25年後の後悔 ~親の因果が子に報う~
やらかしちゃった本人って案外、覚えていなかったり、忘れていたり…。
やらかされた人達はずっと覚えています!
でもその後始末は誰がするの?
ここはフルフレール王国、国王の執務室。
その扉から、扉を叩き付けるような勢いで、第一王女のマリールイゼが真っ青な顔をして出てくる。目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙をたたえながらも、何とか王女のプライドを持って早足とまでは行かないものの、見苦しくないまでも、ギリギリの早さで自室まで駆け込んで行く。
フラフラと長椅子の上にへたり込むように座ると、そのまま膝の上の手をギュッと握り締めながら、ただハラハラと大粒の涙を流し始めた。
侍女のリリアはその様子をソッと目を伏せ、壁際に佇み気配を消した。そう、彼女は王女の望みが多分、叶えられる事はない事を知っていた。それは王女だけが知らず、この国の貴族であれば誰もが知る事実だと…。
マリールイゼがレイナール公爵家の嫡男、シュナイダーを見たのは王宮の夜会でのこと。マリールイゼが準成人として初めて参加を許された夜会での事だった。この国では15歳で準成人としてお披露目され3年間の王立貴族学院を卒業後、初めて成人として認められる。
銀髪に冬の湖を思わせる深い蒼の瞳。彼の周りだけが何の音も聞こえない様な静謐な空気を纏ったような清廉とした彼の姿に思わず目が吸い寄せられた。彼は他の追随を許す事の無い、圧倒的な存在感を放ち堂々とその場に存在していた。そしてその隣には同じ銀髪、深い青紫の瞳を持つ少女が彼に手を引かれ佇んでいた。多分、顔形から見て妹であろう。誰もがうっとりと見とれる程の美しい兄妹であった。
他の人間に向ける彼の眼差しは鋭く無表情のままだが、隣の妹に向ける眼差しは殊の外優しく、可愛らしくてたまらない様に、時折頭を撫でるような仕草をしている。
その2人の姿を見ながら、何故かマリールイゼはムカムカとしてきた。(やめて!触らないで!あの方に触れて良いのは私だけだわ!)
壇上の王族席に居なければ危うく、叫びだしそうな、そんな自分の心境に、何故か分からず、思わずぎょっとする。
その時、開会を告げるファンファーレが高らかに鳴り響き、国王に
続き側妃、第一王子、第二王子、第三王子が入場してきた。マリールイゼは初めての夜会参加で今回だけは先に入場を済ませて、王族席の末席にて頭を下げ国王たちを迎える。
(あぁ、やはりお母様は参加されないのね…)
本来なら、国王に続き王妃が入場だが、王妃はここ5年、公式の場には殆ど出席しない。今回はマリールイゼの準成人の祝いでもあるので出席して貰えるかと期待したのだが、やはり無理だったようだ。
拝謁の儀が始まるとまずは王族のマリールイゼからだ。
静々と陛下の前に進むとカーテシーをし、国王よりお言葉を賜る。
「マリールイゼ、準成人、おめでとう。フルフレール王国の貴族として恥ずかしくない教養を身に付け、より良い国にする為に良き学友と出会い共に励んでくれることを期待する。」
「はい、フルフレール王国の貴族としての誇りを胸に努力致します」
お言葉を賜った後は第三王子の隣にたち、今度は自分が挨拶される側にまわる。
謁見の儀は身分順のため、公爵家より始まる。
レイナール公爵家からだ。
公爵家の令嬢が楚々として国王の前へ進みふわっと花が綻ぶように見事なカーテシーをし、柔らかな鈴が鳴るような声で
「国王陛下、初めてお目もじ致します。レイナール公爵家が第二子、ジョセフィーヌで御座います。フルフレール王国の貴族として、良き貴婦人として努力し研鑽して参る所存に御座います。どうぞよしなにお導き下さい。」
見事だ。見事過ぎる。美しい所作で美しい言葉で、余りにも自分と違い過ぎて恥ずかしくなるくらいで、マナー講師の言うことを「そんなに厳しくしなくても良いじゃない!」と言ってサボっていた自分に激しく突っ込みたくなるくらい、自分との違いに愕然とした。
サワサワと貴族達の囁き声が聞こえた。
「流石はレイナール公爵家のご令嬢。この国一番の淑女ですわ」
「あの流れるような見事な所作。美しい言葉遣い。先の方と比べるべくもない事ですが…」
「まぁ、あの方のお子様ですものね。仕方の無い事かと」
あ…私と比べられているんだ! 気がついた途端、顔が赤くなった気がした。
「顔に出すな」
私だけに聞こえるように隣に立つカレン兄様が囁く。
「震えるな。お前は王族だ。ここは戦場だ。」
ガン!と頭を叩かれたような気がした。今まで、フワフワと準成人になったら、きれいなドレスを着て夜会に行って、すてきな殿方とダンスをして……とそんな事ばかり考えて、それ以外の事なんて何も考えて来なかった。
ぼんやりと、次々に謁見の儀をしている準成人を見ていると少なくとも皆、私より所作が美しい。
あっ!私と同じくらい! そう思った時、また隣のカレン兄様から
「今から謁見の儀に望むのは子爵以下の貴族だ」
と囁かれる。
えっ?と思った。そして、次の瞬間先ほどの囁き声を唐突に理解した。
そうだ。お母様に言ってマナー講師を変えて貰ったのは私…
あれは5歳の時、
「お母様!スザンヌ先生は厳し過ぎます!もう嫌!もうレッスンなんかしない!」
スザンヌ先生は確か、王室のマナー講師。貴族位は侯爵、王妃教育のエキスパートだと聞いた。
お母様もさんざん叱られたから…と言って、お母様のお友達の子爵夫人にマナー講師を交代して貰ったんだっけ…
「マリールイゼ様はもう完璧で御座います。これで準成人の儀には安心して望めますわ。」
そう言われて、完璧だと慢心して…
そうよ。子爵のマナーは完璧でも王族では不完全、ということでしょ?
