第4部 ACT1の2 貴子さんが通る
私の旧姓は 大葉 といいまして、結婚するまでは 大葉貴子 と名乗っておりましたの。
大葉 家は中の下、もしくは下の上ぐらいの生活レベルで、父母と兄の四人家族。父母の実家もどちらかと言えば、ごくごくありふれたどこにでもあるような家でして、名家でもなければ、どこの馬の骨なのかわからないような血筋でもないという、いたってよくありがちな家柄でございました。
先祖は農民で、近代化とともに農業から離れて、平民として財を成すわけでもなく、口に糊をする程度に血をつないでいったのだと思われます。
そんな平民の子として育った二人の男女がどこかで出会い、新しい家族を作ったところに生まれたのが私でした。
父は会社勤めのサラリーマン。私たち四人の家族は、父の勤める会社の社宅で生活を送っていたのです。
私は、大学卒業後に社会人になって、一年ほどはその社宅に住んでいたのですが、そのあとは親元を離れて独り暮らしを始めました。
私が一人暮らしを始めた年の夏に、突然、母が電話を掛けてきて、
「お父さんと離婚しようと思っているんだけどいい?」
と言い出した。なかなかに衝撃的な発言。
でも、それはなんとなく納得できる話ではあった。
というのも、私の父という人は、女遊びをするタイプではなさそうだったし、酒癖も悪くなかったんだけど、ギャンブル好きな人だったの。
ギャンブル好きでも、自分のお小遣いの範囲内で済ませられるのならまだ良かったんだけど、ちょこちょこと借金をこさえて来ては母にばれて、母が何とかやりくりをして返済するといったことが何回かあった。
それを私も知っていたので、
「お母さんの好きにしたらいいと思うよ」
と私は返事をした。
私には四つ上の兄がいて、彼も大学に進学はした。
その大学が他所の地域だったから、兄は家を出て寮に入ったんだけど、2年生になってすぐに実家である社宅に戻って来て、
「大学辞めてきたわ」
と両親に告げた。大もめにもめたものの、兄は復学を頑なに拒否。親は折れて、
「だったら働きなさい」
と条件を出して、家で暮らすことを許した。
しばらくはバイトをしながら、地元の就職先を探しているように見えていた兄だったが、
「出稼ぎに行く」
とだけ書かれた手紙を残して、忽然と姿をくらました。
その後、兄は音信不通。どこで何をしているのかわからず仕舞い。連絡は全く来なかった。
その直後に、また父が借金をしているのが発覚。もう修羅場。
そんな中、母は頑張ってやり繰りして、私を大学に行かせてくれた。
大学卒業後、私は無事に就職できたので、給料の一部を家に入れていた。今までの恩返し的な感じでね。もちろん、母へのだけどね。
でも、一年したら、なんだか家を出たくなっちゃって、母に相談したらあっさりとOK。そっから、独り暮らしを始めたの。
社宅なのが嫌だったのか、ギャンブル好きな父が嫌だったのか、そのどっちもだったのか、理由は自分でもはっきりとは分からなかったけど、とにかく独り暮らしをしてみたかったのよ。
兄が失踪。私が独り暮らしで、母は父との二人っきりになった。
父は今まで通り、会社帰りと休みの日はギャンブル漬けの日々。
借金で首が回らなくなって、母にそれがばれて、そのたびに、
「もうギャンブルはしません」
「ギャンブルはやめます」
って誓うんだけど、借金返済のめどがたつ頃になると必ずといって、父が家に帰ってくる時間が遅くなり始める。
「頑張って残業してるんだ」
なんて言うんだけど、残業なんてしてるわけもなく、またギャンブルしてるのよ。それがばれると、
「自分で稼いだ金で遊んでいるんだからいいだろう」
なんて開き直る始末。
そんなこんなしてるうちに、またもやどこかしらで借金をして、自分一人の力じゃ借金返済できなくなっちゃって、借金返済の催促の電話が掛かってきたり、封書なんかが届いたりするようになってまたもや発覚。
時には借金取りが家に来るなんてこともあった。
そんなんでも、母は私たち兄妹が家にいたから踏ん張れた。というか踏ん張った。
何とか踏ん張ったのに、息子は大学を勝手に辞めて戻ってきたくせに、突然、ふらっと家を出て行った挙句に行方不明。娘のほうは、大学を卒業して就職してくれたものの、一人暮らしを始めちゃった。
父と二人での暮らしが始まったその矢先、父の会社が危うい状況になったらしく、社宅を解体してその土地を売却するので、なるべく早いうちに社宅から出てほしいという通達があったのだという。
いくばくかの猶予はあるとはいうものの、社宅に残る人がいる間はその土地を売却できない。売却できなければ、会社そのものの存続も怪しくなる。倒産してしまっては元も子もないので、社宅住まいのみなさんは、
「会社のためにも早く出て行きましょう」
というふうに団結。引越し先を探し始めたそうだ。
そこで母はふいに思った。
今まで、我慢して、我慢して、やってきた。
家庭を持って子供を産んで、大学にまで進学させた。それはいい。
でも、自分の人生の大半は夫の借金を返すためのものだった。
これからもこの夫は、ギャンブルをしては陰で借金を作ってくるだろう。
そのたびに私は、今までもそうしてきたように、パートに出ながら家計を切り詰めて、人生を楽しむことなく、彼の借金を返済する毎日を送るのだろう。
もし、彼の勤めている会社が倒産してしまったら・・・。
絶望感しかない。
「お母さん、もう疲れちゃって」
母は、そう語った。
「お父さんを見捨てずに頑張って」なんて私は口が裂けても言えなかった。
その後、私は住んでいたアパートを解約し、母と二人で住むための少し広めのアパートを新たに借りることにした。
母と父は正式に離婚して、母と私の名字は母の旧姓の 梅川 になった。
母は兄の戸籍も一緒に移動させたんだけど、兄は名字が変わったことに気づくだろうか?なんて思った。
父も社宅を出て、アパートを借りて独り暮らしを始めたらしい。
それから半年ほどたったある日、警察から連絡があった。
父の身元引き取り人になってほしいというのである。
指定された警察署に母と二人で出向くと、署内の霊安室へと通された。そこで父は眠っていた。
なんでも、酒に酔って帰った父は、千鳥足でアパートの階段を上っている途中で足を滑らせて、後ろ向きに階段から落ちたのだそうだ。後頭部を激しく打ったために帰らぬ人になったのだという。
物音を聞きつけたアパートの住民から通報が入り、警察と救急隊が駆け付けたが、そのときにはもう息をしてなかったということだった。
酒癖の悪い人ではなかったと思うんだけど、母と別れてから酒の飲み方が変わったんだろうか?
