知らなかった現実
日曜日。
私は会社で一番の仲のいい由香と会って、金曜日のこと、自分が武士さんに惹かれ始めてることを話した。
「蓮くん、あんなに綾にベタボレだったのに、急にどうしたんだろうね」
「わかんない。私が色々仕切ってたのが、重荷だったのかなって今は思ってる。最後の方は、恋人らしい時間もなかったし」
「それで、水野先輩が名乗りを上げたと」
「それもよくわからないんだよね。だって今まで全然そんな素振りなかったのに」
私が言うと、はあっ、と由香がため息をついた。
「それは、綾に彼氏がいたからであって、指導係の時から、水野先輩は綾のことは特別扱いだったよ」
「えっ、うそ!」
「気付いてないの綾だけじゃないかなぁ」
自分ではそんなに鈍くないと思っていただけに、結構ショックだ。
「水野先輩、次の人事異動で主任に昇格するらしいし、いいんじゃない?」
「でも、そんなに簡単に蓮のこと忘れられないよ」
武士さんのことをいいな、と思う自分がいる反面、やっぱり蓮のことを諦めきれない自分がいる。
「蓮くんは、もう戻らない気がするな」
由香も、私と同じ考えだった。
「なんだか、そこまでばっさり切ったってことは、戻る気がないってことだと思うし」
「………だよね」
諦めなきゃ、いけないのかもしれない。
いや、諦めなきゃいけないんだろう。
私は、覚悟を決めた。
◇◇
日曜の晩。
実家の母から電話がかかってきた。
「アンタ、蓮くんと別れたの?」
なんで、お母さんがそんなこと知ってるんだろう。
まだ、由香と武士さんしか知らないはずなのに。
母は私の動揺などお構いなしに続けた。
「今日、蓮くんとご両親がやってきて、婚約を破棄したいって。アンタにはもう話し済みだって聞いたけど」
「うん。金曜日に別れ話された」
「婚約破棄まで言われると、ただの喧嘩じゃないみたいね。何か、心当たりあるの?」
「私が、仕切りすぎたんだと思う。
あと……」
言い淀んだ私の言葉を、母はずっと待っている。
「会社の先輩が、蓮が別の女の子と一緒にいるところを見たって。
でも、私には信じられない」
「まあ、理由は蓮くんにしかわからないかもね。でも、ご両親連れての婚約破棄の申し込みだったから、私もお父さんも受け入れたけど、良かったのね?」
「うん。たぶんもう、蓮は戻ってこないから」
「それなら、早く式場キャンセルして、親戚にも伝えなきゃ」
「そのことなんだけど、少し待ってほしいの」
「待つって……」
「指導係だった水野先輩に、プロポーズされてて」
流石に母も呆気にとられたようだった。
「いつ、プロポーズされたの?」
「金曜日。蓮と別れた直後に」
「受けるつもりなの?」
「そのつもりで、いる。蓮のことは忘れられないけど」
「その先輩は、それでいいって言ってくれてるの?」
「明日、話し合ってみようと思ってる」
「そう……正式に決まったら、また挨拶に来てちょうだい」
母はそれだけ言って電話を切った。
考えなきゃいけないことは山積みだ。
武士さんのこと、これからのこと。
武士さんがほんとに私のことを好きでいてくれているのは、今日由香と話してはっきりした。
あとは、自分の気持ち次第だ。
◇◇
そんなことを考えていると、また電話がなった。
武士さんからだ。
「遅い時間にごめん」
「いえ、大丈夫です」
「改めて、綾ちゃんにプロポーズさせてほしいと思って」
ドキン、と胸がなった。
「綾ちゃんが入社してからずっと、好きだった。彼氏がいるからちゃんと諦めるつもりだったんだ。本当だよ?でも、その反面、本当はずっと、手に入れる隙を窺ってた。カッコ悪いよな……」
自嘲して、武士さんは続けた。
「今回のこと、綾ちゃんは辛かったと思うけど、俺にとっては僥倖だった。
綾ちゃんがまだ彼氏のこと好きでもいいから、俺と結婚してほしい」
「蓮のことを、好きでも……?」
「そんなに簡単に、気持ちは切り替えられないでしょ?」
武士さんの言うとおりだ。
そんな簡単に切り替えられる程度の気持ちなら、結婚しようなんて思わない。
「ただ、せっかく式の日取りも会場も、ドレスも押さえてるなら、キャンセルしないで、俺との結婚式に使えばいいと思う。もうあと、数ヶ月しかないけど」
武士さんは畳み掛けるように言った。
「同じ部署では働けなくなるけど、専業主婦してもいいし、違う部署で働いてもいい。綾ちゃんの希望に合わせるから」
こんなに私のことを思ってくれて、私の意思を尊重してくれる。
もう、充分なんじゃないかと思った。
「武士さん。プロポーズ、お受けします」
しばらくの沈黙の後、よっしゃ!と小さな声が聞こえた。
やっぱり、武士さんは可愛い。
「部長には、明日二人で報告に行こう」
「はい」
「綾ちゃん……大好きだよ」
カァッと顔に熱が集まった。
私が返事をする前に、じゃ、と電話は切れた。