私は王族なのに、王族のマナー1つ身に付けられてない?
目の前が真っ暗になった気がした。
ドレスや化粧や髪型よりも先に気にしなければならない事があったなんて……
不意に、カレン兄様が手を差し出した。
「デビュタントのダンスだ。行くぞ。」
あんなに楽しみにしていたダンスなのに、ホールに行くのが怖くて仕方ない。
「大丈夫だ。ダンスはちゃんと踊れていた。俺がフォローしてやるから安心しろ。」
ホールの中央に向かってカレン兄様にエスコートされて進み出る。
柔らかなワルツの音が始まる。
緊張でこわばっていた身体がワルツの音と流れに乗って静かに回り出す。
「大丈夫だ。誰も見ていないぞ?」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまうも、兄様の視線の先に目をやるとレイナール公爵家の兄妹が、それはそれは素晴らしいダンスを披露していた。多分、ホール中の視線を集めていたと思う。
何だか、肩の力が抜けてしまった。
「楽になったか?」
「はい。何だかバカみたいに緊張していたのが誰も見ていないと分かったら、楽になりました。」
兄様は少し苦笑した後、
「でも、気を抜くんじゃないぞ。お前は辛いかも知れないが…。この先学園でもジョセフィーヌ嬢と一緒だ。常に比べられる。常に誰かに見られていると思え。準成人とは成人になるための準備段階だ。だが失敗はついて回る。お前は王族だ。それを忘れるな。俺がお前にしてやれるアドバイスはこれで最後だ。」
「えっ?最後?」
何を言われているか分からなくて首を傾げる。
「あぁ。半年後にはヘイルーズ辺境伯に行く事になった。婿入だ。」
少し照れながら兄様は笑う。
軍人気質の兄様ならきっと良い辺境伯になるのでしょうね。少し寂しい気もしますが……。
第二王子のサンダール兄様と第三王子のカレン兄様、そして第二王女のフロンターレは側妃様の子です。その中でも第三王子のカレン兄様は良く私を気にして下さいました。厳しい言葉もいっぱい言われましたが、それでも王宮の中でもなんとなく浮いている正妃の子である私のことは気に掛けて下さいました。
ただ心配なのは正妃の子である第一王子のグランド兄様の事です。カレン兄様がいて下さる事でバランスが取れていたと思うのですが王太子が決まっていない今、グランド兄様とサンダール兄様とで争うのでしょうか?心配です。
ダンスを終え、王族席に戻りながら、そう呟くと
「心配するな。まぁ、なるようにしかならないが、兄上達も自分たちの置かれている立場と意味は理解しているはずだ。」
そう言って少し寂しげに苦笑されました。
カレン兄様のその言葉の本当の意味を知るのはまだ少し先の事です。
その言葉の意味を理解したとして、私に出来る事など何も無い事に、自分の無力さ想像力の無さに打ちひしがれる事に、この時の私はまだ分かっていなかったのです…。
王立貴族学院とは、このフルフレール王国に属する貴族の子女全てが通うことを義務づけられてた貴族の為の教育機関であり、ここを卒業する事で初めてフルフレール王国の貴族として認められるのである。
この王立貴族学院と対になるのが王立学院でここは平民が通う学院でここを優秀な成績で卒業すると王宮や各領地にて領官として雇用して貰える。
25年程前までは1つの学院であったのだが、とある事件が起きてからやはり分けた方が「問題」が起きないとの事で分けられた次第だ。
貴族学院に入学してから早2年、最初は戸惑いがちに話しかけて下さっていたクラスの皆様とも少しずつお話が出来るようになり、なんとなく学友と言うものは、この様なものかしら?と内心嬉しく思いながら皆様との会話をしていた時のこと。
「そうそう、スプリングフィールド伯爵家のルーリア様、いよいよお輿入れの準備を始められたのですって!あちらの様式に合わせたお衣装なのでしょ?楽しみです!」
ルーリア様とは去年、貴族学院を卒業された方で、淑女クラスの主席という優秀な成績の方です。私も親切にして頂きました。
「ルドリア国の様式でしたわよね?刺繍の文様が独特なのでしょう?さぞ美しい衣装なのでしょうね?」
他のクラスメイトの皆様も楽しげに花嫁衣装の事やルドリア国の刺繍の美しさなどをお話しされています。
そう気がつけば皆様、自分の婚約者や嫁ぎ先の国やお家の話に話題は変わっていき、ふと気がついたのです。
「皆様、もう婚約者の方がおいでなのですね?」
その場が妙な静けさを醸し出した時、侯爵家の令嬢であるミランダ様が
「そうですわね。私どもは幼き頃より皆、婚約しておりましてよ。勿論、政略結婚にはなりますが婚約者の方と良い関係を築ける様、幼き頃より嫁ぎ先の文化、言葉、相手の方の興味を持つものなど様々な事を学んで交流して参りました。」
「あの、同じ国の方に嫁ぐ場合にもですか?」
確か、ミランダ様の婚約者はフルフレール王国の方だったような…
「勿論、同じ国でも、です。政略結婚だからこそより理解しないと良い関係は築けませんでしょ?」
「そ、そうですか…」
私は愕然としました。お母様は「女の子は好きな殿方と結婚するのが一番大切な事なのよ!あなたには政略結婚なんてさせないわ。安心してちょうだい。」と幼い頃より言われ続けていた事なので、私は漠然と好いた方との結婚を夢見ておりました。