同行してくれた母は至って冷静だった。泣きもしなかったし、取り乱すこともなかった。逆に私の方があたふたしてしまった。だって、こういうことって経験がないから。
いろんな手続きとか打ち合わせとか、なんとかできたのは、母が一緒にいてくれたおかげだった。
次の日、父の遺体は無事に葬儀社へと運ばれた。
母からの情報だと、父の両親はすでに他界しており、兄弟もいなかったらしい。
母とはすでに離婚していたので、子供が引き取り人になるんだけど、長男は失踪中なので、私にそのお鉢がまわってきたきたのだ。
父の遺品を受け取り、勤めていた会社へ連絡。住んでいたアパートの片づけもしなければならなかった。
とてもじゃないが、母がいなかったら大変だった。私一人ではキャパオーバー。
葬儀や火葬や入骨。役所への連絡と手続き。父が会社に残してきた物の受け取りとちょっとした手続き。
泡立たしく、数日があっという間に過ぎ去った。
意外に大変だったのが納骨。
父の実家の墓に入れてもらおうと思ったんだけど、母には父の実家の墓の記憶がなくて、父の親戚の連絡先も知らなかった。父の所持品の中にも、そういうのを記録しているものは見つからなかった。
そう言えば、私には墓参りをしたという記憶が全くなかった。
そこで、父の実家があった場所に出向いて、その近所の人に聞くという、原始的な方法を取らざるを得なかった。そうこうして、ようやっとのことで父の従弟だという人物にたどり着くことができた。
事情を説明すると、その父の従弟だという人は、寺と連絡を取ってくれた。入骨の手はずも整えてくれたおかげで、無事に父は 大葉 家の墓へと入ることができた。
父の従弟さんは、
「 大葉 家の人じゃなくなったとはいえ、親族であることに変わりはないんだから何かあったら気軽に連絡してください」
と言ってくれるような善い人だった。
その後の供養の時にもお世話していただきました。
そういえば、父のアパートで遺品整理をしていた時に、生命保険の契約書が出てきたの。
その受取人は、母との離婚後も変更・解約されずに、母、兄、私の三人になっていた。
保険会社に連絡すると、離婚後に受取人の変更がされていない場合でも、契約はそのまま成立するとのことだった。
父の一件がほぼ片付いたころに、保険金の受取人の一人である兄から、私の携帯へと連絡がきた。
住民票が必要になって役所に行ったら、本籍が変わっているとか何とかでちょっとゴタゴタしたので、連絡をよこしたのだという。
兄に諸事情を伝えると、すぐにこっちに駆けつけてきた。
行方不明になっていた兄が何をしていたかというと、意外や意外、家を出てしばらく寮完備の不正規雇用の仕事をしていたが、そこで知り合いになった人のツテで小規模ながらもある程度きちんとした会社に就職していたのだという。
今回は、会社の寮から出て暮らすために住民票を取りに行ったら、名字と本籍が変えられていたから驚いて連絡してきたらしい。
まあ、なんであれ、最悪な状況ではなかったからよかった。変な団体に入っていたとか、借金まみれになっていたとかじゃなくてね。
最後の最後まで面倒をかけてくれた父ではあったが、生命保険などを残してくれたおかげで、私たち三人には僅かばかりの財産を与えてくれた。
ただ単に、保険の存在に気が付いてなくて放置されていただけなのかもしれないけどね。
ある意味、給料から天引きされる契約にしていた母のファインプレーと言ってもいいのかもしれない。
「私が出ていくときに、いろんな書類と一緒に箱に入れていったんだけど、そのまんまの状態だったってことは、あの人、自分が生命保険に入ってたことすら知らなかったのかもしれないね。そういうとこいい加減なんだわ」
と母は笑っていた。




