優しい人の嘘
月曜日。
朝出勤すると、もう武士さんは来ていた。
朝礼前に、部長に時間をもらう。
「二人して真面目な顔してどうした?
なにか、部署内で問題でもあったか?」
「いえ、プライベートなことで」
ここは武士さんに任せたほうがいいだろう、と私は静観することにした。
「実は、大島さんと結婚することになりました」
「は?いやだって、大島さんは、長年付き合ってた彼と結婚するんだろ?」
「事情があって、婚約破棄されました」
私が言うと、部長はちょっと複雑な顔をした。
同情と、困惑と、それを隠すような顔。
「僕はずっと大島さんのことが好きだったので、このチャンスを逃す手はないと思ってプロポーズして、昨日正式にOKをもらいました」
「挙式は、どうするんだ?」
「元カレと用意してたものをそのまま使います。金銭的な負担もないし、効率もいいので」
何を言われるのか、シュミレートしてきたんだろう。
武士さんは淀み無く答えた。
「大島さんのご両親にご挨拶に伺って、了承を得られたら、正式に動き出します」
「大島さんは、結婚したら部署が変わることになるけど、続けてくれるの?」
「はい。妊娠するまでは続けるつもりです」
「分かった。また進展があったら知らせてくれ」
部長は話を切り上げて、部屋を出ていった。
私達もその後を追う。
朝礼の時間まで、あと少ししか残っていなかったからだ。
◇◇
私達が婚約をしたというニュースは、由香と武士さんと部長しか知らないはずなのに、その日のうちに社内に広まっていた。
由香じゃないのは確かだ。
部長、口が軽いです。
同じ部署の人は、蓮と付き合ってたことを知ってるから複雑な顔をしていたけど、そうじゃない人からは純粋に「おめでとう」と言われて、何となく複雑な気分だった。
仕事終わり、武士さんが、私を掴まえて言った。
「綾ちゃんのご両親に挨拶に行きたいから、今週末空いてるか聞いておいて」
「はい」
仕事もそうだけど、武士さんは行動が早い。
仕事が終わって家に帰ると、私は実家に電話をした。
「昨日の話なんだけど……」
「もう、話し合ったの?」
「昨日、お母さんとの電話のあとにすぐ電話があって、私が蓮に未練を残したままでも構わないって言ってくれたから、プロポーズ、受けることにした」
「そう。アンタがいいならそれでいいけど」
「それで、急なんだけど、今週末にうちに挨拶に行きたいって言ってるんだけど、空いてる?」
「空いてるわよ。そうね、土曜の11時でどう?一緒にお昼でも食べましょ」
「わかった。あの……お父さんはなんて言ってる?」
「婚約破棄についてはショックを受けてたけど、アンタが幸せになれるなら、結婚してもいいんじゃないかって」
ホッ、と肩の力が抜けた。
反対されたらどうしようかと思っていたのだ。
でもふと考える。
うちはともかく、武士さんのご両親は賛成してくれるだろうか。
私が婚約破棄されたこと、しってるんだろうか。
不安にかられながら、武士さんに電話をかける。
「土曜の11時ね。オッケー。ご両親の好きな食べ物とかある?」
「お菓子とかなら、駅前のケーキ屋さんにあるケーキですね」
「じゃあ、行く途中で買っていこう。
綾ちゃんは、来週末予定ある?」
「いえ、ないです」
「じゃあ、うちの親にあってくれないかな」
「はい、あの……私のことはどこまで…」
「婚約破棄については話してないし、話すつもりもないよ。話す必要がないからね。式場やドレスを押さえてることは、俺が張り切って先走ったってことにすればうちの親は大丈夫」
こんなに優しい人に嘘をつかせるのが申し訳なくて、私は涙が出そうになった。
私達の婚約が社内に広がってから、何人か私を敵視する人が出てきた。
武士さんは仕事もできるし、優しいし人気者だ。
仕方ない。
でも。
「婚約破棄されてすぐに違う男と婚約なんて、元から二股かけて振られたんじゃないの?」
そんなことを聞えよがしに言われるのは、正直辛かった。
その日も社食で聞えよがしな嫌味を言われていると、私の隣に、武士さんが座った。
「根も葉もない噂で人を貶めて、何が楽しいんだろうね。そんなことをして、誰かに想いを寄せてもらえるとでも思ってるのかな。俺だったら、絶対嫌だけど」
はっきり、よく通る声で武士さんが言うと、社食の中が、シン、となった。
それ以来、嫌味を言われることは全くなくなって、逆にご機嫌とりみたいに私に擦り寄ってくる人が増えたけど、私は誰に対しても平等に接して、絶対に人の悪口に誘い込まれないようにした。
私を悪く言っていた人と同じ土俵に立ちたくなかったからだ。