「そう言えば、フロンターレ第二王女殿下もご婚約が決まられたとか…。おめでとう御座います。」
「まぁ、そうでしたの?それはおめでたいことですわね?前々からお話のあったルドリア国の第二王子殿下ですか?それともクルト国の王太子殿下でしょうか?他にも幾つかの国から求婚の申し出があったと記憶しておりますが?」
皆様の言葉が頭の中を素通りしていきます。
私は知りません。何も聞かされておりません。
何とか表情を取り繕うべく言葉を発しようとするのですが、上手く取り繕う事が出来ない私の様子を見て、皆様何か納得されたようで、
「そうそう、そう言えばこの間あった……」
とすぐ話題を変えられたのでした…。
貴族学院からの帰りの馬車の中で、私の頭の中はぐるぐるととりとめの無い事が浮かんでは消えて行きます。何故、第一王女である私より先に第二王女のフロンターレの婚約が決まったのか?とかそう言えば、第二王子のサンダール兄様の婚約者も幼い頃に決まっていたとか…サルビア公爵家のご令嬢でしたわね…。
えっ?ちょっと待ってちょうだい?王家の中で婚約者がいないのは正妃の子である第一王子のグランド兄様と私だけ?側妃様の子供達には全員婚約者がいる?カレン兄様は去年の春に無事結婚して今は辺境伯を継ぐべく執務に励んでいるらしいし…
これは…
纏まりの付かない思考の中で、誰に聞いたら答えて貰えるのか分からないまま自室のソファーに座り、侍女のリリアが淹れてくれたお茶を飲む。
「ねぇ、リリア。リリアなら知っているかしら?何故、私には婚約者がいないのか、何故フロンターレが先に婚約したのか?何か知っている事があって?」
そう聞いてみると、リリアは非常に困惑した様子で
「申し訳ございません。私ども侍女には王族の方の婚約と言った国事の一大事を知る事はございません。」
と、申し訳なさそうに答えるのであった。
「そうよね。こんなこと聞かれても困るわよね。私ったら…。ごめんなさいね。」
「いいえ。姫様。姫様が謝られる事ではございません。その…何故そのような事を突然、お聞きになられたのでございますか?何か学院でございましたか?」
リリアに心配そうに聞かれ、思わず学院であった事を話してしまった。
「さようなことがございましたか…。それでは陛下や王妃様にお伺いになられてはいかがで御座いますか?何か深いお考えがあっての事では?」
そうリリアに言われ、それもそうか、と考え
「そうね。お伺いしてみるわ。」
と答え、気分を変えるため読みかけの本を手にしたのだった。
リリアはマリールイゼの様子をそっと伺いながら、内心重いため息をはいた。
(あぁ…。とうとう姫様が気付かれてしまった…。これは、姫様が悪いわけではないのだけれど…。どうかこれ以上、姫様が悲しい思いをされる事がないように…)
そう思いながら、リリアは内心の重いため息をつくのだった。
リリアはマリールイゼの事を嫌いではなかった。それは王宮勤めをする前は両親から、当時の陛下と妃殿下のされた事を聞いた時には仰天した。何それ?と思ったし、あり得ない!とも思った。だが25年たった今、それがお二人のお子であるグランドとマリールイゼに振りかかってきているのを見ると、何とも気の毒でならない。
確かに、当時の貴族たちの思いも分かる。でもお二人のお子にまでその報いが降りかかって来るとは…。何ともやりきれない思いがする。
マリールイゼは確かに、少し軽率だし考えが足りない。が、それは幼少期の王妃の意向を受けた教育係たちのせいだ。もっと端的に言えば王妃のせいだ。陛下のせいだ。そのツケをグランドとマリールイゼが払っているだけだとも言えるのだが…。
その頃、グランド第一王子が国王の執務室を訪れていた。
「お時間を頂き、ありがとう御座います。」
「うむ。かまわんよ。どれ、そちらにて話をしよう」
そう言って側に控える宰相に目をやると宰相が侍女にお茶の用意をするよう目配せをする。侍女がテーブルの上にお茶を置き、静かに退出するとグランドは出されたお茶を静かに一口含んだ後、そっと息を吐き出しながら
「実は今後の私の…」
グランドが退出したその後、国王はただじっとソファーに座り身じろぎ1つしなかった。その国王の姿を側に控える宰相はじっと見つめる。
やがて国王はかすれた声で
「グランドの望みのままに…。良きよう取りはからってやってくれ。」
と宰相に告げた。
「はっ。御意に。して、王妃様にはなんと?」
国王は王妃の顔を思い浮かべる。無邪気に泣き笑い、怒る。そんな喜怒哀楽のはっきりした闊達な少女だった。そんな彼女がここ5年、しおしおと泣くばかり。「私が悪かったのです。私のせいです。」そればかりを繰り返し、公の場に出て来なくなり自室に引きこもるようになった。
と言って、王妃が引きこもった事でなんら政務に支障をきたす訳では無い。もとより王妃本来の政務は側妃が嫁いで来た時より、全て側妃が行っていたのだ。外交しかり国内外の訪問、視察、孤児院の慰問など、本来王妃と側妃が分担して行うべきことを側妃が全て行っている。王妃とは名ばかりで、王妃という名の愛妾のようなものであったのだ。
