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黄昏に染まるその陰で  作者: 三当香季
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第2部 ACT3の4 道を開くもの

 高校を卒業すると、私はかねてからの予定通りに「技能取得チャレンジ-福祉介護コース-」という行政の支援を受けた。

 片道1時間ほどかかる場所にある福祉系専門学校の一角を借りる形で行われる講習を6か月間、週に5日、8時から16時まで。

講習内容はその専門学校で行われている介護課程の一部をそのまま、講師は専門学校の先生が受け持つのだという。

 ちなみに、その福祉専門学校には4年制と2年制があり、4年制は社会福祉士、ソーシャルワーカー、カウンセラーといった資格が得られるカリキュラム。2年制だと介護福祉士、保育士の資格を目指すもの。となっているそうだ。


 通い始めてからなんとなく、「なんで専門学校の教室が余っているのだろう?」と思ったりもしてたんだけど、


福祉業界は離職率が高い。

なので、人手不足。

それが巷にも知れ渡っているためになおさら人気がない。

そうなるともちろん、福祉系の学校に進学する人も少ない。

よって、せっかくの福祉学校の教室も余ってしまう。

そこで、

行政の支援を入れることで、

福祉学校の空いている教室を埋めることができ、

介護職への門戸も広げることができ、

ヘルパーの資格を取得させたうえで介護職への就職を斡旋することによって、介護職員の確保ができ、

介護業界の人手不足を解消するとともに、生徒の数が揃わない福祉学校に公金を入れて経営を助けることができる一挙両得案といったものなのではないかと思った。

まあ、それこそ、福祉学校が経営難で廃校ともなれば福祉の人材を育てる場所が減ってしまうので、それもまたしょうがないものなのかもしれないのだけど。

 そして、私みたいな路頭に迷いそうな子猫ちゃんにとっての助け舟ともいえる。

溺れそうなところに助けてくれる船(技能取得チャレンジという支援)が現れて、お土産(生活費と資格)まで持たせてくれる。

そんな感じなのかなあと私は思った。

 税金をそんなことに使うのか。と、怒り心頭になる人がいたらごめんなさい。これは、あくまでも私の想像。本当はどうなのかはわかりません。あしからず。気にされた方はどうぞご自分で調べてみてください。


 実際に受講が始まると、教室の雰囲気が高校とあまり変わらない感じなのもあって、高校の延長のようにも感じた。

 授業の内容が違うのと、クラスメイトの年齢層が幅広いっていう違いがあるくらいで、時間割通りに進められる「いかにも学校」といった雰囲気は変わらない。


 幅広い年齢層って書いたけど、そういえば受講初日に「新卒者」だけが集められて説明を受けたの。

この「技能取得チャレンジ」には、「新卒者」と「(再)就職者」という2種類の支援コースの人が同じ場所で受講する形になっていて、この二つは支給される技能取得手当(いわゆる生活費)の額にかなりの違いがあり、同じコースの人でも、その人の生活環境によって多少の差はあるものだということなので、「他人から支給額のことを聞かれても答えない。自分から他の人へも聞かないようにしてください」というお達しがあった。

 以前、それが原因で生徒同士のいざこざが起きたことがあったそうだ。

「あまりおおっぴらにすると、やっかむ人が出るかもしれないので注意してください。まあ、調べようと思えばある程度調べられるものだから、そんなに神経質になる必要にないんだけど、なるべくその話題には触れないようにしたほうが得策だということです」

 そう言われたけど、私のクラスでは最終日までそういったいざこざは起きなかった。これも人それぞれって話よね。いろんな人がいるのがこの世の中。


 講習自体は、さすがに専門分野なので知らない単語がいっぱい出てきたりするものの、それほど難しい内容ではなかった。

 テキストを使った座学と、実技の講習、レクリエイションを兼ねたオリエンテーション(福祉業界の裏話や豆知識を講師が雑談交じりに教えてくれたりもした)の三本柱で構成されていて、楽しいまではいかないまでも、苦になったり飽きたりするわけでもなかった。

