」
「そういえば、住むとこはもう決まったの?」
「今、内覧してるとこだけど、もうすぐ決まりそう。武士さんといると、あれこれ決まるのが早いんだよね」
「いいことじゃない」
二人でウェルカムボードを作っていると、由香が何気なく言った。
「そう言えば、蓮くん会社辞めたらしいよ」
「え?」
「私も又聞きだから、いつ辞めたのかとかどうして辞めたのかまでは知らないけど。もしかしたら鬱になってたのかもね」
蓮は、自分の仕事に誇りを持ってて、務めてる会社のことも大好きだった。
なのに、辞めるなんて。
由香が帰ったあと、私は悩みに悩んで、蓮にLINEをしてみた。
もしかしたら、もうブロックされてるかもしれない。
あの婚約破棄からもう数カ月たっている。
とっくにブロックされててもおかしくない。
それでも、送ってみた。
『久しぶり。会社辞めたって聞いたけど、何かあったの?』
しばらく既読にならなくて、やっぱりブロックされてるのかな、と思ったとき、急に既読になった。
既読にはなったけどやっぱり返信はなくて、諦めかけたころ、メッセージが届いた。
『辞めたけど、綾には関係ない』
たったそれだけ。
全力で私を拒否してるのが伝わってくる。
『私、結婚するの。だからもう連絡取らないから、安心して』
ショックを隠すように送ったメッセージには、返事は来なかった。
私は、スマホを握りしめて、それから蓮の名前を非表示にした。
こうすれば、もう蓮にメッセージを送ろうなんて考えなくて済む。
ピコン、とLINEの着信音がして慌ててみてみると、武士さんからだった。
『話したいことがある。これからそっちに寄ってもいい?』
話したいこと……
さっきまで蓮とやり取りしてたせいか、嫌な予感しかしない。
『うん、待ってる』
返事をして、私は夕食の準備に取り掛かった。
何かしていないと、嫌な予感で押しつぶされそうだったから。
うちに来た武士さんは、ちょっと真剣な顔をしていた。
それが、否が応でも私の緊張を高める。
ローテーブルに向かい合って座って、武士さんは私の両手をそっと握った。
「初めに聞いておきたいんだけど、綾は俺のこと愛してる?」
「愛してるよ?」
「もし……もしもだけど、元カレの蓮くんがやり直したいって言ってきたら、綾はそれでも俺を選んでくれる?」
蓮がやり直したいって言ってきたら?
私は、どうするんだろう。
蓮のことは、私の中ではもう過去のことだ。
結婚を考えるほど愛していたけど、それは一方的に断ち切られてしまった。
それでももしも、そのことには理由があったんだと言われたら、私はどうするんだろう。
頭の中で、想像してみる。
でもやっぱり、私が選ぶのは武士さんだった。
蓮のことを引きずっててもいいから、と私を受け入れてくれた武士さん。
何度もデートを重ねて、結婚の準備も積極的に協力してくれて、体の相性もいい。私の中から蓮につけられた傷を消してくれたのは、間違いなく武士さんだ。
「武士さんを選ぶよ。
たとえ、もしも蓮にやり直そうって言われても、もう終わった話だから。
今の私は、武士さんの色に染まってるから」
はっきり答えると、武士さんの顔に安堵の色が浮かんだ。
でも、まだ緊張している。
「式まであと2ヶ月をきったけど、中途半端な時期だけど、先に、入籍したい」
そう言って武士さんがスーツのジャケットから出したのは、婚姻届だった。
「入籍して、一緒に暮らしたい」