「折を見て…。折を見て話そう。」
苦しげに国王は呟くように声に出す。
「御意」
宰相は静かに頭を下げ、しばし国王の気が静まるまでの時間を計るべく退出した。
宰相は執務机に向かい、椅子に腰掛けると補佐官に声を掛ける。
「財務大臣と人事院の調整官をこれに。内密だ」
補佐官は心得たように頷くと直ぐさま踵を返し、退出した。
宰相は先王より仕える生粋の愛国者である。だからこそ、現国王が王太子時代にやらかした25年前の事件は、到底許す事が出来なかった。
何の瑕疵もない、己が婚約者を「貴族特有の曖昧模糊とした言い回しで面白可笑しくもない!」「常に無表情で嬉しいのか悲しいのかも分からぬ!」「貴様の様な無感情な者などと生涯を共になどできぬ!」
と言って公衆の面前で罵倒し婚約破棄を言い渡したのだ。
当時の王立学院は国内外から優秀な学生を集めるべく、貴賤を問わず他国や平民、貴族と様々な国、階層のものを広く集め、学問を研鑽し、友好を深めるべく広く門戸を開いていた。なので、当然のごとく
「学院内においては身分の隔たりを無くし皆平等で有るべし」との理念に従い、活発な議論が行われたものだ。
宰相自身もこの学院の卒業生だし、今でも当時の学友とは良い付き合いをしている。が、それをはき違える馬鹿者が出るとは考えもしなかった。
学院の卒業パーティーで、卒業生、来賓の皆が居るその前でやらかしたのだ。
婚約破棄を言い渡された令嬢は静かに一礼すると「承け賜りまして御座います。」と、静かにはっきりとした声で答え、皆に向かって「皆様、お目汚しをしてしまい申し訳御座いません。今後の皆様のご活躍をお祈り申し上げます。」そう言い残し、静かに退場していった。
あっと言う間だった。何が起こったのか脳が理解を拒んだ。先王と共に入場してすぐのこと、対処が遅れた。
各国の大使や貴族も見ている中での発言、もう取り消せない。
大失態だ。
先王陛下には子は王太子1人しかいない。代わりがいない。思わず「くそ餓鬼が!」と漏れたのは致し方ないことだと思って欲しい。
各国の大使、自国の貴族、それらの前でやらかしたのだ。取り消し様も無く、王太子の隣にいた令嬢、当時は子爵令嬢のソフィア嬢がそのまま王太子妃となった。
が、10年以上王妃教育を受けた元婚約者と違い、しょせんは子爵令嬢でしかないソフィア嬢の王妃教育は遅れに遅れた。いや、元々の素養が違うのだ。貴族としての考え、在りようが違うのだ。先王と私は早々に側妃選定を始めた。ソフィア嬢には王妃という名の愛妾でいてもらい、側妃に王太子をサポートしてもらおうと…。
今から考えれば、本当に、本当に申し訳のないことをした。側妃様やその実家のサンテミリオン侯爵家、元婚約者のレイナール公爵家、大切に大事に育てた娘をないがしろにされるなんて、とんでもないことだ。孫娘がいるいまだからこそ、その当時の両家のやるせなさや憤り腹立たしさも理解出来る。それでも、それでもこの国を救うにはそれしか無かったのだと、今でも言えるのだ…。
宰相が退出し、1人ソファーに座ったままの国王は先ほどのグランドとの会話が頭の中で繰り返し再現されている。
「私には支えてくれる臣下が居ないのです。私が臣下に下ってサンダールの治世を支える一助にして下さい。」
「子を成せない身体にして、一代限りの爵位でかまいません。」
確かに、グランドの婚約者を探した時に思い知った。グランドと年回りの合う令嬢は軒並み婚約者を作っていたのだ。相応の爵位持ちの令嬢は誰1人例外なく、婚約者がいたのだ。国内で駄目なら、国外では?と探したところ、そちらも婚約者がいるとの返答。
「おかしいだろう?なぜだ?産まれる前より約束しているなど、普通は有り得ぬ。何故、王家に嫁に出すのを嫌がる?グランドには何の瑕疵も無いはず。何故婚約者が決まらぬ?」
苛立つ余に
「何を当然の事を仰っているのか?私には理解がし難いのですが…」
側妃のエミリエンヌがため息を吐くように声を出す。
理解し難いと言うエミリエンヌの言葉が理解出来ず、思わずカッとなる。
「なんだというのだ!」
エミリエンヌはまじまじと私の顔を見つめながら、困ったように
「陛下は本当にご理解出来ませんの?」
「出来ないから聞いている!」
「怒らないで下さいまし。理解出来ていないならご説明させて頂きますが、もうこれ以上怒らないで下さいましね?」
そう言うとゆっくりと息を吐き出しながら説明し始めた。
なんということだ…。全ては私自身のせいではないか!!
今更、違うんだ、そんなつもりでは無かったんだ、と説明して回りたくとも誰に説明すれば良いのかそもそも何処まで説明して回れば良いのかも分からない。
ただ、グランドに説明しなくてはならない事だけは分かる。分かるがなんと言えばよいのだ?
私が青い顔をしてブツブツ言っていると側妃は更に申し訳なさそうに更なる爆弾を投下してくる。
「陛下、グランド殿下はまだそれでも男です。何とかなります。それよりマリールイゼのことを考えてあげなくてはいけません。」
「な、なに…?」
マリールイゼは可愛い。王妃に良く似ていて金の髪に輝くばかりのエメラルドの瞳、良く笑いその場の雰囲気を明るくしてくれる、余の掌中の珠だ。その姫になんの不足があると言うのか?