なんたって、授業を受ければお金が支給されるわけだしね。


 一か月と半分ほどすぎたころ、初の手当支給日がやってきた。

口座に入金されていたのは約16万円。技能取得手当と通所手当(交通費)の合計額。税金はかからず引かれるものが何もないまま振り込まれていた。


 この16万円という金額。

私が、これまでの人生で一番の大金だったのよ。

ATMで全額おろして、札束を手にした瞬間、ドキドキし始めちゃった。

家に着くまで、カバンに入れたお財布がちゃんとあるか何度かチェックしちゃったもの。今思うと恥ずかしい話よね。

 食事代とか多少のお小遣いを考えて6万円は自分のお財布に残しといて、後の10万円は母に渡すことにした。

母は、アルバイト代を渡した時と同じで「自分で貯金すればいいのに」と言ってきたけど、今回も私は無理やり押し付けた。

「今までの分もちゃんと貯金してるんだからね。お金が必要になったらちゃんと言うのよ」

 と、母は言っていた。

「使ってもいいのに」

 私が言うと

「ちょっと借りたことはあるけど、ちゃんと後で返したわよ。だからしっかり残ってる」

 という答え。

本当に貯金しててくれてたみたい。少しぐらい生活費に充てればいいのにね。こんなんだから、この人は苦労してるんじゃないだろうか?


 6か月はあっという間に過ぎて、私は「ヘルパー」の資格を手に入れた。

最後のひと月は、面接に関する講習に重点が置かれ、介護施設へ実際に行ってその業務を見学したり、ボランティアとして利用者と接してみる。ということも行われた。

 介護施設の求人情報の資料も用意してくれて、面接希望の施設が見つかった人は、面接日が受講日と重なった場合でも面接のほうが優先された。おまけに介護施設への面接については、受講と同じ扱いとなり手当が減額されることはなかった。

本当に至れり尽くせり。

「まるで、是が非でも介護施設に送り込もうとしているみたい」

 そんな冗談(本音だったのかもしれないけど)を言う受講者もいた。


 私は、家の隣町にある施設の面接を受けて、即採用となった。

面接では、ある程度お話をしてすぐに

「今の受講終了後、すぐ働けますか?」

という話が出るという、速攻の採用具合。

-本当に、なにか裏があるんじゃないかしら?-

と思わなかったわけじゃなかったけど、面接官の人も施設の中の雰囲気もいい感じだったので、私は素直に内定をもらった。


 そして、

10月から私は社会人となり、ヘルパーの資格を手に介護士デビューとなったのでありました。

 入社後3か月間は研修期間。

1か月目は先輩介護士の人について業務を教わり、2か月目からは独り立ち。だけど、初めての業務については必ず先輩がついて教えてくれるように組まれていた。

思った以上に親切丁寧な新人研修だと思った。

 介護の業務内容も、これまた想像以上のものだった。

排泄介助の汚い・臭い。

移乗介護の肉体的疲労(特に腰にくる)。

認知症の方や介護拒否のある方への対応。

と、前もってある程度の情報は知識としてあったのだけれど、現実はかなりヘビー。先輩が一緒にいる時間帯はまだ助けてもらったりしてなんとかなるんだけど、これを一人ですべて対応するとなると・・・。

 先輩たちは皆口々に「慣れ」だと言うんだけど、なんとなく「慣れ」というより「やらなきゃしょうがないから」という「諦め」じゃないのかなあと思った。

ま、それを称して「慣れ」というのかもしれないけど。


 しかし、研修期間中に一番参ったのは「業務内容報告書」というもの。これを最初の1か月間は、毎日書いて提出しなければいけなかった。

その日の業務内容を時間単位で書いて、それについての感想や反省点なども添えて書く。

これが一番辛かった。

業務の最後の30分間、これを書く時間を割いてくれてはいるんだけど、毎日書くとなると、さすがに同じような感想になっちゃって、なるべく変化をつけるのが大変だったのよ。

 でもまあ、なんとか1か月で独り立ちできて、その2か月後には特に大きなへまをすることなく研修期間は無事に終わった。

 そのあと少しずつ夜勤にも入るようになって、給料も少しだけ(手当分)増えていった。


 そんなこんなで、とりあえずは順調に介護職員として過ごして、2年目に入ろうかという頃に、母が何やら「相談がある」と言ってきた。

「そろそろ夜の仕事はやめようと思う」

 そういう話だった。

 なんでも、日ごろ、私から介護の仕事の話をちょこちょこと聞かされているうちに、自分が体験したのとは「な~んか違うなあ」と感じたらしく、

「自分が前にいた施設は、他人に厳しく自分に甘い人や、ほかの職員に仕事を押し付けて自分は楽をしようとする人、何をやっても遅い・適当・覚えていない・覚えようとしないというような人、ほかの職員の悪口ばかり言っている人なんかがいて、施設全体に殺伐とした空気が流れいるところだった。介護施設っていうのは、みんなこんなもんなのかなって思って、耐えられなくなったから辞めたの。

でも、施設(職場)によって違うもんなのかしら?