「陛下…。いくらマリールイゼが可愛くても、それとこれは別問題なのです。今までにマリールイゼに縁談の申込はありまして?私は伺った事はございませんが、王妃様は何か仰っていまして?」
「い、いや…。王妃からは何も…。だ、だが王妃は常々、マリールイゼには政略結婚はさせぬと申しておった。あの子なら良き縁を結べるだろうと…」
エミリエンヌは、それはそれは深く深く息を吐き出した。
「陛下、よ~くお聞き下さいね?今現在、マリールイゼと釣り合うお年頃の伯爵家以上の上級貴族の中で婚約者がいない男子はおりません。近隣の国々も同様です。これでどのように良き縁を結ぶと言うのです?」
ショックである。
「で、では子爵ならどうだ?」
「嫌がらせですか?王女が降嫁してきても困るだけですよ。扱いに困ります。」
ピシリと言い切られてしまう。
「そ、そなた、サンダールとカレン、フロンターレの縁はどのようにして得たのだ?あれらは既に幼き頃より婚約者がいたであろう?」
よくソフィアが言っていたのだ。「サンダールちゃん、まだ7歳なのに婚約者が決められたなんてかわいそうだわ~。これから運命の出会いがあるかもしれないのに、親が勝手に決めるなんて~。これじゃこれから産まれる子供たちもどんどん勝手に決められていくのね~。かわいそう過ぎる~。」と…。
ソフィアよ、今現在かわいそうなのは我らの子ぞ…。
エミリエンヌが側妃として輿入れする事になった際、幾つかの契約を結んだ。その中の1つにエミリエンヌが産んだ子供はエミリエンヌが主導で婚約者を見つける事。余程、政治的に不味い状況下で無ければ異議無く認める事と…。
「あら、学院時代のお友達の縁ですわ。サルビア公爵家に嫁いだミリアム様も辺境伯家に嫁いだサマンサ様も学院でのお友達でしてよ?」
「フロンターレはどうなのだ?」
「フロンターレはスランタニア皇国に視察に伺った際にフロンターレを同行しましたでしょ?あの時、エドワード皇太子殿下がフロンターレを気に入って、「僕のお嫁さんになって下さい!」って仰ったものだから「殿下が成人されてもフロンターレの事を好きなままでいて下さったら正式に婚約しましょうね」とお返事をいたしましたのよ?そうしましたら、殿下が皇帝陛下に早速、申し出て契約書が締結されたって訳なのですわ。フロンターレもあと2年で皇国にお嫁入りですわね。」
エミリエンヌはやりきったように言う。
何だか面白くない。どうせならグランドとマリールイゼの事も考えてくれても良かったのに…と思ってしまうのは、余が狭量なのか?
「陛下が何をお考えなのか、大凡理解は出来ますが、それを考えるのは陛下とソフィア様のお仕事です。」
今度こそ、はっきりキッパリと言われてしまった…
そんな過去の事をつらつら思い出しながら、さてソフィアになんと説明すれば良いものか…そして今後のマリールイゼのために何が出来るのかを話し合わなければいけない。
もっと悲しむかもしれない。もっと嘆くかもしれない。が、しかし我々はマリールイゼの親なのだ。これ以上逃げる訳にはいかないのだ。
私の名前はフロンターレ・エミリエンヌ・アルメリオ・フルフレール。
このフルフレール王国の第二王女だ。母は側妃。と言っても事実上正妃扱いらしい。子供の頃母付きの女官に聞いた事がある。
「どうしてお母様はこんなに忙しいの?」と。
「正妃のソフィア様は語学がお得意では無く、側妃であらせられますエミリエンヌ様の方が外交や国内外の貴族の方々とのお話し合いなどに深い知識と教養が御座います為、また交渉事などは他国に遅れを取る訳には参りませんので、機知ある会話の出来るエミリエンヌ様が最適かと存じます。」
「そうなのね。では正妃様は何がお得意なの?」
聞いた瞬間、空気が凍った。あ、聞いたら駄目なヤツだったかしら…
「正妃様は…正妃様は、そ、そうですね。国王陛下のお心を癒やすのがお得意に御座います。」
女官は必死に言葉を紡ぐ。いや、それ正妃の仕事じゃないよね?愛妾の間違いじゃない?と思ったものの、その言葉をそのまま出すような愚かな真似はしない。そんな事したら、淑女教育の鬼、スザンヌ先生に激怒されてしまう。お説教、半日コースは切にご容赦頂きたい。
私は必死に頭の中のマナー講習で教わった、話題転換を試みる。
「正妃様はお優しいものね。」
「さようで御座います。」
女官はホッとした顔をして頭を下げて戻って行く。
我が王家の、と言うより側妃の母上の宮には母上を始め第二王子のサンダール兄上、第三王子のカレン兄上、それに私、フロンターレの4人が一緒に住んでいる。本来、1人一つの宮らしいが、母上が
「それでは充分なコミュニケーションが取れないでしょ!子供たちの教育を間違えたくないから一緒に住むわよ!」
こう宣言されたらしくて、一緒に住んでいる。これは母上がお輿入れをする際に先王陛下とした契約の1つだとか…。
婚約者のエドワード皇太子に話をしたら、ものすごくびっくりされて、酷く羨ましがられた。なんでもスランタニア皇国は1人一つの宮で、兄弟でもすぐには会えないらしい。
なんか、大変だな…って思ったの。
「僕のお嫁さんになったら一緒に住んでくれる?」って言われて
「当たり前でしょ!」て答えたら、めちゃくちゃ喜ばれた。
そんな宮の名は瑠璃宮という。この宮の二階、中央階段の正面に
ベランダに面した広いリビングがある。ここは基本家族のみが入れる場所だからここでは、誰も取り繕わない。(取り繕わなくて構わないとの約束なのだ)
結婚すればこの宮を出て行く為、皆それまでは一緒だ。
私が5歳の時、確かカレン兄様が10歳だったと思う。
「おい、マリールイゼ、ヤバいかもしれない」
突然カレン兄様がボソッと言う。
サンダール兄様が
「何がヤバいのか、我々に理解出来るよう、簡潔に400字以内で述べよ」
「いや、無理。ってか、なんで400字?」
私が「最近兄様の流行なのよね?400字以内で主義主張を3分以内に述べるやつ。」
「訳分からん。えっとスザンヌ先生、解雇したらしい。」
「「へっ??」」私とサンダール兄様の声がかぶる。
「ええっと、マリールイゼが直接、解雇した訳じゃないよね?」確認するようにサンダール兄様が問う。
「あぁ。正妃様が、マリールイゼにはもっと優しい教え方の方が合うとか言って友人の子爵夫人を紹介したらしい。」
「「あぁ~」」またしてもサンダール兄様とかぶる。
私とマリールイゼ姉様はあまり会えないけれど、決して仲が悪い訳ではない。会えば楽しくお喋りするし、仲良く遊ぶ事もある。
正妃と側妃の娘同士と言えば、いがみ合うものと思われがちだが、今のフルフレール王国の王室に限って言えばそんなことはない。
が、ソフィア様、マリールイゼ姉様を何処に連れて行こうとしているのか…
子爵令嬢じゃなくて、王族なんですけど…。その子爵夫人、王族教育出来んの?姉様大丈夫?
「取り敢えず、母上には報告しとこ。それと俺からグランド兄上にも話を通しておく。と言っても多分、どうにもならん、教育方針はそれぞれの母親の管轄だ。」そうサンダール兄様が言う。
「ねぇ、グランド兄様は大丈夫かしら?」私が恐る恐る言う。
「うっ…。こちらの宮に招待して一緒に学ぶより他あるまい」
なんだかんだ言って、サンダール兄様もグランド兄様の事を気に掛けている。将来的には王位を争って…なんて事を思われるのかも知れないが、国内外の誰がどう見ても次の国王はサンダール兄様だ。
多分、グランド兄様だって理解している。
理解できていないのは父親である陛下と母親である正妃だけだ。
5歳の私は内々とは言え、スランタニア皇国の皇太子であるエドワードと婚約を結んだ(とは言え、あくまでも仮ではあるが)10歳のカレン兄上も5歳の時に同じ年の辺境伯家の令嬢と婚約を結んだ。ちなみに私が産まれる前の事だ。
サンダール兄様は国内の貴族の動向を伺いながら7歳の時に2つ下の公爵家令嬢と婚約を結んでいる。
かたやグランド兄様には婚約者いない。いない、と言うより婚約が結べないのだ。グランド兄様が別に不細工とかじゃない。むしろ金髪にエメラルドグリーンの瞳、陛下似のすごぶる美男子だ。背だって、すくすく伸びてきていて、手足のバランスもいい。性格だって穏やかで
努力家、少し温和しい気がするものの、意地悪じゃない。ホントに絵本で見た理想の王子様なのだ。
なのに、婚約が結べない。これは本人云々じゃなくて、その昔に陛下と正妃様がやらかした事に起因する。
決して本人のせいではない。それだけに余計に不憫だ。
なぜグランド兄様の婚約者が決まらないのか、教育係の先生方、教養一般を教えて下さる各先生方、どの方々にお話を聞いても、皆が口を濁して正確なことは誰もが口にしない。でも、私が12歳の時、エドワード皇太子と正式に婚約を締結した時に母上と宰相閣下から教えて貰ったのだ。母が輿入れする前に起こったフルフレール王国最大の危機とその顛末を…。
王が王妃の引き籠もる琥珀宮へと訪れたのはグランド王子との会談から一週間後の事だった。今、この琥珀宮の住人は王妃と第一王女のマリールイゼのみ。第一王子のグランドは基本、王城の隣にある図書館の文官寄宿舎に寝泊まりしている。グランド自身がソフィア王妃と顔を合わせる事は、ここ5年程は殆ど無くなっている。別に仲が悪くなったとかいう訳ではないが、グランドを見てソフィアがメソメソ泣くのが、精神的に辛くなっての事で、王もそれには触れないでいるだけだ。
「ソフィア、今日は大事な話が在ってな。聞いてくれるか?」
相変わらず、儚げで少女のようでふわふわと頼りなげな王妃にこれからする話がどの様な衝撃をもたらすのか、内心びくびくしながらも王はソフィア妃に話を切り出す。
「私たちが間違っていたのでしょうか…。」
長い、長い静かな話が終わり、ソフィア妃がぽつりと呟いた。
余はアルメリオ、このフルフレール王国の国王である。
国王である我の望みで叶わなかったのは我が最愛の正妃との間に出来た二人の子の婚姻だけだ。
最愛の人との婚姻に浮かれ、皆も祝福してくれているものだと信じ込み二人の子供をもうけた。が、その結果はどうだ?二人の子供はそれぞれ幸せな婚姻を結ぶ事すらできなんだ。
王国の貴族達はだれも許しはしなかったのだ。身分制度がある貴族社会の中で王命を蔑ろにし、子爵令嬢を王妃にと据えた。が結局のところ誰も幸せにはなれなかった。
しかし、父上なら、何かしらの知恵を授けてくれるやもしれぬ。私は微かな望みを胸に父上が隠棲された南の離宮へと足を運んだ。
「父上、お久しぶりで御座います。」
先王陛下である父上は私がエミリエンヌと婚姻し、第三王子が産まれたのを見届けると譲位し、この南の離宮に籠もられた。今は趣味であった庭いじりをしたり本を読んだりしてのんびりと過ごされている。
「おお、アルメリオ、久しいな。どうした?少し疲れている様だな。」
「父上は…、また少し日に焼けましたか?お元気そうで何よりです。今日は少し話を聞いて頂きたくて…。いえ、自分の不徳の致すところだとは充分理解はしているのです。理解はしているのですが、だから余計にやり切れなくて…。」
「グランドたちのことか?」
「ご存じでしたか…」
「誰にものを言っている?王だったのだぞ。その程度の事、見通せなくてなんとする。」
「ち、父上は成るべくしてなったと…」
思わず、呆然と父を見つめてしまう。
父上は憐憫の情の籠もった目で私を見ながら
「25年前から今日の事はわかっておった。」
静かに、きっぱりと強い意志の籠もった声で私に語りかけた。
私は先王。そして今、目の前にいるアルメリオの父でもある。
こやつはやはり先が見えていなかったようだ。
それは今もソフィアが「王妃」の位にいる事からも充分、伺える。
もし、ソフィアを名実共に「愛妾」としておけば、少なくとも王位継承権はないにしても孫の二人は、婚姻ぐらいは結べたものを…。
25年前、こやつが起こした婚約破棄がその後にどの様な問題を引き起こし、またどれ程の混乱をもたらしたか…。未だ呆然としているアルメリオに話して聞かせる事にした。