働きやすい施設(職場)もあるってことなの?

って思うようになってきて、

いつまでも夜の仕事は続けていけないし、自分もせっかくヘルパーの資格を持っているんだから、もう一度やってみようかしら」

 と思った。ということだった。

それを聞いた私は、もちろん応援することにした。

「技能取得チャレンジ」のときにお世話になった専門学校の先生や、職場の上司、先輩にも相談に乗ってもらって、仕入れた求人情報の中から吟味を重ねたうえで母は数か所の面接を受けた。

その中から、内定を出してくれた施設がいくつかあったので、そこからまたまた吟味してひとつを選び出して、母は介護の仕事に復帰した。


 運よく(吟味した甲斐もあって)、母が勤め始めた施設も割と良い環境だったみたいで、

「前の施設がどうしてあんな風だったのか信じられないくらい。今度の施設は感じのいい人が多い」

 と喜んでいた。

 数か月してから母も夜勤に入るようになって、二人ともシフト制なのですれ違いの日々にはなったが、母が夜の仕事をしているときよりかは断然一緒に過ごせる時間は多くなった。

 家計の面でも、安月給とはいえ×2(かける2)の効果は大きかった。たちまちに生活は安定していって、二人の休みが重なったときには、一緒にお出かけしたりするようになった。

 そのころふっと思ったのが、

-もしかしたら、私が介護の道へ進んだのは”母が諦めた介護の仕事へのリベンジ”をしたかったのかもしれない-

というもので、我ながら、なかなかカッコイイ無意識・無自覚の選択をしたもんだなあという自負だった。



 そんなこんなで、私が介護業界で働き出してから三年が過ぎて、”ヘルパー”の上位資格である”介護福祉士”の試験を受けられる条件を満たした。

 ”介護福祉士の試験は”合格率が60~70%だという。

なのに私は、参考書を一冊買っただけで、しかもその参考書を読むわけでもなく何の勉強もしなかった。(なぜか勉強する気が起きなかった)

受験当日に、試験会場に行く途中の電車の中でペラペラっと参考書に目を通したぐらいだったにもかかわらず、なんとなんと一発合格してしまったのでした。


-私ってば、意外にできるコだったのかもしれない。

高校も公立1校に絞って合格したんだし・・・。

もしかしたら大学だっていいトコいけたのかも-


と、心の奥底でぼせ上がってみたりもしたけど、身の程はわきまえている私なので、それで調子に乗ることなどはなかった。


 介護福祉士の資格を取得クラス・チェンジしたことで、またまた手当がついて(資格手当の額が上がって)給料に反映された。給与・賞与に影響するのでその分の年収が増える。世間様と比べれば、全くもって微々たる収入増なんだけどね。


 私がクラス・チャンジした(介護福祉士になった)その2年後、今度は母が試験を受けることになった。

私が(一回だけ)使った参考書と、新しく自分で手に入れた参考書を使って、母は真面目に勉強した甲斐もあって筆記試験は突破。

しかし、実技試験で・・・落ちた。

 試験が終わって、母は帰宅すると顔を真っ赤にしながら私に説明した。

「開始と同時に頭が真っ白になって、オタオタしてるうちに時間切れになっちゃった」

 ようするに、緊張のあまりパニくっちゃって、ほとんど何もしないうちにタイムオーバーになったらしい。

 あとで先輩たちから聞いたんだけど、実務をある程度しっかりやっている人なら、いつも通りにやればまず合格するものらしい。

意外に母はあがり症なのかも?

 ちなみに私の時は、数日間の実技講習というものを受ければ実技試験はパスになるということだったので、私はちゃっかり講習を受けて実技試験免除だったのです。母もそうすればよかったのにね。

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