「アルメリオ、そなたは婚約破棄などするべきでは無かったのは理解しているか?少なくともフランソワーズ嬢に真摯に向き合い理解をして貰う努力をするべきであった。決して公衆の面前で婚約破棄などを告げるべきでは無かった。さすれば、フランソワーズ嬢の事だ。良きように計らってくれたであろう。『王命』を拒否したのだ。本来であればそなたは廃嫡されてもおかしくなかったのだ。」
アルメリオは今、気がついたと言わんばかりに愕然としている。
「やはりな…。気付いてもいなかったようだな。私にはそなたしか子がいなかった。だから皆が渋々でも黙認したのだ。そなたに兄弟がいたのならとっくに廃嫡されていた。
そなたが王であるために、幾つかの条件が必要になった。王妃の代わりに本来の王妃の仕事をしてくれる者。次代に確実に繋げてくれる子を二人以上もうけてくれる者。
誰よりも苦労したのは、そなたではない。エミリエンヌであるのだぞ。それを理解しているか?」
「く、苦労?」
「わかっておらぬか…。そなたがソフィアを正妃にするとあの時、あの場で公言した事でソフィアを正妃にはした。が王妃教育を受けていない令嬢がそのまま正妃になれたか?なれなかったであろう?ソフィアと婚儀を結んだ後に私とした話は覚えておるか?」
「はい。ソフィアは王妃教育を受けていない。今からではとても間に合わないから位は正妃でも、実質は愛妾とする事。政治的権限は一切持たせず離宮からも出さない事。子の教育は私とソフィアの管轄で…」
ハッとしたようにアルメリオは私を見た。
「気がついたか?」
「は、はい。でも、グランドはしっかりしていて…」
「当然であろう?スザンヌ侯爵婦人の解任を伝え聞いたサンダールから相談を受けたのは、この私だ。『このままではグランド兄上が気の毒です。私たちと一緒に教育を受けても良いですか?』とな。」
「サンダールが…?」
「あぁ。サンダールもカレンもフロンターレも心配しておった。グランドは王子なのに王族教育を受けないなんて、有り得ないと。他の貴族に侮られる。例え将来臣下に下るともその身は王族なのだと、必死に私に訴えていた。確かにグランドの方が、立場が難しい。より良い教育を受ける事で身を守る事にも繋がる。グランドも自身の立場は早い内から理解しておったようだ。だから瑠璃宮での教育を許した。」
「ソフィアもエミリエンヌもそんなことは一言も…」
「ソフィアの事はわからん。だがエミリエンヌは、『当然です。王の子が身に付ける全ての教育、教養そして王族としての覚悟と矜恃、全てを身に付けさせます。』と申してくれたぞ。」
そう言えば、スザンヌ侯爵婦人解任の時にソフィアが言っていたな。『グランドはもう大丈夫なんですって。さすが将来の王様よね?これからはマリールイゼだけになるから、あの子に合わせた先生にするわね。』と…。そうだ、ソフィアは王妃教育すら受けていない。王族教育のなんたるかが、理解出来ていないのだ。だからマリールイゼに下級貴族の教育しか受けさせなかった。王族としての覚悟も矜持もない。なんてことだ…。これでは、これでは王族の庶子扱い…
王と正妃の子なのに庶子程度の教育しかされていないマリールイゼの事を心配しながら
「ち、父上。エミリエンヌの事ですが、一番苦労したというのは…?」
「そなた、エミリエンヌには婚約者がおったのは存じておるか?」
「えっ?」
声が裏返ったような変な声がもれた。
「やはり知らなかったか…。当時エミリエンヌには婚約者がおった。幼き頃より結んだ政略的なものではあったがそれは仲が良かったそうだ。それを『王命』でそなたの側妃に召し上げたのは私だ。」
父上は苦い薬を飲んだかのように顔をしかめながら話す。
「その時に言われたのだ。『この様な理不尽な王命は二度と出してくれるな』と『自分で最後にして欲しい』と…。エミリエンヌは王命を受け入れた後、サンテミリオン侯爵家、レイナール公爵家の両家が貴族院議会に計り、『婚姻に関する王命は拒否できる。また拒否したとしても罪には問わず』という条文が追加された。また『王は正妃と側妃、王子を複数もうける事』…とな。王太子が廃嫡されても次がいれば王家は、ひいてはこの国も安泰だ。」
「な、なぜ…」
「何故と申すか?もう分かっておろう。そなたとソフィアの子らは最初から王になる道は閉ざされておった。それはそうであろう?王命を無視し、身分制度そのものを無視した、貴族の在りようを無視した。誰が、どこの貴族が大事に育てた我が子をいつ『運命の愛』とやらが降って沸いてくるか分からない相手と妻合わせたいと望む?」
「あ、あの子らは今までその様なことは…」
「そうさな。誰も相手にしていないから『運命の愛』以前の問題だな。」
「な、」
奇妙な声を上げた後、アルメリオは黙ってしまった。
「もう、遅いのでしょうか?」
掠れた様な声で絞り出すように呟くアルメリオ。
「今更、であろう?」
そう返す私の声にも張りはない。育て方を間違えたのは私も同じだからだ。
その後、グランド第一王子は臣下に下り、立太子した第二王子サンダールの治世を支えて行く事を
宣誓し、一代限りの公爵に叙された。
本人は終生結婚しないことを宣言したという。
第一王女のマリールイゼは貴族院学院を卒業後、王立聖教会に修道女として入り終生を神に捧げる
事となった。本人の強い希望のようである。
私の名はマリールイゼと申します。神に仕える修道女ですから、家名は御座いません。そう、以前はこの国の第一王女ではありましたが、本当にそれはただ名ばかりのもの…。
私の振るまいも在りようも王族と名乗れるような立派なものでは御座いませんでした。
こんな私ですが、神に仕える前には好いた殿方も御座いました。でもそれは決して結ばれぬもの…。私に好かれる事はその方にとっては迷惑千万なこと。
準成人の夜会でその方を見て、本当に一目見てその方と添い遂げたいと思ったのです。
もちろん、お話しした事も御座いません。ただただ、ひたすらに憧れただけです。私は母に「女性は好いた方と添い遂げるのが一番幸せ」と教えられ、それが最上と信じて参りました。現に私の両親はそうやって結ばれたと教えられ、そう教育されてまいりましたから。
幼い頃より両親から「マリールイゼほど可愛い子から好きって言われたらどんな殿方だって、好きになってくれるに決まっているわ。」そう言われてきたのです。ですから、私の思いが拒絶されるなど考えてもみなかったのです。
何故拒絶されたのかも、理由も分からず、ただ驚いて王族の自分を拒絶する人がいる事が信じられませんでした。
それでも、どうしても諦める事が出来なくて父上に「王命を出して下さい!」とお願いをしたのです。王族が降嫁するなら名誉な事だと思っていたから、王命ならば…と考えたのですが、見事に断わられました。ご存じでしたか?側妃のエミリエンヌ様がお輿入れされた際に法律の一部が改正されたそうで、「婚姻に限って王命は拒否する事が出来る。また拒否したとしても何ら罰は与えず。」というのが出来たのですって。
まさか、父上が婚約破棄した方の甥御様とは考えも及びませんでした。それはそうですわよね。なんの瑕疵もない淑女を公衆の面前で罵倒し婚約破棄を告げたらしいですから…。そんな人間の娘を娶りたい方なんていないですわよね。
王命で結ばれた婚約を破棄したのですもの。その後の法改正も頷けます。
ここの教会に入る際に司教様から伺ったのです。両親が引き起こした婚約破棄のあらましと、その後の事を…。
今、こうして王籍を離れて見ますといろいろと見えて来ることもあるものですね。
母上が輿入れする際に父上は先王陛下に幾つかの約束をされたそうです。母上は「王妃」という名の愛妾とする事。実質の王妃の権限、仕事は側妃に任せる事。仕事(これは政治ですわね)には一切口を出させない事。第一子を身ごもったら、政治的に支えてくれる後ろ盾を持つ側妃を娶る事。母上の産んだ子の婚姻は母上と父上が決める事。
先王陛下は側妃様ともお約束をしたらしく、今後婚姻に関しての王命は拒否が出来、また断わったとしても決して罰は与えない事、また側妃様が産んだ子供の婚姻は側妃様が主導で決める事が出来る事。子供の教育方針は側妃様が主導で決める事が出来る事などです。
確かに、王命の重さを一番感じなければならないはずの王太子が王命であった「婚約」を「破棄」したのですから、その後の貴族院議会で「王命の婚姻は拒否できる」の条文が加えられてもおかしい事ではないですよね。
私がかつて、王宮の自室に飛び込んだ時に聞かされた事。それは今まで深く考えずにいた事ですが、よく考えてみると今まで不思議と思った事の全ての疑問を解決しうる答えでした。
あの時、父上の、いえ今は陛下とお呼びしなければいけないのでしたね。陛下の執務室で聞かされた衝撃とその後の羞恥、今でも思い出す度に身もだえして地面に埋まりたくなる程に御座います。
陛下はレイナール公爵を呼び出し、嫡男のシュナイダー様との婚約を王命をだそうとしたのです。
レイナール公爵様はにこりと微笑まれた後、
「お断り致します。婚姻に関する王命は断わる事が出来るとの条文も御座います故。」
まさか断わられるとは夢にも思わなかった陛下は思わず叫ぶように
「な、何故だ!マリールイゼにはなんの瑕疵もないはずだ!」
「私の姉上にもなんの瑕疵も御座いませんでした。」
公爵様の言われた言葉に陛下はハッと息を止めました。
「王命の婚約を破棄したのです。そのような大事が分からぬ方のお子を何故、我が公爵家が受け入れるとお思いで?」
冷ややかに微笑まれると陛下と私を一顧だにせず、公爵様は退出されて行きました。
自室でボロボロと涙をこぼしながらも、何故だか心は凪いでいました。
今まで腑に落ちなかった事が全てストンと腑に落ちたとでもいいましょうか…。
「親の因果が子に報う」そんな言葉がストンと胸に落ちた気が致しました。
あぁ、これからは私もサンダール兄上の治世が平和で在りますよう神に祈りを捧げる
日々を送る事に致しましょう。ふと、そう思ったのです。
たくさんの謝罪とたくさんの感謝を
それでも、お母様、産んで下さってありがとうございます。
お父様、愛して下さって、ありがとうございました。
お二人とも泣かないで下さい。
たくさん、たくさん間違えたかも知れないけれど…
それでもお二人の子として生まれてきて私は幸せでした。